第12話 魔法書と上級生
あれから小一時間程で俺たちは図書室までやって来た。
ここへ来るまでのルートが判明したにも関わらず、これだけ時間がかかったのにはやはり、この時間帯の嫌がらせとしか思えない内部構造に問題があると思う。
「まさか階を上がる毎に校内を一周させられるとは思わなかったな」
「一説には夜の襲撃者から王を守る為の工夫だったという」
「たしかにこれでは襲撃者もうんざりして帰ってしまうかもしれんな」
「まったくだ」
昼間なら校内に入ってから図書室までは二十分程で行くことができたのだが、この時間帯の校内はどこへ行くにも遠回りばかりさせられる。
「図書室に来ると無意識のうちに背筋を張ってしまうのは何故なんだろうな」
「分からなくもないが、図書室では私語は厳禁だぞ。眠っている魔法書が起きたら大変だ。中には寝起きの悪い魔法書もいると聞く」
「随分詳しいな。クレアは意思を持った本を読んだことはあるのか?」
「魔法書は他人が読むものではない。読んだところで意味もないだろ」
魔法使いは人格の持った本を魔法書と呼び。人格のない本を魔道書と呼んでいる。
魔法書は記されている内容も種類も性格までもすべて異なり、気性の荒いものからユーモラスあふれる愉快な本まで様々。
俺は実際に魔法書を見たことはないが、グラップラー家(本家)の書庫には歴代当主の魔法書があると聞く。
魔法使いが他人に読まれたくないことを書き記す際に使用する書物、それが魔法書というわけだ。もう少し噛み砕いて説明するならば鍵付きの本、日記と云えば分かってもらえるだろうか。
ちなみに今回クレアが閲覧を希望している書物――禁書は魔道書の方である。
見ず知らずの他人の日記を盗み読む無粋な趣味など、クレア・ラングリーにはないのだ。
「相変わらず広いな」
「一説によると図書室はアルカミア魔法学校の敷地面積、その十倍の広さを誇るらしい」
「それはいくら何でも広すぎるだろ」
空間魔法が施された図書室は広大であり、一度迷ってしまったら自力での脱出は困難となる。
ゆえに本棚の側面や床などには、緊急脱出用の魔法陣が刻み込まれている。発動させると入口の床に刻まれた魔法陣まで強制転移させられる。
もちろん、迷っていなくても生徒たちは皆重宝している。
「魔法薬に関する禁書庫は、うむ。こっちだ」
さすがクレア。
この広すぎる図書室を無闇矢鱈に動き回るのではなく、あらかじめお目当ての禁書の在処を調べていたらしい。
「禁書庫って幾つもあるのか。はじめて知ったよ」
「元々は一つだけだったらしいのだが、大昔に禁書を盗みに入った輩がいたらしい。その際、禁書を一箇所に集めて置くことはリスクがあるとし、リスク分散から今のように各ジャンルごとに禁書庫が設けられたのだ」
「本当にクレアは博識だな」
「いや、すべて同居人の受け売りだ」
「同居人?」
「ああ、彼女はとても聡明だ。私の知識のほとんどは彼女から教わったものばかりだ。何分、私はアルカミア魔法学校へ来るまで本当に世間知らずの無知だったからな」
クレアが無知?
正直意外だったけれど、クレアは今の自分があるのは同室者のおかげだと誇らしそうに口にする。少し変わり者だが、いつか俺にも紹介してくれると約束してくれた。
俺はそれまでに何としてもこの顔の呪いを解きたい。
もしもクレアの友人からこの顔のことを揶揄されたなら、考えただけでお腹が重たくなる。胃袋に鉄塊を詰められてしまったかのようだ。
それになにより、クレアにも不快な思いをさせてしまうことになる。友人としてそんなのは絶対に嫌だ。
「どうやらこの階段を下りた先のようだな」
見るからに禍々しい黒い鎖で封鎖された薄暗い通路の奥に階段が見える。その先に俺たちのお目当ての魔法薬に関する禁書庫があるようだ。
「光で照らせ――光玉」
俺は手のひらを突き出して小さな光を生み出し、足下を照らしながら階段を下りていく。
「見た感じは普通の本棚が立ち並んでいるだけに見えるけど」
「うむ。しかし、ここにある一冊一冊は禁書に指定されるほど危険なものだ」
「そんなにか?」
「眠れる壁のジョニーを壁にした呪いも、今では禁忌魔法に指定されている。だがしかし、その魔法も禁書にはしっかりと記されている。そう聞いても、リオニスは同じように危険ではないと思えるか?」
俺は先程の奇奇怪怪な壁老人を思い出し、生唾を飲み込んだ。矢継ぎ早に否定するように首を横に振る。
「ここにはその呪いさえも解くことが可能な魔法薬、その作り方が記されている禁書が置かれているかもしれないのだ」
「では俺の呪いも!?」
「うむ。もはやここ以外には思いつかん。リオニスはそちらの棚から頼む。私はこちらの棚からチェックしていくことにする」
「わかった!」
俄然やる気が出てきた。
俺たちは手分けして呪い解除に関する禁書を探し出し、その項目だけに素早く目を通していく。丁寧に読み込んでいる時間も余裕も俺たちにはない。いつ見回りの教師が図書室にやって来るかわからないのだ。
「性転換薬に闇人格形成首輪? 誰が欲しいのだこんなもの。月の飴、もはや意味さえわからん」
「あらあら、まぁまぁまぁ。随分と難しそうな本を読んでいますのね。うふふ」
「読みたくて読んでいるわけではないのだがな―――え?」
言った刹那――俺は息ができないなくなるほど驚愕する。座り込んで書物を読みふけっていた俺の傍らに、見知らぬ女子生徒が佇んでいたのだ。
女子生徒は膝に手をつき、闇のように長く黒い髪を耳に引っ掛けながら、俺の手のなかの書物に視線を落としていた。
誰だ……こいつ。
女子生徒が言葉を発するまで、俺はその存在に気付くことさえできなかった。
これほど至近距離に、真横に彼女が居たというのに、このラスボスが気付けなかった。
「――――っ!?」
反射的にその場から飛び退いた俺は、禁書を小脇に抱えたまま女子生徒から距離を取る。次いで流れるような動きで逆サイドの棚で書物を読みふけるクレアに視線を向けて―――
「クレア!?」
叫んでいた。
視界のなかに映り込んだ彼女は眠るようにその場に倒れていたのだ。
俺はゆっくり女子生徒へと向かい直る。
目が合うと黒い髪の女子生徒は、穏やかな微笑みを作った。
うふふ。
不気味な笑い声がさざなみのように夜の空気を揺らした。