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2話 フロード


 高い位置で一つに結んだ赤い髪。

 腰よりも長いそれを揺らしながら、フロードは森の中を一人歩いていた。

 前の町からここまでの旅程は順調で、大きなトラブルは起きていない。道こそ舗装(ほそう)されていないが、人々が踏み固めてできた場所を歩いているので、獣道に比べれば比較的足元も良好だ。


 このままいけば何事もなく次の村につけるだろう。


 そう呑気な気持ちで歩いているフロードの目の前に、一匹の蝶がひらひらと飛んできた。

 黒で縁取りされた、真っ青な羽。その美しさに惹かれ指先を差し出してみると、蝶は人差し指の上に降りてくる。すぐに飛び去ってしまうかと思ったが、意外にも六本の足はしっかりとフロードの指を掴んでいた。

 宝石のような美。それを間近で見ることができた喜びで、薄紅色の唇が花開くような(あで)やかさでほころんでいく。


 青い羽を愛でるフロードは、これまでよりも慎重な足運びになった。いっときの旅仲間とはいえ、できるだけ長く側にいてほしい。

 そう思って森の中とは思えないほどしずしずと歩いていると、突如空気を裂くような咆哮(ほうこう)が耳に届いた。間をおかずに聞こえてきたのは複数人の悲鳴で、蝶は驚いたのか指先から飛び立って行ってしまう。


 せっかくの平穏な時間だったのにとフロードは苛立ちを覚えたが、鳴り止まない騒音にただ事ではないことを悟る。悲鳴の内容から察するに、そう遠くない場所で誰かが魔物と鉢合わせたのだろう。


 フロードは柳眉(りゅうび)をよせ、どうするべきかを考えた。一番強いのは、面倒だという感情だった。しかし知ってしまった以上放っておくわけにもいかなくて、目を細め、声のする方へと顔を向ける。


 大体の方向を聞き分けると、歩きやすかった道を外れて草むらへと足を踏み入れた。

 最初はそのまま進んでいたが、膝まである草のせいで足捌(あしさば)きが悪い。


 この調子ではきっと間に合わない。そう危惧したフロードは、軽く地面を蹴って飛び上がり、木の枝に着地した。

 この森には樹齢の長い木が多く、幹も枝も太い。大人一人の体重ぐらい悠々と支えてくれた。

 これなら最短距離をいける。そう確信したフロードは、重力などないかのように軽々と枝から枝へと飛び移っていく。


 現場に着いた時、既に七人の男が巨大なキツネ型の魔物と応戦中だった。

 四つある目に、尾を除いても一軒家ほどはある体躯(たいく)。対する男達も武器や鎧の装備はしているので、ただの村人ではない。視認できる範囲に護衛対象もいそうにないので、おそらく魔物ハンターだ。


 それならば手を貸す必要もないかと、フロードは枝の上から様子見をすることにした。

 走り回っているからか、彼らの疲労の色は既に濃い。そんな中で、三人の射手(いて)から矢が放たれた。一本でも刺さることを期待したのだろうが、腹と尾以外を覆っている銀の(うろこ)に弾かれて全て地面に落ちてしまった。


「くそッ! ダメだ、硬すぎる!」


「剣も矢もきかないんじゃ、どうしようもないっすよッ!」


 彼らが悪態をついている間に、魔物の太く硬い爪で大木(たいぼく)が切り倒された。長く鋭い尾がそれを串刺しにすると、勢いをつけるように大きく振りかぶる。嫌な予感は当たるもので、魔物は男たちに向かってそれを投げ込んだ。


退()け、退けーーッ!」


 叫んだのは、リーダーと思われる犬耳を持った亜人族(デミテラぞく)だった。硬直していた仲間たちはその声で我に帰ったらしく、散り散りに走り出す。


 地面に落ちた大木の細い枝が折れる音と、ハンター達のわめき声。下敷きになった者こそいなかったが、羊の亜人族(デミテラぞく)が割れた木片で足を負傷し立ち上がれないでいた。


