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それから二か月ほど研究を重ねた結果、東洋大陸に生息する麻薬植物から、依存性のない鎮痛薬を生み出すことに成功した。
このまま製品化出来れば、従来の鎮痛薬よりも安価で安全なものが提供出来る。しかも、これは、濃度を調整することによって動物用の経口麻酔薬にもなりそうなのだ。
何とか形になりつつある研究結果に安堵した私は、少しだけ張り詰めていた息を吐き出した。
そんな日々を過ごしていたある日、ふとやった視線の先、窓際の机に置かれていた新聞の見出しに目が留まる。
『シグネル侯爵、フレイヤ王国第五王女と仲睦まじく港町を散策』
読まずに放置されていた三日前のその新聞には、貿易交渉のために、シグネル港を訪れたフレイヤ王国第五王女ディライラ様とそれを歓迎するリセの様子が事細かく書かれていた。和かに微笑み合う二人の挿絵付きで。
何これ?
この記事を見た瞬間、私の頭には、こんな簡素な一言しか浮かばなかった。
だって、私は何も聞かされていなかったから。
青真国との貿易が始まり、更に忙しくなったリセとは、私がこちらに来て以来ずっと会えていない。けれど、三日と置かずに、リセからは、手紙が送られて来ていた。寂しいやら、恋しいやら、疲れたやらと、泣き言いっぱいの分厚い手紙が。
その中には、猫達の様子や、シグネル領の近況報告なども詳細に綴られていた。
それなのに、他国からの賓客が来るという大事な報告がないのはおかしい。
私は慌てて、リセから受け取った手紙の保管箱を漁った。もしかしたら、見落としているものがあるかもしれないと思ったのだ。
けれど、何度見ても、そんな記述を見つけることは出来なかった。
賓客は、夫婦揃ってもてなすのが貴族のマナーだというのに、これはどういうことだろうか。
シグネル侯爵家は、私を必要としていない?
もしかして、私では侯爵夫人として力不足と判断された?
「いいわ、そっちがその気なら、もう知らない!私は私で、研究に没頭するから!後で手伝ってって言ってきても、絶対に協力しませんからね!」
今でも侯爵家と一線を引いている自分を棚に上げて、私は怒りを爆発させる。
そして、その怒りのままに、リセからの手紙を乱暴に箱へ戻して、新聞をゴミ箱へ投げ捨てた。
それからの私は、苛立ちを糧に更に研究に力を入れた。侍女達に泣かれるほど、ボロボロの姿になるまで。
その間も、リセから手紙が届いていたけれど、私はほとんど読まずに、一言二言のおざなりな返事だけを書いて返した。もちろん、手紙に同封していた研究の報告書も、この所作ってさえいない。
すると、あれだけ早いペースで送られて来ていたリセの手紙が、徐々に遅れるようになった。
それが、更に私を苛つかせる。
リセが、あんなにも私を求めていた日々は何だったのだろう。
いつまでも靡かない私に飽きた?
頑なな態度に、嫌気が差した?
私が頭でっかちな女だから、嫌いになった?
ずっとイライラしていると、思考がどんどん後ろ向きになっていく。そして、心を侵食した怒りは、やがて悲しみに変わっていった。
パリン
指に力を入れすぎて、ペンを折ってしまった。書き殴っていたメモ用紙に、インクのシミが広がっていく。
折れたペンは、これで何本目だったか。
可愛い色のガラスペンだったのに。
私は、僅かに罪悪感を感じつつも、折れたペンをゴミ箱に捨て、新しいペンを出そうと机の引き出しを開けた。けれど、そこにはもう予備のペンは入っていなかった。
私は、仕方なく研究の手を止め、椅子の背もたれに背中を預けて目を閉じた。そして、荒れた自分の心に何度も言い聞かせる。
せっかく、滅多に手に入らない薬を自由に研究出来る機会を得られたのだから、他の事に気を取られる場合ではないのだと。今は、この貴重な時間を、一秒でも無駄には出来ないのだから。
すると、段々と頭が冷えてきた。
少し冷静になった私は、勢い良く椅子から立ち上がって、庭に出る。そして、持ってきたリセの手紙が入った箱に火をつけた。
ウジウジ考えるのはやめよう。
今は、リセの事も侯爵家の事も忘れる。
そして、目の前の研究課題にだけ集中しよう。
今の取り組みがいつか、可愛い猫達の生命を守ることに繋がるかもしれないのだから。
私は、真っ赤な炎に、不用な感情も燃やしてもらった。




