2-7 備えあれば
「赭攣さま、失礼します」
そういうと弌人は、自分の主がいる和室に入った。
赭攣は襖を開けて入ってくる弌人を心配しながら見つめる。
「それで、香港の件はどうなりましたか」
「はい」
弌人は赭攣の前に正座して座り、持っていた封筒から、情報がまとめられた紙を取り出す。
「式神家分家測神界羅と思われる人物が襲撃したようです。この人物については、欧州の方で幾つか目撃証言がありました。名前については十七年前の件の中で、武神家の調査によりわかっていました」
「そうですか。あの時に光動の能力を持つ神眼能力者がいることはわかっていましたね。しかし今回、本当に戦闘に出てくるとは思っていませんでしたよ」
十七年前の式神家との衝突時、測神家が前線に出てくることは一切なかった。
寧ろ物資の輸送など、物を運ぶことがメインだった。
武神家はそれを妨害するために何度か、此方から勝負を仕掛けた。しかしその度に逃げられてしまい、妨害活動は上手くいかなかった。
そもそも光速で移動する物体を、妨害することなど難しいには決まっている。
そこで本来ならば同じ雨雅神家を出すのが常識なのだが、この時は諸々の事情があり対測神用として戦闘には出せなかった。
「今回は無事逃がすことなく、倒すことができたようです。ただ此方もそれなりの損害を被ってしまいました」
「やはり此方も無傷ではいきませんでしたか」
「はい、しかもあの方に力を使わせてしまいました」
「そうですか。彼女の死眼を使わせてしまいましたか。できれば、使わせないままで終わらせたかったのですが…」
生上夕。
赭攣にとっては幼馴染である。
その彼女も神眼能力者だった。
しかもよりによって、死の眼の持ち主である。
その眼に狙われたものは、必ず殺される。
それ程の脅威を持つ神眼だ。
だから、その力を欲しがるもの、滅ぼそうとする者が彼女の前に何人も現れた。
その敵から赭攣と今の夫である飛宇貴は彼女を守った。守り続けた。
こうして彼女が死の眼の保持者であることは、赭攣と飛宇貴以外はいなくなった。それから数年が経過し、夕と飛宇貴は結婚。
一方の赭攣は許嫁であった蔡火と結婚したのだった。
その後式神家との戦もあった。その時に夕が手助けをすると申し出てくれたが、赭攣はそれを断った。
もう彼女を危険な人物に狙われたくなかったからだ。彼女だけは危険な目にあわせまいと、心の中で誓っていた。
しかし、今回の件でそれが難しくなってしまった。
しかもその中核であるのは、他でもない彼女の息子である翔也だ。
だから彼女を夫の飛宇貴と共に、香港へ逃亡してもらった。本家にいた能力者も二人だけ護衛として派遣した。
ただその戦力も十分ではなかったのだろう。
現に今回彼女に力を使わせてしまったのである。
本来ならば十分な戦力を割くべきだったが、そうもいかなかった。
日本では式神の動きが活発化している。
ヨーロッパのほうでは、謎の神眼能力者、しかも弌人の情報によればその人物も死の眼の力の所有者である可能性がある。
このような状況に置いて、あの二人の護衛のみが割ける十分な戦力だったのだ。
これ以上の戦力を護衛として投入してしまえば、ヨーロッパかあるいは式神との戦いに敗れてしまう。それは最悪の事態であり、必ず避けなければならないものだ。
それら諸々を鑑みての采配だった。
「さて、問題は今度の事ですね。取り敢えずその後の香港ではどのような対策を行ったのですか?」
「はい、同盟を結んでいる方々に、回収をしていただき匿っていただくことにしました。それで暫くは香港に滞在後、アフリカの方へと移動するように手配するつもりです。あの地域は神眼所持者も少なく、その知識を得ている人も少数です。そこならば、夕さんが狙われた時の状況を掴みやすいかと」
「なるほど、わかりました。取り敢えずはそれでいきましょう。他に何か追加の報告があれば随時私に伝えてください」
「わかりました。後今夜お嬢様が鏡楼高校に潜入されるとこの子ですが、何か対策は打っておきましょうか。全領域の能力者も現れたと言う事です。今のところは弐昃と神威の二人を、監視にあたらせようと考えています」
「全領域の能力者も現れましたか…」
ふむ、と考える赭攣。
全領域の能力者が現れたことは、式神も本気を出し始めているということになる。
