2-6 死の宴会
四月二十九日夜の香港--
雨雅神速人は、生上夫妻に敵が襲来してきたことを伝える。
「これから私はその敵の撃退を試みます。したがってくれぐれも、此処を動かないでください」
速人の任務はこの二人の護衛。
しかも武神家頭首からの直々の任務。
何が何でも達成しなくてはならない。失敗しようものなら一族の恥になる。
雨雅神家は分家の中でも十番目に位置する。故にそこまで振り向かれるようなものではない。
また、その能力も他の分家と比較すると見劣りしがちだ。
それに対して速人は少しだけ劣等感を感じている。ではそれを上げたいとは思っていない。そのような努力はするだけ無駄と思っているからだ。
しかしその逆、名を下げる事は絶対するまいと思っている。
だからその名を下げるきっかけになるであろうこの任務には、あまり意欲的ではなかった。
頭首直々の命令。
この任務を達成すれば、雨雅神家の名も上がるのだが速人はそこまでは考えていない。そもそもが本家に雨雅神家の人間として留まるのみで、任務を行うつもりは全くなかった。
何せ自分と交代前の雨雅神家の人間は、任務に就くことはなかったようなのだ。
これは雨雅神家の人間が、如何に見られていないのかを指しているに違いない。速人はそう考えていた。
ところがだ。
今自分は二人もの命を守る任務に就いている。
全くもって予想外だ。
しかもこの護衛、二人のみで監視と護衛が一人ずつしかいない。
更にその監視役も分家九の神琥家の人間なのだ。この任務、分家最下位の二つの分家で構成されていることになる。
この内容を知った時、速人は戸惑いを隠せなかった。
何故、式神家からの護衛の任務なのにこの構成なのか。どう考えても達成できるはずがない…--
だからその理由を聞こうと、頭首である赭攣に聞こうと赴いた。
しかしそれを弌人に阻まれてしまった。
曰く、
「この任務はあなた方にしかできません。したがって、あなたの意見を聞くことはできない。理由を知りたいのだろうが、それは無理だ」
と突き返されてしまった。
納得できない。
何故なのだろう、どうしてこの二人が選ばれたのだろうか。
ずっとそんなことを考えていた。
そして、此処に来て敵襲である。
果たして自分は、あの二人を守りきることができるのだろうか…。
「この部屋の護衛はこれから神琥の者が務めます。後、最悪の場合此処から退避して頂くことになると思います。ですので、荷物をまとめておいて下さい」
「わかった、そうしておこう。くれぐれも死なないようにな」
翔也の父親である生上飛宇貴は、速人の話を聞き早速荷物をまとめにかかった。
一方母親のほうと言えば…。
「あらあら、何か大変な事になってしまったわねぇ~」
と相変わらずのマイペース。
緊迫感のなさに思わず、頭の血管が切れそうになるが辛うじておさえる。
その時、部屋の扉が開いた。
「雨雅神殿、只今戻った」
扉から黒いカジュアルな服装の男が入ってきた。この男が現在の任務における監視役である。年齢は三十代後半。
神琥家の能力である、透視の力を用いる。ついこの間まで、武神家本家に出向いていた。したがって本来ならば神琥家に戻っているはずだったが、本家に出向いている者が欧州に向かっているため、臨時としてこの任務に就くことになった。
「敵の数は一。速い速度で此方に一直線に向かっている。後数分のうちに此処に辿り着く可能性が大きい」
現在把握できる状況を伝える。
「しかも敵の能力は貴殿と似たようなもの、あるいは同じもののようだ」
「そうですか、では少しはやりやすいかな…」
「しかしすまないな。貴殿のような若い者に、命を賭させることになろうとは…。本来ならば私が出向くべきなのだろうが、私の能力ではあれには何の役にも立たない」
自分よりも二十歳年下である、速人の事を不憫に思う。
「いえ、それは心配に及ばないです。必ず生き残ります」
「ああ、必ず生き残ってくれ」
そして速人は二人の護衛を彼に引き渡し、ホテルの廊下へと出た。
雨雅神の情報によれば、敵は自分と同じ能力であるらしい。
それならば、戦いやすいに越したことはない。しかし逆に言えば、同種の能力で相手のほうが自分よりも能力が上だった場合には、勝つことが難しくなる。
違う能力ならば活路を見いだせるかもしれないが、同種となれば鍔迫り合いになり結局は能力が高かったほうが勝利する可能性が高い。
だからまずは、相手の能力の把握と能力の高さの比較をしなければならない。
エレベーターに乗り一階へと向かう。
このホテルの前は広い広場になっており、障害物も電柱のみで視界が開けている。
戦闘を行うならその場所が適しているだろう。
チーンとエレベーターが目的地へ到着したことを告げる。
エレベーターから降り、人気がほとんどないロビーを抜けて広場へと向かう。
自動ドアが開くと外から風が中に入り込んでいく。風はとても冷たかった。