 助けようと思ったのだろう、犬耳のリーダーが走り寄ろうとしたが、魔物の鋭い叫び声に尻尾が膨れあがり、足がすくんでしまっている。


 彼らがチームであるならば、へたに手助けをして場を乱すのはかえって迷惑だろう。そう思って様子をうかがっていたフロードだったが、これはまずいかもしれないと考えを改める。


 チームの力量に対して、魔物の強さが明らかに釣り合っていない。報奨金に釣られて無謀な挑戦をしてしまったのか、それとも討伐対象ではなかった魔物と不運にも鉢合わせしてしまったのだろうか。


 どちらにせよ、彼らに勝ち目があるようには思えなかった。かといって、魔物の足止めすらできていない今の状況では、怪我人を抱えての撤退もきびしいだろう。

 なにより、獲物を見つけてしまった魔物は嬉々として狩りを始めてしまっていた。逃がしてくれる気は毛頭もないらしく、それどころかいたぶるようにじわじわと追い詰めている。


 全滅。

 フロードの頭にそんな不吉な言葉が浮かんだ。


 人を食い散らかすのに十分すぎるほどの武器をもったその魔物は、逃げ遅れた羊の亜人族(デミテラぞく)を襲おうと、姿勢を低くしてタイミングを測っている。

 あの太い四肢が地面を蹴ったが最後、彼はきっと逃げることも戦うこともできぬまま太い爪で腹を裂かれ、鋭い牙で喉を貫かれてしまう。


 そんな寝覚めの悪い想像をしていると、魔物が地面すれすれまで更に体を低くした。もう悩んでいる暇はない。そう判断したフロードは、背負っていた荷物を木の上から投げ捨てた。そのまま枝の上で強く踏み込み、飛び蹴りを喰らわせようと空高く跳ね上がる。

 

 狙うは奇襲。

 フロードは声もあげず、魔物の背中に向かって一直線に落ちていった。しかし寸前で相手に気づかれてしまい、つま先がつく寸前に体を(よじ)られてしまう。

 幸いなことに、狙った場所から少しずれたものの当たりはした。(かかと)がつく瞬間と飛び降りたときの衝撃。その二つが合致したタイミングを逃さず深く膝を曲げ、フロードは上に飛び跳ねる要領で強烈な蹴りを放つ。


 魔物の巨体が大きく揺れ、鳴き声があがった。滑るように地面を転がっていき、体勢を立て直せないまま魔物はその場に倒れ込む。


「すげぇ……」


 誰かの呟きを聞きながら、フロードは着地のために空中で一回転した。


 滝壺に落ちる水のように、少しのうねりもない真っ直ぐな髪。円を描くようにフロードの動きに遅れてついてきたその色は、攻撃的とも言えるほど強い赤だ。

 魔物を見据える切れ長の瞳は、水に濡れた若葉のような深い(みどり)で、白い肌は真珠のように光り輝き一切の(けが)れがない。


 傾国(けいこく)


 そう評せば誰もが頷いてしまうほどの(かんばせ)には、男女を超えた美しさがある。整いすぎていて、真顔でいるときは作り物のようでさえあった。蠱惑的(こわくてき)な瞳を向けられれば、刃物を首筋に突き立てられているかのようなぞっとした冷たさすら感じられることだろう。その印象は情熱的な赤い髪を持ってしても拭い切れるものではなく、むしろより一層苛烈(かれつ)さを強めている。


「お……、お嬢さん。あんたは一体……」


 フロードの登場がよほど強烈なインパクトを与えたのか、ハンターたちは数秒の間凍ったように動きを止めてしまっていた。

 魔物から意識は逸らさないままフロードがちらりと視線を向けると、彼らは問いかけている場合ではないと気づいたらしい。大慌てで怪我人を回収し、戦闘の邪魔にならない距離まで後退していく。


 魔物の硬い(うろこ)は、刃物の鋭さには耐えられても打撃の衝撃には耐えられず、皮膚からいくつか剥がれ落ちていた。苛立たしげに繰り返される荒い呼吸。先ほどの攻撃をもろにくらってしまったのが屈辱だったのか、四つある目はフロードしか見ていない。