ならば神威と弐昃を監視としてだし、衝突に備えることはとても重要だ。
「取り敢えずはその対策で行きましょう。では、その両名について全領域の神眼保持者が現れた場合は神威に対応をさせてください。その他の敵は弐昃が最優先で対応するようにしてください。恐らく弐昃では全領域に対応できない可能性があります。最悪殺されることもあるでしょう」
全領域と互角にやりあえるのは今のところ神威のみだ。
翔也も戦うことができれば、十分に勝ち目はあるが残念ながらまだ十分に戦うことはできない。そこまでまだ神眼所持者として成長できていないのだ。
神眼所持者は神眼を発動させると、身体能力を格段に上げることができる。
だから修練を積めば積むほど、移動速度、戦闘技術、筋力、知能、などを数段も上げることが可能だ。しかし翔也はまだそこを鍛えていない。
視力のみが人外の域まで達していただけだった。
当たり前と言えば当たり前である。
翔也は神眼所持者としての修練を全く積んでいないのだ。
逆に朱鳥は物心つく前から、神眼所持者としての修練を沢山積んでいる。したがって全領域に引き込まれることが無ければ、殺すことはできるかもしれない。しかし全領域というのはいつの間にか引き込まれてしまう類の能力であり、回避して発動させている能力者を攻撃することは難しい。
よって朱鳥にも難しいのだ。
「わかりました。そのように二人には指示出しておきます」
「そして神崎未樹の帰国についてですが、慎重に行う必要がありますね。彼女の未来視は、歴代の未来視能力者の中でかなり強い部類に入りますが、全領域に対応できるとは限りません。格闘もそこまで得意ではなかったはず。朱鳥と翔也くんに迎えに行ってもらう予定でしたが、仕方ないですね、神威を向かわせましょう」
「神威ですか…了解しました。説得してみましょう」
「頼みますね」
現在本家にいる神威と、神崎未樹は仲が悪い。
お互いに犬猿の仲なのだ。それは過去に起きたある事件が原因なのだが、此処で省略。
本当ならば神威に向かわせたくはないのだが、全領域の能力者が鏡楼市に現れてしまったので致し方ない。
此処は神威に耐えさせるしかないだろう。困ったものである。
「では私はこれで失礼します」
弌人は手に持っていた資料を封筒にしまいそれを赭攣に渡し、赭攣の和室から出て行った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
今俺は朱鳥の部屋にいる。下には絨毯が敷かれており洋室だ。
この部屋に入るのは数年ぶりだが、昔と比べると余分なもの(遊び道具など)がなくなり、勉強するための本や教科書がひしめく部屋になっていた。
人も成長すればそれに合わせて部屋の内装も変わるのだなと思う。
そして俺は朱鳥と二人向き合うように床に座っていた。
「でも、ご両親が無事で良かったわね」
「まーね。でもこれって俺の親の周りには、式神の分家を撃退できるだけの戦力が配置されているんだよな。そんな余分な戦力が残っているのか?」
現在武神家の置かれている状況は、大変な時であることは俺でもわかる。
そんな中俺の親を守るために、戦力を削らなくてはならないのだ。迷惑をかけてしまっていることは間違いない。
「それについては心配ないと思うわよ。此処には神威の人と弐昃がいるし、ヨーロッパはヨーロッパで十分な戦力がいっているのよ。心配ないわ」
「そっか。それなら良いんだけどさ」
でも俺一人のせいで、沢山の人に迷惑をかけてしまうことになった。
只でさえヨーロッパの方での眼狩りが起きていたのに、そこに俺が原因で式神家と武神家との衝突が加わってしまったのだ。
この俺の眼にある神眼は、つい最近までは発動することはなかく、普通に暮らすことができていた。しかし、俺が何の気まぐれか人助けをした。
ビルの中で切り裂かれそうになっている女性を助けるために、俺は式神厭人と出会った。出会ってしまった。
その時に受けた傷が原因で、俺の神眼の発生を封印していた印に傷がつき、覚醒へと至るきっかけになったらしい。
そしてそれから暫くして俺の眼は覚醒した。何でも希少な蒼で、更に希少な能力永劫が俺の所有する神眼の正体だった。
そしてそれが式神の求める眼でもあったらしい。それ以降俺は式神厭人本人と、式神家分家のやつらに狙われるようになってしまった。
