2・花嫁はかく語りき~始まりの日~
では神官様、こちらのソファーにおかけくださいませ。侍女も休ませてしまいましたので、お茶も出せず申し訳ありません。
お話ししたいのは……わたくしの兄ヨアキムの奥方、アレクサンドラ様のことなのです。
義姉上と呼ばないのか、ですって? そのような気安い真似、できるわけがありませんわ。
神官様もご存知でしょう? あの方はおそれ多くも国王陛下の愛娘、王女殿下でいらしたのですから。舅姑に当たる両親や夫である兄さえ、アレクサンドラ様とお呼びしてかしずいているほどですのよ。
アレクサンドラ様が我が家に輿入れなさったのは、今から五年前。あの方はまだ十歳でいらっしゃいました。
ええ、そうです。義妹のわたくしの方が年上なのです。わたくしも当時は幼かったのですが、近衛騎士団に護衛された花嫁行列の豪華さやきらびやかさはいまだに覚えておりますわ。
わたくしよりも幼いアレクサンドラ様が、七歳も上の兄に輿入れなさった理由。それは輿入れからさかのぼること一年前、我が父クラウスが大量発生した魔獣の群れと戦い、辛勝したものの利き腕を失ったことに起因するのです。
神官様はもちろんご存知かと思いますが、我が国は領土の北端に魔の森を抱えております。魔の森は豊富な魔力を秘め、貴重な燃料となる魔石の生産地であると同時に、危険な魔獣の棲み処でもあります。辺境伯は広大な領地と独自の裁量権を与えられる代わりに、辺境騎士団を率い、魔獣の群れを押し返すのが務め。
高位貴族は総じて高い魔力を持ちます。非常に高い魔力を誇る父は優れた騎士であり、魔術師でもありました。父の放つ攻撃魔術は何度も騎士団を救ってきたのです。騎士団の誰もが父に敬意を抱いておりました。
ですが戦えなくなった以上、辺境伯の座に留まれません。父は家督を兄に譲らざるを得ませんでした。けれど兄もまだ十七歳。幼少のみぎりから鍛練を積み、騎士としてはじゅうぶんな実力を身につけはおりましたが、勇猛果敢で知られる騎士団を率いるにはとうてい及びません。
騎士団は実力主義です。中核の騎士たちからは兄ではなく分家の叔父上に家督を継承させるべきだと主張する者も多かったと聞きます。
もし叔父上が家督を継がれたら、わたくしたちは厄介者として肩身の狭い暮らしを強いられたでしょう。兄も騎士団内で持て余されたと思います。
ですが、騎士たちの主張に理があるのも事実。
困り果てた父に手を差しのべてくださったのが国王陛下でした。兄にご自分の娘を降嫁させようとおっしゃったのです。陛下と父は同じ王立学院で学んだ学友でした。国を守るため利き腕を失った父を助けたいと思ってくださったのでしょう。
民から絶大な支持を受けておいでの陛下の娘、王女殿下を妻にすれば、表立って兄を排斥しようとする者はいなくなります。陰口は叩かれるでしょうが、経験を積んで団長にふさわしい力を身につければいいのです。
とてもありがたい仰せでした。わたくしも子ども心に御家の危機は察しておりましたので、神と陛下に感謝の祈りを捧げました。
けれど降嫁されるのがわたくしよりも幼いアレクサンドラ殿下だと聞いた時は複雑な気持ちになりました。陛下は王妃殿下の他にもたくさんのご側室をお持ちで、兄と似合いのお年頃の王女殿下は何人もいらっしゃるはずなのに、なぜアレクサンドラ様を……と。
わたくしを育ててくれたばあやが申すには、アレクサンドラ様はとてもわがままな上ひどいかんしゃく持ちで、そのくせ魔力が非常に多いため、陛下も手を焼かれるほどだとか。王都では有名なお話だそうですね。
もしかしたら陛下は、わがまま王女だから兄に降嫁させてもいいと思われたのかしら。そんなふうに考えてしまった自分を、わたくしは今でも恥じております。わたくしよりも幼いアレクサンドラ様がご両親から引き離され、王都からはるか遠くの辺境に輿入れなさるのは、兄のためなのですから。アレクサンドラ様の母君、王妃殿下は最後まで降嫁に反対なさっていたと聞きます。
幼くして知る者の一人もいない辺境に嫁いでこられるアレクサンドラ様のため、両親は心を砕きました。人見知りをなさるというアレクサンドラ様がのびのびと暮らせるよう別館を建て、見事な庭園もしつらえました。その絢爛さといったら、別館の方が本館に見えてしまうほど。
お仕えする者も身元の確かな家臣の親族を厳選し、王宮から講師を呼んで王宮流のマナーを教え込ませました。料理人は王都で好まれる食材を学び、アレクサンドラ様に喜んでいただけるメニューを必死に考案しました。図書室には幼子の好む本を集め、衣装室には豪華なドレスを揃え。全ては幼いアレクサンドラ様に、お心安らかに過ごしていただくため。
……兄ヨアキムもアレクサンドラ様をお迎えするため身辺を整理しました。実は兄には恋人がいたのです。兄の乳母の娘、ライサ。彼女は兄の幼なじみでもあり、二人が思い合っていることは幼いわたくしの目にも明らかでした。わたくしはライサを実の姉上のように慕っておりましたので、彼女が本当の姉上になってくれればと願っていたのです。
