2-8 探索前編
四月三十日午前一時鏡楼高校の山の麓--
丑三つ時にはまだ早いが、その周りの雰囲気は肝試しに相応しいものになっていた。 人通りや車の通りは一切なく、木々を突きぬける風の音が不気味な音を立てる。
吹いてくる風も生暖かく、決して気持ちの良いものではない。
足元を照らす光は電球の切れかけた街頭のみ。不規則な点滅をしながら、足元を照らし続ける。
さて、現在約束の時間である午前一時になったところだ。持っていた携帯電話で時刻を確認する。
ふむ、全くもって文句なしの約束の時間だ。俺の持っている携帯の時計は、秒数までは表示しないので、時刻は「1:00」となっている。
では此処にいるのは四人かと言えばそうではない。
居るのは朱鳥と俺だけだ。本来ならばこの時刻には四人が此処に立っていなければならないのだが…。
そう、この企画を提案した下光兄弟がまだ来ていないのだ。
双子の弟である葉平が遅れてくるのならばまだわかる。しかし、兄である葉也も含めて遅れてくるのはめずらしい。
兄の方の葉也はこのような約束を、死んでも守るような性質の人間だと思っていたが、案外そうでもないようだ。
あのような鉄仮面のようなやつでも、人間のような所はあるもんだな。
困った…本当に困った。
何に困っているかというと、横に居る朱鳥のことだ。さっきから溜まりに溜まっているイライラを、体中から滲み出させている。顔の表情に関しては、あれでも一様女の子ではあるので省略しよう。
此処で口が滑ってでもそのことを口にしてしまえば、俺はたちまち丸焦げにされてしまう。
生上翔也のヴェリー・ヴェルダンの出来上がりだ。
一体だれが食べるのかな。
食べれば永遠の命が手に入りますよ、みたいな。
それだけは絶対に避けたい。冗談にもなっていない。
だから俺はこうして、点滅する街頭からも距離をとり、暗闇の中にひっそりと姿を隠しているつもりだ。この行為にどれくらいの効果があるかわからないけれど、取り敢えず気休めであってもこのようにしていないと、怖くて怖くてしょうがない。
俺たちが此処に到着したのは、二十分前の十二時四〇分だった。
朱鳥曰く、
「二十分前に集合して、十分前に行動する。当たり前でしょ?」
らしい。
十分前行動の話は確かによく耳にしたことがあったが、まさか集合と行動を切り離して考えることがあったとは。いや、朱鳥もとい武神家の風習なのかもしれないけれど。
武神家では剣術の鍛錬が行われているから、それが要因なのだろうか。
武道とか武術はそういう基本的なことに対して厳しいイメージがある。悪魔で俺のイメージだから、実際はどうなのか知らないけれど。
もしかしたら朱鳥個人の性格の可能性もあるし。
昔から時間に対しては本当に厳しいからな。俺に高校の遅刻を決して許さないという姿勢を押し付けてきたのは朱鳥なわけだし。
そんな押し売りは買っても直ぐに捨ててたから、何度も買う羽目になって酷い目にあったこともあったけど。
竹刀って防具付けていないと、本当に痛いのだ。
頭蓋骨が陥没するかと思う一撃を何度浴びたことか。
竹刀で叩かれるときは、必ず防具をつけましょう。
そもそも竹刀を普段から振り回している友達や幼馴染が、身近にいる人自体が少ないからこの忠告にどれ程の意味があるのかはわからないが。
とうとう携帯のデジタル時計が「1:02」を表示した。
いつの間にか二分立っていたようだ。その増えていく数字は、朱鳥の怒りのボルテージと同期している。
数字が増えていく毎に、間違いなく朱鳥の血流は激しさを増しているはずだ。
戦々恐々。
まずい、段々俺の方へと体の姿勢が向き始めている。
因みに朱鳥はジーパンにTシャツにちょっとした上着を羽織っている。恐らく動きやすさを重視した服装なのだろう。
まずいな、スカートじゃないから思いっきり斬り付けられるじゃないか。
しかも竹刀ではなく、真剣だ。
今はどういう原理かわからないが、体の中に仕舞われている。取り出すときは右手の中から炎と共に登場して、凶刃が対象に向かって直ぐに襲い掛かれるようにしている。
もしかしたら、もうちょっと距離を話した方が良いのかもしれないな。
此処では間違いなく攻撃範囲内かも。
居合切りで、丸焦げにされてしまう。
というわで、本能的な恐怖に対して全幅の信頼を置き俺は朱鳥から三歩程距離を取った。
その時だった、朱鳥と眼が合ってしまった。
時刻は「1:05」
「翔也、何か私との距離が離れているような気がするのだけれど、気のせいかしら?」
何で僕の幼馴染は眼が死んでいるのでしょうか。
心なしか瞳の色も、朱色に染まっている。
「気のせいだろ。きっと暗がりだからそう感じるだけだよ」
逆鱗に触れないような言い訳をする。此処を何とか切り抜けなければ。
「うーん。一時過ぎるちょっと前からかしら、私から徐々に遠くなっている気がするのよね」
「いや、だから気のせいだろ。気にしない方が良いと思うよ」
「気のせいね…。これでも私、かれこれ十年以上武術の世界で生きてきたのだけれど、その私が相手との距離感を読み間違えてしまったのかしら」
額から出た冷や汗が、頬をなで地面に落ちる。
もしや逆鱗に触れまいとして、思いっきり逆鱗に触れてしまったのだろうか。
十七年間殆ど一緒に居ることが多かったから、感を頼りにして逆鱗を回避したつもりだったが、失敗だったようだ。
「私ね、基本的なルールを守れない人って嫌なの」
「そ、そうなのか」
だからそんな死んだような眼で俺を見ないでくれ!
