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10・女神と神官

 華々しい宴の翌朝。



「アレクサンドラ様、長らくありがとうございました。賜ったご厚情は終生忘れません」



 辺境伯令嬢ミルカは母が刺繍してくれた晴れのドレスをまとい、見送りに出た辺境伯夫人アレクサンドラに深く頭を下げた。ふだんの子どもっぽさが嘘のような厳粛な態度は、両親の前辺境伯夫妻や兄の辺境伯のみならず、参列した招待客たちをも驚かせた。



 嫁ぎ先の子爵家は、わがままで礼儀知らずの令嬢を押しつけられることになり戦々恐々としていた。しかしやってきたミルカは何事も夫や義父母を立て、感謝を忘れない謙虚な嫁だったため、婚家の誰からも好意的に迎えられた。

 夫との仲も良好で、子宝に恵まれ幸せに過ごした。実家の辺境伯家に里帰りすることは一度もなかったが、『わたくしが今あるのはアレクサンドラ様のおかげ』が口癖だったという。



 ……だがそれはだいぶ先の話。

 時間は、少しさかのぼる。



「ミルカ様はご自分の立場を理解なさいました。今後不用意なふるまいはされないでしょう」



 ミルカの部屋を出たジャストが向かったのは、辺境伯夫人アレクサンドラの部屋だった。祝いの宴を抜けてきたアレクサンドラは、疲れも見せずに微笑む。



「ご苦労でした、ジャスト。ユスティティア様の神官である貴方に足労をかけたこと、かたじけなく思います」

「どうぞお気になさらず。御娘を思われる陛下の御心に感じ入ったまでにございます」



 ジャストを宴に招いたのは前辺境伯夫妻でも辺境伯ヨアキムでもアレクサンドラでもなく、彼女の父、ヘレディウム国王だった。娘から辺境伯家の実態を知らされ、憂いた国王はジャストを召し出したのである。



『そなたはことさら女神ユスティティアの恩寵あつく、数々の奇跡を起こしたそうではないか。その力、我が娘のために振るってくれぬか』



 神官は俗世の権力に縛られないのが建前だが、霞を食べて生きているのではない以上、国王の要請を断るわけにはいかない。仕方なく辺境伯令嬢ミルカの輿入れ前の宴に参列し、彼女に女神の力を使った。



 全てを『公平に』裁く、女神の力を。



 ただし『公平』とはあくまで女神の主観によるため、人間には理不尽に感じられることの方が多い。まあ、偉大なる神を人間ごときの範疇に収めようとすること自体が不遜だと言われればそれまでだが。



 ミルカがアレクサンドラの存在しない世界を選んだことにより、女神ユスティティアはあり得たかもしれないもう一つの世界へミルカを送った。正確には、彼女の魂を。

 ミルカがあちらの世界で体験した出来事は、限りなく現実に近い夢のようなものだ。彼女が自らあやまちに気づき、深く反省したためこちらの世界に呼び戻せたが、あくまで自分は悪くないと言い張るなら夢は現実と化し、永遠に戻れなかっただろう。



 ミルカは幸運だった。ユスティティアの裁きを受け、良き結果を得られるのはごく一握りだから。



「お父上様には心配をかけてしまいました。ですがこれで、わたくしはようやく幸せになれます」

「……では、ヨアキム卿の庶子を確保しましたか」

「ええ、先ほどエイル神殿で発見したとティルダから通信がありました」



 ヨアキムの庶子。ヨアキムがライサに生ませたアーロンのことだ。

 前辺境伯夫妻は隠しおおせたと思っていたようだが、アレクサンドラは夫の庶子の存在を把握していた。ただ正確な居場所が掴めなかったので黙っていただけだ。

 だがミルカが自らアーロンの居場所を吐いてくれた。ジャストは通信魔法でひそかにアレクサンドラの侍女ティルダへ通信を送り、ティルダはエイル神殿へ急行した。そして確保したのだ。ヨアキムの不貞の、動かぬ証拠を。



 辺境伯家は前辺境伯夫妻の身勝手の尻拭いのためアレクサンドラの降嫁を願ったのに、当の夫が浮気に走り、庶子までもうけた。これは重大な過ちだ。アレクサンドラや国王に知られれば離婚は免れないと焦ったからこそ、前辺境伯夫妻は隠蔽に走った。



 だが隠蔽するなら、いっそアーロンを殺しておくべきだったのだ。妙な温情をかけて神殿送りになどするからこうして確保され、証拠として活用されてしまう。



「アレクサンドラ様のため、ティルダどのも励んでおられますね」

「ええ。ようやくの献身に報えます」



 彼……ティルダの本当の名はティルード。幼くして辺境へ嫁がなければならなくなったアレクサンドラのため、幻影魔法で女に化け、侍女として付いてきた幼なじみの騎士だ。

 母親がアレクサンドラの母王妃の親友で、お互い淡い恋心を抱く仲だった。なのにアレクサンドラは辺境伯家のため、ヨアキムとの結婚を余儀なくされた。



 賢いアレクサンドラは、父王が娘に大きな負い目を持っていることに気づいていた。だから取引を持ちかけたのだ。もしもヨアキムが実質的な夫婦になる前に不貞に走ったなら、アレクサンドラもティルードを恋人にする。そしてヨアキムとは肌を重ねず、ティルードとの間に生まれた子を辺境伯家の跡取りにすることを認める。



 もちろんアレクサンドラとティルードとの間に生まれた子には、辺境伯家の血は受け継がれない。だが辺境伯家にとって重要なのは魔力の強さだ。

 上級貴族の子息であるティルードはヨアキムよりはるかに高い魔力を持つ。彼とアレクサンドラの子なら、アレクサンドラとヨアキムとの間にできる子よりずっと高い魔力を持って生まれるだろう。



