6話 逆鱗
男の腕を外そうとしたフロードだったが、思いのほか力が強かった。酔っているせいで力の調節がうまくいっていない。抜け出そうと身じろぐと、余計に拘束が強くなった。本物のか弱い女性が相手だったら、苦しさで眉をひそめるに違いない。
「分かってねぇなぁ女将さん。こんなに若い子なんだぜ? 少しぐらい息抜きは必要だって。あんたんとこにいたんじゃ遊ぶことだってできやしねぇよ」
男は相変わらず勝手なことばかり話していたが、無理に抵抗すると怪我をさせてしまいそうだった。それよりもさっさと男だとばらしてしまった方が楽だし早い。そう判断したフロードが声をあげようとすると、女将と口論していた男が直接同意を求めてきた。
「なぁ、お嬢さんもそう思うだろ? 今まで散々苦労してきたんだ。たまにはいいじゃねぇか。妹のことなんて忘れて、俺と楽しく遊ぼうぜ」
妹のことなんて忘れて。
その言葉を聞いたフロードは、男の小指を掴むと手の甲側に思い切り曲げた。
痛みで男が腕を引いたので折るまでには至らなかったが、フロードの中にはもう怪我をさせないようになどという気持ちはない。
強い不快感をなんとか耐えて、侮蔑を込めた視線を向ける。
「あなたと遊ぶぐらいなら、魔物の巣で野宿した方がよっぽどましです」
はっきりと宣言すると、テーブル席の方から笑い声と拍手があがった。フロードへは讃えるような口笛が、男へは馬鹿にしたような慰めの言葉が狭い店内で飛び交っている。ざまあみろと言わんばかりのこの状況からして、男は村の人たちから好かれていなかったのだろう。
恥をかかされた男は、青くなっている小指を握り口元を大きく歪めた。それからフロードを睨み、恨みの言葉を口にする。
「あー、そうかよ。ならこんな村にいないでさっさと妹とやらを探しに行けばいい。まぁどうせ? そんな昔に誘拐されたんなら、とっくの昔にのたれ死んでるだろうけどなぁ!」
「ちょっとあんた……っ!」
店主が非難の声を上げる前に、フロードは男の後頭部を掴んだ。そのまま一切の躊躇なく、顔面をカウンターに打ち付ける。
鈍い打音を最後にして、酒場から音が消えた。
それまで笑っていたほかの客も口をつぐんで、ただ驚愕の目をフロードに向けている。
髪を掴んで顔を持ち上げると、うぅと男から苦しげな声があがった。男のまぶたは切れ、鼻と口からも血が出ている。顎から一滴ずつ垂れ落ちていく赤が、カウンターの木目に染みを作った。目からは反射的に出たと思われる涙があったが、それを無様だと笑う者はいない。
「妹は、生きてる」
海の底を思わせる、冷たく深い男の声。
フロードの地声を聞いた相手は、目の前にいるのが女ではなく男だということにようやく気づいたらしい。瞬きも忘れて口を中途半端に開けていた。
「その不快な声を、二度と聴かせるな」
声帯に力を込めて命じると、男は声を出せなくなった。なにかを言おうと口を開閉させているが、音は出てこない。
声の高さを変えられるフロードは、それを応用することで簡易な催眠をかけることができた。
この能力に最初に気づいたのは、家族でも自分でもなく、天涯孤独になった自分を拾ってくれた師匠だ。
それ以降は師匠にしごかれながら練習を重ねていったが、フロードの実力不足か、元来そういう能力なのか、精神の強い者には効果がない。
美しい姿で魅了するか、今のように恐怖を植え付けるかして相手の思考能力を著しく下げた後でないと使えないのだ。しかし、そこまですれば大抵の場合お話し合いで言うことを聞いてくれるので、わざわざ能力を使う必要はない。
一見便利に思える能力だが、せいぜい今のような嫌がらせにしか用途はない。その上、持続性も低かった。大した役にたたないので、師匠の元を離れてからは練習さえほとんどしていない。
うなり声さえ出せずにいる男を放って、フロードは店主を見る。彼女の体は震えていて、うさぎ耳が斜め後ろにピンと立っていた。
なんの非もない彼女に迷惑をかけてしまったことに、フロードは反省をする。こんな状況で一泊の宿を乞うことなどできるはずもない。彼女の為にもこの場から早く立ち去るべきだった。
「女将さん、色々と迷惑をかけて悪かった。この村からはすぐに出ていくから安心してくれ。ただ一つだけ聞いていいか? この村か、もしくは近隣に魔物素材を買い取ってくれる場所ってないかな」
足元に置いていた荷物を抱え、魔物素材が入っているあたりを布越しに叩く。少しの間があって、店主は首を横に振った。口を開けないほど怖がらせてしまったのか。そう思うと罪悪感がいっそう強くなり、フロードは荷物を背負ってお礼を言い、ドアに向かう。
「お待ちください」
そんな中でフロードを引き止めたのは、白髪混じりの老人だった。
彼はそばにいた他の男たちと何やら話をした後、フロードの元に歩み寄ってくる。
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