プロローグ
◆プロローグ
── きっかけは、声優やタレントや歌手の卵や、エキストラからそれなりに有名な俳優まで育成と輩出をしている小さな芸能プロダクションの社長、日向のもとに、ここが最後の頼みの綱だと奇妙な依頼をしにきた老執事のせいだった。
プライベートアクトレス。……それ自体は別段、特別なことをしているわけではないし、他のライバル業界では知らないが日向社長は少なくともまともで法に則った普通の商売をしていると思えた。
中にはそれ自体を商売として全面的に押し出してがんばっている会社や企業もいる。代行買い物、代行ペットの散歩、代行お墓参り、代行運転手、代行交渉人、代行婚約者、代行家族……
そんなもの自分でやれやごらあ! と思わず突っ込みたくなるようなただの雑用か下僕みたいなお使いから、弁護士や探偵みたいな専門的な知識や技術が必要な人物まで多岐にわたる仕事内容で、その一つにプライベートアクトレスと言う仕事がある。
普通のタレントや俳優と違い個人あるいは家族や友人などの依頼で、家族や婚約者や恋人や友人など、短期から場合によっては長期間親しかった人間に成り切る仕事なのだ。
中には明日にも死ぬかもしれない身内の為に家族とか知り合いとかの一人になったり、見栄を張りたい喪男や喪女のために友人とか妻とかになったり、依頼内容は事情により様々だ。
「── 他の似たようなことを大っぴらか、あるいは裏で経営している企業や会社に打診してみたのですが、旦那様の意向やワタクシどもの条件に合わなかったり色々な要因で、御社が最後の頼みの綱なのです。
どうか、旦那様の今世での最後の頼みと考慮して、色よいご返事を頂けるまでは帰るに帰れません。それに貴社には評判の、依頼主の意向以上の成り切った演技をしてくださる天才がいらっしゃるという話を、どこの企業や会社からも教えていただきました。
ダメもとでその人に一度伺っていただくだけでも構いません。こちらの条件に合わない、旦那様が気に入らなかったということであっても、前金は返却なさらなくても構わないと旦那様からの言伝です。
ですからどうか!」
私……銀野司は、普段着で通行するだけのエキストラの仕事を終えて社長の日向に報告しにきたついでに、決して立ち聞きしたわけではない。
余りにも熱心に大きな声で話しているから、社長室兼応接室から漏れ聞こえてきてしまっただけだ。なにしろ小さなプロダクションだからね。
「日向社長~。ご老人は労わってあげないと。こんなに困っているみたいなんだからさ。話だけでも聞いて上げたら?」
私は歪んできちんと締まらず少し触れたただけで勝手にきしんだ音を立てて動く扉をきい~っと開けて狭い社長室に入った。
社長の机の前にセットしてある4脚の一人座りのソファの1つで社長の隣に座る秘書の日下部さんがサッと立つと、私を代わりに座らせてくれた。
そのまま彼女は私の分のお茶を淹れながら「お疲れ様。」と挨拶すると、自分の仕事机の椅子に座り直した。
私も日下部さんに「ありがとう。」を伝えると、さてととお客様に対峙した。
「司……ああ、仕事が終わった時間か。
そうは言ってもなあ、どうも危険が伴いそうな仕事なんだ。他の会社で断られたのはそれが原因のひとつだろう? なあ天蝎さんとやら。」
中年にしては若々しくも見える上に彼自身無名とはいえ俳優だったこともあってなかなかのイケメン社長で、既婚者なのか独身なのか未だに謎で、いつも言葉を濁すのが一層魅力を引き上げている。
ただ残念ながら身に着けているスーツの色はとてもよく似合っているのだが安っぽく、お気に入りなのかそれ以外の理由かは知らない。
対する天蝎と呼ばれた客は、還暦前後の年齢に見える灰色の髪が見え隠れしている髪をぴっちりとセットし、しかし年齢よりも背筋はしゃきりとして身形も良い老執事といった風情だ。
私が社長の隣に座ると、社長室に入るまでは興奮気味だった老執事が、呆けたように私を見つめていた。
「? ……あのう? それでどのようなご依頼内容なのでしょうか?
