ジョン・ドゥの僕と断罪される君
二度目の邂逅でジョン・シクラメンは失恋した。
伯爵家のご令嬢アイリス・サンギネア。意中の人である彼女に知らぬ間に婚約者ができていた。
爵位も年齢も、今日から通う学び舎まで同じで、これは必然に違いないと、彼女こそが自分の運命の人なのだと思っていた矢先の出来事だった。
ちなみに邂逅と言っても、離れたところから一方的に彼女を見ただけだったし、隣を歩くなよっとした男が婚約者だということも周りから聞いただけである。
何かの間違いだと調べてみたが、やっぱり頼りなさそうなあの男がサンギネア嬢の婚約者だというのは間違いないようだ。噂では、傾きかけている侯爵家を立て直すために財力のあるサンギネア伯爵家と縁を結んだらしい。
噂の真偽なんて、ジョンにはどうでもよかった。重要なのは自分の想い人に正式な婚約者ができてしまい、相手の家は自分よりも格上、それだけだった。
机に突っ伏して深い溜息を吐くと、いやに生ぬるい空気がジョンにまとわりつく。自分の恋もこの都の空気に溶かされてしまったのだと思うと殊更、嫌になる。
二年前、ちらちらと雪が舞う中ジョンの故郷で行われた小さなお茶会。そこで客人を母と共に出迎えていたジョンは恋に落ちた。
真っ白な世界で、彼女だけが輪郭を持っていたのだ。
濡羽色の長く美しい髪。長い睫毛に縁取られて輝くラベンダーの瞳。緊張からか、凛と背を伸ばして身じろぎ一つしない少女はまるで精巧に作られた彫刻のようで、気が付けば息をするのも忘れていた。
それから二度手紙を送った。一通目は返ってきたが、二通目は返ってこなかった。
もう届かぬ人となった彼女を想い、もう一度溜息を吐いて顔を上げる。
(そうだ。ここで良い人を見つけよう。彼女のことはもう忘れるんだ)
そう意気込んで、ジョンの新たな生活が始まった。
サンギネア嬢を意識しない、というのは案外難しくなかった。というのも彼女の側にはよく婚約者の姿もあったからだ。二人が中庭を歩く姿はさながら一枚の絵のようで、ほんの一瞬見るだけで自分惨めに思えていやになる。
ジョンは自然と二人が行きそうな場所は避けるように生活した。
そうしているうちに、新しい恋を見つけるまでは行かずとも、友人も得て次第にジョンの心の傷は癒えていった。
そんなある日、学園にも雪が降り始めた頃。
「──シクラメン様?」
図書館で聞こえた、少し低い、柔らかく落ち着いた声。ひゅっ、と息が変なところに入った気がする。
忘れるはずがない、忘れられるわけがない。
必死に貼り付けた、自分が思う最高に爽やかな笑顔で声の主に顔を向ける。
「お久しぶりですサンギネア嬢。まさか覚えていただけているとは。光栄です」
声が震えないように取り繕うので精一杯だった。何か変なことを言ってないか、普通に返せているかと大混乱を起こしていて、脳内ではすでに沢山のジョンが反省会を開いている。
そんなジョンに、彼女はころころと笑う。
「もちろん、覚えています。前にお会いしたのはたった二年前だもの。ね、『ジョン・ドゥ』様」
茶目っ気たっぷりに言われたその言葉に、ジョンは耳まで熱が走った。
『ジョン・ドゥ』は、とある人気娯楽小説に出てくる男の名だ。姉から借りて読んで、何者でもない者、という部分をいたく気に入った。名前も同じで、ジョンが三男坊という宙ぶらりんな立場だったのも関係あるかもしれない。
ご令嬢ならみんな本は好きだろうと、二年前のあのお茶会で彼女と話をするきっかけにした。
