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ここ数日、静かなはずの私の邸には、どこか浮き足立った空気が満ち、使用人達の駆け回る音が響き渡っていた。それは、五日前、私の下に齎された皇帝陛下からの賛辞が原因だった。
「おめでとうございます、お嬢様!女性の身で、爵位を授与されるなんて快挙ですよ!」
「そうね。でも、爵位なんて煩わしくない?私は、この子達と楽しく暮らせれば、それでいいのに」
私は、丁度寄ってきたキャルに手を伸ばした。すると、キャルは、その手に容赦ない猫パンチを繰り出す。
「やん!見た!?今の猫パンチ、野生味の中に高貴さが滲み出てて素敵だったわ!」
私は、血が薄ら滲んだ自分の手をうっとりと見つめる。そんな私の手をすぐさま奪い取った侍女が、そこに軟膏を塗りつけた。すると、軟膏は、すっと肌に馴染み、一瞬で傷を消し去った。
私は、傷のなくなった真っ白な自分の手を、複雑な想いで見つめる。三本揃った引っ掻き傷は、あれはあれで可愛かったのにと。
私は、今し方、傷を治した軟膏の瓶を手に取った。
この傷薬は、私の肌に度々付けられる猫達の引っ掻き傷を消すために作ったものだった。傷を作る度に見せる侍女達の悲しそうな顔をどうにかしたくて。
そして、それが、今回の爵位授与の元凶だったりする。
元々、私には、社会福祉に貢献したとして、名誉勲章が授けられる予定だったらしい。なんでも、私の活動が、帝都の就職率と進学率を上げたんだとか。そんな所へ、キャネマル商会が、医学界に衝撃を与えるような万能傷薬を発表。その薬をいたく気に入った皇帝陛下は、私へ爵位を授与することを決定してしまったのだそうだ。そしてこの度、私の爵位授与式が帝宮にて行われることになった。でも、正直、私は、あまり嬉しくない。
「お嬢様、明日は、授与式なんですから、怪我は駄目です!」
「はーい」
侍女が、キャル達にもしっかり言い聞かせている。でも、猫達は聞いているようには見えない。案の定、一番の自由猫アルは、さっさと外に駆けて行ってしまった。
「お嬢様、明日は早いので、早くお休み下さいね」
「分かったわ」
侍女達が部屋から出て行った後、あまり眠気のなかった私は、キャルにおやつを上納して、一緒に寝て欲しいとお願いした。けれど、キャルは、それを食べ終わるとすぐに、部屋から出て行ってしまった。
私は今、上位貴族が勢揃いした帝宮の謁見の間で、皇帝陛下を前に、深く頭を下げている。今日のために新調したドレスは、重くてカーテシーは辛い。日頃の運動不足が祟って、足腰が悲鳴を上げていた。けれど、私の功績を読み上げている宰相の言葉は、まだまだ止まりそうにない。
もう、そんなのどうでもいいから、早く終わって欲しい。切実にそう思い始めた頃、やっと宰相の声が止んだ。私は、再度、微笑みを貼り付けて、顔を上げた。
「多大なる功績を上げたセリナ・シグネル侯爵夫人に、伯爵位と、イオリアの土地を授ける!新たに誕生した若きイオリア伯爵に祝福を!」
皇帝陛下の宣言と共に、広い謁見の間が、割れんばかりの拍手に包まれる。でも、私は内心パニックになっていた。
だって、領地付きの伯爵位だなんて聞いていなかったから。事前の説明では、男爵位が授与される予定だったのだ。
根性で何とか耐えたものの、私の口角が、ピクピク痙攣している。そんな私に、皇帝陛下は、ニヤリと笑ってみせた。
結婚といい、爵位といい、この方は、一体私をどうしたいのだろうか。本当に謎だ。
私は、今考えても仕方ないことを頭の隅に押しやった。