失礼ながら途中だけ聞こえてしまったのですが、成り切りの噂の真偽はともかく、恥ずかしながらプライベートアクトレスに関しての話なら多分、私の事だと思ったので。」
「あ……貴方だ! 貴方なら、きっと旦那様も満足してくださるに違いありません!!」
「ど……どういうこと?」
それから老執事が話し出したのは、以来内容自体はわたしが今までこなしてきたプライベートアクトレスで十分できるような内容だった。
ただ依頼主が世間に疎い私でも名前くらいは聞いたことがある、億万長者で有名な大富豪の宝瓶宮家の主人だと言う点だけが快諾しにくい条件だった。
「── 実は旦那様である宝瓶宮辰徳様が、余命1年の宣告をされたため、20年前に桜の咲く時期に誘拐された生まれたばかりの赤ん坊だった娘である桜子様を探し続けておりましたが、結局今まで見つけること叶わず、そこで頼ったのがプライベートアクトレスだったのでございます。」というのが理由だったらしい。
「うーん……でもそれだと、依頼主自身が今回の茶番劇を依頼なんかしたら、死ぬまでの安心感を得るとか、偽の家族と知っていては決して心が癒されないのでは?」 と疑問を口にすると、
「いいえ。死ぬまでの安心や癒しを得るための依頼ではございませんので。
しかももうすぐ旦那様の60歳となる記念すべき還暦が近づいてもおりまして、できればぜひその席上で、娘である桜子様が見つかったとお披露目をし、そこで旦那様の莫大な遺産を受け継げる資格があるのはたった一人だけだと発表したいそうなのでございます。
その時に集まった者達の反応を、人間観察が得意だろう役者の目線でみてほしいのでございます。」
そう言う依頼内容だった。
「そのためにも、是非ともその桜子様に、旦那様の娘になり切れる演技と観察力とに優れた人間に依頼したかったのでございます。
その点、お嬢様は今まで依頼しようとしてきた人たちの中でも、一番桜子様が成長していたらさぞかしこのような姿だったのではないかという理想の見目をしていらっしゃいます。
演技の内容に関しては特別頼みたいことはございません。むしろ今のお嬢様のままでもよいとさえ思います。」
「だから司にそんなことをさせたら命の危険が生じるのではないかと、僕はこの話を快諾できないんだ。」
「なるほどねえ……でも執事さん。……天蝎大安さん? は本当に困ってるみたいだよ?
それに、その娘の桜子さんが誘拐されて暫く経った時から、行方不明になったっていう双魚了子さんていう人の行方も気になってるみたいだね。
さらに、ご主人さんが実は毒を盛られていないか、身内の誰かが彼を殺そうと画策しているのではないかということも心配してるみたいだね。」
「おお! そこまでご配慮してくださるとは。お噂通り聡明なお嬢様のようですな。実はそれらの件も第三者であるお嬢様の客観的な目で観察して頂きたい。
やはり、お嬢様に依頼したい。否きっと旦那様も納得してくださるに間違いありません。」
私や秘書の日下部さんまでもが依頼を受けてやってはどうかという方向に話が進む中、日向社長だけは依頼を受け渋った。
それと彼等には秘匿にしていたけど、実は私は人の心からの強い想いなら読める特殊能力があって、そのおかげで今まで依頼主の要望通りの演技ができたし、危険すらも察知して脱してきた。
だから日向社長には
「今までも何とかなったのだから。心配なら日向社長や日下部さんのお勧めのボディガードを雇ってくれる?
