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長い歴史を誇る教会の聖堂で、本日、シグネル侯爵家の若き当主リセナイアとクライブ伯爵家長女セリナの婚姻が、厳かに成立した。
本来ならば、当事者の二人は、純白の婚礼衣装を纏い、多くの参列者から祝福を受けているところだろう。けれど、今、この場に幸せな雰囲気はない。取り交わされる誓約の言葉もどこか事務的だった。
それも仕方ない。
私達の結婚は、1ヶ月前、突然下された皇帝陛下の命令で決まったものなのだから。婚約期間すらなく、私達は、ほぼ初対面で今日を迎えてしまったのだ。そのため、婚礼衣装どころか結婚指輪すらない。
私は、たった今、夫となった人物を仰ぎ見た。金髪に碧眼の美神のように美しいその方は、先程まで仕事だったのだろう、シグネル侯爵家が所有する騎士団の制服を着ていた。でも、着飾った私より綺麗な気がする。
その時、リセナイア様の青灰色の瞳と私の紫色の瞳が、ピッタリと合わさった。すると途端に、私の胸がドキドキと音を立て始める。
「セリナ殿、少し話がある」
「はい」
リセナイア様に連れられ、聖堂横の庭に出ると、彼の鋭い視線が私に突き刺さった。
「セリナ殿、この婚姻は皇帝陛下の命令であるゆえ、断れないが、私は貴女を愛することはない。共に生活するつもりもない。だから、領地に貴女用の別邸を用意した。毎月、自由に使える資金も提供する。シグネルの名を汚すようなことをしなければ、自由に過ごしてもらってかまわない。ただし、私には関わらないでもらう」
「私は…、必要ない、ということでしょうか…?」
「ああ。私にも、シグネル家にも、悪女は不要だ」
「わ、私は、悪女なんかじゃ…、もしかして、私の噂を信じているのですか!?あれは事実ではありません!」
「私の信頼する部下が、事細かに貴女の悪事を語ってくれたぞ?そのせいで、部下がどれだけ辛酸を嘗めたかもな」
「私は…、そんなこと…。誓って私は、誰かに害をなすような事はしておりません。お願いです。信じてください!」
確かに、私には、学生時代に付けられた悪評があった。それは、私が男を誑かし名声を得る悪女というもの。
そんな悪評が流れたのは、通っていた帝都の学園で、歴代最高の成績を出し続けた私の慢心が原因だったとも言える。今思えば、澄ました私の態度が、嫉妬や妬みを生んでいたのだろう。それから、私は、度々嫌がらせを受けるようになった。それが次第にエスカレートし、私と先生が密会していると、ありもしない証言まで出てくるようになってしまったのだ。私が先生に媚を売って、成績を上げていると。
その結果、私の評価は、地に落ちる。そして、同級生だった婚約者に捨てられ、私は、傷物と馬鹿にされるようになった。
けれど、そんな私にも絶対的な味方はいた。家族が、私の実力を立証し、嘘をついた生徒に、然るべき制裁を下してくれたのだ。
でも、一度流れてしまった噂は、どこに行っても私に纏わり付いた。仕方なく私は、他国に逃げることを決めた。
そんな折、留学先で十八歳を迎えた私の下に、皇帝陛下より結婚の勅命が届いたのだ。
そんな私との結婚に、リセナイア様が乗り気でないことは分かっていた。それでも、これから少しずつ歩み寄れると信じていた。だから、はっきりと告げられた拒絶の言葉に、私の目の前が真っ暗になる。力の抜けた私は、思わず、リセナイア様に手を伸ばした。夫となる彼に救いを求めて。
けれど、その手は、呆気なく振り払われてしまった。
「穢らわしい手で触るな」
リセナイア様の冷え切った態度に、涙が溢れそうになる。でも、こんな所で泣きたくなかった私は、お腹にぐっと力を入れて何とか耐えた。
「分かり、ました。私は、リセナイア様と…、いえ、シグネル侯爵様と関わらないとお約束します」
せめてもの抵抗で、私はリセナイア様の名前を呼ぶ事を拒否する。それに気付いたリセナイア様が僅かに顔を顰めたのを確認した後、私は、彼に背を向けて、両親の待つ聖堂へ戻った。