「だからね、約束の時間を守れない人は本当に虫唾が走るのよ」
「そ、そうなのか」
少しでも余計な事を言ったら、怒りの逆鱗に触れてしまうということを考えると、同意の言葉しか述べようがない。
「そして嘘をついたり、騙したりする人も同じく嫌いなのよね」
「………」
遂に同意の返事すら危うい状況になってしまった!
「それで、翔也はどうなのかな?私の嫌いな人たちと一緒だったのかな?」
死んだような瞳の色が、増々朱色を濃くしていく。
どのように返事を返すのが正解なのだろうか。
危機的状況を何としてでも回避するために、頭の中で思考を逡巡させる。
刹那、目の前の風景がパッと明るくなったような気がした。
まさか、と思い朱鳥の方へと眼を向ける。
そのまさか、右手には不気味な刀が握られていた。刀身は朱い炎を揺らめかせ淡い朱色の光を放っている。
「ねぇ…」
その言葉に合わせる様に炎の色も濃くなる。
どうすればこの危機的状況を脱せるのか。
無理かな…。
「ねぇ…返事は…?」
闇に浮かぶ朱い二つの眼がはっきりと浮かぶ。どうやらとうとう神眼を完全に開放して、戦闘態勢に移行してしまったようだ。
俺がヴェリーヴェルダンになることはほぼ確定か。
大切な命です、どうせなら最後まできれいに食べてください。
「いや、それだけは勘弁!わかった、謝るからその刀をしまってくれ」
取り敢えず目の前の脅威である、刀をしまうように要求する。
しかし、それに応じてくれる気はないようだ。寧ろ剣先が俺の方へと、まっすぐ向いている。逃げ場がない。
その時だった。
朱鳥の背後から二人の人間が、こちらへと走ってくる様子が見えた。
俺はその二人に向かってあわてて声をかける。
「お前ら遅いぞ、助けてくれ!」
その声の先を追いかけるように、朱鳥も背後を向いてその二人を確認する。
いつのまにか右手からは刀が消えていた。流石に二人の前で神器の真剣を見せるのは都合が悪いと判断したようだ。
「いやーごめんな遅れて。意外と準備に時間がかかってな」
葉平が到着したと同時に謝罪の言葉を述べる。
「何が準備だ。お前はいつもやること為すこと遅いんだ。目の前の武神さんを見ろ、とてつもなく怒っている様だぞ」
と葉也が目の前にいる怒り心頭の朱鳥について述べる。
取り敢えず俺の体は救われたようだ。かといって、この二人に感謝を述べる気は全くもってないが。
寧ろ俺にもしっかりと謝罪をして欲しい。
「あんた達にね、人をこれだけ待たせるってどういう了見かしら」
遅れてきた二人に向かって、最大の敵意を表す。
いやいや、そんな殺気まで振り撒かなくても良いのだと思うのだが…。
それに対して命の危機を感じたのだろうか、葉平が姿勢を正して思いっきり緑色の髪の頭を下げた。
「ほんとうにごめん!『許してくれ』」
「え…あ、うん。わかったわ、これから注意してよ」
あれ、もう少し時間がかかると想像していたが、意外とあっさりと引いた。
こんなこともあるものなんだな。
さて、やっと四人揃うことができたようだ。
時刻は「1:10」。
「では、まずは校舎の正門へと向かい中の様子を伺おう。確か武神さんの話では、現在校庭では仮校舎が建てられているようだが」
「そうね、でもまさか深夜まで工事をやるほどの突貫工事とは思えないけれど。問題は警備の人がいるかどうかよね。見つかったらややこしいことになりそうだし」
取り敢えずは校舎へと向かって、外側から様子を伺った方が良いようだ。
「それじゃさっさと行くわよ」