もちろん、その分の雇用費用も依頼主に弾んでもらえるなら文句ないよね?」
「ええ。もちろんそれくらいの費用を負担することでしたら構いませんとも。旦那様にも早速報告させていただきますので、しばし連絡させてください。」
老執事さんが携帯で相手に嬉々として報告すると、天蝎さんは余程信頼されているのかボディガードの件を了承してもらった。
「それと行方不明になったのか失踪しただけなのか探し人や、毒殺うんぬんについては、専門家ではないので、きちんと知識も技術もある探偵さんなどを雇った方がいいと思う。
必要なら、ストーカー事件の時に知り合った探偵さんと刑事さん達の伝手で、密かに協力してもらえる人を紹介してもらうのはどうかな?
あ……あともう一つ。
執事さん。桜姫さんか、桜子さんか、身体的な特徴とか何かありませんでした?」
「桜子お嬢様は生まれたてでしたが、出産に立ち会った産科医と看護師の話では、恐らく桜姫様と同じ赤みがかかった黒髪であったらしいと。瞳の色は生まれたてでしたので判明しておりません。
それと桜姫様は瞳の色の色素が薄く、光の角度によっては薄い茶色というか赤に近い色に見える瞳をしてらっしゃいました。
ついでに旦那様も日本人にしては金色に近い薄い茶色の瞳です。旦那様が宝瓶宮家の当主として選ばれたのも、実はこの瞳の色のおかげだととかもいう噂もあるくらい特徴的な瞳でございます。」
「それをもらおう。髪はこのままでいいとして、左目は辰徳氏と同じ色に、右目を桜姫さんと同じ色にカラコンで。どうかな?」
そう、実は私は祖母がロシア人のクオーターだったために、髪の色素が普通の日本人の髪色と違うのだ。
瞳の色も元々赤っぽい色だけど、そこまで初対面の人に教える必要はないからね。
「おおお。そうされると、ますます桜姫様にとても雰囲気がよく似ておられる。」
(……はて? ……それにしても、ワタクシの下の名前や桜姫様や最初の奥様であった了子様のお名前をいつお教えしたのだったか? ……)
老執事さんは疑問に思ったが、自分も耄碌したなと些細な出来事だと気にも留めなかったようだ。
「執事さんのお墨付きが出たならこれで行くね。それで社長。優秀そうなボディガードが見つかりそう?」
日向社長からはいい返事しかもらわないぞとウィンクして顔色を伺うと、社長はこめかみに指を当てて仕方ない奴だというような顔をした。
「司、お前なあ……全く。僕の苦労も知らないで。……
日下部君、手配は? あ- ……もう腐れ縁の奴でもいいから、連絡が付きそうか?」
日下部さんは、言われる前に既に連絡してくれたようで、事務所の固定電話の受話器を片手に冷静で淡々とした表情を返した。
「暇を持て余してらしたみたいで二つ返事で了承してくれましたよ?」
それから結局、危険が伴うかもしれない仕事の為に、以前の仕事で知り合ったボディガードもできる元自衛隊教官だった珍しい経歴の探偵、黒井業を雇い、彼と一緒に依頼を請け負うことになった。
探偵との打ち合わせで、彼は今まで桜子を育ててくれた養父母の息子で、桜子役を演じる私とは義兄妹だという設定にした。
*****
探偵の運転する車で宝瓶宮家に到着すると、老執事さんに案内されて宝瓶宮辰徳のいる部屋に3人だけで密かに案内された。