その時のことを、ジョンは鮮明に覚えている。自分の立場を自虐するような自己紹介で、どう考えてもファーストコンタクトとして間違えていたのに、彼女は笑ってくれた。
「じゃあ、貴方は何にでもなれるのね」
なんて言って。あの言葉は、ジョンに強く衝撃を与えた。自分の立場がものすごく誇らしいものに思えて、ジョンを前向きにさせた。
あ、とかう、とかしか発せなくなったジョンに気づいているのかいないのか、サンギネア嬢は懐かしそうに目を細める。
「勇猛果敢な主人公ではなく、何者でもない者を名乗る方なんて初めて見たのです。とても印象に残りましたわ」
「は、はは。ありがとうございます」
まさかの出会いに最初はぎこちなかったジョンだが、次第にほぐれていく。
どうやらサンギネア嬢はあのお茶会のあと、シクラメン領がある北の地に興味を持ち、勉強したらしい。
共通の話題を彼女が作ってくれたこと、それが自分の故郷のことであるという事実に、ジョンは打ち震えて泣き出しそうだった。
「──なるほど。確かに我が領地は交通の便も悪く、資源も乏しいですが、観光資源は多いですね」
「ええ。特に気候が関係する景観はどんなに高いお金を払っても得られませんから。認められればパトロンとなってくださる貴族は多いと思いますの」
もちろん私も、と笑う彼女に、ジョンは必死で伯爵令息としての仮面を被る。彼女は普段から、こんなに可愛く笑うのか、それとも惚れた欲目なのか。
ぐるぐる回る思考を押しのけて、ジョンは言葉を絞り出す。
「初めが重要ですね。父に話してみます。……ありがとうございました」
図書館で衆目がある中、適切な距離を保っていたとはいえ流石に人様の婚約者と長く話しすぎた。
時間を知らせる鈍い鐘の音が四回響いてきたので、ちょうど良いと切り上げる。
本音を言えばもっとこの幸せな時間に浸っていたかったが、これ以上は引き時がわからなくなりそうだった。
それではまた、と言って去るサンギネア嬢を見送って、ジョンは走った。走って寮まで帰った。
冷たい空気が、熱った体を冷ましていく。
視界がぐらぐらと揺れている。窓の外の雪も、本を捲る白い指の動きも。灯りに照らされ色を変える黒髪も、カーペットを踏む柔らかな足音さえ、あの日恋をした彼女のままだった。
もし、自分が婚約者だったら、彼女を最後まで送り届けて、少し積もった雪を踏む音だって聞けただろう。
もし、自分が彼女の隣に立つことを許されていたら、寒さで赤らむ顔だって見れたかもしれない。
そんな『もし』を考えるくらい、ジョンはアイリスが好きだ。ほんとうに、好きなのだ。
ただの一目惚れだったはずが、ジョン自身も知らない間に、ゆっくり、大きくなった雪の結晶のようで、だからこそ簡単に終わってしまった。
その日ジョンは泣いた。物心ついて以来、一番大きく泣きじゃくった。
思えば、貴族なんて大体政略婚だ。夫婦のほとんどが結婚した後に愛が芽生えるもの。三男坊というしがらみの少ない立場故に、恋愛感情に振り回されてしまった。
「ははっ。きっつ……」
思わず呟いた言葉が何に向けてなのか、ジョンにもわからなかった。
次の日から、サンギネア嬢を見かけることが多くなった。
理由はわかっている。ジョンがサンギネア嬢とその婚約者コリウス・ペインテッド侯爵令息を避けなくなったから。
サンギネア嬢とは、たまに図書館で声を交わす仲になった。なんでも、最近は鐘が四つ鳴るときまで図書館で勉強しているらしい。
シクラメン領のことや、勉強について、たまに小説の話題なんかも話す彼女に、温かい気持ちはあれど、前のような焦がれる気持ちは次第に無くなっていった。