そう言って朱鳥を皮切りに、俺たちは夜の校舎へと登り始めた。
鏡楼高校はちょっとした山の上に建てられている。故に、そこまで行くために長い坂道をわざわざ登らなくてはならない。
しっかりとアスファルトで舗装されており、歩きやすいようにはされているが、それでもこの坂道を上ることは本当に苦行だ。
因みに、歩道の周りは木々で囲まれており非常に気味が悪い。
こんな深夜も相まってか、その不気味さはより一層際立っていた。
「そう言えばさ、うちの高校って怪談めいた伝説ってないよな」
いきなり葉平が口を開いた。
怪談か、確かにうちの高校でそのような話を聞いたことはなかった。そもそもそのような怪談って実在している方が、少ないような気がしなくもないのだが。
学校の怪談というのはイメージ的に、小学校や中学校のイメージがある。
「そもそも怪談なんていうものを楽しむのって、小学生とか中学生でしょ。流石に高校生にもなってそんな噂に現を抜かすのってどうなのよ」
「同意だ。高校生にもなって、そのような話は高校生にもなってするものではないだろう」
もっともなことを言う真面目組二人である。
「お前らさもっとこう、遊びをいれようよ」
葉平ががくりと肩を落としている。
「なぁ葉平、それをあの二人に求めるのは無理だよ」
どこまでも一貫している性格だからな。特に葉也の方はそうだろう。
朱鳥以上に融通が利かないことが多いようだし。
そう考えると葉平の性格と葉也の性格、二人そろってバランスは良いのかもしれない。
「俺と兄貴の意見が合致したことってそんなにないんだよな」
「それで良くケンカにならないな」
普通意見の食い違いが起きれば、どちらかが無理を通そうとして摩擦が起きるはずだ。
「そりゃあな、葉也と喧嘩したって俺じゃ勝てないし。喧嘩するだけ時間の無駄というか。これだけずっと一緒に居ると、それくらいは流石にわかるようになるよ」
確かに葉也と喧嘩しても勝てる気は全くしないな。
理論武装で畳み込まれてしまうに違いない。
「俺は朱鳥と喧嘩しても、最終的には武力でねじ伏せられるパターンが多いかな。こう竹刀でパーンと」
因みに最近は竹刀ではなく、刃のついた真剣でサックリと斬られかねない。
「まー翔也にはその方が良いかもね。頭で覚えるよりは体で覚えたほうが効率よいだろ」
「俺はそこまで馬鹿じゃない。寧ろ叩かれることによって、覚えたものを忘れているような気がする」
自業自得だけれどそろそろ皆から俺が馬鹿であるということを、忘れさせたいところだ。
そんな益体のない会話を続けていると、目的地である鏡楼高校の校門前へと到着した。
校庭を見てみると、仮設校舎を建てるための機材が置かれている。
また中心には校舎を建てているのだろう、幾つか仮組だけされており柱だけが建てられていた。
人気はというと全くない。昼間に入っていったトラックがないということを鑑みるに、工事に従事していた人は全員帰っているのだろう。この分だと警備をしている人もいないと踏んで大丈夫かもしれない。
そして明かりは一切灯ることなく、真っ暗な空間がそこにはあった。
「うーん、人は全然いないみたいね」
校門の前に立ち中の様子を伺う朱鳥。その隣にいる葉也も同じ考えのようだ。
「そうですね、後は監視カメラだ」
監視カメラがないかよく眼を凝らして中を見る。
「監視カメラはなさそうだな。葉平も何か見えるか?」
「大丈夫じゃない?ただ赤外線センサーはあるみたいだけど」
赤外線センサー?