周辺の土地は富豪ばかりの豪邸が連なっているおそらく一等地だろう。その中でも群を抜いて小高い丘の上から他の豪邸を見下ろすような位置に建っていて、西側に崖がありこの季節にしては未だ花の咲かない高樹齢の桜の木があり、北と東にも樹々が立ち並んでいる。
どこの国の庭だよという広さの庭で南側はアーチのある花園があったりした。
駐車車庫も他に何台も高級そうな車が既にとめられていて、大富豪である辰徳氏の還暦祝いに駆け付けた弟妹や子供たちの婚約者たちのものなどの車らしいと執事さんが教えてくれた。
空いている駐車車庫スペースに止めさせてもらい、裏口で申し訳ないのですがと執事に説明され、豪邸の表の両開きの扉からでなく、使用人用の出入口から中に案内された。
「申し訳ありません。本日の面会は秘密裏に行うようにとのお達しなもので。静かにワタクシにだけついてきていただけると助かります。」
私と探偵はコクリと頷いておとなしく老執事についていった。
やがて扉も壁もなにもかもどことなくお金がかかっているだろうなと思わせる設えの何気に豪奢な部屋に入ると、宝瓶宮家の当主である辰徳氏が病床にあり、ベッドの周辺には器械と点滴が設置されているのが見えた。
いかつい顔の辰徳氏に、老執事さんから私たちはそれぞれ本名と簡単な紹介をしてもらうと、私の顔を確認した辰徳氏は入ってきたときの厳かな雰囲気とは裏腹にみるみる顔をほころばせて、涙まで流して私を枕元まで手招いた。
「お、……おお! ……大安、よくぞ見つけてくれた。確かに桜姫にどことなく似通っておるように、見えなくもないではないか。此度のことを頼むのにちょうどいい逸材だ。
うむ……近くまできてくれ。それでな、これを必ず此度の依頼を演じる間中、身につけていてほしいのだ。」
辰徳氏は、手の平に大粒の宝石が付いたネックレスのようなものを差し出してきた。
?
「お嬢様。どうか旦那様からの頼みです。受け取ってください。」
「……」
「それは亡き桜姫様がお嬢様である桜子様を生む直前まで身につけていたネックレスでございます。
アレキサンドライトという暗闇でも特殊な輝きを放つこのネックレスは、旦那様の頼み通り、必ず着け続けていてくださいね。」と手渡されたため、要望通りに首に下げて辰徳氏に見せてあげた。
「うむ……完璧だ。其方は今から桜子だ。……
ふう……少し眠くなった。……
大安。桜子たちを桜の部屋と客間へ案内して、夜の披露目まで休ませてやりなさい。」
そう老執事に命令すると、辰徳氏は再び静かに目を瞑ったので、3人は再び部屋を出て、老執事の後を付いていった。
「桜の部屋は、桜子様が戻られたときの為にと、旦那様がずうっといつ戻っても良い様にと準備されていたお部屋でございます。」
「そのようなお部屋を使ってもいいの?」
「誰も使わねば部屋の意味がございますまい。お嬢様ならきっと許してくださいます。
業様には何かあっても直ぐに対処できるように隣の空部屋を急ぎご用意させていただきました。」
尚、ちなみに母親の桜姫は産後の肥立ちが悪くて、命を懸けて産んだ娘が誘拐されたと知らぬまま亡くなったそうだ。
*****
夜のお披露目の時間になると、辰徳氏たっての願いで、彼が座った車椅子を押してあげながら、老執事の先導する廊下を進み、斜め後ろで何かあってもいつでも対処しようとそれでも自然な動作どころか気軽に見える探偵と一緒に、辰徳氏のすぐ隣の席に座るように促され、晩餐の席に着いた。
