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帝都から東に二日ほど行った所にあるシグネル侯爵領は、帝国最大の貿易港を持つ、財政豊かな領地だ。その港を見下ろすように建つシグネル侯爵家の壮大なカントリーハウスの更に奥、手入れの行き届いていない森の中に、リセナイア様が用意したという私と私がクライブ家から連れてきた侍女達用の小さな家があった。平民用とも言える簡素な家に、ほぼ強制的に押し込められた私は、三日間ずっと、泣き続けている。
私だって、幸せな結婚を夢見ていたのだ。私のことを愛してくれる人と穏やかな未来を歩みたいと。たとえ、私が、貴族社会にあまり良い印象を持っていなかったとしても。
「悔しい!悔しい!悔しい!私は、何も悪い事なんてしてないのに!どうして、私を信じてくれないの!」
リセナイア様は、私ではなく、私の悪評を信じた。少しでも調べれば、それが事実無根であることが分かるはずなのに。
私は、狭いベッドの上で、枕を何度も殴った。
「お嬢様…、何か少しでも召し上がって下さい。倒れてしまいます」
ずっと塞ぎ込んでいる私を、クライブ家の侍女達が心配してくれている。彼女達だって、慣れない生活に苦労しているだろうに。
「ごめんなさい。食欲がないの…」
「では、少し外に出ませんか?綺麗な花が咲いていましたよ」
「…そうね。少しだけなら…」
いつまでもこうしている訳にはいかないと、涙を拭った私は、誘ってくれた侍女と共に、侯爵邸の庭を散策することにした。
シグネル家の本邸に近付くと、そこかしこに所作の美しい使用人がいた。さすがは、建国時から続く大貴族だ。でも、その使用人達の私を見る目は厳しい。まるで、私を拒絶するかのように。
すると、私に気付いた年嵩の侍女が、背筋を伸ばして、こちらに向かって来た。服装を見るに、侯爵家の侍女長といったところだろう。
私はとっさに、自分の侍女達を後ろに下げた。
「セリナ様ですね?」
「ええ」
「申し訳ありませんが、こちらの本邸には近付かないで下さいませ」
侍女長は、居丈高な態度で、私を見下ろす。私を奥様とも呼ばずに。
そんな侍女長に対し、私も交戦的な態度で接した。
「侯爵様からは、自由にして良いと言われているわよ?使用人の貴女に、私の行動を制限する権利があって?」
「まあ!セリナ様は、私達をたかが使用人と見下しているのですね。噂通り傲慢な方のようで、残念です」
侍女長の私を馬鹿にした態度に、集まってきた侍女達が、クスクスと笑い出す。
「さすが、クライブ家の悪女だわ!」
「旦那様に拒絶されて、あんな小屋に放置されているくせに」
「侍女長、私達は、こんな人を奥様だなんて認められません!」
侍女達が、次々に私への暴言を吐き出す中、一人の侍女が、足早にこちらへ近付いてきた。そして、その手に持っていたバケツの水を私に向かってぶちまける。
私の侍女達が、慌てて庇ってくれたけれど、汚れた水は、丁寧に施された化粧も、ヘアセットも全て台無しにしてしまった。
そんな薄汚れた私を見て、侯爵家の侍女達が、益々大きな笑い声を上げる。
「旦那様が、貴女を視界に入れたくないそうです。大人しく別邸にお帰りください」
侍女長は、静かに、けれど、有無を言わさぬ圧を込めて、私にそう言った。
情けなくも怖気付いた私は、早々に、別邸へと引っ込むことにした。