広がる青空を見て神奈姫が飛んでいると想う。
空は広い。そして透き通っていて通り去る綿雲の様子もほほえましい。芸術ではよく描かれる対象とされ、私たちを覆う青空は常にどこかで私たちの心の拠り所となっている。
けれどそんな青空を私たちが見あげる機会は少ない。
そこにあることが当たり前で、そんな状態に慣れきっている。空が落ちるかもしれないという杞憂は今の私達が怯える恐怖ではない。だから空に注目する機会が少ない。
別に空は見ても何か良いことがあるわけでもない。ただ時間が過ぎるだけだ。そう考える人は多い。確かに目に見える即時的な効果はない。けれど最近の私はよく空を見上げている。
それはなぜか?
AIRを見たからだ。いや、AIRを見てAIRの世界に浸れば自ずと空を見上げてしまうのだ。
(AIRとはビジュアルアーツKeyのゲームソフトであり、そして京都アニメーションによってアニメ化も行われた。筆者はアニメしか見ていない。)
−何かの批評文の冒頭のようですが、このまま続けるんですか?
私の技術的にそれは難しいですね。それに肩苦しい文章はつまらないし。あ、私がですよ? それにアニメの話してるのに文体が批評文とか、誰向けなんですかって話笑。
−ところで、空をよく見上げているとありましたが、AIRの人物がよく空を見上げているとかが原因なのですか?
まあ部分的には正しいんですけどね。なんかこう、超重要な存在で主人公が放浪してきた意味の全てが、その空にいる女の子に繋がっていて。
その空で泣いている女の子を慰める。青い空は彼女の涙の色っていうちょっと幻想的な考え。それがAIRの根幹にある。
あとは輪廻転生の概念が乗っかってるんですけどここは世界設計なのであまり個人に向けたメッセージではありません。
−切ない作品なんですか?
Keyは切ないっすよ。本当に泣ける。でもただ泣けるような刺激を与えてただ泣かすだけじゃない。気づきがある。冒頭の「人は実は空を見上げることが少ない。」みたいな日々の生活で忘れている大事なことを思い出させてくれる。
この作品は命の大切さと、日常生活がいかにありがたいかを思い出させてくれました。
−それはCLANNADなどでも言われることですね。もしかしたらKeyはそういったテーマが根本にあるんですかね。
私は素晴らしきKeyの内部の人間ではないし、ノベルゲームもやったことはないですし、ただアニメをこの現代で見て勝手に泣いているだけですので正しくは分かりませんが。ほんと、素晴らしきKeyの残滓を喰らって泣いてる弱い人間なんですよ私は。まあ素晴らしきKeyが素晴らし過ぎるからなのかもしれませんが。
−記事名に出てくる神奈姫とは登場人物なんですか?
そうです。先ほど説明した空で泣いている女の子です。穢れを受けていて、また諸々の理由で輪廻転生ができずにずっと空の上にいるらしいんですね。で、アニメ本編EDでは楽しい思い出を持って観鈴が向かいに行く描写があったので、そんな悲しい神奈姫もやっと大丈夫になるのかなと思ったりもするわけですが、何より話が時代を越える壮大な物語ですので複雑なのです。EDで手をつないだ子供二人のうちの一人が神奈様の様でしたので無事転生できたのかもしれませんね。
−今回はAIRを語るのですか?そもそも今回は何を伝えようとして記事にしてるんですか?
