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3・花嫁はかく語りき~思わぬ再会、そして~

『なんということをしてくれたのだ、ミルカ』



 わたくしを自室へ呼び出したお父様は、厳しい顔でわたくしをにらみつけました。お父様のそんなお顔を見たのは初めてで、幼いわたくしは泣きそうになってしまったものです。わたくしにたいそう甘いお父様は、わたくしがなにをしても……お勉強やダンスのレッスンをなまけても、しょうがないなあと苦笑されるだけだったのですから。



『自分の部屋から出ないようにと、あれほど言ったではありませんか。なぜ約束を守れないのです』



 お母様も助けてはくださいませんでした。いつもほがらかなお母様の悲しそうなお顔を見て、わたくしは初めて大きなあやまちを犯してしまったのだと自覚したのです。



『ご……、ごめんなさい、ごめんなさい……! わたくし、どうしてもお父様とお母様に会いたくて……』



 泣き出してしまったわたくしを、両親はそれ以上責めはしませんでした。二人で顔を見合わせ、ためいきをつくと、表情を和らげました。



『やってしまったことは仕方がない。だがミルカ、次はないぞ』

『アレクサンドラ様の住まれる別館には決して近づいてはいけません。アレクサンドラ様からお誘いがない限り、貴方から声をかけることも禁じます。……いいですね?』



 ようはアレクサンドラ様とはいっさい関わるな、視界にも入るな、ということです。わたくしは一も二もなくうなずきました。

 わたくしなど足元にも及ばないアレクサンドラ様のお美しい姿も、侍女ティルダの恐ろしい声も記憶に刻みこまれています。両親に命じられるまでもなく、アレクサンドラ様と関わりたくなどありませんでした。



『お父様、お母様、取り決めとはなんですか?』



 ティルダはお母様に『陛下との取り決めをなんと心得ていらっしゃるのですか』と詰問しました。陛下との取決めに、わたくしが関係しているのでしょうか。ずっと気になっていた疑問をぶつけると、緩んだはずの両親の顔がまた強張りました。



『……お前は知らなくていいことだ』



 結局、お父様はそれだけしか仰いませんでした。自分の部屋に戻って事の次第を話すと、ばあやはさめざめと泣きました。



『ああ、おそろしい。アレクサンドラ様はきっと、お嬢様に成り代わるおつもりなのですわ』

『わたくしに……成り代わる?』

『ええ、ええ。王宮では持て余されていた王女殿下ですもの。乞われて嫁いだ辺境伯家ならば、その家の娘のようにふるまっても許されるとお考えにちがいありません』



 そんな馬鹿な、と思いました。高貴な王女殿下がおいでになったせいで、ばあやは混乱しているだけなのだと。だって貴族としてはめずらしく恋愛によって結ばれた両親は、家族の愛情こそもっとも大切だと常日頃仰せになり、わたくしのことも心から愛してくださっていたのですから。



 いくらアレクサンドラ様が王女殿下だからといって、実の娘にかなうはずがないではありませんか。


 けれどすぐに、わたくしはばあやを笑えなくなってしまいました。

 朝食と夕食を家族そろって頂くのがわたくしたち一家の日課でしたが、アレクサンドラ様をお迎えした翌日から、わたくしだけがすべての食事を自分の部屋でとるよう変更されました。マナーのなっていない子どもを王女殿下と同じテーブルにつかせるわけにはいかないからと、あの侍女ティルダが提言したそうです。



 もちろんばあやは怒りましたよ。子どもというのならアレクサンドラ様とて同じではないか、降嫁して辺境伯夫人になったくせにいつまで王女のつもりなのかと。



 わたくしも納得はいきませんでしたが、ティルダの言葉はアレクサンドラ様のお言葉でもありますから、両親も兄も従わざるを得ませんでした。幼いわたくしはそれから数年間、たった一人で食事をとったのです。



 変わったことはそれだけではありません。わたくしには何人もの教師が付けられ、起きている時間のほとんどを拘束されることになりました。ええ、もちろんアレクサンドラ様のご命令ですわ。

 作法にダンス、詩歌や刺繍などならまだしも、歴史や数学や地理などは、どう考えてもいずれ嫁ぐ淑女には必要ない学問ですのに。



 必然的に、わたくしが愛する家族と過ごせる時間は激減しました。ぽっかり空いたその隙間に、アレクサンドラ様はするりと入りこんでしまわれたのです。

 両親はもともと愛情深く、兄のため遠い辺境まで嫁いで頂いたという負い目もあったでしょう。実の親のように……いえ、それ以上にアレクサンドラ様を慈しみました。勉強に追われるわたくしと、どちらが本当の娘かわからないくらいに。



 一度、教師の目を盗んで抜け出し、こっそりお母様のお部屋へ行こうとしたこともございます。けれどたどり着く前に見つかり、連れ戻されてしまいました。その日はいつもより厳しく指導され、くたくたになったわたくしのもとを訪れたティルダは、さげすみもあらわに言い放ったのです。



『王女殿下のお慈悲によって生かされている身でありながら逃げ出すとは……恥を知りなさい』



 何を言われているのか理解したとたん、涙があふれて止まらなくなりました。今でも思い出すと胸が痛くなります。

 確かに我が辺境伯家はアレクサンドラ様が降嫁してくださったことで救われました。わたくしはもちろん、両親も兄も心から感謝しております。



 だからといって、アレクサンドラ様のお慈悲で生かされているだなんてあんまりです。わたくしたちは家族なのです。家族はお互い支え合うもの、そうではありませんか?