晩餐のテーブルは、ヨーロッパの貴族を模したような形状で、辰徳氏と私が座った上座はやや太めの人なら二人分、痩せた人か子供なら4人くらいが座れるくらいの幅で、そこから下座まで片側だけで10人くらいの大人が座れるくらいの細長いテーブルが設置してあった。
黒井業は私の養い親の息子であり、義兄であるという特別な客人だと言う触れ込みで、私の斜め横に、老執事が家政婦長であり天蝎執事の妻でもある未月さんに伝えて、席を用意してもらっていた。
業の向かい側は、亡くなった辰徳氏の奥様が座る席なので、ランチクロスだけが置かれたままになっていた。
上座から順に、業の横に、大富豪の弟でホテル経営をしている寅二と、派手な格好の元水商売の娼婦でレストラン経営をしている妻の戌千代。
実は辰徳の2人目の妻でもあったらしい。下げ渡された奥さん何て、色々屈辱に思ってないのかなと余計な心配をしてしまった。
奥様が座るはずだった席の隣で寅二夫妻の向かいに、辰徳の妹で私も見たことがあまりない女優の卯女と、夫のTV局勤務の牛久。
寅二夫妻の隣に、桜子の義兄と称する義父の主治医で医者の正午と、旅行好きの作家の妻の酉紀。
正午は一人目の奥さんだった了子さんの連れ子だったらしい。
卯女夫妻の隣で正午の向かいに、異母姉と称する美容院経営の長女の亥織と、IT企業経営の婚約者の赤口拓巳。
亥織さんは戌千代さんが妻だった頃に出来た娘らしい。
正午夫妻の隣に桜子の義弟と称する革新的な絵を描く美大生の幸申と、花屋で働くガールフレンドの乙女未知。
幸申さんは男子が生まれなかった辰徳氏と、女優として子育てが面倒だった卯女さんの利害が一致して、辰徳氏が養子として引き取ったらしい。
だからといって後継者にするか、彼自身が後継者を望んでるかは別問題だろうけどね。
末席に招待客で弁護士の巨蟹先勝が座った。
辰徳氏と私たち席の近くには天蝎夫妻である執事と家政婦長が給仕として控えた。
辰徳氏の弟夫妻と長男夫妻のそばには、10年ほど前に働くことになったと言う既婚者でアラフォーらしいベテランメイドさんの双舞通さんが控えている。
辰徳氏の妹夫妻と長女さんと婚約者さんのそばには、数年前から働いている目下大恋愛満喫中でアラサーらしいメイドさんの双芽都さんが控えている。
次男とGFさんと弁護士さんのそばには、時々つまづいたりカトラリーを落としたり、飲み物を注ぎすぎて溢れさせたりして、双舞さんや双芽さんたちに叱られたり注意されたり雑巾片手にフォローされながら頑張るドジ枠、数か月前から働き始めた20代の前半らしい新人メイドさんの先舞花火さんが控えた。
執事さんに紹介されながら、宝瓶宮家の血筋を継いだ人間は全員もれなく薄茶眼だということは判ったが、依頼を受けた時に聞いていたように辰徳氏ほど金に近い瞳の持ち主は確かにいなかった。
晩餐の合図を辰徳氏が始める前に、いよいよ私が20年前に誘拐された娘の桜子だと紹介されることになった。
辰徳氏の横に座らされた時からちくちくと突き刺すような視線を感じて、少しだけ和らいだけどこのまま何事もなくスルーしてほしいなあ。
「皆のもの、今日は儂の60歳となる還暦祝いに集ってくれてありがとう。
目出度いついでに、念願の20年前に攫われた娘の桜子が儂の下にこうして無事に戻ってくれた。皆の物、育ちがどうであれ喜んで儂の愛おしい桜子を迎え入れてくれるだろうな?
