2-18
ポカポカした陽気が気持ち良い午後、侍女達から無理矢理休憩を取らされている私の所に、護衛騎士が慌ただしく駆け寄ってきた。
「セリナ様!客人がどうしてもお目通り願いたいとこちらに来ておりますが、いかがいたしましょう?」
「え?私にお客様?」
私がここにいることは、身内以外誰にも知られていない。それなのに、先触れもなく突然客人が現れるなんておかしい。面倒事の予感しかしない。
「約束のないお客様は、通さなくていいわ。私は不在だとでも伝えてちょうだい」
「ですが、どうやらこの客人は、フレイヤ王国第五王女様の使いの者らしいのです」
「………はあ?」
一拍置いて言葉の意味を理解した私は、驚きのあまり素っ頓狂な声を上げてしまう。そして、やっぱり悪い予感が当たったと、肩を落とした。
ディライラ王女が、わざわざ何の用?
私がいつまで経っても顔を見せないから、文句でも言いに来たのかしら?
はっきり言って、今、この名前を聞きたくなかった。それでも、さすがに隣国からの賓客を門前払いするわけにはいかない。
私は大急ぎでボサボサの髪と汚れた服を整えて、招かれざる客人の下へ向かった。
私が応接室に入ると、白髪の混じったひっつめ髪の女性が、キリリとした表情でソファに座っていた。
その客人の女性は、私と目が合った瞬間、流れるような動きで立ち上がり、こちらに向かって頭を下げる。
そんな隙のない仕草から、彼女が只者ではないことが推測された。
私は、気を引き締めつつ、その女性に座るよう促し、自身も一人掛けのソファに腰掛けた。そして、前置きを省いて問いかける。
「早速だけど、用件を伺ってもいいかしら?」
「はい。我主人ディライラ殿下より、招待状を預かって参りました。ぜひ、夫人にも参加して頂きたいとのことでございます」
女性はそう言うと、大事そうに膝に置いていた封筒を私に差し出した。そして、私がそれを受け取るのを見届けると、早々に暇の挨拶を告げ、部屋から出ていってしまった。
「一体、何だったの?」
それに、これ…。
嵐のように過ぎ去った面倒事に、私が肩の力を抜く。すると、残された封筒がやたらと目に付いた。
女性から受け取ったものは、貴人からの招待状とは思えないような飾り気のない分厚い封筒だった。
その中身が気になったものの、私にはまだ、開封する勇気が持てなかった。
次の日、私は覚悟を決めて、丸一日放置した封筒を開いた。
恐る恐る封を解いたその中には、一綴りの文書と共に、豪奢な花飾りの付いた招待状が入っていた。
私はまず、目を引く招待状を手に取る。
「新薬のお披露目会?しかも、ディライラ王女様が作ったですって?」
誰もいない部屋に、私が思わず漏らした声が響く。どうにも違和感を感じたのだ。
私は、一字一句見逃さぬよう招待状を何度も読み返した。
それによると、王女所有の商会が、シグネル領に初出店するのだそうだ。その記念に、まだ世に出されていない薬を、先行的に売り出すと。
招待状の最後には、私に出席して欲しいと一言添えてあった。そして、私が興味を持つであろう新薬の資料も同封したから目を通しておくようにとも。
新薬という言葉に惹かれた私は、招待状を放り投げて、資料に齧り付いた。そして、途中で言葉を失う。
そこにあったのは、今、私が手掛けている真っ最中の鎮痛薬の詳細だったから。
これは、たまたま似たなんてものではなかった。私が作り上げてきたもの、そっくりそのままだった。
つまり誰かが、私の研究資料を横流ししたということになる。
その誰かは、すぐに思い当たった。
「リセでしょうね…」
私が手掛けている鎮痛薬の情報は、リセにしか教えていない。
今まで私は、リセから頻繁に送られてくる手紙の返事代わりに、研究の報告書を作って送っていたのだ。
「リセが、あんなにも私を求めていたのは、これが目的だったのね…」
ずっと不思議だったリセの気持ちが、ようやく理解出来た。
リセは、私の研究を手土産に、フレイヤ王国と強固な縁を結ぶ気なのだろう。もしかしたら、もう既に、フレイヤ王国と話が付いているのかもしれない。わざわざ第五王女が、シグネル領へ来たことが何よりの証拠というわけだ。
何だ。
そういう事か…。
なら、早く言ってくれれば良かったのに。
それなら、私だって…。
やっと謎が解けてすっきりしたはずなのに、何故か心が痛い。
そして、いつまで経っても『私だって』の後に続く言葉が出てこなかった。
私は、この不可思議な感情を振り払うように、ディライラ王女からの招待状に、欠席の返答を送った。