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太陽が水平線へ消える頃、私にとって地獄となる晩餐会が幕を開けた。
本邸の広い食堂の壁際には、ズラリと近衛騎士が並び、中央の流しテーブルの上座に皇帝陛下が、その向かいに私とリセが隣り合って座っている。
そんな緊張感溢れる中、私達の前には、次々に食事が運ばれてくる。それらは、細部にまで趣向を凝らした素晴らしいものになっていた。それこそ、食卓を飾るカラトリーの配置一つに至るまで完璧だった。
でも、最高潮に緊張している私には、食事を楽しむ余裕なんてない。一級品のワインすら喉を通らないのだから。
とにかく早く終わって欲しい一心で、私は、ひたすらに口を動かした。
「ところで、二人にはまだ子は出来ぬのか?」
何の脈絡もなく、皇帝陛下が鋭い攻撃を仕掛けてきた。
危うく、無理矢理流し込んだワインを吹き出すところだった。本当に危なかった。
「陛下、こればかりは授かりものですから何とも言えません。それに、私はセリナさえ側にいてくれれば良いのですよ」
「そうか…。だが、夫人の頭脳を受け継ぐ子が生まれたならば、シグネル家も将来安泰だろう。おそらく見目も美しい子だろうしな」
「確かに、セリナの子は可愛いでしょうね。ですが、私の一番は、セリナですから」
「ハハハ!侯爵は、随分と夫人に執心のようだ。不仲の噂は、いったい何だったのだろうな。おかしな新聞が余の目に入ったのだが」
新聞の話題をふられ、私の肩がビクリと跳ねる。やっぱり私は、こういった化かし合いは苦手だ。
その時、膝の上で握りしめていた私の手に、リセの手が重なった。その温もりに、強張っていた体が解れていく。
「あの新聞の記事は、事実ではありません。私達は、こんなにも仲が良いのですから。そうだろう、セリナ?」
「そうですね、リセ」
私は、微笑みを浮かべて、リセに話を合わせる。我ながら完璧な演技だ。もちろん、夫の愛称呼びも。
ここに来てやっと、散々練習させられた成果が披露出来た。
この短期間で、気が遠くなるほど、「リセ」と口にさせられた私にとって、この達成感はひとしおだった。
「そうか。それならばよい。せっかく余が結んだ縁だからな。易々と切られてしまっては、余も形無しだ。そうだろう、侯爵?」
陛下の声に、更なる重圧がかかる。
王者の威圧が、真っ直ぐリセに向かった。
それを間近で感じていた私は、怖くて動けない。喉元にナイフを突き付けられているような恐怖が私を襲った。
それでも、リセは、怯む事も動じる事もなく皇帝陛下に視線を向けている。その姿を、私は、素直に格好良いと思った。
すると、リセは、ゆっくりと右手を心臓の上に当て、皇帝陛下へ頭を下げた。
「陛下が下さったこの縁は、私の宝。一心に慈しみ、守り抜く所存でございます」
「うむ。では、今後に期待しよう。これからは、二人揃って社交の場に顔を出すのだぞ。不仲説をさっさと消してしまえ。よいな?」
「御意」
リセに合わせて、私も丁寧に了承の意を示す。口から飛び出しそうな心臓を押えて。
その中で、私は、陛下とリセの会話に、僅かな反抗心を覚えた。何だか上手く乗せられたような気がしたのだ。
この状況だと、私は今後、リセから離れられない。しかも、侯爵夫人としての社交まで義務付けられてしまったのだ。
これはどうしたものか。
何度も言うが、私は、ただ猫達とのんびり楽しく過ごせればそれでいい。権力なんていらないから、わざわざ怖い皇帝陛下になんて会いたくない。不必要な社交もしたくない。
でも、と一度、思考が止まり、感情が溢れ出す。
私は、このままリセと離れてもいいのかと。
楽しく気ままだけど、家族のいない王都の邸に戻ってもいいのかと。
あそこには、私を「セリナ」と愛情を込めて呼んでくれる家族はいないのだ。
私はこれからどうしたいのだろう。
今までは、悩む事なく突き進んできたのに、今更ながら自分の生き方が分からなくなってしまった。
気疲れした晩餐を終え、部屋で寝支度を整えても、グルグル回った思考のせいで、中々眠気はやって来なかった。