広場の中央に立ち周囲を見渡す。
瞳の色を変える。その色は常に変わり続ける三色。橙、黄、朱へとオーロラのように変わり続ける。
その瞳で正面を見た時だった。
ドン、という衝撃音と共にそこに人物が直立して立ってた。
空から着地したのだろうか。周囲の地面は大きく窪んでいた。
「あなたが武神家の護衛ですか?」
目にゴーグルを嵌めた男が此方を見ながら問いかける。
「そうだ。お前は式神家の分家のやつか」
速人もその男へ問いかける。
「そうです。とだけ言っておきましょう。と言う事はあの夫妻が、その後ろのホテルにいると言う事で間違いなさそうですね」
ゴーグルから覗く瞳が後ろにあるホテルの方を見る。
「だからなんだ」
速人は変色し続ける瞳で敵を見る。
「ふむ、どうやら早期決着は望めなさそうですね。私はどうも早とちりでしてね、勝負は瞬間に終わらせるがモットーなのですが」
そう言うと敵はゴーグルを外した。その瞳の色は…。
しかし次の瞬間、敵は速人の顔面を殴ろうと目の前で構えていた。
続いて地面を蹴り砕くような音が響く。
移動が音速を超えていた。
敵は拳を放つ。
ただし、それは速人にあたることはなかった。
「ふうむ、同じ能力とはやりにくいですね…」
橙、黄、朱へと変色を続ける瞳で横に避けた速人を睨む。
「本当ですね、全く同じ能力とは。式神家にもいたんですね、光動の所持者が」
速人はいつでも走り出せるように構えながら話を続ける。
「光動の能力は他の神眼と比べると、劣っている能力だから実戦であまり見かけることはないと聞いていたが…。案外いるのか」
光動の能力は、単純に速く移動できるというものだ。ただこの能力は二居神家の持つ、空間移動と比較したときにはどうしても見劣りしてしまう。
このように空間移動という神眼が存在するので、光動はあまり見向きされることは少なくなっていた。結果的にこれを実際に戦闘で使おうという考えもなくなり、興味を示されることはなくなっている。
「んまぁ、あなたの思っている通り影は薄いですねぇ。光なんて文字がくっついているのに、影が薄いとはこれ如何に」
ククッと気味の悪い笑いをする。
「そうなると、お前のほうが俺よりも不利なんじゃないか。ノンストップで移動してきたようだしな」
神琥の監視から予測するに、こいつは今長距離を移動してきた後と考えられる。
ならばそれなりに体力は消耗しているはずだ。
「ふむ、見られていたのですか。いやま、確かに私は今海の上を走ってきたところですからね。疲れていると言えば疲れていますが…大したことはない!」
再び敵が移動を始めた。
それに合わせ速人も移動を開始する。互いにすれ違いざまに攻撃を加える。手刀、拳、指による突き、あらゆる攻撃を多種多様に織り交ぜながら攻撃をする。
但し、それらがお互いにあたることはない。
双方とも似たような攻撃を所持しているためか、その対策もしっかりとしていた。故に光速に勝る移動をしているにもかかわらず、戦闘は全く進展することはない。
広場を縦横無尽に走りながら敵の動きを見つめる。
お互いとも近い速度で移動しているため、周りの景色が激しく動き敵の動きは止まっているように見える。
次第に音すら聞こえなくなっていく。暫くすれば無音の世界になるだろう。
再び敵が自分の方へと向かってくる。
光速と光速がすれ違う。その度に周囲の地面は焼け焦げ、不吉な音を立てながら地面が爆発する。
おかしい…--
速人は敵の動きが最高潮であることに大きな疑問を抱いていた。
あいつは海の上を走ってきたと言っていた。それはつまり、日本から直接来たと言う事だろう。
ならば、何故疲労していない。何故こんなにも早く動けるのだろうか。
能力を発動させる人体にある力は無尽蔵ではない。有限だ。
だからこそ、本来ならば披露して速度が落ちても良いのに、未だにトップスピードを維持できている。
その理由が理解できない。
何故だ、どうしてだ…。
相手の落ちないスピードに驚きながら戦闘を続ける。そして一抹の不安が心を侵していく。
もし、このままトップスピードを維持できるのならば、自分のほうが先に力が尽きるのではないだろうか…--
そして殺される。
相手の能力が同種であることはわかった。後は、その力の源はどこからきているか、だ。
自分の体力が尽きるまでには、その原因を掴まなければ。
でなければこの殺し合いで自分の命が消える…。
光速で走り続けながら考える。相手の外見を見るからに、特に何かを身に着けている様子はない。
それもそうである、余計な武器や物を所持することは、光動の最大の特徴である速度を落とすことになりかねない。
だから、戦闘に置いても基本は徒手空拳に限られる。
再びすれ違う。
その時だったった、敵が走るのを止めたのだ。
体力が尽きたのだろうか。ならば今のうちに止めを指すっ!