ライサの父は騎士団でも一目置かれている古参の騎士。あんなことがなければ、兄と結ばれることは不可能ではなかったでしょう。
ですが王女殿下をお迎えする以上、ライサとの関係は絶たなければなりません。幼いアレクサンドラ様にはおわかりにならなくても、アレクサンドラ様に付き従ってくる王宮の使用人たちに知れれば、陛下のお耳に入るのは避けられないのですから。
兄は苦渋の思いでライサに別れを告げ、ライサは将来有望な騎士のもとに嫁ぎました。万が一にもアレクサンドラ様に二人の関係を悟られないように、という両親の配慮だったのでしょう。
屋敷中が王女殿下をお迎えする支度に忙殺される日々は矢のように過ぎ、とうとうアレクサンドラ様が我が家においでになる日が訪れました。
両親と兄、そして親族や使用人一同が勢揃いしてお迎えする中、わたくしは自分の部屋におりました。そばにいてくれるのは、ばあやだけ。
高貴な王女殿下に幼い娘が無礼を働いてはならないからと、父はわたくしに部屋から出ないよう命じたのです。今にして思えば当然の配慮ではありますが、当時のわたくしはむくれておりました。
だってその日はわたくしの誕生日だったのです。いつもならお父様とお母様とお兄様、家族水入らずのささやかなパーティーで祝ってもらうのに、みな王女殿下にかかりきり。
『お嬢様、おかわいそうに。王女殿下も王女殿下でございます。いくら高貴なお生まれとはいえ、辺境伯夫人となられればご身分はお嬢様と同じ貴族ではありませんか。ご到着の日を一日ずらすくらいのお心遣いを、なぜしてくださらないのか』
ばあやはずっと泣いておりました。その泣き声を聞いているとわたくしも悲しくなり……どうしてもお母様にお会いしたくなってしまったのです。
ばあやが泣き疲れて眠ってしまったのを幸いと、わたくしはこっそり部屋を抜け出しました。それはちょうど王女殿下ご一行が到着されたのと同じ頃合いだったのです。
美々しく飾り立てられた白銀の馬車から騎士の手を借りて降り立たれたアレクサンドラ様は、幼いながらに圧倒されるような美少女でした。つり上がりぎみの瞳はサファイアよりも澄んだ青。
つややかな銀色の髪は王族の証です。身にまとわれたドレスは極上の絹に無数の宝石をちりばめた最新流行のもので、両親からの誕生日の贈り物であるわたくしのドレスなど、カーテンか何かのようでした。
両親と兄がひざまずいて歓迎のあいさつを申し上げています。親族や使用人たちには緊張感が漂っておりました。けれど母の姿を見つけたわたくしは嬉しくなって、『お母様!』と叫びながら駆け寄ってしまったのです。止めようとする使用人たちを振り切って。……あの時の彼らの青ざめた顔は、今でも忘れられません。
『ミルカ、どうしてここに?』
お母様は驚いていらっしゃいました。いつもなら優しく抱きとめてくださるのに、焦りと動揺もあらわに、わたくしを連れて行くよう使用人に命じます。それが悲しくてお母様のスカートに抱きついたら、恐ろしい声が聞こえました。
『無礼者!』
声の主はアレクサンドラ様の侍女でした。後で知ったことですが、名前はティルダといい、アレクサンドラ様がお生まれになった時からお仕えしているそうです。二十歳を過ぎても、結婚もせずに。
我が領では行かず後家と後ろ指をさされる存在ですが、アレクサンドラ様のご威光もあり、王宮では人望を集めていたようだとばあやが申しておりました。
『今日という日に、姫様の御前を汚すとは……前辺境伯夫人、貴女は陛下との取り決めを何と心得ていらっしゃるのですか?』
睨みつけるティルダに、お母様は『申し訳ありません』『決して、取り決めをおろそかにしたつもりは』と必死に謝りながら、わたくしを引き剥がしました。
何が起きているのか、わたくしは理解できませんでした。お母様は前辺境伯夫人、我が領で最高位の貴婦人です。誰もがお母様に敬意を払いこそすれ、叱りつけるなどありえなかったのですから。
わけがわからないうちに、わたくしは使用人によって部屋に連れて行かれました。ティルダの陰からわたくしを睨んでいたアレクサンドラ様のお顔は、今でも忘れられません。
『申し訳ありません、お嬢様。ばあやが目を離したばっかりに』
ばあやはひたすら謝っていましたが、使用人から事情を聞いたとたんまなじりをつり上げました。
『何と狭量な……! お母様が恋しくて出て行っただけのお嬢様に、何の罪があるというのですか!』
抱きしめてくれるばあやの腕の中で泣いているうちに、わたくしは眠ってしまいました。
目が覚めたのは次の朝。
その日から、辺境伯家は一変してしまったのです。
一人称の練習も兼ねて書いたお話ですが、一人称って難しいですね……。
読みづらかったら申し訳ありません。