今日も中庭にいる二人を遠目に見つけて、仲が良いなぁなんてぼんやりと考えていると、軽く誰かと肩がぶつかる。
驚いて見てみると、小柄な令嬢がおりジョンは慌てて謝る。
「すみません。お怪我はありませんか?」
「あ、えっと……全然、大丈夫です!」
そう言って、少しだけ頭を下げたその人は中庭へ走り去っていく。取り残されたジョンがポカンとしていると、友人たちがやってきた。
「おっ! 今の、編入生のマリーナ嬢じゃん」
「編入生?」
「知らねーの? 男爵令嬢。可愛いって話題なのに」
「まあ、確かに可愛いとは思うけど」
そう返すと友人たちが一瞬で静まりかえる。なんだその反応、とジョンが思う間もなく、堰を切ったように騒ぎ始めた。
「まじかよ、ジョンが可愛いって言った!」
「サンギネア嬢以外に可愛いって言ったぞ!」
「ついに目が覚めたのか!?」
あまりの声量にジョンは思わず顔を歪める。
一応、全員ちゃんとした令息たちで、公的な場ではそれらしい立ち振る舞いをしているのに、どうして集まるとこうもうるさいのか。当然、教員に叱られ、すごすごとその場を去った。
それにしても、とジョンは考える。脳裏によぎるのはさっきの令嬢だ。
「……あの令嬢、どこかで見たことある気がする」
「どこかって、どこだよ? あの令嬢が来たの割と最近だぞ?」
「いや、うーん……」
首を捻って煮え切らないジョンの返事に、友人たちがまた騒ぎ始める。
そして、ジョンが覚えた既視感の正体がわかったのはそれから数日後のことだった。
その日は気持ちの良い冬晴れだった。ジョンら生徒は昼食の時間になった瞬間、中庭のいい場所を陣取ろうと早足で向かっていたが、なんだか騒がしい。
回廊に沿ってびっしりと生える氷柱のように人が集まっている。当然、新たに人がどんどんと来るためその一団は分厚い壁のようになっていく。
不審に思ったジョンもそこに混ざって、愕然とした。
中庭のど真ん中で、婚約者の男、コリウスが酷く冷たい目でサンギネア嬢を見ていた。前にジョンがぶつかったあの令嬢を片腕に抱いて、堂々たる仁王立ちだ。
対するサンギネア嬢は凛と背筋を伸ばして、真っ直ぐに二人を見つめている。その眼光は鋭く、ピクリとも動いていない。
そこで、そうか、と合点がいく。確かにジョンはあの令嬢を見たことがある。遠目ではあったが、サンギネア嬢やコリウスと共にいる姿を何度か見かけていた。
それにしても、今日は穏やかな雰囲気ではない。何やら言葉の応酬がなされているようだが、人の壁に阻まれて何も聞き取れない。
普段なら野次馬精神とは無縁のジョンでも、流石に渦中の人がサンギネア嬢となると気になってしょうがなかった。
「ともかく!!」
突然の天を割るような大声に、水を打ったように中庭が静まりかえる。
なんとか人を掻き分けて、壁の真ん中あたりまで来ていたジョンも、思わず足を止める。
その場の全員に注目されて、コリウスは気を良くしたのか胸を逸らしながらサンギネア嬢に指をビシッと突きつけた。
「俺はお前のような女と結婚する気は毛頭ない! 婚約を破棄しろ!」
「両家の当主にお話しください。決定権は私たちにありませんわ」
「ふん、だったら話しても良いんだな?」
「ええ、どうぞ」
なんだ、それだけか? というのがジョンの感想だった。婚約破棄になったとなれば、確かに騒がれるかもしれないが、こんなに人が集まるものではなくないか? と。
そこでふと、コリウスの腕にいる令嬢が気になった。
(どうしてあの令嬢が当事者みたいな顔をしてあの場にいるんだ?)
