リセナイア 6
社交シーズンも終盤、大規模なパーティーも減ってきた頃、セリナ・シグネル侯爵夫人の爵位授与式が行われる運びとなった。
帝都に住まう住民にも、その吉報は逸早く伝わり、帝都中が、祭り前夜のような浮き足立った空気に満たされていた。
そことは打って変わり、本日授与式が行われる帝宮の謁見の間には、張り詰めた空気が漂っている。既に招待客が揃い始め、所々で和やかな会話が聞こえているものの、彼らの表情は、どこか影を忍ばせていた。
その中を、私は、指定された最前列まで堂々と歩んでいく。すると、いくつもの不躾な視線が私に刺さった。
この授与式に参加出来るのは、伯爵位以上の上位貴族のみだというのに、無作法なことだ。とはいえ、今回の主役の夫である私が、観客側にいるのだから当たり前の反応ではあるのだが。
溜息が出そうになるのを耐え、私は無心で前を向いた。
そんな私の下へ、我が家と付き合いのある辺境伯が、まだ年若い子息を連れて近付いてきた。
「これはこれは、シグネル侯爵、お久しぶりですな。この度は、夫人の爵命、おめでとうございます。私も、我が帝国の歴史的瞬間に立ち会えて感無量でございますよ!こんな素晴らしい才女を娶った侯爵が羨ましいかぎりだ!ああ、しかし…、確か侯爵は、夫人を気に入ってはいないのでしたかな?」
いやらしい笑みを浮かべて、辺境伯が、私の神経を逆撫でするような質問を口に出す。その際どい質問に、周りの貴族達も意地悪く聞き耳を立てていた。
だから、私は、敢えて大きな声ではっきりと辺境伯に答えた。
「そんな事はありえませんよ。私達の関係は、少々特殊ではありますが、私は、妻を誰よりも尊敬しております。妻に会ったら、辺境伯から丁寧な祝いの言葉を貰ったと伝えておきます」
「そうですか…。では、夫人にはよろしくお伝え下さい。私の息子も会いたがっていたと」
「は?」
思わずドスの効いた声が、私の喉奥から漏れ出る。そこから出た殺気をそのままに、私は辺境伯の子息に目を向けた。まだ十代半ばほどの子息は、私のきつい視線を受けても表情を崩さずに朗らかに笑っている。大した度胸の持ち主のようだ。だが、それも含めて気に入らない。
「シグネル侯爵様、僕は、以前、セリナ様に大変お世話になったのです。その恩をいずれあの方に返したいと思っています。出来うる限りの想いを込めて」
子息は、一言一言、内に秘めた想いを溢すように語ると、最後に私を睨みつけ、父親と共に元いた場所に戻って行った。
私は、その後ろ姿を見つめながら、言いようのない怒りを己の拳の中に握りしめた。
「皆様、皇帝陛下のご入場です!」
軍靴を響かせ入場してきた騎士の言葉が、会場の空気を引き締める。全員が、謁見の間の奥、一段高くなった位置にある玉座に向かって頭を下げた。すると、仰々しい王冠とマントで着飾った皇帝陛下が、相変わらず読めない顔で、そこに腰を下ろした。
「皆、よく集まった。今日は、帝国にとって良き日になる。皆にはその目撃者になってもらう」
皇帝陛下が軽く手を挙げると、玉座から真っ直ぐ伸びるレッドカーペットの先に、招待客の視線が集まった。それを合図に、大扉がゆっくり音を立てて開く。
そこから一筋の光と共に、アメジストの瞳を持つ可憐な女神が現れた。女神は、人の視線など気にも止めず、堂々とレッドカーペットの上を歩いていく。その透き通るような美しさに、皆が息を呑んだ。
あの清らかな人は、私だけの妻だ…。
セリナ殿の姿を一心に見つめる私の心に、仄暗い感情が湧き上がった。
そんな私に気付くことなく、セリナ殿は、前を通り過ぎていった。
「セリナ・シグネル侯爵夫人は、独自に教育改革を進め、子供の勉学のあり方を変えた。そして、奨学金制度を作り、我が国の進学率を著しく向上させた。また…」
宰相が読み上げるセリナ殿の功績を上の空で聞いていると、皇帝陛下と目が合ったような気がした。すると、突然、不敵な笑みを浮かべた陛下が、口を開いた。
「セリナ・シグネル侯爵夫人に、伯爵位とイオリアの土地を与える」
その言葉に、私は信じられない思いで皇帝陛下を見返した。
イオリアは、シグネル領の隣にあり、帝都から隣国を繋ぐ山間の街道を有する帝国内でも重要な土地だ。だから、長年、関所を置いて国が管理していたというのに、それを授爵したばかりのセリナ殿に下げ渡すとは、陛下は何を考えているのか。
今後セリナ殿にのし掛かる負担を分かっているのだろうか。
私は、式を終えた会場から駆け出ると、なりふり構わず、セリナ殿へ面会を申し入れた。




