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1・沈鬱の花嫁(第三者視点)

 ……やっと、ここまで来たのだわ。



 部屋の奥に積み上げられた荷物の山を眺め、ミルカはほうっと息を吐いた。

 荷物の山はミルカの嫁入り道具だ。明日、ミルカは生まれてから十六年を過ごしたこのアルクス辺境伯家の城を出て夫のもとに嫁ぐ。



 相手は辺境伯家の寄り子である子爵家の跡取り息子だ。辺境伯の令嬢が嫁ぐには正直なところ格下の相手。ミルカも思うところがないわけではないが、彼はミルカの幼なじみでもある。

 気心の知れた相手と幸せな家庭を築いてほしいと、両親が願ってくれたのだろう。両親は貴族では珍しい恋愛結婚だったそうだから。



 優しい両親に育てられ、何不自由のない暮らしを送ってきた。絶世の美女にはほど遠いが、母親似でそれなりにかわいらしい顔をしていると思う。

 魔力が上級貴族としては少なめでも、嫁ぎ先が子爵家なら問題はない。辺境伯家の娘はきっと大切にされるだろう。



 なのに憂鬱な気持ちが晴れないのは、遠くから聞こえてくる楽しげなざわめきのせいだ。

 ホールではミルカの結婚を祝う宴が昼からずっと続いている。子爵家で催される式には花嫁の近親しか参加できないから、それ以外の親族や寄り子は今日祝福の言葉と贈り物を届けるのだ。



 自分のための宴にもかかわらず、ミルカは昼に一度あいさつをしただけで、それからは侍女も追い出して自分の部屋にこもっている。両親や兄からは後で怒られるかもしれないが、何の問題もあるまい。

 ホールを埋めつくすほど集まった来客の目当ては花嫁ではないのだから。



「はあ……」



 何度目かわからないため息をつき、ワードローブを開ける。がらんとしたそこに唯一かけられているのは、明日婚家へ着ていくためのドレスだ。両親が娘のために仕立ててくれた晴れ着は良質の絹を用い、宝石をちりばめた美しいものではあるけれど……。



「ほほお? 辺境伯家のご令嬢のドレスにしては、ちょっとばかり質素ですねえ」

「……ッ!?」



 間近で声が聞こえ、ミルカは腰を抜かしそうになった。ミルカと並び、ワードローブを覗き込んでいるのはひょろりと背の高い男だ。



(い……っ、いつの間に?)



 扉が開く音も、足音さえもしなかった。いや、その前に、ミルカの部屋は騎士たちが厳重に警備している。武術の心得などなさそうな男では、近づくことさえできないはずだ。



「……おわかりに、なるのですか?」



 すぐにでも助けを呼ばなければならないのに、ミルカは気づけば問いかけていた。男はうんうんと頷く。



「職業柄、光り物にはちょっぴり詳しいんですよねえ。この絹、質のよいものですが西方帝国産ではありませんね。このヘレディウム国内で作られたものだ」



 貴族の特権である絹織物は、いくつもの海や砂漠を越えた先にある西方帝国産のものが最上とされている。ヘレディウム王国にも最近製法が伝わり、国産の絹が出回りつつあるが、西方帝国産のものにはまだまだ及ばない。



 下級貴族ならまだしも、辺境伯ほどの上級貴族の娘の晴れ着には、西方帝国産の絹が用いられるべきだ。この男のように、見る者が見ればわかってしまうのだから。



「あしらわれた宝石は……ガーネットにペリドットですか。すばらしい品質ですが、辺境伯のご令嬢が身につけられるにしては物足りない気がしますねえ。辺境伯家なら極上のルビーでもエメラルドでも手に入れられるでしょうに」



 ガーネットやペリドットはそれぞれルビーとエメラルドに色合いが似ているが、価値は天と地ほど違う。ガーネットはルビーの、ペリドットはエメラルドの代わりとして、主に下級貴族が身につけるものだ。



「おかしいですねえ」



 男はこてんと首をかしげた。



「せっかくの婚礼の晴れ着なのに、まるでわざと最上より一段落ちるものばかり集めたみたいだ。でもスカート部分の花の刺繍、これは確かこの地方の風習で、花嫁の母親が施すものですよね。花嫁の幸福を祈って」



 こてん。

 男は逆方向に首をかしげる。



「これだけ手の込んだ刺繍をするくらいだから、愛情は疑いようもない。なのに素材は二流のものばかり。なんともちぐはぐですねえ」

「あ……、あなたは……」



 ずばずばと言い当てられ、ミルカもさすがに恐ろしくなってくる。震えるミルカに狐のような目を細め、男は意外なほど優雅に礼をした。



「これは失礼。私は女神ユスティティア様の神官、ジャスト・イコールと申します」

「神官様……?」



 ミルカはジャストと名乗った男をじっと見つめる。



 男がまとうローブの襟には金糸で天秤の刺繍が施されており、細い指には紫水晶の指輪が嵌められていた。紫水晶は高位の神官にしか許されない聖なる宝玉だ。



 嫁ぐ令嬢に神の祝福を与えてもらうため、各神殿から神官を招くのが貴族家の慣習である。ジャストも当主である兄の招待を受けた一人なのだろう。結婚の祝福といえば幸福な家庭の守護女神エレイテュイアや、調和の神ハルモニアなどが王道だが、ユスティティアとは。



(確か、正義と公平を司る女神様でいらしたわよね……)



 たいそう美しい女神だとされるが、絵に描かれるユスティティアは常に目隠しをしている。訴える者たちの見た目に惑わされず言い分を聞き、どちらが正しいのかを判断するためだという。



 名高い女神の一柱ではあるが、結婚の祝福に呼ばれることはあまりない。どちらかといえば男性、それも法律家や戦う男に人気のある女神だ。

 その女神に仕える神官が、なぜ自分のもとに? 他の神官たちは主役のミルカにはおざなりな祝福を授けた後、ずっとあの人のご機嫌を取っているというのに。

 いや……。



(ホールで祝福してくださった神官様の中に、こんな方がいらしたかしら?)



 よくよく見れば、ジャストは派手ではないがなかなか端整な顔立ちをしているし、神官だけあって物腰も優雅だ。髪はうらやましくなるほど艶のある金髪。これほど目立つ存在を、忘れるはずがないのだが。



「……あの、神官様。わたくしの話を聞いていただけませんか?」



 ミルカは思いきって願い出た。晴れ着にこめられた複雑な事情を一目で見抜いたジャストなら、この気持ちを理解してくれるかもしれないと思ったのだ。



 それに神官はいかなる神に仕えようと、知り得た秘密を明かしてはならない誓願を立てている。ミルカの思いが両親や兄……そしてあの人にもばれる恐れはない。

 ジャストは人好きのする笑みを浮かべ、うなずいた。



「もちろんですとも。私でよろしければ、いくらでも」



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