金曜。怨念、そして怨霊
島津屋恒久は、所謂「見える」体質の人間らしい。
例の電柱周りを一通り観察した後、島津屋は周囲を見渡し「むむむ……」と唸る。その目つきは、いつになく険しい。
生まれてこの方島津屋は、他の人間の眼には見えない「住人」たちと、常に隣り合わせだったという。「見える」ばかりか、性質の悪い悪霊に憑かれて、周囲に霊障をバラまいたことさえあったという。
そんな島津屋を「何かよくわからないことを言う気味の悪いヤツ」「いっしょにいると、不吉なことが起きる」と周囲が評価を下すのは自明の理であって――彼が「自分にはハッキリ見えるものでも、みんなには見えないものがあるらしい」と気づくころには、彼は完全に孤立していた。
そんな彼が、サブカルチャーの世界にのめり込んでいくのは、必然だった。どんな超能力や特殊能力も存在する権利があり、どんな想いをこちらがぶつけようとも、反応こそ返さないが、変わらぬ顔で受け入れてくれる。そんな心地よい世界に、没頭していった。
そんな彼に対し、ずっと優しかったのが、幼馴染の千歳琳だった。琳自身、そういったものが「見える」わけではなかった。だが、彼女は見えないなりに、島津屋に理解を示した。その交友が、島津屋が周囲へ心を開くきっかけになったのは、言うまでもない。そして彰人の知らぬ場所で、二人の関係性は熟成されていったのだった。
島津屋が、「見える」住人達のことを自ら語ることは殆どない。
だが、こちらから聞けば、彼は今まで見てきた体験してきた霊的な出来事を、微塵の恐怖も浮かべず、世間話でもするかのようにあっけらかんと教えてくれる。彼女である琳曰く、「恒くん一人で百物語ができちゃう」とのことだ。それほど、島津屋にとって「霊」とは、ごくごく日常的なものなのだ。
一度、通学路を三人で歩いた時に、学校に着くまでの十数分で遭遇した霊の話を、冗談半分で訊いてみたことがあるが、その内容ときたら、まさに怪談話そのもので、背筋が寒くなる思いだった。例え全部作り話だったとしても。
「……ううむ」
「何か、あるんですか?」
子供のような勇み足でこの場に突入したはずの島津屋は、表情を強張らせながら「うむ」と頷く。
「一言で言うなら、怨念」
ゾ……と背筋に、一筋の冷気が走った。島津屋の表情からは、いつもの諧謔さが完全に消え去っている。
「怨念……ですか」
「そう。草も生えんほどの、どぎつい怨念が、未だこの場に残留しておる。『憎い』とか『苦しい』とか。ひたすらにマイナスな、ヒトの思念ぞ。琳や彰人氏でも、この場に長時間とどまれば、この瘴気に中てられ、ネガティヴな感情を抱いたり、精神に何らかの不調をきたすのは確定的に明らか」
「ええ……。嫌だなあ」
琳は気味悪がりながらそう漏らす。「怨念」「瘴気」という禍々しい言葉の連続に、彰人は思わず生唾を呑んだ。「この場には長居しない方がいい、詳しくは、歩きながら話す故」という島津屋の提案通り、一行はひとまずこの場を離れ、通学路に戻った。
「あれは、一歩間違えば、怨霊に姿を変える。いわば『怨霊の核』の成りかけぞ」
「『怨霊の核』?」
「さよう。――ブラックホールのように周囲の怨念を吸い込んで肥大化し、霊魂として人格と実体を得てしまい、結果として怨霊へと進化を遂げてしまう。そんな怨霊の『核』となり得るであろう怨念が、あの場に残留しておった。場所が場所なら、恐らく怨霊に進化していたであろう。
基本的に怨霊とは、強い恨みを残して死んでいった人間の魂の成れの果てというイメージが強いが、レアなケースとして、そんな風にして生まれる怨霊も存在するのでござる」
「うーん……。先輩が出鱈目言ってるわけではないって、わかってるつもりではいますが……やっぱり非科学的というか」
「なんの。法則性や再現性が数値化されていないだけで、今のところ証明はできぬが、そこに科学が潜んでいないとは言い切れないでござるよ?」
確かに、現在の科学が証明できていないだけで、そこには「存在しない」「オカルトだ」と一蹴するのは、些か乱暴なのかもしれない。あと何十年か後に科学として体系化され、霊化学、心霊力学なんていう学問が出てこないとも限らないわけだし、現に、島津屋には見えているのだ。ただ、頭だけが理解を拒む。
「例えばSNSを見てみるでござる。炎上を起こすような悪意ある発言や、怒りに対する共感を求める発言のもとには、めでたい好事の発言の何倍もの関心や反応が集まるものでござる。たった一つの発言を核にしたそれら負の感情の集合体は、姿形としてリアルの世界にこそ顕現してはおらぬが、どす黒い怨霊として、確かにこの世には『存在する』し、リアルの世界に害までもたらす。スマホやパソコンなどのデバイスを介せば、怨霊の存在は、コメント欄とかでハッキリ見えるでござる」
「それは……確かに。理屈は何となくわかります」
「人間の感情の流れや動きという点では納得だね。でも恒くん、そういう怨霊って、一般的な人間の魂の成れの果てである怨霊と、何か性質に違いとかあるのかな?」
「ううむ……例えば、『特定の何者かが憎い』となって命を絶った者の怨霊がいたとする。その場合、自身に危害を加えた者、似たような状況下で幸せそうな者、もしくは八つ当たり感覚で第三者に、霊障という形で危害を加えたり――自身の恨みを気づいてほしい、共有してほしくて、『波長』の合う者をターゲットに、その姿を表す傾向が強い。
しかし、怨念の集合体の怨霊というのは、マイナスの感情を集めて肥大しすぎた結果、一体何を憎んでいるのか、何が恨めしいのか、その方向性すら見失って暴走し、誰彼構わず危害や、果ては大規模な厄災までをも引き起こす。
個人の怨霊が、フォロワー限定アカウントの中で特定の何者かに向けた激しい怨嗟の長文コメントとするなら、怨念の集合体の怨霊は、いわば炎上して大バズしてしまった発言。――発言者の手すら離れて独り歩きし、その話題に関する団体やイベント、果ては価値観まで破壊する。そんなあたりも似ておるな」
今までにネットニュースでその手の話題は何度も見てきたので、妙に合点がいった。
「な、なるほど……。で、実際の怨霊が引き起こす厄災ってのは……」
「古い例として挙げるなら、日本三大怨霊である菅原道真公や、崇徳天皇の話でもするかね」
「あ、それは聞いたことある気が」
「有名だよね」
「断定はできぬが……最初はそこまで大きくなかったであろう怨霊が、周囲の怨念を吸って吸って吸いまくって肥大化した結果なのであろう。日本は八百万の神の国であるが……同時に、このような怨霊が跳梁跋扈するエピソードに事欠かない。そんな、呪いの国でもあるぞよ」
「呪い……」
ということは、あのT字路の女は、そんな怨念を周囲に垂れ流しながら、彷徨っていたということなのか。ますますもって、一体何者なのかがわからなくなる。
「この怨念の主が何処に向かったのかは?」
「そりゃムリポ。痕跡が残っていたのは、あの黒いシミの部分だけぞ」
「そうですか……」
ジーワ ジーワ
セミの鳴き声が周囲に響いていた。