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リセナイア 1

名ばかりの妻が出て行ったと聞かされたのは、久しぶりに帰ってきた領地の邸で、近況の報告を受けている時だった。



「セリナ殿が出て行っただと?しかも、彼女が、帝都の邸を買ったとはどういうことだ?そんな高額な資金は渡していなかっただろう」


「それが…、セリナ様の個人資産で購入したようでして…」


我が家に古くから支える老執事の報告によれば、セリナ殿は、シグネル領から出た後、少し前に購入していた帝都の邸に移り住んだらしい。

帝宮にほど近い場所に建つ元成金伯爵の所有物だったその邸は、広大すぎる庭と、美術品を惜しげもなく使ったパーティーホールがあるのだと、私も耳にしたことがあった。そのせいで、当初からとんでもなく高額な売却金額が設定されており、中々買い手が見つからないのだと。

だから、それを、セリナ殿が買い取ったとは俄かには信じられなかった。今のシグネル家でさえ、易々と出せる金額ではないからだ。


私は急に痛み出した頭を押さえながら、老執事からセリナ殿直筆の手紙を引ったくる。そして、その場ですぐに開封した。

セリナ殿らしい華やかな便箋を使った手紙には、丁寧な文字で離別の言葉が認められていた。皮肉を込めた感謝の言葉と共に。

私は、それを隅から隅まで読み込んだ後、そこに記された半年前の日付を見留めて、老執事に厳しい視線を向けた。



「なぜ、すぐに知らせなかった?」


「申し訳ございません。最近まで、セリナ様は、旅行にでも行かれたのだと思っていたのです。普段からよく外出されていましたので…」


「それでも、遅すぎだ。すぐ私に確認すべきだっただろう…」


私は、手紙を机に放り投げて、諦めの溜息を吐き出した。


彼女はもうここに帰ってくる気はない。私にはそう思えてならなかった。




私の結婚は、皇帝陛下の命令で唐突に決まった。しかも、命が下ってから僅か一ヶ月で婚姻を済ませなければならないという異例の条件付きで。

その相手として指名されたのは、我が家とあまり接点のないクライブ伯爵家の令嬢セリナ殿だった。


クライブ伯爵家の領地は、帝都から遠く、そこまで豊かではない。しかし、広い人脈を持つ伯爵家は、長年、外務大臣を輩出している国の重要家門でもあった。

そんな家との縁組であれば、こちらとしても喜ばしい。けれど、当のセリナ殿には、酷い悪評が付いていた。なんでも、その美貌で数々の男を弄んでいるらしい。

私は、噂の真相を確認するため、学生時代の彼女と同級生であった側近のライリーから話を聞くことにした。

すると、ライリーは、少し気まずそうにしながらも、セリナ殿から受けた仕打ちを打ち明けてくれた。クラスメイトだった彼女に、長年取り組んできた研究課題を盗まれたということを。それが理由で、学園卒業時、成績優秀者に選ばれなかったのだと。

ライリーは、当時話さなかった事を、事細かに語ってみせた。


それを知った私と、もう一人の側近リールは、セリナ殿に対して酷く腹を立てた。幼少期から兄弟のように育った私達は、帝宮で働きたいというライリーの夢を知っていたから。そして、その夢が絶たれた日、悔しそうに一人で泣いていたライリーの姿を見ていたからだ。

長年我が家を支えてきた財務官と侍女長を親に持ち、神童と謳われたライリーなら、問題なく夢を叶えられるはずだった。それをセリナ殿が壊していたのだ。



こんな事をしでかしたセリナ殿の人となりを、あの皇帝陛下が知らぬはずはない。つまり、この婚姻には裏があるのだ。悪女をシグネル侯爵家に押し付けた理由が。


ライリーから話を聞いた私は、なるべくセリナ殿と距離を置くことを決めた。そして、婚姻式の後、「貴女を愛することはない」と、彼女にはっきりと告げたのだ。それに同意したセリナ殿は、約束通り、私の前に姿を現すことはなかった。

そのお陰で、私は、平穏な日々を過ごせている。それなのに、なぜか私は、悲しそうなセリナ殿の顔を忘れることが出来ないでいた。




セリナ殿が出て行ったという事実は、すぐさま、シグネル侯爵家の使用人達に伝わった。その事態を、皆、あっけらかんと受け入れている。私の隣で仕事をしているリールも、ずっと上機嫌だった。



「結果的に良かったのでは?向こうから出て行ってくれたのですから。これで、リセナイア様の面倒事が減りましたね」


「確かにそうだが、政略結婚とはいえ、早々に妻が出て行ったとなると外聞が悪いだろう。どうせ離婚は出来ないのだから」


「ですが、セリナ様には、殊更丁寧に対応していたのでしょう?そうですよね、ライリー?」


「あ、…はい。もちろん、です…」


ライリーが、リールの質問に右往左往しながら答えた。

優しいライリーは、きっと、セリナ殿が出て行ったことを気にしているのだろう。自分の告発が、この事態を引き起こしたと。



「ライリー、貴方が気にすることはありませんよ。セリナ様は華やかな方でしたから、帝都以外の場所で暮らすことが嫌だったのではないでしょうか。そんなセリナ様でも暮らしやすいよう、リセナイア様が十分過ぎるほどに環境を整えていたのですから、こちらに責任はありません。もう、放っておきましょう」


ライリーの件で激怒している古株の使用人をセリナ殿と会わせないようにするため、賓客用の別館を改装して彼女専用住居とした。かつ、新たな侍女も雇い入れたのだ。

けれど、半年ぶりに入った別館は、リネン一つ使われた形跡がなく、用意したドレスすら、全く動かされていなかった。

セリナ殿は、そこまでここが気に入らなかったのだろうか。




別館の様子を思い出した私は、リールの言葉に頷く。



「そうだな。セリナ殿は、ここにいない方がいいだろう。リール、一応、セリナ殿の動向には目を向けておいてくれ。これ以上面倒事を持ち込まれてもかなわんからな」


「分かりました。定期的に部下に探らせておきます」


それからの私は、リールの報告を受ける時以外、極力、自分の妻の存在を思い出さないよう努めた。

そんな月日は、忙しさの中であっという間に過ぎて行った。



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