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あの後、可愛らしい部屋に通された私は、そこで軽い夕食を取った後、早々に寝心地の良いベッドで寝てしまったようだ。そして、今、目覚めた私の側には、寛いだ様子のララがいる。
「おはよう、ララ」
一瞬、薄目を開けたララは、暖かい日差しが気持ち良いのか、また寝てしまった。鼻からスピスピと音が漏れていて可愛い。
私はララを起こさないようにベッドから這い出ると、昨夜確認しなかった部屋の中を見回した。
代々侯爵夫人が使っていたというこの部屋には、若い令嬢が好みそうな真新しい家具が並び、壁は私の好きな淡い青色で染められていた。ここは、今後、私専用の部屋になるらしい。ちなみに、リセナイア様の部屋は、この隣だ。怖くてそちらには近付いていないけど。
一通り部屋の中を見終わった頃、私の侍女達がやってきて、朝の支度を手伝ってくれた。今日の私は、無難に簡素なワンピースを選んで着ている。出来れば、港町に行ってみたいと思ったのだ。
これからの予定を考えていると、ノックの音が耳に届く。扉の外には、朝から眩く輝くリセナイア様が立っていた。どうやら食堂までエスコートしてくれるらしい。
リセナイア様のキラキラした外見に、朝から目をやられた私は、ぼうっとしている隙に、彼に手を握られてしまっていた。そして、正気に戻った時には、豪華な食事が並べられた席に、リセナイア様と隣り合って座らされていた。
「セリナ殿、昨夜は、よく眠れたか?」
「…は、はい。素敵な部屋を用意して下さり、ありがとうございました」
「あの部屋は、貴女のものだ。気に入らなければ、好きに変えてくれて構わない」
「そんな事ありません。とっても気に入りましたわ!」
「そうか…、それは良かった。キャネマル商会に出入りしている家具職人に、貴女が好む物を作ってもらったんだ」
朝食を口に運びながら、はにかむように笑うリセナイア様を、私は、唖然と見つめた。だって、リセナイア様が、わざわざ自分で私のための部屋を用意したと、驚きの事実を告げてきたから、動揺してしまったのだ。
私は、少しでも冷静になるため、ひたすら食事に集中することにした。すると、リセナイア様が、食事の手を止めて、徐に口を開いた。
「一ヶ月後、皇帝陛下が、シグネルの貿易港へ視察に来る。昨日の使者は、その最終確認に来ていた」
「まあ、それは大変ですわ!では、私は予定を切り上げて王都に帰りますわね」
陛下がここに滞在するのであれば、準備に時間が掛かる。一ヶ月後となると、ギリギリだろう。邪魔な私は、早めに消えた方がいい。
「セリナ殿…、貴女は私の妻なのだが…」
「そう言われても、私は、今まで一度も侯爵家の仕事に携わっておりません。何の役にも立ちませんわ。寧ろ邪魔になってしまいます」
私の言葉に、リセナイア様が、苦悶の表情を浮かべている。心なしか、その中に疲れも見て取れた。
「婚姻の勅命が下った当初、私達の結婚は、皇帝陛下によるシグネル侯爵家への牽制ではないかと思っていた。そ、その…、貴女には悪い噂があったから。悪女をシグネル侯爵夫人に据えて、少しでも侯爵家の力を削ごうとしていると、私は考えたのだ。だが、貴女の真の姿を知った今なら分かる。その考えが、逆だったと。そもそも、あの皇帝陛下が、そんな浅はかな計画を立てる訳がなかった。陛下は、才女の貴女を帝国内に縛りつけるため、私との結婚を強行したのだろう。だから、今回の視察の目的は、不仲と噂される私達への警告のはずだ。」
「え、ええ!?」
「留学中の貴女は、次々に新たな理論を生み出していただろう?そんな優秀な貴女の元には、ひっきりなしに、国外から縁談が持ち込まれていたそうだ。それを捌ききれなくなったクライブ伯爵が、陛下に泣きついたらしい」
「そ、それは、全く、知らなかった、です…」
お父様から、求婚者の話なんて聞いたことがない。悪女の噂のせいで、私は、結婚相手として不人気なんだと思っていた。だから、帰国後すぐに、結婚が決まったと言われて驚いたのだ。
「侯爵様、どうしましょう!私達が、まともに結婚生活を送っていないことなんてバレてますよね?」
私達がずっと別居している事は、社交界で知れ渡っている。しかも、私は、陛下が主催する王宮のパーティで、リセナイア様のエスコートを断っているのだ。これは、まずい。
「そこでだ、セリナ殿。今から陛下が視察を終えるまでの間、この邸で過ごしてはもらえないだろうか?少しでも、私達がお互いを理解し合えるように。正直、こんな機会を利用するのは卑怯だと思うが、私は貴女に、夫として変わったところを見てもらいたい。もちろん、無理強いはしない。視察が終わった後の生活をどうするかは、貴女の判断に任せる。どうだろうか?」
真っ直ぐに私を見つめるリセナイア様の目には、縋るような念が浮かんでいた。そして、私のどんな返答をも受け止めようとする強い意思も。
その青の瞳を見ていたら、不思議と、私の中にあった動揺が消えていった。
「分かりました。ただ、一つだけお願いがあります。歓迎の準備を手伝う傍ら、以前私が住んでいた別邸とその周辺を自由に改築する権利を下さい」
「それは、問題ないが…。あんな小さな小屋で何をするんだ?あそこに貴女を追いやったこちらが言えることではないが…」
「あの家は、あれはあれで居心地が良かったのですよ。だから、あそこを、猫と過ごせる秘密基地のような場所にしたいのです!たまには私も、そこでのんびり出来るように。駄目でしょうか?」
「そうか。貴女がそれで良いなら構わない。ただ、警備の都合上、夜は本邸で過ごして欲しい」
「はい!」
言質を取ったのだから、遠慮なくやってしまおう。そして、気疲れしたらそこへ逃げ込んでしまえばいいのだ。我ながら良い案だと思う。
久しぶりの楽しそうな案件に、私は心を踊らせた。