何でそんなものがあるんだ。
「といっても人が通ると、明かりが灯るようになっているやつだよ」
「お前よくそんなもの見つけたな」
よくよく見てみると、右手奥に置かれている資材置き場の周辺に鉄の棒が刺さっており、その上にライトが置かれている。そしてそのライトの取り付け部分に、赤外センサーのようなものが付けられていた。
「となると、他にもあのようなライトがある可能性があるか。武神さん、やはり此処は万全を期して裏側から校舎に入りましょう」
「わかったわ、そうしましょ」
俺らは後者の外周を右から周り裏側へと向かった。
因みに校舎の周りはアスファルトで舗装されているので、森の中を歩く必要はない。深夜のこの時間に真っ暗な森へ入るのは流石に怖い。高校へ通っているときに、このアスファルトの存在に疑問を感じていたが、今回は感謝することになったようだ。
一、二分程歩いて校舎の裏側へと到着した。
あらためて近くで見てみると、校舎の惨状は酷いものだ。明らかに肝試しには向いている廃墟と化していた。
お化けが出てきて全く不思議ではないし、寧ろ出てきた方が自然だ。
「それじゃ入るわよ」
朱鳥は目の前のフェンスに手をかけて、中へと入るために上り始めた。
その後に葉也、葉平、俺と続いて中へと入る。
「さて、どこから入るかって…迷う必要は全くないな」
何しろあちこちのガラスが割れているのである。どこから入るにしても自由だ。
「それじゃ此処から校舎の中に入りましょ」
目の前の枠ごと外れて割れている窓を指差し、そこへと向かっていく。
「武神さん、取り敢えず安全を確認させてもらうために俺から入らせてもらおう」
そういうと葉也は中へゆっくりと入っていった。ガラスの破片を踏む音が響く。
天井や壁を確認して崩れてこないか見ている。
「うむ、入っても大丈夫だ」
それに答えるように次々と校舎の中へと入っていく。
中の様子は外よりもいっそう気味の悪い雰囲気になっていた。土ぼこりが月の光に照らされて、光のカーテンを形作っている。
ひびの入った壁や天井はより一層、不気味な様子を過剰に演出していた。
「それでは上を目指して進んでいこう」
持ってきた懐中電灯をともして、廊下を進んでいく。
しばらく歩くと、弐昃さんが倒れていた職員室が見えてきた。
「うわ、こりゃ凄いことになってるな。机という机が吹き飛んでしっちゃかめっちゃかになってるし」
除いた葉平が思わず驚きの声を上げた。
あれ、でもおかしい。机が吹き飛んで壁際に山のように積まれているのはそのままだとして、弐昃さんの倒れていた部分に血痕が一切残されていなかった。
もしかして、神眼との戦闘の痕跡は消せるだけ既に消したのだろうか。
「これは想像以上の惨状ですね。一体何がどうなったらこのような光景になるのか不思議だ」
葉也の方も思わず驚いたようだった。
一歩の朱鳥はさもありなんという表情で、その様子を眺めていた。
ま、普段からこれ以上の惨状を生み出しかねない戦いを練習でしているからな。
真っ当な感覚でいられるわけがない。
「しれじゃ上の階を目指して進みましょ」
そう言うと職員室の横にある階段へと向かっていく。
何か随分と不思議な気持ちだ。ついこの間同じ道を梓と一緒に歩いていた。
その梓は今弎塑稀さんの集中治療を継続的に受けている。回復の見込みはまだわかっていない。また一緒に話せるときがくればいいのだけれど…。
階段を一回上り、三年生の教室がある二回へと到着する。
この階は一階よりもより一層ひどい状況になっていた。
廊下側の壁もいくつかの穴が開いており、非常に風通しの良い状態だ。
「ふむ、こうやって見てみると確かに何かしらの爆発が起きたと考えたとしてもおかしくはないな。ただ不審な点はいくつかあるな」
葉也は懐中電灯で廊下や、大きな亀裂の入った黒板のある教室を順々に見ていく。
朱鳥は一人で近くの教室へと入り、中心に建って例の神眼の使用痕跡を探っているようだ。その朱鳥へと気が向かないように俺は葉平に話しかける。
「なあ葉平、この惨状の原因ってなんだと考えているんだ」
「んー、此処にくるまでは外からしか校舎の様子を伺ってなかったから、本当に単なる火災でも起きたのかと考えていたけど、それじゃこの惨状を説明できないよな。道理で情報が曖昧なわけだよ。こんな状況の原因をしっかりと説明できる奴っているのかよ」
その原因をある程度しっかりと説明できるのは俺なのだが。
この件に関して下光兄弟には、神眼について説明はしないと朱鳥と決めた。だから説明することはできても実際に実行することはできない。
もっとも、説明した所で理解してもらえても納得してもらえる保証はないけれど。
「しっかしこの上ってどうなってるんだろうな」
そう言って天井の方を見る。
「外からみた限りでは、もう屋上はないに等しい状態だったろ。四階も半壊している状態で原型をとどめてなかったし。それじゃ三階はどれくらい残っているのかな」
「それは直接見て確認するしかないな」
俺も三階に関してはそこまで見てないからよくわからない。
果たして俺たちの教室があった三階はどうなっているのだろうか。