木曜深夜。白禍見村
――白禍見村。
この八ヶ谷市に古くからつづく名家、壱之神家を頂点として、市内でも大きな影響力を持つという謎の権力者集団で構成される村である。
時代錯誤もいいところなほど、極めて保守的かつ閉鎖的な性質の村で、入ったことのある人物いわく、「ここだけ昭和で時間が止まっているよう。現代なのはトイレとか台所とか、そういうところくらい」「金田一耕助の世界に迷い込んだみたいだ」「薄気味悪いしきたりや因習がたくさん残っていて、しかも住民はそれに従って暮らしてる」「常に誰かに監視されてるような視線を感じる」「長居はしたくない」とのことである。コンビニ一つ、村には存在しないという。
そんな白禍見村だが、夏祭りなどでは村を開放し、外から香具師など人々を招き入れ、賑やかな雰囲気を醸し出してはいる。
その時の村の姿しか知らない彰人からすれば、古き良き日本の町並みと雰囲気は感じるが、話に聞くほどでは……というのが正直な感想だった。
しかし何故、そんな曰くつきの村へわざわざ足を運ぶのか。それは、この村には、霊験あらたかな「大神木」が存在するからだ。
樹齢約千年とも言われるこの「大神木」は、夏祭と秋祭りの時のみ一般公開される。
森の中の道を潜り、吹き抜けのような場所に出ると、そこに「大神木」はどっしりと地に根を張り、静謐のなか、静かに鎮座している。注連縄が幹には巻かれ、うねるように空へ向かって聳え立つその様は、中々の荘厳さである。
これを見るためだけに、彰人は白禍見村の祭りに毎年参加しているのである。
「白禍見村……。あそこか。でも、何故……」
「さあ……。あの村、謎が多いのよね、色々と。あと、関係ないけどあそこ出身の子、ちょっと苦手な子多いのよね。わかるでしょ?」
「わかる。男子は身勝手、女子はタカビーなのがそこそこいる印象。それに交じって、変にスピリチュアルなのだったり、陰湿そうだったりと……。家自体が市に大きな影響力あるらしいからね。あんまり深く関わるなってのが暗黙の了解ってところあるよね」
彰人の身近なところで言えば、過去に白禍見村出身の生徒が起こした暴力行為が(しかも彰人の見ている眼の前で起こした)、最終的にはもみ消され、有耶無耶にされた事件があった。
その他にも、バイト先のホームセンターで現行犯で捕まえた万引きの常習犯が白禍見村の人間で、証拠の映像がないだのシラを切られ、結局大したお咎めもなく、被害額も回収できない……という事件がかつてあったと聞く。豊見山が「絶対に警察が事を荒立てないよう手心加えたにきまってる!」とイラつきながら当時のことを語ったのを思い出す。
それだけでなく。
この八ヶ谷市では、何をするにしても、この白禍見村の権力者の意向がかなり重視されるという。既に決まった誓約も、白禍見村の権力者の鶴の一声で、白紙に戻されることもザラだという。
おかげで、積極進出を狙う企業も、なかなかこの八ヶ谷市には関わりたがらないうえ、こちらからの企業の誘致なども上手くいかないらしい(もちろん、うまく立ち回っている企業もあるが)。
それゆえ、八ヶ谷市では昔からあるような街並や店が、生き残りやすい環境であるとはいえるが、その閉塞性を嫌って、人口はどんどん流出しているのが現状だという。トドメとばかりに、それに拍車をかけたのが、例の「五年前の大災害」である。
これらは全部、豊見山からの受け売りだが、そこで彰人は「名家による圧力」という言葉をひしひしと思い知った。
「この会話だって、村の人の誰かに聞かれてたり、見られてたりするんじゃないかって思うと……」
そわそわと、目線を泳がせる琳。村の人間のことを痛罵した彰人は、ハッとして押し黙った。言いしれぬ不安を覚えてきたからだ。
「オーケー。もうこの話やめにしよう。俺までなんかそんな気がしてきた。ごめん琳姉ちゃん」
「もう夜も遅いし、私は先に寝るわ。あんまり良い話題じゃなかったけど、久々に彰くんと話せて楽しかったよ」
「俺もだよ、姉ちゃん」
椅子から立ち上がり、彰人に背を向け歩き出す琳。それを「琳姉ちゃん」と彰人が制する。
「信じてくれるんだね。こんな突拍子もない話」
琳は振り返り、微笑みを見せる。
「彰くんが私に嘘ついたこと、なかったでしょう? 本当は信じ難いところも結構あるけど、彰くんが言うなら、信じるよ」
「……ごめん、姉ちゃん。ありがと。少し気が楽になったよ。おやすみ」
「うん、おやすみ。夜ふかししちゃダメだよ?」
彰人は自室に入り、問題集とノートを開くと、明日の予習と宿題をはじめた。
食事をしてからすぐに寝るのは身体に悪いと聞く。彰人はそれまで勉強で時間を潰し、日付が変わった辺りで床につくのが毎日のルーティンとなっている、起床時間はだいたい6時30分。約6時間の催眠だ。少し短くないか、と皆には言われるが、一応成人男性のベストの睡眠時間とされる範囲には入っている。
結局、まるで集中はできなかったが、明日の授業の範囲程度は抑えることができた。日付が変わった時点で、彰人はペンを置いた。
布団を敷くと、煌々と部屋を照らす蛍光灯を消し、彰人は天井と睨み合った。
琳との会話こそお開きになったが、彰人の思考は止まらなかった。
琳の聞いた話が正しいなら、あのT字路の女も、林道の男も、白禍見村を目指して歩いていた……ということなのだろうか。
だが、それにしては方角がおかしい。
あの二人は、彰人の家の付近を徘徊していた。そこは白禍見村とは方角が異なる。途中までは合っているといえば合っているが。
そう、途中まで……。
途中で方角が変わる、七城尾花の通学路であればドンピシャなのだが。
「七城、尾花……」
七城尾花の笑顔が、脳裏に浮かんでくる。
彼女が白く、見目麗しく変身して戻ってきてから四日、今日も登校してくれたなら五日になる。
彼女に対する、過剰に加熱した熱狂も随分と落ち着いて、今ではクラスの人気者程度の枠におさまった感はある。
クラスの連中、特に男子からは、彰人は「反則」だの「フライング」だの「お手つき野郎」果ては「ヒキョー者」扱いされているらしい。言いたいことはわかるが、四月の席の編成など、不可抗力だ。どうしろというのだ。
というか、彼女の元々の顔つきは、殆ど変わっていない。目立たなかっただけで、元々美少女だったのが七城尾花だ。この時点でそれを見抜けなかった、お前たちの落ち度だ。何がヒキョー者だ。恥を知れ。恥を。
そう、顔かたちはそのままに、白くなっただけ――
(思えば、彼女があの姿になって戻ってきてからなんだよな……ああいう怪異に遭遇するようになったの)
そもそも、七城尾花が白く変身した。それすらも、怪異の一端というか、その始まりであるかのように思えてしまう。
彼女を疑ったり変な目で見たくはない。だが、それでも――