2-22
努力は決して自分を裏切らない。
今日ほどそれを実感した日はなかった。
一度諦めたとはいえ、蓄積され続けた知識は、私の中で結論を導き出していたのだ。
結果、動物にも安全な鎮痛薬と麻酔薬は、あっという間に完成した。
その薬の使い方をネーレの専属獣医師に説明すると、物凄く絶賛されたため、今後、出来る限り量産して、各都市にある動物病院にも配ることにした。これできっと、助かる命が増えていくだろうと信じて。
私は、なんともなしに、日当たりの良い出窓で寛いでいるアルの側に寄った。そのすぐ隣には、ネーレが丸くなって眠っている。
ネーレの定期検診の時、獣医師からは、子供がいつ生まれてもおかしくないことを告げられていた。
だから、私は、ここ数日、ドキドキし過ぎて、何も手につかない状態だった。初めてお産に立ち会うわけじゃないのに。
でも、それは私だけではなかった。
この所、アルがずっと、ネーレの側を離れようとしないのだ。この子なりに何かを感じ取っているのだろうか。
「アルは心配?ネーレは必ず守るから、大丈夫よ」
私は、アルを勇気付けるように、頭を優しく撫でた。すぐに嫌がられてしまったけど。
その時が来るのを今か今かと待っていると、予期していなかった来客の知らせを受けた。
一瞬、追い返してしまおうかと思ったけれど、シグネル侯爵家の使いの者だと聞いて思い止まった。遅れていたリセからの手紙が来たのかと思ったのだ。
私は、白衣のまま、急いで客人の下へ向かった。すると、見たことのない若い男性使用人が、エントランスの中央に立っていた。
「奥様、突然の訪問申し訳ありません。実は、侯爵様が仕事中に大怪我を負ってしまいまして。今すぐ、奥様に戻って来て頂きたいのです」
「何ですって!?リセは無事なの!?」
「意識はまだありません。ですから、どうかお早く」
「わ、分かったわ!」
リセは無事なのだろうか。
彼が大怪我をしたと聞いて、私の全身から血の気が引いていく。
酷く取り乱していた私は、その使用人に促されるまま、近くにいた侍女を一人だけ連れて、既に用意されていた馬車に乗り込んだ。
それが、大失敗だった。
シグネル領へ向かう途中、武装した男達が、私と侍女を拘束して拉致したのだ。今の私は、侍女と離されて、薄汚い小さな部屋に閉じ込められている。
その手際の良さから、最初に侯爵家の使用人を名乗った男もグルだったのだろう。
これは、完全に、私の失態だ。
あの男が、シグネル家使用人のバッジを着けていたとはいえ、私は、一度確認してから行動すべきだったのだ。
せめて、信頼出来る護衛を連れてくるべきだったと後悔していると、部屋のドアが乱暴に開いた。そこから、あの偽使用人が入ってくる。その顔に、嘲笑を滲ませて。
「久しぶりだね、セリナ・クライブさん」
「私を知っているの?」
「この僕を忘れた?相変わらず、傲慢で嫌な女だ!」
平民に多く見られる茶色の髪と瞳、そして平凡だけれど愛嬌を感じるその顔立ちは、どこかで見たことがあるような気がした。
でも、思い出せない。
「本当に、分からないの!?僕だよ、ライリー・バレー!」
私の態度に焦れた男は、激昂しながら自分の名前を名乗った。けれど、その名前を聞いても、ピンとくるものがない。
だから私は、ライリーと名乗ったその男から、直接目的を聞くことにした。
「それで、ライリーさん、貴方は私をどうしたいの?見たところ貴方平民でしょう?貴族の拉致は重罪よ?覚悟は出来ているの?」
「何年経ってもムカつく女だな!ああ!今すぐ殺してやりたい!お前のせいで、僕の人生は滅茶苦茶になったのに!この優秀な僕が!こんな女のせいで!」
ライリーは怒り狂った様子で、床を踏み鳴らし、拳を振り回す。そして、目を血走らせ、口から罵声を吐き続けた。
ライリーのまともではない雰囲気に、私が身の危険を感じたその時、一人の大柄な男が、ズカズカと部屋の中に入ってきた。
「おい!やめろ!その女は、雇い主に引き渡すんだろ!」
男はそう言うと、暴れるライリーを引きずって部屋の外へ出て行った。
「雇い主ねぇ…」
今の私に、恐怖がないわけじゃない。
あんな狂気を見せられて、怖くないはずがない。
でも、この誘拐に黒幕がいると聞いて、一気に頭が冷静になった。
すると、壁から微かに声が聞こえてくることに気付いた。そこに耳を当てると、一緒に拉致された侍女の声が聞こえた。
良かった。
彼女も無事だった。
私は、壁に寄りかかったまま、ここから逃げ出す算段を考えた。
これ以上、どこかの誰かに利用されないために。