左腕を伸ばし、首を掴もうとする。しかし、それは届かなかった。
手首を握られていたのだ。
しまったっ!--
そのまま勢いを殺すように体を回転させられ、今きた方向へと投げ飛ばされる。
空中で体を捻りながら、態勢を立て直し地面に着地。
頭を上げ、敵を確認する。
しかし、目の前には敵がいなかった。
「君、なかなかいい動きするみたいだけど、まだまだ青いね」
左の耳元から声がした。
驚き、慌てて振り返ろうとするが腕を取られており、動くこともできない。
「離せっ!」
「暗くてよく見えなかったが、うん、本当に君は若いな。こんな若造に負けるのは、長年戦場を踏んできたものとしては悔しいものがあるからな。容赦はしないよ」
首を後ろから締め付けられる。足から地面の感触が消える。
視線が少し高くなり、呼吸は増々困難になっていく。
「体重もやっぱり軽いね。さすが光動の神眼能力者だ。心得ている」
敵の表情を見ることができない。意識が薄らいでいく。
「さて、そろそろ疲れてきたなぁ…」
流石に疲労が来たと言う事だろうか。やっと此処に来て限界が来たようだ。
「えーと、後回数は二回くらいだったかね。回復回復っと」
ッ…!--
回復?どいうことだ、そんなことができるのか?聞いたこともないぞ。
周囲が明るくなる。その色は光動の色と同じ、 橙、黄、朱が周囲を照らす。
光の基は後ろから来ているようだった。
次の瞬間首を絞める力がより一層強くなる。
「グァアッ…」
「良い声を上げるね。中々だ。さてサクッと決着を付けるかな」
首から締め付けられる感覚が消える。
空を浮く間隔。
視界が狭まる。
黒い夜空が自分を包み込む。
意識が消えていく。
体に衝撃が走る。
視界が光速で移動していく。
そのまま地面に転がり込む。
口に鉄の味、頬に生暖かい液体の感触。
視界が赤に染まっていく。
ピシャッと液体を踏む音が、鼓膜を震わせる。
「ふむ、こんなものか。何か裏切られたような感覚だな。かくいう私も、君が同種の能力者であることに興奮を覚え、この戦闘を楽しむ気もなかったわけではない。だが、君はまだまだ若かったようだ」
「ウグッ…」
何か言葉を発そうとするが、口から声が出ることはない。
「では、さらばだ。私と同じ世界を生きていた者よ」
男が視界から消える。
どうやら、自分は任務を全うできなかったようだ。しかも命さえも失いかけている。
いや、失ったも同然かもしれない。このままいけば数分後には自分はこの世界にはいない…。
何か…な…、俺ってもう少し頑張れたと思うんだけどな…--
そのままゆっくりと視界を閉じた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
目標がいると考えられるホテルのロビーへと入る。
中に入ると全く人気がない。フロントにさえ誰もいないのだ。
「ふむ、これは全部を貸し切っていたということかな。武神家は相変わらず金があるな」
ロビーをぐるりと見渡す。申し訳程度に光る照明。
「さて、目標はどこにいるのやら」
視線をエレベーターへと移す。すると階の表示を示す光が、此処へ向かっているとに気づく。
ガラッと目の前でエレベーターの扉が開く。
一人は銃を構えながら後ろの二人を守るように立っていた。
「雨雅神殿は…」
銃を構えた男が呟く。
「あの若造の名前か、さぁ…死んだんじゃないのかね」
パンッと銃を発砲する乾いた音が響く。
それを、光速で避ける。光動の前では音速を超えただけの鉛など何の意味もなさない。
「お二方、早く逃げてくださいっ!」
後ろに立っていた二人がエレベーターから逃げ始める。一人は男、一人は髪の長い女。
どうやらあの二人が目標で間違いはなさそうだ。
まずは、拳銃を構えてる男を殺す。恐らく神眼能力者と見てまちがいないだろう。
一気に距離を詰める。
唖然としている男の表情が目の前にいた。
「まずは一人…」
