短編『榊原H.Hホームズの事件簿』
無事、フランス貴族の依頼を解決した私は、その町一番のホテルに泊まっていた。
しかし推理小説のお約束か、はたまたこの名前を持つ者の性か、またしてもそのホテルで事件が起きてしまった。
事件の概要はこうだった。昨日未明、このホテルの8階809号室に宿泊していた、宝石商の「サミュエル・ジェンキンス」(年齢六八歳。妻帯者。フランス、マルセイユ出身)が何者かにより喉を斬られて殺された。
ジェンキンスに連れは無く、事件当夜も来客は確認されていない。
宝石の入ったトランクが奪われていた事から、これは明らかに物盗りの犯行だと皆が一様に断定していたその時。
耳をつんざく様な女の悲鳴が鳴り響いた。
それは入口の壁に描かれていた。
大きく、おどろおどろしく、さも惨たらしく。
ジェンキンスから流れ出た大量の血液によって。
『VENGEANCE IS MINE!』
「『復讐するは我にあり』か、これは面白くなってきた」
失神する女、苦悶の表情を浮かべる死体、驚愕する一同。
その中にあって唯一、嬉しそうに、楽しそうに、ニタニタと頬を歪ませている男が一人。
「貴様は一体誰だ!部外者は立入禁止だぞ⁉」
呆気にとられていた警部がその男に向かって叫ぶ。男は目を細めて見下すように言った。
「私?私は当ホテルのコンシェルジュでございます」
慇懃に礼をした後、懐から煙草を取り出し、火をつける。
「そうだ!警部さん。今回の事件この私に任せてみてくれませんか?捜査の代行、承りましょう」
***
その後、ホームズの提案は即座に却下されたが、警部が皆を集めて自信満々に推理を披露しているところに通りすがり、
「それは違うね。的外れもいいところだ」
などと横やりを入れたり、
「そうだ!これがこの事件を解く鍵に違いない!」
と警部が証拠品を掲げて喜んでいる横で、証拠の品をひったくり、
「ああ、これは全くこの事件とは関係ないですね」
と言って警部の手に戻す。
そうすると警部は憤慨して、やけくそになり、
「じゃあ、お前がやってみろ!」
と言われ、
「お安い御用」
とあっさり犯人を捕まえてしまった。
しかし捕らえた犯人は、夫の訃報を聞いてやって来たサミュエルの妻、シャーロットが激昂して刺し殺してしまった。
事件が一段落してから、警部達が再びこのホテルを訪れ、フロントのボーイに尋ねる。
「あー、コンシェルジュを頼みたいんだが、榊原H.Hホームズというやつを呼んでくれ」
ボーイは困ったような顔をして答える。
「大変申し訳ございませんお客様。当ホテルにその様なコンシェルジュはおりません…」
その頃ホームズは、宝石の詰まったトランクカバンを持って、ロンドン行きの夜行列車に乗っていた。
「まったくフランス人はケチで困る。おかげで余計な仕事をしてしまった」
※書きたかった事
ミステリーの技法に「信用できない語り手」というものがあるんですが、そこから派生して、探偵役である主人公がまったくデタラメの推理を披露して、自分の犯した犯罪を全く無実の人に擦り付けて自分はエピローグで悠々自適にとんずらするっていうのを、「これは革新的なミステリーだ!本にしたら売れるかもしれない!」と思ってたら半世紀も前にアガサ・クリスティーが「アクロイド殺し」でやってました。
なのでここで書きました。
ちなみにこのホームズはコナン・ドイルの「シャーロック・ホームズ」ではなく1891年アメリカのシリアルキラー「ヘンリー・ハワード・ホームズ」のホームズです。
2020.10/01執筆