7・裁きの時
「当時まだ九歳であられたアレクサンドラ様のご降嫁に、陛下は乗り気ではありませんでした」
幼すぎる年齢に加え、兄ヨアキムは高位貴族としては低い魔力しか持たない上、侯爵令嬢を捨てて浮気相手と授かり婚を果たした両親の息子だ。辺境伯家という家格があっても、結婚相手としては望ましくない。
「ですが、最後には折れて前辺境伯閣下の願いを聞き届けられた。当時は隣国と戦になるかどうかの瀬戸際で、辺境伯家に内乱が起きればそこから一気に突き崩されかねませんでしたからね」
「そのようなことがあったなんて……わたくしはまだ幼かったので、存じ上げませんでした」
「アレクサンドラ様はよく理解されておいででしたがね」
お前は幼いアレクサンドラより愚かだったのだと当てこすられたようで、ミルカは羞恥に頬を染める。
けれどジャストは何もなかったかのように続けた。
「アレクサンドラ様のご降嫁にあたり、陛下と前辺境伯閣下はいくつかの取り決めをなさいました。アレクサンドラ様には王宮同然の暮らしを約束すること、アレクサンドラ様の立場は辺境伯家の当主より上であること、アレクサンドラ様が十八歳になられるまで閨事は行わないこと……まあこれらは幼い王女殿下にご降嫁いただくなら当然のことです。重要なのは、『辺境伯家はアレクサンドラ様を実の娘同様に慈しみ、実子ミルカよりも優先すること』」
「わたくし……!?」
とつじょ自分の名前が出てきて、ミルカは羞恥を忘れる。
だが驚きと衝撃が去れば、わき起こるのは怒りだ。そんな取り決めがなされたから、自分は血のつながった娘でありながら常にアレクサンドラの下に置かれたのか。
『今日という日に、姫様の御前を汚すとは……前辺境伯夫人、貴女は陛下との取り決めを何と心得ていらっしゃるのですか?』
アレクサンドラの輿入れの日、ティルダが侍女のぶんざいであんな暴言を吐いたのも取り決めのせいだったのだろう。国王の威を借り、父と母をなぶったのだ。
なんという傲慢……!
「国王陛下と王妃殿下がわざわざこのような取り決めをされたのは、アレクサンドラ様のお心を守るためですよ」
怒りに燃え上がるミルカの心に、ジャストが冷水をかけた。
「よく考えてみてください。ヨアキム卿へのご降嫁が決まった時、アレクサンドラ様はまだ九歳。降嫁された時でも十歳。同じ歳の頃、貴女はどう過ごしていましたか?」
「え……」
言われて思い出す。
九歳の頃の自分は両親が甘いのをいいことに、淑女教育そっちのけで毎日遊んでばかりいた。家庭教師の授業をすっぽかしても、両親はまるで咎めなかった。
可愛いドレスにおもちゃ、甘いお菓子。優しい家族。それがミルカの世界を構築するすべてだった。
「アレクサンドラ様はたったの九歳で、突然子どもでいられる日々を奪われてしまったのです。しかもご自分の落ち度ではなく、辺境伯家の尻拭いのために」
名目だけでも辺境伯夫人になったのなら、貴婦人としてふるまわなければならない。
ミルカはアレクサンドラが輿入れした日を思い出した。幼いアレクサンドラの小さな身体を包んでいた豪華絢爛なドレス……あれはきゅうくつなコルセットを締めなければ着られない、大人のドレスだ。ミルカは初潮を迎えるまで、楽なワンピースで過ごせたのに。
コルセットで締め上げられながら馬車に揺られる長旅は、幼いアレクサンドラの身体にどれほどの苦痛をもたらしただろうか。両親から贈られたワンピース姿で転がり出たミルカは、どう見えただろうか……。
「遠い辺境に行かれてしまったら、いかに王と王妃でもアレクサンドラ様の心身を守ることは叶わない。だからお二人は前辺境伯夫妻に要求したのです。アレクサンドラ様を実の娘同様に慈しむよう、実の娘である貴女よりも優先するよう……貴女はよほどご不満だったようですが」