 その夜、両親はわたくしの部屋を訪れ、なぐさめてくださいました。わたくしが泣きやむまで、久しぶりに同じベッドで寝てもくださいました。……でも、『アレクサンドラ様のお慈悲をむげにしないように。お前は辺境伯家の娘なのだから』とさとすことも忘れませんでした。



 わたくしは否応なしに悟りました。

 ばあやの言葉は正しかった。アレクサンドラ様は王宮で可愛がられなかった代わりに、わたくしの家族の愛情をひとり占めなさるおつもりなのだと。



 両親の愛情がなくなったわけではございません。お父様もお母様も厳しい教育を受けるわたくしを心配し、ねぎらい、なぐさめてくださいました。

 でも、最後にはきまってこう仰るのです。



『アレクサンドラ様のお慈悲を無駄にするな。それがお前のためでもある』



 両親の言葉は正しいのでしょう。わたくしが辺境伯令嬢としてなに不自由なく暮らせるのは、アレクサンドラ様が兄に降嫁してくださったおかげなのですから。すべてにおいてアレクサンドラ様が優先されるのは当たり前のことなのです。



 わかっていても寂しさはつのりましたが、時と共に慣れていきました。



 三年も経てば『もうお嬢様にお教えすることはございません』と教師たちは去ってゆき、わたくしはつらい勉強から解放されました。けれどその頃には、辺境伯家はアレクサンドラ様一色に染め上げられていたのです。



 アレクサンドラ様は変わらず別館にお住まいでしたが、辺境伯家の有力家臣がまっさきにご機嫌伺いをするのは、当主の兄ではなくアレクサンドラ様。御用商人が御用聞きに参上するのもアレクサンドラ様。メイドを一番多く召し抱えているのもアレクサンドラ様。



 元王女殿下とのつながりを欲する貴族たちがひんぱんに出入りする別館は、辺境の王宮と呼ばれておりました。辺境伯家の当主は兄ヨアキムではなくアレクサンドラ様だと、まことしやかにささやかれるほどで、わたくしは兄がかわいそうでなりませんでした。



 二十歳になった兄は一人前の騎士に成長しておりました。なのに辺境伯として認められていないのは、アレクサンドラ様と本当の夫婦になっていないから……寝室を共にしていないからに他なりません。



 輿入れの条件として、アレクサンドラ様が十八歳になられるまで子を作らないようにと厳命されたのは国王陛下でした。幼い身体での妊娠出産は命に関わるからと。

 兄はアレクサンドラ様がお子を授かれるようになればすぐにでも寝室を共にしたかったでしょう。王族の血を引く跡継ぎが生まれれば、若き辺境伯としての立場は盤石になりますから。



 ですがおそれ多くも国王陛下のご命令に、逆らうなど不可能です。正妻が幼く、子が作れないことは、政略結婚ではめずらしくありません。そんな時は正妻より身分の低い側室を迎え、万が一のため跡継ぎのスペアを産ませておくのですが、お父様は『アレクサンドラ様がいらっしゃるのに、側室などとんでもない』と仰り、側室をお許しになりませんでした。



 おかわいそうに、兄は既婚者でありながら独り身も同然でした。それでもアレクサンドラ様との仲が円満ならばまだ良かったのですが、アレクサンドラ様は三年経っても兄と打ち解けたとは言いがたく、兄も元王女殿下を扱いかね……夫婦というよりは姫と騎士のような関係だったのです。



 辺境伯として必死に努力する兄に安らぎを差し上げたい。そう願っていたわたくしは、ある日、久しぶりに出かけたお茶会で思わぬ再会を果たします。



『貴女……、ライサ!?』



 そう、兄の恋人だったライサです。将来有望な騎士の妻になって以来、彼女と会うのは初めてでした。わたくしは変わらず姉のように慕っておりましたが、兄を思い出させてつらい気持ちにさせてはいけないと思い、距離を保っていたのです。



 そのことを心から後悔したのは、懇願されて別室に移動し、彼女の話を聞いた後でした。

 なんということでしょう。ライサの夫には結婚した当初から愛人がおり、愛人の家に入り浸っているというのです。ライサの待つ本宅にはほとんど帰らず、最近とうとう愛人との間に男の子が生まれ、その子を跡継ぎにすると言い出したとか。



 もちろんそのようなことが認められるわけもなく、ライサは夫を諌めてくれるよう父親に頼んだそうです。けれど父親は『生まれた子をお前の養子にすれば何の問題もないだろう』と言い放ったそうで……信じられません。娘がかわいそうだと思わないのでしょうか。ライサの父親は娘思いの誠実な方だったはずなのですが。



 誰にも頼れなくなったライサは、藁にもすがる思いでこのお茶会に参加したそうです。お茶会の主催者はわたくしの友人のお母様ですから、わたくしも招かれる可能性が高いと思ったのでしょう。



 ライサが望む通り、わたくしがお父様に彼女の苦境を訴えれば、お父様はライサの夫を叱責してくださるでしょう。まだ若く子を産める正妻がいながら愛人の子を跡継ぎになど、許されるわけがありません。



 ……でも、ライサの夫の心は?



 結婚前から愛人を持つような方です。主君に諌められたのはお前のせいだと、ライサを逆恨みしかねません。

 ならばもっと、良い方法があるではありませんか。



『ねえライサ。……貴女、まだお兄様を想っていらして?』



 わたくしは声をひそめ、ライサの耳元でささやきました。



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