 国王は悩んだ末、取引に応じた。幼い娘を想う相手と引き離し、かつて盛大にやらかした辺境伯の息子と結婚させることが、それだけ後ろめたかったのだろう。

 これだけの恩を受けておいて、まさかヨアキムが不貞などするわけがない、できるわけがないと思っていたのかもしれない。けれどヨアキムは残念ながら、両親の身勝手さと浅はかさをしっかり受け継いでしまった。



 ヨアキムの不貞発覚により、取引はアレクサンドラの大勝利となった。前辺境伯夫妻やヨアキムがどんなに反対しようと、国王はアレクサンドラの望みを叶える。アーロンという弱みを握られたヨアキムたちに勝ち目はない。そもそもヨアキムさえ誘惑に負けなければ、家を乗っ取られることはなかったのだ。



 唯一の不安要素がミルカだった。

 ヨアキムの不貞のきっかけを作り、手助けしていた彼女を辺境伯家に置いておくわけにはいかず、前辺境伯夫妻は一族の子爵家に押しつけることにした。だがアレクサンドラによる乗っ取りが露見した時、辺境伯家の血筋であるミルカは乗っ取りを快く思わない勢力に利用される可能性が高い。ミルカも積極的に加わるだろう。



 それでは哀れだと言い出したのはアレクサンドラだった。ミルカのあの気性は母……いや、母を育てた乳母の影響が大きいと見たのだ。



「やはりあの乳母……『ばあや』はミルカ嬢に悪影響をもたらしていたようです。ミルカ嬢がアレクサンドラ様をねたみ、自分は不当な扱いを受けているのだと思い込んだのは確実に『ばあや』のせいですね」



 ばあやの罪はそれだけではない。ミルカの母がまだ男爵令嬢だった頃、前辺境伯との身分違いの恋を積極的に後押ししたのがばあやだった。彼女の立場なら、婚約者のある人との恋愛など許されないと、お嬢様に忠告しなければならなかったにもかかわらず。



「やっぱり……。でもどうして『ばあや』はそんなことをしたのかしら。それほど王家が、いえ、わたくしが疎ましかったの?」

「おそらく、前辺境伯夫人やミルカ嬢を育てるうちに、彼女たちを自分の娘や孫だと思うようになっていったのでしょう。自分の娘や孫はいつでも一番でなければならない。その一念だったのだと思います」



 アレクサンドラはしばし瞑目し、ため息をついた。



「……愛情とは、人を幸せにするものばかりではないのね」

「仰せの通りかと。その意味では、ミルカ嬢に手をさしのべようとなさったアレクサンドラ様のご判断は慈悲深いかと思います」



 あり得たかもしれない世界を体験したことにより、ミルカは変わった。婚家ともうまくやっていけるだろうし、大恩あるアレクサンドラに反旗をひるがえすこともないだろう。真実を知った両親とも距離を置くはずだ。

 でも、ジャストには疑問がある。



「なぜアレクサンドラ様はミルカ嬢を救おうとなさったのでしょうか?」



 彼女がばあやの被害者であったことは確かだが、意志のないお人形ではないのだ。ミルカは己の意志でアレクサンドラをねたみ、ヨアキムの不貞を推奨していた。

 あれだけのことをされて、ジャストを呼んでまで助けてやろうと思えるものだろうか。後々敵対されるのを防ぐなら、婚家の子爵家に命じ彼女を監禁でもさせればいいだけなのに。



 アレクサンドラの唇が魅惑的な弧を描いた。



「わたくしの輿入れの日、あれだけ言い聞かされていたのに、あの子はのこのこ出てきた。その時思ったの。……あの子なら、わたくしの願いを叶えてくれるんじゃないかって」



(……なるほど。そういうことだったか)



 アレクサンドラはミルカを害するような行動はいっさい取っていない。むしろ家庭教師をつけてやったことは、彼女のためになったと言えるだろう。

 前辺境伯夫妻がミルカを差し置いてアレクサンドラ第一主義になったのも、ヨアキムに側室を持たせなかったのも、彼らが勝手に気を回しただけにすぎない。けれど実子なのに差別される日々は、確実にミルカの心をむしばんだだろう。



 アレクサンドラなら、アーロンが生まれる前に、ヨアキムとライサの浮気現場を取り押さえることも可能だったはずだ。なのに放置していたということは……つまり、そういうことなのだろう。



『貴方を呼んだのは、協力者に対する謝礼ってことね。まあ当の協力者にはそんな自覚なんてないでしょうけど』



 アレクサンドラのもとを去ると、女神ユスティティアがふわりと宙に現れた。目隠しの下の目は、きっと好奇心に輝いているだろう。

 この俗の塊のような女神様は人間の心の機微が大好きだ。不可解で不合理なものほど惹かれるのだという。だから自分が寵愛されているのかとは、怖くて聞けていないけれど。



「ユスティティア様。今回もお力添えありがとうございます」

『礼など要らないわ。いつも言っているでしょう? 敬虔なる信徒に力を貸すのは当然のことだし、貴方と一緒だと面白いことばかり起きるし』



 うーん、とユスティティアは空中で伸びをする。実体がないくせに、ジャストに付いて回るようになってから妙に仕草が人間っぽくなった。



『ねえ、明日にはここを出るんでしょう? 次はどんな事件?』

「そうですねえ……」



 興味津々の女神に事件のあらましを語りながら、ジャストは歩き出した。



これにて「ジャスト・イコールの事件簿」は完結です。お付き合いくださりありがとうございました。評価やご感想などを頂けると嬉しいです。

次はものぐさ王女の第3章を更新していく予定です。

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