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伯爵位を受け取った翌日、いつもより遅く起きた私は、甘えん坊のネルに手ずからご飯を与えるという至福の時間を過ごしていた。
そこへ、慌てた様子の執事が、駆け込んでくる。この邸を任せている有能な彼にしては、珍しい慌てっぷりだ。
「お、お嬢様に、お客様でございます。その…、必ずお会いしたいとのことでしたので、応接室にお通ししたのですが…」
「お客様?今日は面会の予定はないわよね?先触れも出さない無礼なお客様は、どこのどなた?」
「実は、シグネル侯爵様がお越しになっているのです…」
その名前を聞いて、私はピシリと体を硬直させた。リセナイア様と最悪な出会いをした私は、彼に良い印象を持っていない。自由に生きている今、非常に関わりたくない相手だった。
この突然過ぎる訪問は、エスコートを断った腹いせだろうか。それとも他に何かあるのか。
実は、半年程前から何度か、リセナイア様は私に手紙を送ってきていた。その返事を、私は、商会の仕事が忙しいことを理由に、今まで放置していたのだ。
これは、絶対にまずい気がする。
どうにかして面会を断る理由はないかと考えていると、執事が無言で、一紙の新聞を置いた。その新聞は、帝都で一番大きな新聞社が発行しているもので、信憑性が高く、私も毎日愛読していた。
私は、目の前に広げられた一面の記事に目を向ける。そこに大きく書かれた文字が、私の目を奪った。
『シグネル侯爵、不仲の妻の晴れ舞台で、エスコートを拒否される!その後も、妻は悉く夫を無視。これは、冷遇された妻からの復讐か!?』
大きく印刷された見出しの後に、爵位授与式とパーティーでの出来事が書かれていた。それによると、私は、リセナイア様のエスコートを拒否し、何度も話しかけようとする彼と距離を取り続けたのだそうだ。視線すら合わせることなく。
確かに、私は、パーティーが始まる直前、リセナイア様のエスコートの誘いを断った。けれど、それ以外のことは、全く記憶にない。そもそも、あの場で、私はリセナイア様を見かけていないのだ。
腑に落ちない想いを抱きつつも、私は記事を読み進める。更にそこには、侯爵家で冷遇されていた私の実情が事細かに記されていた。私の過去の悪評が、同窓生によって陥れられたことであったことも。まるで、私が悲劇のヒロインであるかのように。
文字を目で追うたびに、私は、短時間でここまで調べた記者へ賞賛の拍手を送った。それと同時に、一段と拗れたであろうシグネル侯爵家との関係に頭を悩ます。
私は、大きな溜息を吐いて、覚悟を決めた。これから、リセナイア様に会う覚悟を。
たっぷり時間をかけて支度した私は、中々の美人に仕上がった。パッチリした紫の瞳は、更に輝きを増し、巻かれた栗色の髪は、軽やかに背中へ流れている。ドレスも自分に良く似合っているお気に入りの物を選んだ。そんな心踊るおしゃれをしても、今から会う人物のことを考えた途端、私の気持ちは萎れていった。
私は、その心情をぶつけるように、強く握りしめた拳で応接室の扉を叩いた。ノックの音が、思いの外乱暴になったけれど、それは私の気持ちだから、部屋の中にいるリセナイア様には、しっかり受け止めてもらうしかない。
部屋に入ると、以前より大人びたリセナイア様の姿が、私の目に飛び込んできた。相変わらず美しい彼は、背筋を伸ばしてソファに座っている。その後ろには、彼の従者らしき人物が立っていた。
荒々しいノックとは打って変わり、静々とリセナイア様の前に立った私は、完璧なカーテシーで、彼に歓迎の意を示した。
そんな私に対して、リセナイア様は僅かな戸惑いを見せる。けれど、そこに、不機嫌さは欠片も感じられない。これだけ長く待たせたのに、怒っていないのだろうか。
私は、疑問に思いつつも、五年ぶりとなるリセナイア・シグネル侯爵様に対峙した。




