2-24
軋む廊下を必死で進んだ先に、微かに光が溢れるドアを見つけた。そこのドアノブを引っ掴むようにして開けると、そこから潮の香りが漂ってきた。そして、真っ直ぐ前を向いた私の目には、丘の上に立つシグネル侯爵家の本邸が見えている。
侍女の推測通り、私達が連れてこられた場所は、シグネルの港だった。
騎士が多く常駐しているここでなら、私達が助けを求めればすぐに、誰かが気付いてくれるはず。
でも、その希望はすぐに打ち砕かれた。私は、手すりに掴まって少しだけ身を乗り出し、足元を見下ろした。
私達が今いるのは、停泊中の船の上。
陸に渡るタラップは外されてしまっていて、陸に上がる道がなかった。この船から出るには、一度海に飛び込むしかない。
私は、隣にいる侍女に視線を向けた。
彼女は、一人で立っているのもやっとという状態で、まだ足が震えている。吸い込んでしまった薬の効果が、消えきっていないようだ。
そんな状態で海には入れない。
かといって、彼女の状態が落ち着くまで待っていたら、私達を拉致した者達が起きてしまう。
こうなったら、この船に火でも着けてしまおうか。騒ぎを起こせば、騎士が、駆けつけてくれるかもしれない。
ヤケクソになった私は、辺りを見回した。
その時、ガタンとドアが開く音がした。振り返ると、そこには、顔を青くしたライリーが、壁を支えにして立っていた。その手に、ナイフを持って。
「やっぱり、殺してしまった方が良かったんだ。こんな周りくどい事なんてしない方がいいんだよ。そうだ…、そうなんだよ。僕を邪魔する者なんて、すぐに殺さなくちゃ駄目なんだ…」
ライリーは、血走った目で私を睨むと、ナイフの切先をこちらに向けた。そして、ゆっくりと歩みを進める。こちらに近付く度に、上っていく彼の口角が不気味で、私の体が凍りついたように動かなくなった。
「セリナ様!」
ライリーの狂気に当てられて動けずにいた私を庇って、侍女が前に出る。彼女は、一人で立っているのがやっとなのに。
そんな状態の侍女を、ライリーはナイフを持つ手で薙ぎ払った。
倒れ込んだ侍女の腕が、見る見る内に血に染まっていく。
それを見て、やっと私は、我に返った。
「やめて!私の大切な子に手を出さないで!彼女は、貴方に何もしていないでしょう!?」
「煩い!お前が!お前が全部悪いんじゃないか!早く僕の前から消えろ!」
真っ赤にした目からは涙を、切れた唇からは血を流しながら、ライリーは私にナイフを向け突進してくる。
その一連の動きが、私にはゆっくり流れて見えた。
だって、これ、練習で何回もやったから。
私は練習通りに、ライリーの手首を掴むと、体を反転させるのと同時に、彼の軸足を払う。すると、大して力を使わなくても、簡単にライリーの体を投げ飛ばすことが出来た。
大きな音を立てて木箱の山に突っ込んだライリーは、そこで白目を剥いて伸びていた。
やった!
上手く出来た!
ネーレを抱っこするために、侍女に隠れてやっていた護身術がこんな所でも役に立った。頑張った甲斐があった。
初めての勝利に興奮しながら、私は倒れている侍女の下へ駆け寄った。
良かった。
出血の割に傷は浅い。
侍女はグッタリしているけれど、無事だった。
張り詰めていた息を吐き出すと、私の目に涙が滲んだ。
その時、突然、首が締まり呼吸が出来なくなる。気付くと私は、後ろに引き倒され、首を絞められていた。
頭を打ちつけた痛みと首を圧迫されている苦しさで、更に視界が滲んだ。そんな私の目に映ったのは、ライリーの歪んだ笑顔だった。
こんな所で、死にたくない。
まだ、やりたい事が沢山あるの。
ネーレの赤ちゃんだって見てないわ。
それに、それに…、私は、リセに文句の一つも言えていない。
意識が薄れる中、最後に私の頭に浮かんだのは、リセの屈託のない笑顔だった。