穏やかな声にくるまれた棘がミルカを突き刺す。ヨアキムとライサのことを言われているのだと、すぐにわかった。
「……ち、違います! わたくしはただ、お兄様がおかわいそうで……」
「ふむ、貴女はかわいそうだと思えば愛人をあてがい、不義の子を産ませるのですか?」
「そんな、……そんなわけないでしょう!?」
『本当に?』
誰かが頭の奥でささやいた。ミルカでもジャストでもない、魅惑的な声だった。自分がどこにいるのかも誰と対峙しているのかも忘れ、耳を傾けずにはいられないほどの。
『本当にそうかしら。兄がかわいそうだから、ライサが哀れだから、ただそれだけで二人を取り持ったの?』
『尊き王女殿下と崇められるアレクサンドラが、騎士の娘に過ぎないライサに夫を寝取られる。いい気味だと、少しでも思わなかった?』
『……これで貴女も二番目よ、って……』
「……いらなかったわよ!」
腹の底から声を出すと、頭の中にかかっていた霧が晴れていくようだった。
「わたくしはアレクサンドラ様なんていらなかった! ただ家族みんなで暮らせたら、お父様とお母様がわたくしだけを愛してくだされば、それだけで良かったの!」
「お父様とお母様の娘はわたくしだけなのに、血のつながらないアレクサンドラ様がわたくしより大切にされるなんておかしいでしょ!?」
「愛されるのはわたくしだけでいいのよ! わたくしこそ辺境伯家の正統な娘なのに、どうして寄り子の子爵家なんかに嫁がなくちゃいけないの!? 魔力量が少なくたって、わたくしならもっといい嫁ぎ先があったはずだわ。アレクサンドラ様が邪魔をしたに決まってるのよ!」
はあ、はあ、はあ……。
静まり返った室内にミルカの荒い呼吸が響いた。黙って聞いていたジャストが長い腕を組む。
「なるほど。それが貴女の本音ですか」
「っ……」
冷ややかなまなざしにミルカは一瞬ひるんだが、すぐさまにらみ返した。あの魅惑的な声を耳にしてから、かつてないほど心が高揚していた。
「何がいけないの? わたくしは本当のことを言っただけだわ」
「貴女が今こうして辺境伯令嬢として存在を許され、嫁げることはアレクサンドラ様のおかげだとお思いにならない?」
『王女殿下のお慈悲によって生かされている身でありながら逃げ出すとは……恥を知りなさい』
「思うわけないでしょう!? アレクサンドラ様はわたくしに成り代わり、お父様とお母様の愛情を奪ったのよ!」
「アレクサンドラ様が降嫁されなければ、辺境伯家の当主は貴女の叔父上になっていましたよ。辺境伯令嬢でなくなっても、今と同じ不自由のない生活ができたとでも?」
「たとえ当主の娘ではなくても、辺境伯一族の娘であることに変わりはないもの。叔父様だってそうひどい扱いはなさらないはずだわ。わたくしは豊かさよりも、愛情に満たされた人生を選ぶ!」
『選んだわね』
またあの魅惑的な声が聞こえた。さっきまでとは違いどこか嗜虐的な響きを帯びたそれに、ジャストが紫水晶の指輪をかざす。
すると紫水晶がまばゆく輝き、空中に一人の女性が現れた。ゆったりとした古風なローブをまとい、長くつややかな黄金の髪をなびかせた若い女性の正体は、腰に帯びた宝剣と目隠しが物語っている。
見た目にまどわされず訴えを聞き、正義を判断する女神ユスティティア。
『では、ぞんぶんに味わうといいわ。アレクサンドラが降嫁せず、愛情に満たされた人生を』
「きゃっ……!?」
肌を焼くような神威に圧倒されていたミルカは、ユスティティアがすばやく抜いた宝剣を向けられ、とっさに両手をかざした。
だが女神は止まらない。
「きゃあああああ……!」
絶叫するミルカの身体を、正義の宝剣はまっぷたつに切り裂いた。