AIRについてはもっと有識者の方が色々wikiとかで書かれていると思いますので、そちらを参考にとなりますね。
あと伝えたいことがあって記事にしているわけじゃないです。そもそも伝えるというか書き残したい欲が強いのです。
最近、空を見上げることが増えました。ただそれだけです一応伝えたい部分として、また私のこの文章の核は。
空には多分もしかしたら今も神奈姫のような女の子が泣いているのかもしれない。それを慰めるために私は生きているのかもしれない。
ハルヒの時とは違い、AIRの神奈姫は現実生活と接点があまりなく、かなり接続が薄いようにも思えます。けれどそもそも常に濃い接続なんてないんです。ハルヒは舞台が地元だったから。普通の作品では濃い接続はなりづらい。そもそも架空の作品なのですから、現実ではなく架空。区別がついている。
でもその区別を精神世界では混同させてみようというのが私の考えなんです。頭の中なら同じだと認識してもいいじゃないか、という。
だから私は本気でハルヒが私の住んでいるこの街に実在したと捉えてるし、今でも校舎の窓からグラウンドを覗き込むと「麻衣さん!!」と必死に叫ぶ梓川咲太の姿が見える。
空を見上げれば、ほら、神奈姫の大きな翼の一翼が雲から透けて見える。もしかしたら観鈴や鴉になった往人と一緒に遊んでいるかもしれない。私はそれを見て微笑むんです。
元気をもらうんです。もちろん実際に見たわけでも本気で信じているわけでもない。でもそう想う分には良いんです。だから私は記事名を「広がる青空を見て神奈姫が飛んでいると想う。」にしたんです。
−わかるようなわからないような。私からするとどうしても意味を測るのに損得勘定が働いてしまって、正直なところあなたの考えはピンと来ないんですよね。
そりゃそうですよね。一個人のそれも独特な考え方で何か理にかなったことでもない。そんな人間の考えを聞かされて納得できる人がこの世界に何人いるか。
今回はAIRをメインで出したのですが、正直私の高校生活においてAIRを知ったのは最近なんですよ。高三のことなんです。それまでは知らなかった。でももっと前から私は生きていた。じゃあその時は何を考えて生きていたか。
まだしっかり高校生をやっていた頃は平成の学園ラブコメばかり見ていました。高一の時に「やはり俺の青春ラブコメは間違っている。」にどハマりしまして。そのせいで私はもんすごく捻くれたわけなんですけれども。
そもそも高校生はどこかで捻くれる運命なので、いかにそれを凝縮して経験し、早めに卒業できるかが大事なのかもしれません。私はそれからすぐに小説を書いたわけなんですけれども。それらのほとんど全てが捻くれに捻くれすぎた物語で、捻くれていましたね。
陽キャとかインキャとかその時の数ヶ月は考えていたと思います。けれどそれはすぐ終わりを告げる。「陰鬱な世界を謳歌する。」という作品を完結させてネットに掲載した時、私の中が変わったんです。
実は私はこの作品でそういうわだかまりを全て詰めて閉じたんです。この作品で全てを深く考えてそして全てを深く考え切って終わらせた。そして私はその時、自分は高校生活を卒業したと本気で思った。
自分の高校生活をその作品で書き切ったのです。
それから数ヶ月は面白かったですね。周りが奇妙で仕方がない。今まで一人が嫌だったり、高校生らしい未来への不安を抱えていた。けれどもそれらは全て消えたんです。
ある意味、アニメなどは現実逃避と言われますが、自分の中に、ある種の創作世界を生み出すことで現実との接続を減らし、現実でのショックを和らげることができるのかもしれませんね。テスト悪かったけど、AIRの世界を想えば、まあいっか。みたいな。
その数ヶ月は嫌なことはなかったし、それこそ想像世界で私は生きていた。今日自分が学校でどうだったかなんてどうでも良かったわけです。それが良い意味なのかは分からないけれども。
そしていま、高校三年生5月になってよりそれが顕著になりましたね。もう半ば想像で生きている。というか真面目に視力が悪いので周りがあまり見えない。学校には友人はいないので話しかけられることもない。タブレットが目の前にあって想像ができる環境が整えられている。となると、やはり想像に偏ってしまうんですよね。
今では思考をしていない時間がありません。ずっと何かを考えています。大体がアニメや漫画、自分の創作についてなのですがそれがすごい楽しい。
高校生である程度制限はついているけれど、その制限というのが実は枠組みだけでして、中身がかなり自由だからこそ、こういうことができるのかもしれませんが。
というわけでコネコネと思考を続けながら、記事は終わりにしようと思います。そして私は今から窓から神巫姫を見やって青空に思いを馳せようと思います。
なぜそんなことをするのか?
今しかできない最高に楽しいことだからです。




