リセナイア 4
ブルネイ王国との一件で露呈したライリーの嘘は、シグネル侯爵家の使用人の間に、瞬く間に広がっていった。それと同時に、改めて調べたセリナ殿の真実も露見していく。
すると、執事を始めとした古株の使用人達が挙って私の下へ懺悔に訪れた。セリナ殿にしていた数々の嫌がらせを告白するために。
その内容を聞いた私は、あまりの酷さに言葉を失った。そしてこの時初めて、改装した別館が使われていなかった理由を理解した。
我が家の上級使用人達は、セリナ殿に与えられるはずだった住居、資金、使用人を、彼女から取り上げていたのだ。食事すら、まともな物を出していなかったと聞いた時は、私の胸に、吐き気を催すほどの罪悪感がのしかかった。
しかし、後悔したままで終わらせるわけにはいかない。私の愚かな間違いが、そもそもの元凶なのだから。
加害者の一人である私は、今すぐ、狂ってしまったシグネル侯爵家を立て直し、セリナ殿に誠心誠意謝罪しなければならないのだ。
全ての使用人から聞き取りを終えた私は、彼らに厳しい処分を下すことを決めた。家族とも言える古参の使用人に、自らの手で解雇通知を突きつけることが、私の贖罪なのだと信じて。当然、その中には、ライリーとその家族も含まれている。特にライリーには、永劫、シグネル領への立ち入りを禁じた。最後に見たライリーは、その顔に後悔を滲ませていたが、終ぞ、セリナ殿への謝罪を口にすることはなかった。ライリーは、最後まで自分のことしか考えていなかったのだろう。
それから私は、セリナ殿へ送る謝罪の手紙を書いた。既に遅すぎることは分かっていたが、何もせずにはいられなかったのだ。少しでも、セリナ殿へ償いが出来るなら、何でもするつもりだった。
そんな矢先、自領の港を警備していた騎士団から不審な情報が上がってくるようになった。そして、それが、隣国の犯罪組織による大規模な密輸計画であったことが判明する。
この事態を重く見た皇帝陛下は、私に密命を課した。正体を隠して隣国へ潜入し、密輸組織を解体せよと。
正直、なぜこんな時に、と憤りを感じた。
シグネル家の内情が不安定な状態で、領地を離れたくはなったからだ。それに、私はまだ、セリナ殿に対して何一つ謝罪出来ていない。せめて、セリナ殿に渡るはずだったものを彼女に返したかった。
しかし、皇帝陛下の命令には逆らえない。私は、後ろ髪を引かれながらも、早期解決を心に決め、すぐに隣国へ発った。それがまさか、一年近くもの時間を要するとは思いもせずに。
それから、やっとの思いで密輸組織の解体に成功した私は、念願の帰国を果たした。その折、気が抜けていた私のところへ、組織の残党が押し寄せる。
結果、なんとか敵を退けたものの、少人数で行動していたことが仇となり、こちら側に多数の怪我人を出してしまった。私も、利き腕に毒矢を受けたせいで、酷い目眩を引き起こしていた。しかし、現状、応急処置出来る道具もなければ、近くに町もない。
私は、苦しんでいる部下を前に、ただただ己の不甲斐なさを噛み締めるしかなかった。
その時突然、私達の前に馬車が止まった。
そこから、御者の手を借りて、可憐な女性が降りてくる。
霞んでいた私の目では、その女性の顔を捉えることは出来なかったが、可愛らしい声と落ち着いた態度に、どこかで感じたことのあるような温かい魅力を感じた。
すると、その女性が、楚々とこちらに歩み寄ってきた。そして、私達の血濡れた傷に嫌な顔一つせず、丁寧な治療を施していく。怪我人一人一人に優しく声をかけ、手持ちの食料を分け与えながら。
精神的にも肉体的にも弱っていた私には、その姿が、救いを施しに地上へ舞い降りた女神そのものに見えた。その女性からは、清らかで美しく、無闇に手を伸ばしてはならないと思えるような神々しさを感じ取ったのだ。
せめて名前だけでも聞きたいと思った。しかし、女性に苦手意識を持っていた私には、突如湧き上がったこの気持ちの正体が分からない。
その理解不能な想いに戸惑っていると、その隙に、女性は、馬車へと戻ってしまった。
まともに礼すら言えなかった私は、その馬車の行く先を見つめることしか出来ない。私は、やるせない想いを振り切るように、今し方、彼女が薬を塗ってくれた自分の腕を強く握りしめた。この痛みで、浮ついた自分の心を引き締め直すために。
すると、焦った様子で、リールが話しかけてきた。
「セ、セリナ様でした!今の方、髪色を変えていましたが、間違いなく奥様でしたよ!」
その名を聞いた瞬間、私の胸には、激しい後悔と歓喜が渦巻いた。