きっかけは俺が作ったようなものだが、それ以降の流れは俺のあずかり知らぬところだ。今もどうにもこうにも腑に落ちない部分は沢山ある。
それでもやるしかない。
戦うしかない。
そして俺のせいで標的になるであろう人々を、守らなければならない。
目の前にいる朱鳥も含めてだ。
「取り敢えずは一難去ったという感じね。さてそれじゃ今夜のことについて考えましょ」
そう今夜の俺たちは下光達と一緒に、自分隊の高校である鏡楼高校へと侵入する。
現在全領域とかいう、おかしなくらい強い奴が出てきているから、細心の注意をしなければならない。では鉢合わせしてしまった場合に置いて、何か対処ができるかというと難しいところだ。
せめてこの短剣、青色の刃で蒼の眼所持者のために作られた武器の使い方さえわかれば良いのだが。
「まずは、最悪の場合から考えましょ」
「そうだな。もし全領域のやつと遭遇してしまった場合は、朱鳥が下光達を引き連れて逃げてくれ。俺は大丈夫だ。死ぬことはないしな」
「それは却下。二人は逃がして私も戦うわよ。あんな一方的にやられただけで終わったのは癪だしね。後、もし翔也が捕まったらどうするのよ」
「そっか、まだ式神家の本拠地が分かっていないんだよな」
式神家の本拠地がいまだにわかっていないから、俺が誘拐されてしまった場合は助けることは難しいだろう。
「言っておくけど、翔也だけ助からないのは私は許さないかね」
朱鳥の瞳が朱く染まった。
このように本気な朱鳥には何を言っても無駄である。
「それじゃもう少し俺をいたわってくれても良い気がすんだけど…」
瞳から朱が消え通常の瞳に戻る朱鳥。
此処のところ俺に対する扱いが酷いような気がする。
顔面を両足で踏み台にされたり、本気で俺を吹き飛ばしたり。
いくら瞬発的な回復力を持っていたとしても、痛いものは痛いのだ。地面に肌を削られる痛みなどもう言葉にできない。
「えーとっ、それは仕方ないでしょ。ごめんね、私神眼を発動させると正気じゃなくなるのよね」
視線を俺からそらす。
「コホン、それよりも今夜の事よ」
話題までそらされた。
ま、謝ってくれたからそれで十分なんだけど。
「取り敢えず私は全領域のやつがあらわれたら、翔也と一緒に戦うからそのつもりで」
「わかった。それで下光達に神眼のことは説明するのか?」
あの二人は恐らく神眼のことについて殆どしらないだろう。
それが当然であるし、俺もそうだった。あの二人が知らないのは当たり前だ。
説明しておいた方が、全領域のやつが現れた時に説明が容易になる。
「取り敢えず神眼には関わらない方がいいから、現段階では説明はしないでおくわ。全領域のやつが現れたら、その時はその時。テロリストとでも言っておいて逃げてもらいましょ」
「随分と適当だな。それでよいのかよ」
「それで良いのよ。むしろ適切よ」
というわけで下光兄弟には神眼について説明する必要わなくなった。
「探索については私がゆっくりするから、基本的に私からそこまで離れず下光兄弟の事を監視していてちょうだい」
「了解。朱鳥から視線を外させるようにしてみるよ」
今回の探索で朱鳥は神眼所持者の視点から現場を見る予定だ。
上手くいけば狐のお面を被った二人の能力も分かるかもしれない。あの二人は梓と戦った時に、神眼の能力を使っていないように見えた。使っていたとしても仮面を被っていたため、その能力について知ることはできなかった。
しかも一人は神器のみで戦い、もう一人に至っては格闘だけで戦っていたのだ。
そしてその二人には何回か出会っている。
早い段階でその素性を把握しておくことが大切だろう。
「確認事項はこれくらいかしら?」
「後は持っていく道具を集めておかないとな。懐中電灯とかは必須だろ。あいつらの前では朱鳥能力使うことは難しいだろ?」
「手品で済ましておくにはいささか、威力が大きすぎるし不思議すぎるものね。それじゃそこら辺は準備しておくね」
そういうと立ち上がり、準備をし始めた。
「あ、そうそう。もう夕飯の時間だから適当に食べておいてね。私も準備が終わり次第食べるって給仕の人に言っておいて」
「わかった。んじゃまたあとで」
俺は立ち上がり、扉を開け薄暗い廊下へと出た。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「はぁ!?ふざけるな!」