拳を構え、その額へと標準を定め放つ。
肉と骨を砕く感触が右の拳から感じる…はずだった。
「ん!?」
硬く揺るぎのない壁にその拳の行く手を阻まれた。
目の前には蒼い半透明な壁が出現し、その先へと拳が入ることを許さない。
気づくと目の前には先ほど、女を引き連れて逃げていたと思われた男が立っていた。
その瞳は…自分の主と同じ蒼い瞳だった。
「生上様っ…!?」
拳銃を構えていた男も驚きの声を上げている。
「神琥さん、すいませんね。黙っていて。赭攣のやつに黙っていろと言われていてね。そうした方が、敵に場所は知られたとしても、素性までは知られることはないと言っていたんでね」
両手を広げて蒼く光る壁を出現させ続ける。
「ほう…、蒼き眼か。まだいたとは…」
主である厭人さまの話によれば、かなり数は少ないとの話だったが…。
私が知っているだけで三人になるぞ、我が主。これは一体どう言う事なのだろうか--
しかし、目の前のこの男。そこまで力が強いというわけでもなさそうだ。
ならば…--
半透明の壁から離れ、距離を取る。
「その壁を砕くまで」
主の話によれば一人は殺してよいという話だった。
「丁度良い、あの二人毎殺すとしよう」
より一層の力を体から生み出す。更に、もう一つ。
胸にぶら下げていた宝石、力をためる神器からも力を取り出す。
「行くぞ、我が主の敵よ」
光を超える速度で壁と衝突し壁に亀裂が走る。
壁を支えていた男の顔がゆがみ、瞳の中に動揺が走っている。
パリンッ--
壁が砕けた。
そして、その拳を目の前の敵の胸に叩きつける。
鮮血が空中を染め上げ、周囲の壁をも赤に染めていく。視界も血に染まり返り血を浴びる。
「これで任務完了…」
後は一人の女を誘拐するのみ。
そう思考を巡らす。
しかしそこで視界に違和感を感じた。
眼に血が入ってしまったのだろう、視界が妨げられておりよく見えていなかったせいだろう。だから、よくよく見てみると、目の前の男の胸に穴は開いていなかった。
穴が空いていたのは…自分の体だった。
そこから先の尖った黒い爪を持つ、黒い手と腕が突き出ている。
口から血の味があふれ出ていく。思わず膝が折れ地面に倒れそうになるが、その腕によって倒れることは許されない。
「飛宇貴さん、大丈夫?」
狂気に歪んだ声が体を震わせる。
「ああ、大丈夫だよ。でもすまないね…君をまたそんな姿にしてしまって…」
「構わないわよ、大切な人を守るためならこの姿になることなんて、大した苦痛にならない」
そう笑っている。が、その顔は恐ろしく見るに堪えないものになっていた。
恐怖のあまり、神琥は思わず視線をそむけそうになる。
黒い髪の毛は、全てが白いものに。その瞳は真っ黒に染め上げられ、穴が開いたように見えるほどだ。更に皮膚に至っては、その空間にポッカリと穴が開いたようにしか見えない程の黒い色をしている。
「生上殿…これは一体…」
「実はね、私の妻も神眼能力所持者なんだよ」
「しかし、あれは…」
神琥は驚きの表情を隠せない。何故ならば目の前にいるのは…
「そうだ、私の妻は死の眼を持つ者だ。今ヨーロッパで事件を起こしているやつと同じ能力らいしい」
死の眼。
その眼に狙われれば、生き残ることはできない。
この一連の会話を聞いていた測神界羅は考えた。
この事実を我が主に知らせなければと。しかし、それが叶うことはないようだ。
「んふふふっ、でもこの力って本当に強すぎよね。扱いが難しいったらないのよ。いつもなら飛宇貴さんの能力で、防いでおいてもらうのだけれど、今日はそうもいかないみたいだし…。派手に殺したいけれど、今日は大人しく殺すとしましょう」
そういうと、体を貫通させていた腕を体ごと持ち上げる。
そして…
『死眼-酒血肉林-』
腕から黒い闇が測神の体を食い尽くしていく。骨と肉を砕き食らいつくしていく。
それはまるで、盛大な死の宴会のようだった。