木曜深夜。つかの間の団欒
「あ。お帰り彰くん。――あら? どうしたの、そんな険しい顔をして。もしかして社員さんやお客様から叱られとか?」
千歳家に入っていの一番に出迎えてくれたのは、千歳 琳だった。就寝用のキャミソールとショートパンツ姿で、学校ではお団子状にまとめている髪は、就寝前ということでおろしている。
「ただいま、琳姉ちゃん。そういうのじゃないから安心して……ていうか、従弟相手とはいえ、ちょっと無防備過ぎないかなそのカッコ」
「いいじゃない。暑いんだし。それに、もう一緒に住みだして五年も経つんだから、今更でしょ」
と、琳は手で顔をあおぐ。
学校では優しくも頼れる美人の文芸部部長でも、千歳家に帰れば、彰人にとっては物心つく前からの付き合いの、親戚の従姉の「琳姉ちゃん」である。さすがに学校のような場所では、この呼称を使うのは小恥ずかしいので封印してはいるが。
ちなみにこの呼び方を千歳家内でしているのを知っているのは、琳の彼氏である島津屋ただ一人である。
キッチンに用意された夕食をレンジで温めると、琳が対面で見つめる中、彰人は遅い夕餉をとりはじめた。
この時間帯に食事をとるのは本来はあまり宜しくないらしいのだが、流石に空腹には勝てない。身体のことを考え、量だけでも少なく調整してくれる叔母に感謝する彰人。
「何があったのか、姉ちゃんに話してくれないの?」
「うーん……。話したいのは山々なんだけど……。話したところで、琳姉ちゃんに信じてもらえるかどうか。結構、支離滅裂な話なんだよ。俺自身、何が何だかって感じで混乱してるんだ」
「そっか。……じゃあ、とりあえずゴハン食べちゃいなさい。落ち着いたら、後で姉ちゃんがゆっくり聞いてあげるから」
「ごめん。じゃあ、いただきます」」
彰人は、勢いよく夕餉に食らいついた。
空腹の腹に食べ物が入り、さらに琳の顔を見ていると次第に、張りつめていた心がリラックスしてきた。それが顔に出ていたのか、琳が次第に笑顔になっていく。
結局、林道での出来事の結論は出ずじまいだった。だが、今この場においては、一度それを横においておき、久しぶりに麗しの従姉との団欒を楽しむことにした。ただでさえ最近は、過酷なシフトに気を遣われていたのだから。
琳はまず、本日の文芸部のミーティングで決まった内容を彰人に伝えてきた。
「へえ、今年は海かあ。去年の山でペンションってのも良かったけど」
「海が間近で見えるコテージを、文芸部員達みんなで貸し切って楽しむ予定だよ。鈴奈ちゃんのご家族が経営されてる所なんだって。今から部内旅行、楽しみだね」
「去年のペンションも、あれ浜倉の親御さんの所有物なんだよね、確か」
そう、浜倉鈴奈という人物は、所謂いいところの「お嬢様」なのだ。あの見た目からは、誰も想像すらつかないだろうが。
「このまま順調に行けば姉ちゃん、七月中に免許証取れそうだから。今年はお父さんとお母さんの手を煩わせずに済みそう。恒くんとの車二台で、みんなを運べるわね」
「へえ。そいつはおめでたいや。いくら四月生まれだからって、スケジュールちょっと厳しくないかって思ったけど……。忙しいのに頑張ったね琳姉ちゃん。あと島津屋先輩も」
「ふふ。ありがと」
海か。
船尾は今頃「女子たちの水着!」とでもはしゃいでいるだろうか。当然、彰人も健全な男子。嬉しくないはずがない。
……そんな楽しい場所に来てまで、あれらのような怪異には遭遇したくはないなと切に願う。
かく言う琳も、従弟相手に無防備な姿で相手してはいるが、キャミソール姿で誤魔化しなく隆起した胸部と、そこそこにくびれたウエストなどで、男目線から見ればかなり魅力的なボディに仕上がって――と。
いけない。
邪な思いが浮かんでしまったことを恥じ、彰人はぶんぶんと首を振った。案の定、不思議な目で見つめてくる琳。
昔の自分じゃあるまいし。あの時の「想い」は、10歳の時に終わったはずなのに。
「琳姉ちゃんにとっては、高校最後の夏旅行になるね。浜倉の親御さんに感謝」
「ふふ。鈴奈ちゃんが聞いたら『そこはアタシじゃねーのかよ!』ってツッコミいれちゃいそう」
「あー言いそう。てか、マネ上手いね姉ちゃん」
ははと、従姉弟同士笑い合う。
「ご馳走様でした」
合掌し、彰人は食器を洗いだす。一通りそれを見た後で、琳が「どう? 落ち着いた?」と切り出してくる。「今度こそ、お話してほしいな」という顔で。これは、観念して話すしかないなと彰人は口を開き、ここ最近で遭遇した不可解な怪異について、全てを告白した。
だが意外にも――全体を通して怪異そのものには、「ええ……?」とか「本当に?」とか、驚きはするものの異様に落ち着いていて、これといって大きなリアクションは見せなかった。だいぶ、グロテスクだったり、不可解な内容のはずなのだが。それが意外だった。やはり、荒唐無稽すぎて信じられないからだろうか。
「……と、言うわけなんだ。信じてもらえるかどうか、わからないんだけど」
「えっ、彰くん……何!? 最後の顔が溶けてる男って!? それで彰くん緊急時とはいえ、車の運転しちゃったの!? これ、無免許運転になるのかな……。と、とにかく、無事でよかったよ~……」
おろおろしだす琳。あ、心配するところそこなんだ、と彰人は意外に思った。
考えてみれば、自動車免許講習を受けている人間ならではのリアクションである。さすがに教習では、こんなイレギュラーに遭遇した時どうなるかの言及はないだろう。
「まあ、それは置いておいて。琳姉ちゃんはどう思う、これ。信じられないっていうなら、それでも全然かまわない」
「……いえ。似たような話、私も最近聞いたことあるの」
「えっ。本当? 姉ちゃん、その話詳しく」
彰人は、食い入るように琳を急かした。怪異に対する落ち着きはそのせいか。
「クラスの子が話してたんだけどね。夜、暑くてコンビニに飲み物買いに行った子が、似たような挙動をしながら、歩いてくる女の人にすれ違ったんだって。ふらつくような足取りで、止まっては歩いて、止まっては歩いてっていう……」
「……うん。うん」
「遠目から見ても不気味だったそうだけど、すれ違って顔を見てみると、何かに魅せられたみたいな……催眠術でもうけたみたいな、そんな表情だったそうよ。それで、『ある方角』へ向かっていったって……」
「何てこった……この短い期間内に、同じような目撃情報が三件も出てくるなんて」
「ただ、ちょっと違うのは、彰くんが言うような、ゾンビみたいな状態ではないってことかな。そんな目立つ特徴があったら、真っ先に言及ある所だよね。腐ったような異臭に関しても、何も言ってなかったし」
確かにその通りだ。
琳のクラスの生徒が見たという女と、あのT字路の女や林道の男とは、似て非なるものだということだろうか。
「で、ある方角ってのは?」
「……あまり大きな声では言えないけど」
躊躇いながらも、琳は口を開いた。
「山間の町。通称『壱之神御殿』のある、白禍見村……確か、そう言ってたわ。そこにつながる坂道を歩いて行ったって」