その疑問に答えるようにコリウスがまた声をあげる。
「ならば、己の非を、マリーナを虐めたことを認めるんだな!?」
「違うと言っているでしょう。私が認めたのは、私たちの婚約を破棄したいと当主にお話しすること、だけです」
「婚約の破棄を認めるなんて、やましいことがあると言っているようなものだ!」
「いいえ、違います。私が貴方様の不誠実な態度に疲れたからですわ」
コリウスの大声に、更に群衆が膨れ上がっていく。いつのまにか、ぐるっと三人を囲い込むほどの状態になっていた。
コリウスは一瞬、周りを見ると、仕上げと言わんばかりに高らかに言い放つ。
「罪を認めろ! アイリス・サンギネア! 今、ここで! マリーナを虐めたことについて謝罪してもらう!!」
その言葉に群衆がどよめく。
正直展開についていけないところもあったが、ジョンは一つだけは理解した。
これは私刑である、と。
婚約は、そう簡単に破棄できるものではない。例えば、問題を起こしたりして、婚約者として相応しくないと当主に思われない限りは。
コリウスが人を集めるような行為をしていた目的はこれか。推測ではあるが、おそらく、何か──例えば不貞関係とか、が問題になりそうになっていたので、サンギネア嬢に罪を着せて、注意をそちらに逸らそうとしている。
たとえ公的な場面ではなくとも、たとえ嘘だとしても、これだけ沢山の貴族の子女が、伯爵令嬢が男爵令嬢に謝罪するところを見る。
それは、何よりも強い力を発揮するだろう。
それらを押し進めるために、騒ぎ立て、サンギネア嬢が逃げられない場面を用意したのか。
彼ら三人を囲む、人、人、人。固唾を飲んで行く末を見守り、終わるまで決して動かない。
ジョンは気づけば強く拳を握っていた。自分があの三人を囲む一員になってしまったことが許せない。今すぐこのふざけた集まりを壊してやりたいが、ぐっと耐える。
その間にも中庭の会話は進んでいく。
「アイリス様……一言、謝ってくれるだけで良いの」
「……一応聞きます。私がいつ、貴女を虐めたのかしら?」
「とぼけないで……!! よく覚えているわ。一昨日、鐘が四つ鳴った時……この中庭で……」
いまだ! とジョンは息を吸い込む。
コリウスと違い、間を開けて喋るマリーナ嬢はあまりに大きな隙。割り込む最高のタイミングだ。
「えっ? 僕、鐘がなってる時サンギネア様が図書館にいるところ見たんだけど」
少し大きめの声で呟いた。あくまで独り言だ。ちょっと大きな声だし、ちょっと響き渡った気がしなくもないが、それでもこれは独り言である。
言うなれば、群衆から上がる疑問の声A。そして、
「図書館? 棟違うよな?」
「中庭まで5分は必要じゃね?」
「いや10分だろ」
ジョンの後ろにいる友人たちが言葉を交わし始めた。やはり持つべきは、野次馬精神に溢れる声のデカい友だ。
ジョンたちのざわめきが、群衆に広まっていく。
ちらほらと「自分も見た」「一昨日はわかんないけどよく見かける」などの声も上がる。
ちなみに、ジョンは一昨日サンギネア嬢とは会っていない。毎日行っているようだからその日も居ただろうと適当にアタリをつけただけだ。
仮に間違っていたとしても、この場の全員、今すぐ真偽を確認する術は無い。
目論見通り、群衆を焚き付けることに成功した。
火蓋は切られた。コリウスが群衆を巻き込むつもりなら、群衆側も声を上げさせてもらおう。
この場において、もはや重要なのは真偽ではない。集団心理が傾いた、声の大きい方だ。
相当な数の人がいるのだ。中庭が一瞬で喧騒に満ち溢れる。ざわざわと好き勝手に言い始めた群衆に焦ったのか、マリーナ嬢が声を上げた。
「で、でもっ。あたし、本当にアイリス様に虐められてて……!」
「図書館に居るサンギネア伯爵令嬢が、どうやって中庭にいる貴女を虐めるのですか?」
マリーナ嬢の訴えにヤジが飛ぶ。そのヤジに対しても「そーだそーだ」と同意の声が上がる。
「一昨日どこにいたかなんて関係ないだろう!」
