9話 ツィーゼ
空色の目をした少女はフロードを見ると、一目散に駆け寄ってきた。
「たすけてぇ!」
フロードのローブを掴む手は可哀想なほど震えていた。たすけて、たすけて、と繰り返すその様子は尋常ではなく、フロードは膝を折って少女と視線を合わせる。
「どうした。何があった」
刺激しないよう、できるだけ優しく聞いたつもりだったが、少女はフロードのローブから手を離すと、二歩も後ずさっていってしまった。
「お姉さん……じゃ、ない……?」
フロードの見た目と声にギャップを感じたのだろう、少女の不信を招いてしまった。女のふりをしてれば良かったと思ったが、もう遅い。今更演技をしても余計に混乱を招くだけだ。声の低さはそのままにして、フロードは言葉を続けた。
「お姉さんじゃなくて、お兄さん、だな。紛らわしくて悪い。それよりどうしたんだ。何か困ってるんじゃないのか?」
なるべく柔らかく聞こえるように声を響かせると、それが功を奏して少女は再びフロードに近寄ってきた。
「この先に、お兄ちゃんが入っていっちゃったの」
「この先って……、山道を一人でか?」
うん、と首を振った少女は自分の服をギュッと握り、今にもこぼれてしまいそうな涙をこらえている。
「お母さんがね、病気なの。お薬を買うためにお父さんが遠い町ではたらいてるんだけど、お兄ちゃんはもう待ってられないって。俺が薬を取ってくるから待ってろって……」
病気。
その言葉に、フロードの頭は嫌な予想で埋め尽くされた。不安があやうく顔に出そうになったが、泣いている少女を前にそれは許されない。笑顔を保ったまま、質問を続けた。
「お兄ちゃんが言ってた薬って、どんなものか分かるか?」
「魚って言ってた。キラキラしてるから、すぐ見つかるって」
黄金の鱗だ。
そう確信したフロードは、舌打ちをなんとか堪えた。
東側にある赤い屋根の家に、死神の愛に罹患した者がいる。
店主が言っていたのは、この子たちの母親だ。母親の為に、兄は薬の材料となる黄金の鱗を獲りに山へと入ってしまったのだ。
「お兄ちゃんが行ったのはいつだ?」
「朝、朝よ。起きて、ごはん食べて、それですぐ行っちゃったの」
「随分時間が経ってるな……」
黄金の鱗が見つかったにしろ、諦めたにしろ、もうとっくに戻ってきているはずの時間だ。
どこかで迷っているのか、いや迷っているだけならまだしも、怪我をしていたり、獣や魔物に襲われている可能性だってある。
すぐに探しにいかなければとフロードは立ち上がったが、広い山の中を闇雲に探すのは効率が悪すぎた。せめてどの辺りかの検討だけはつけておかなければ、無駄足を踏んでしまう。
「お兄ちゃんは他に何か言ってなかったか? 山のどの辺だとか、目印になるようなものがあるとか」
黄金の鱗を探しに行ったのなら、水辺だ。具体的な場所が分かれば、その周辺を重点的に探すことができる。
フロードは急かしたい気持ちを抑えて、少女の答えを待った。考えている様子だった彼女は突然顔を輝かせて、兄の言葉を口にする。
「洞窟、って言ってた!」
その言葉を聞いたフロードは、少女の表情とは真逆に顔を青ざめさせた。
「ここからもっと南に、昔吸血鬼が住んでいた洞窟があるの。そこには湖から水が流れこんでて、きらきらのお魚さんが泳いでるって教えてもらったんだって!」
考えうる中で、最悪の状況だった。
湖の近くの洞窟。村人たちの情報が正しければ、そこはゴウモリの巣がある場所だ。
母親が死神の愛にかかって以降、おそらくこの一家は村から隔離された状態で暮らしていたと思われる。
感染力が非常に強い病気の為、大抵の場合は患者が死ぬか治るまで、家族も含めて他人との接触がほとんど絶たれるのが常だ。
最低限の食料や必要なものはドアの前まで届けられるが、それがどの程度のものなのかは住人の良心によるところが大きい。
そんな生活を送っていたのなら、この家族の耳に魔物の情報が入ってきていなくても無理はない。それとも、危険を承知の上で行ったのだろうか。そもそも、黄金の鱗の話をこの子の兄に教えたのは、誰だ。
「……んなこと、考えてる場合じゃねぇか」
今考えても仕方のない思考を打ち消し、フロードは進むべき方角をみる。
「君とお兄ちゃんの名前を教えてくれ」
「わたしツィーゼ。お兄ちゃんはカペラよ」
「そうか、じゃあツィーゼ。お兄ちゃんの特徴を教えてくれるか?」
「うーんと、灰色の髪がね、とってもふわふわなの。目は茶色で、あと、わたしと同じ角が二本ある」
ツィーゼが頭に手をつけて、指で角の形をとる。
一生懸命特徴を伝えようとしてくれているツィーゼの頭を撫でて、フロードは今まで来た道を振り返った。
「ツィーゼ、家まで一人で帰れるか?」
ここまでは道が敷かれているとはいえ、山道は山道だ。幼い子供を一人で帰すことに強い抵抗はあったが、カペラのことを考えると今は送り届ける時間が惜しい。
「うん、大丈夫。ここまではよく来るもん」
「そうか、くれぐれも気をつけて帰ってくれよ。それから、できればカペラのことを他の大人にも……」
そこまで言いかけて、フロードは口ごもってしまった。
子供の捜索をするのなら、人手は多い方がいい。しかし、ツィーゼは死神の愛患者の家族だ。そんな彼女が他の人に近寄ったら、心ないことを言われるかもしれない。彼女もそれが分かっているから、フロードが来るまでここで一人途方に暮れて泣いていたのだ。
「わたし、隣のおじさんに言ってみる」
フロードのためらいを見透かしたかのように、ツィーゼはそう言った。
「隣のおじさん、ドアごしになら話を聞いてくれると思う。だから、だからね、おねがい。はやくお兄ちゃんを……っ」
その行動にどれほどの覚悟が必要かを、フロードはよく知っている。兄の為と己を奮い立たせている、小さな体。それを勇気づけるように片腕で抱きしめて、静かで力強い声を出した。
「俺はカペラを探してくる。ツィーゼも無理はするなよ」
うん、と頷いた少女の背中を軽く押して促すと、小走りで去っていく。送り届けてやりたい気持ちを押し殺して、フロードは進むべき方へ体を向けた。
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