プロローグ
「なりたいもの」の欄に書くのはいつも手品師だった。
特別誰かに憧れていたわけではない。ただ、この世界ではありえないようなパフォーマンスをして、一般人たちに「タネは何だ」と大騒ぎさせる姿がかっこいいと思った。
しかし、成長するにつれて、一般的で安定した職に就く方が現実的であるという考えが自然とついていく。幼稚な夢を手放す、誰だって通る道である。
それを惜しんだことはない。もし、ランプの精霊なんかが出てきて「願いを叶えます」とか言われたら、願うものは安定した収入か、死ぬまでの健康だ。
少し前までは人生に不満だらけだった。
毎日毎日勉強三昧で、生涯行く予定のない国の言葉を電車に揺られながら聞いていた。何も楽しくない。
ニュースで流れる同年代の高校生アーティストや、新進気鋭の若手俳優を見て、自分にも並外れた芸術の才能があればこんな勉強しなくていいのに、とも思っていた。
でも今は割と満足しているのだ。
これから長い人生、決められた道を歩み、変わらない日常を過ごす。それも魅力的ではないかと気がついたのだ。
社会のスタートラインに立った今、過去の自分に教えてやろう。
将来はどの大学に進んでいるのか。
どの会社に就職しようと思っているのか。
そして、自分は今何をしているのか。
何だと思う? どんな現実的な答えが返ってくると思う?
正解は――空飛ぶ巨大魚、である。
「死ぬ! 本当に死んじゃいますって!」
「死なない。保証する。多分、きっと」
「きっとって何なんですか!? わ、うわっ!」
空を不規則に飛ぶそれは、耳がおかしくなりそうなほどの風を取り巻いていた。すべすべした鱗は掴むところがなく、振り落とされてしまいそうになる。
これだけバランスを崩しても落っことされないのは、大きな赤い手に抑えられているからだ。
辺りは中華街のような、昔の日本の街並みのような、とにかく混沌に満ち溢れた建物が天高く続いている。現代社会とはかけ離れた、異様な光景だ。
提灯が飛び、大きないきものが闊歩し、ロボットがこちらを眺めている。目に映るものに統一性なんてありゃしない。どれもこれも、想像の範疇を超えた幻想。
ただ、俺でも分かることがある。
この世界では、手品師なんて職は無いだろう。