武神家のある一室で朱く長い髪の毛を持つ、朱のスーツを着た人物が激怒していた。今本家にとどまっている神威だ。
その燃えるような朱い姿がより一層燃え立っている。怒りがそのまま視覚として認識できるような感じだ。
普通の人間ならその怒号だけで気絶し、神眼所持者でも怯むような気配を醸し出している。
しかし、その怒号を真正面から受けている人物がいた。卩弌人だ。
それに対して全く意に介さないというような表情で、冷めた目線で神威を見ていた。
「これは武神家のためです。今あなた個人の確執について構っているほど、こちらは余裕がないのです」
「だったら私をさっさと自由に行動させりゃ良いだろうが。何でこの私が、あのいけすかした女をわざわざ迎えに行かなきゃならないんだよ」
「先ほどから説明している通りです。私は基本的に同じ内容の説明は二回以上しません。それにあなたにこの任務を拒否する権限はありませんよ」
そういって一枚の紙を弌人は神威に差し出す。
その紙には武神家頭首である、赭攣からの直接下された任務であることを示す印が押されていた。この印が押された任務について、分家の人間が逆らうことはできない。
因みに任務が書面で渡されることは滅多にない。大抵は弌人が口頭で知らせることが多いのだ。
今回書面が発行されたのは、神威がこの任務をそう簡単に快諾するとは限らないからいと判断したからだ。
そして予想通り、この状況である。
「この書面が今回はあります。ですので、明日昼に必ずお嬢様と同行して神崎未樹を迎えに行ってください」
その書類を神威へと差し出す。
目の前の神威をその書類を、恐ろしい形相で睨みつける。暫し後ようやくその書類を乱暴に手に取った。
「ったく。あのくそオヤジ。この私をガキのお向かいに使うとはいい度胸じゃねぇか。しかもかわいいガキならまだしも、あの何でもかんでも御見通しという生意気なガキをね」
手に持っている書類を握りつぶそうとするが、それができない。
先祖代々から受け継がれている印の力のせいだ。そのせいで、頭首からの命には絶対に逆らうことはできない。
「それでは、今夜の件と明日の件、この通り伝えました。私はこれで失礼しましょう」
「ああ、さっさと出ていけこのクソ眼鏡」
「何でもかんでも“クソ”を付けるのを止めたらどうですか?まるでダダをこねている子どもですよ」
「それ以上私を刺激するな。今この紙を持ってきたお前を殺すのを必死で押さえてんだ。感謝しな」
「わかりました。では」
そう言うと弌人はその部屋を後にした。
一方残された神威は未だに興奮冷めやらぬ状態だ。
その書類を机の上に置き、椅子の上に乱暴に座る。
「ったく、何の因果で私がまたあの小娘と、一緒に行動をしなきゃならないんだ」
暫く小言をその書面に向かって吐き続ける。
そこへ割って入るように携帯の着信音が鳴り響いた。表示は非通知になっていた。
その表示に嫌な予感がし、神威はその着信を無視し続ける。
しかし、着信は鳴りやまなかった。
何度も何度もなり続けた。
とうとう痺れを切らした神威は携帯に出る。
「おい、てめぇしつこいぞ!私をストーカーするとはいい度胸じゃねぇか」
「いきなりそんな大声出さないでよ。あんたって昔から変わらないわね」
「んなっ…てめぇなんで私の番号知ってるんだ!」
何と電話をかけてきたのはあろうことか、神崎未樹だった。
「そりゃたまたま視えたのよ。明日の午後十一時五十六分にあんたへ電話をかけている弌人さんの番号をね。序だからそれ覚えてあっているか、電話したまでよ」
「てめぇ、まだ海外に居るんじゃなかったのかよ。どうして日本のこの地域を視ることが出きるんだ」
「そりゃ、私はもう日本にいるからよ。直接本家に行くのもあれだし、一旦実家に戻っているのよ」
「なるほどな。しかしお前も成長したよな、あれだけ取り乱していた頃が懐かしいぜ」
「うるさいわね。あんただって私と同じように、あたふたしていたじゃない。お相子よ」
「私をてめぇと一緒にするな」
「私をあんたと一緒にしないで」
暫しの沈黙。
神威は携帯電話を握りつぶさんばかりに、握っている。
「ま、取り敢えず明日はよろしくね。あんたが直々に迎えに来てくれるそうじゃないの」
「行かされるんだ。そこ、勘違いするなよ」
「当たり前よ。それじゃ」
そう言って神崎未樹は通話を切った。