「関係なくないでしょう! 関係ないというなら貴方こそ、ご令嬢お二人の問題に首を突っ込んで。関係ないでしょう!」
「こ、婚約者の問題なのだから、関係あるだろう! そ、そもそも! アイリスは本当に図書館にいたのか!?」
声を張り上げたコリウスも、群衆に気圧されてタジタジになっている。とても貴族学校とは思えない混沌っぷりだ。
これが終わったら『コリウス・ペインテッド侯爵令息によって開かれた集会』について友人たちとお喋りしよう、とジョンは心に固く決める。校内を歩きながら、少々声が大きい彼らと歓談だ。
そして、件のサンギネア嬢はずっと口を噤んでいた。下手に言葉を発すればコリウスやマリーナ嬢のように、興奮して暴走状態の群衆に押し潰されるだろうから賢い選択である。
もしかしたら、彼女はこれを見越して図書館でジョンに接触してきたのだろうか。こういう場面において、本人の言葉よりも外野からの声の方が強い効力を発揮することは往々にしてある。
いつのまにか、人々は『サンギネア伯爵令嬢がマリーナ男爵令嬢を虐めたのかどうか』ではなく、『サンギネア伯爵令嬢は一昨日鐘が四つ鳴る時間に図書館にいたのかどうか』について白熱していた。
「コリウス様、図書館の利用記録を司書の方に頼んであとで送らせます」
ご確認くださいませ、とサンギネア嬢が目を細めて言ったのが決定打だった。
「あー、なんだ、まあ、その、何か勘違いがあったのかもしれない! 追って確かめることにするよ! ではっ!」
「えっ? あ、ま、待って……コリウス様……!」
このままでは押されると判断したのか、場を騒がすだけ騒がした二人は、人の壁に阻まれながらもそそくさと消えていく。
残ったのは大量の野次馬と、それに囲まれるサンギネア嬢。火種が無くなった彼らは、冷静になって彼女に向き直った。改めて、たくさんの好奇、哀れみ、疑いの目やヒソヒソ声が向けられる。
その中に、彼女は一人立っていた。
ふっ、とジョンに暗いものがよぎる。
結局、自分も大衆側の一人なのか、と。何者でもない、無数の人として、サンギネア嬢を見ているのか。
すぐにふつふつと怒りが湧き上がってきた。冷静な自分がどこかで、このまま静かに撤収しろ、と囁いているのに腹が立つ。きっとそれが一番良い行動だ、と思っている自分がいることに、はらわたが煮えくり返りそうだ。
──父様、母様、ごめんなさい。僕は大馬鹿者です。
ぐっと唇を噛み締め、心の中で両親に謝る。今からやることは、貴族の令息として間違っているけれど。
「えっ!? おい、ジョン!?」
友の声を背に、群衆を掻き分け、ほとんど突き飛ばしながら走る。周囲から悲鳴と怒号が入り混じって上がるが、無視して進む。
そのまま人混みを抜け切ったジョンは、真っ直ぐにサンギネア嬢の元に寄り、そのまま手を掴んで駆け抜けた。
「な、なんだ! 誰だアイツ!?」
困惑の声が追いかけてきたが、すぐには特定されないだろう。
友に名前を叫ばれてしまったが、ジョンは普遍的な名前だ。それに似たような背格好、髪色の生徒なんて山ほどいる。
きっと後で大目玉を食らうだろうが、今はそんなことどうでもいい。言い訳も、状況整理も後からできる。でも、彼女がこれ以上傷つく事は後からでは止められないから。
(ああ、本当に僕は馬鹿だ)
また、選択を間違えた。
もう捨てたはずの恋だったのに。
それでも、彼女の瞳が初めて会った時のようにこわばっていたのを見てしまった。ほとんど身じろぎもせずにいる彼女を無視することなど出来なかった。
足は止まらない。廊下を駆けて、校舎を抜けて、学園の敷地外まで走った。冷たい風が吹く中、積もった雪が銀世界を作り出している。
「ごめんなさい、その、余計なことをした自覚は、あります」
声だけ絞り出して、この期に及んで彼女の顔を見て喋れない自分が嫌になる。少しの沈黙の後、サンギネア嬢は口を開いた。
「ええ、本当に。……でも……」
そこで止まった言葉に、ジョンは少し振り向く。
「でも、まるで、主人公みたいでした」
そう言って、アイリスは花開くように笑った。