 いつ攻撃してきてもいいように、フロードは足を広げた。蹴り技が主体のため、身につけているローブには深いスリットが入っている。足を隠すのは(もも)まである皮のブーツだけだが、それで十分だった。フロードの足は()()なので、防具は必要ない。動きを鈍くするだけでむしろ邪魔だ。


 魔物は地面を踏み固めるようにその場で飛び跳ねると、フロード以外には眼中もくれず突進してきた。

 頭に血が上っているのか、フェイントもなにもない直線的な動き。魔物を飛び越えようと思い切り()ぶと、その動きに引っ張られ、肩に掛けていた白く細長い布が蝶の羽のようにふわりと宙を舞った。

 フロードの動きは髪の一筋に至るまで全てが優雅であり、見惚れているハンター達は今の状況も忘れて、ほぅ、とため息を漏らしている。


 魔物の目には突然フロードが視界から消えたように見えたのだろう。混乱して立ち止まった魔物の尾の付け根に、フロードは足を高く上げて(かかと)を落とす。

 鏡にヒビが入るがごとく、(うろこ)が大きく割れた。ハンターたちからはどよめきが起こり、魔物からは痛みと怒りの入り混じった声がもれる。


 鋭い爪も、長く柔軟に動く尾も、フロードは踊るような軽い足さばきで次々に避けていく。隙をみつけては蹴りを放って鱗を壊し、柔らかな皮膚があらわになると、今度はそこを重点的に狙っていった。

 魔物は分が悪くなったのを悟ったのだろう、攻撃から一転、突然逃亡しようとフロードに背を向けた。


 ハンター達はそれを見て喜び合っていたが、フロードは同じ気持ちにはなれない。一度人を襲った魔物を見逃すと、今度は知恵をつけて戻ってくる可能性がある。


 フロードは鋭い舌打ちをして、肩に掛けている白く細長い布に手をかけた。向こう側が透けて見えてしまうほど、薄く頼りない布。両肩から腕にかけて巻きつけるようにしていたそれを、踊り子のような優美さをもって一気に引き抜いてみせる。


 風になびく柔らかな白と、体の動きに合わせて揺れる髪の赤。その眩いばかりのコントラストの中で、フロードの薄い唇が開く。


捕縛(ワラプ)


 吐息のようなか細さでその単語が紡がれると、白い布がうねり、意思を持った蛇のような動きで魔物の足に絡み付いた。

 足を一本掴まれた魔物はバランスを崩して倒れ込み、なんとか(ほど)こうと暴れまわる。しかしそれは逆効果で、もがけばもがくほど布は肉に食い込んでいった。


 フロードは布を手繰り寄せるようにして魔物の方へ走りだす。反応した魔物が近寄るなと言わんばかりに牙を剥き出しにして威嚇してきたが、虚勢でしかないそれにフロードが(おく)することはない。


 表情を変えないまま、フロードは魔物の鼻先寸前のところで今日一番の強さで踏み込んだ。その威力はすさまじく、地面にはヒビが入って足跡が沈みこむ。翼を持つ鳥の亜人族(デミテラぞく)でもないのに、フロードは脚力のみで体を高く浮き上がらせた。


 断末魔があたりに響き、それに反応した遠くの鳥達が木々から飛び立っていく。


 フロードの足で頭を潰された魔物はもうピクリとも動かず、完全に絶命していた。血で汚れないように魔物の足から布を回収すると、何事もなかったかのようにそれを肩と腕にまわす。


 ハンター達は、命が助かった実感がまだないのかその場にただ突っ立っていた。

 フロードは彼らに声をかけるでもなく魔物の手の方に向かっていく。しゃがみ込むと、腰につけていたナイフを取り出して、魔物の爪に振り下ろした。(うろこ)の隙間を狙ったがそれでも頑強で、何度もナイフを打ちつける。


「その……、お嬢さん」


 気後れした様子で、リーダーが声をかけてきた。フロードは彼の方に視線を動かすことすらせず、肩だけをすくめて返事をする。


「残念、俺は男だ」


 フロードがそう発した声は、どう好意的に受け止めたとしても男のものでしかなかった。



読んでいただきありがとうございます。

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