それと、近くにおるのは桜子が世話になった養家の息子で、桜子の義兄にあたる業と言うそうだ。彼は桜子が宝瓶宮家に馴染めるか心配で様子を見極めるためにしばらくやっかいになる。
桜子共々仲良くやってくれ。」
私と業は辰徳氏と老執事に促されて立ち上がると、例の頼まれていた件で招待客たちを観察しながらゆっくり頭を下げて
「不束者ではございますが、今後末永くお世話になります。よろしくお願いいたします。」
と、お披露目の挨拶をなんとか終えると再び席に着いた。
怒りを抑えている者、嘲笑している者、戸惑っている者、びっくりしている者、私の特殊能力を駆使しても明確な敵意ばかり感じる。
しかし意外な人物から好意を向けられたのは面白い発見だった。
業は軽く頭だけ下げて、皮肉な笑いを私に返して座った。
「それと、目出度いことが重なったついでに、儂の気分がいい今のうちに決めておこうと思う。
この席を持って、儂の遺産を受け継げる資格があるのはたった一人だけと決めた。そのために今日、弁護士の巨蟹も呼んである。
巨蟹、ここにおる招待客たちの内、一人だけが儂がお願いした遺産の相続人だ、よく見てくれ。」
弁護士の巨蟹がさっと立ち上がると、招待客たちをぐるりと一人一人吟味しながら笑顔で会釈した。
「同じく、ただいまご紹介に預かりました、弁護士の巨蟹と申します。遺産相続の手続きなど、細かい打ち合わせがございますので、暫く逗留することになりますが、よろしくお願いいたします。」
「さてすっかり遅くなってしまったかな。料理が冷める前に、晩餐を始めてくれ。」
病床の辰徳氏とはいえ還暦祝いとあって、こんなに食べれるのか心配するくらいの豪勢な料理の食器を積んだワゴンを、老執事と料理長の人馬友引さんが運び入れ、料理人がしずしずと下がると、給仕の人達が手早く料理を接待する私たちや招待客たちの下に並べた。
辰徳氏と私の席の後ろには、辰徳氏の胸から上の肖像画と、娘桜子の母親である桜姫さんのやはり胸から上の肖像画が飾られていて、確かに私は見た目もとてもよく似ていたらしい。
おまけに、老執事と家政婦長さんが着るようにと渡されたイブニングドレスが肖像画の桜姫さんが来ている服装と全く同じ作りで同じ色だったし、さらに全く同じ装飾のアレキサンドライトのネックレスも。
渡されていたアレキサンドライトのネックレスは産褥で亡くなった母親の桜姫さんが持っていたはずなのに、攫われた赤ん坊と共に消えたため、それを首に下げて舞い戻ってきた、と居並ぶ面々がそれぞれの思惑で確認し、お披露目での私に対する彼らの牽制は無事に終了したようだ。
厳かにカチャカチャとカトラリーや食器や食材と格闘し合う音がして晩餐の席が進んだ。
「桜子さん、まずは無事のお戻りおめでとうございます。
それで、今までどちらにいらっしゃったのかしら?」
しばらくすると開口一番、卯女が私に質問してきたので、にこやかに見えるように
「ありがとうございます。
今までと言っても、最近赤ん坊の頃に孤児院に捨てられていたと聞かされるまでは、平凡な黒井家の養親たちがどうしても女の子が欲しいということで養女に引き取られただけですので。……
私自身驚いておりますの。」と会釈を返した。
”ふん。どうだか。本当は何処で生まれたのか? 知れたものではないわよ。”
「桜子さん、お帰りなさい。いきなり宝瓶宮家に連れてこられてびっくりなさったでしょう?
養家だなんて肩身の狭い思いをされたのではなくって?
その点、我が家では慣れるまで、異母姉としてあたくしに何でも聞いて仲良くしてね?」
次は亥織か。そう言えばこの家の人達って名字は黄道十二宮なのに名前は動物? 否、十二支かもしれないな。と余計な考えで笑いを堪えた。
「ただいまというのも、おかしな気分ですが、確かに驚きました。
受け入れてくださりありがとうございます。
養親たちの家では普通に兄妹分け隔てなく愛情を注がれて育ってきたので肩身が狭いなんて考えたことありませんわ。
でもこれからは異母妹としてお世話になりますね、よろしくお願いいたします。」と会釈を返した。
”いやねえ、育ちの悪さがにじみ出ているのではなくって?”
「桜子さん、ようこそ、とアタシがいうのもおかしいですけど。
孤児院にいたということは、そのネックレスは貴方と一緒に? 他に手がかりとか誰かがいたとかは?」
次は戌千代さんか。……あれ? でもこの人……
「ありがとう存じます。
はい。ネックレスは私と一緒に置いてあったらしいです。それ以外の詳細は私も本当に知らないのです、ごめんなさい……」
”本当に姉のことは知らないのかしら……”
そこで私は”ころしてやる! 偽物が!!”と男の強い殺意の籠もった意識が発せられたのを読み取った。──