食べたもの
「お待ちしておりました」
出迎えてくれたのは、これといって特徴という特徴のない、ごく普通の男性だった。
年齢は30代程だろうか、バスから降りた私を見た男は、にっこりと微笑んで挨拶を交わしてくる。
「本日は取材に応じていただき、ありがとうございます」
「ははは、そんなかしこまらなくてもいいですよ。ささ、こちらです」
挨拶もそこそこに、男は早速と言った様子で私を手招きし、道路脇の坂を降り始める。
「ちなみに、街のことはどれほどご存知で?」
男は私に尋ねる。
「いえ、ほとんど……街のことを知ったのも、つい先日のことですから」
答えると、男は「それなら、きっと驚きますよ」と、和やかな笑みを張り付けたまま言う。
過去に、お化けが出ると噂の洞窟の取材を行なったが、そういうスピリチュアルな物を一切信じない私からすれば、あんな物はただの暗い場所に過ぎなかった。
どうせ今回の街の取材も、光景ではないだろう。そう踏んでいた私の度肝を抜いたのは、その直後のことであった。
「コケコッコォオオオオオオオオッ!!」
坂を降り、街の中に入ろうと言う時、私の目の前に現れたのは珍妙という言葉さえも控えめな姿の女性であった。
その女性は両手をバタつかせ、「コケコケ」と奇声を上げ、天を仰いで叫んでいた。
「なんです?あれは」
思わず言葉を失いかけたが、透かさず尋ねる。
「あちらは、商店街で精肉店を経営している山城さんという方ですね」
「そうではなくて」
「えぇ、分かっていますよ。あちらの方は、鶏肉ばかり食べていたので、鶏になってしまったんです」
男は、さも当然のように解説してくれるが、私の頭にはクエスチョンマークが増えるだけだった。
「鶏を食べていたから、鶏になってしまった?全く意味が分かりませんよ」
「疑問に思うのも当然でしょう。では、次はあちらをご覧ください」
手の差し伸べられた方を向くと、そこにあったのは『豚兵衛』と看板に書かれたトンカツ弁当の店であった。
「ブヒブヒ……フゴッフゴッ、ブヒィィィ!」
その屋台に立つ男は、激しく鼻を鳴らし、まるで豚のような声で唸っていた。
「あちらの方も同様ですね。トンカツばかり食べていたので、豚になってしまったのです」
「そんなバカな……」
解説とは従来、誰にでも伝わるように理由や意味を説明する行為だが、この男の解説はまるで意味が分からない。
「クチュクチュクチュ……」
「うわっ!?」
だが、疑問符を浮かべる暇もなく白目を剥いた女が目の前に現れる。
女は己の指先を執拗なまでに舐め回していた。
「こちらは……私の妻です」
「なんですって?」
「妻は昆虫食マニアだったので、虫のようになってしまいました」
指先が綺麗になったのを確認すると、手首から肘にかけて、舌を這わせる。
「人間の頃の記憶があるのか、こうして私の前によく現るんですよ」
男は淡々とした様子で、女の頭を撫でる。
女はぐりんと首を回し、まるで表情のこもらない顔をこちらに向け、やがてすごすごと立ち去っていった。
「どうしてこの街は、こんなおかしなことになってしまったんですか?」
誰もが思うであろう疑問を口にするが、男は苦笑し、
「私はそうは思いませんね」
「どういうことです?」
「むしろ、こうなったのは当然の現象といえるでしょう、ということです」
おかしい。質問をすればするほど、疑問が増えていく奇妙な感覚だ。
「我々は結局のところ、食べたものでできています。であるならば、豚肉ばかり食べてきた人の体は、豚でてきています。つまり、それは人の形をした豚なのではないでしょうか」
「は、はぁ……」
「要するに、鶏になった女の人も、豚になったトンカツ屋も、あるべき姿になったと考えるべきなのです。むしろ、これまでが歪であったのでは?と私は考えていますよ」
自分の妻が虫になってしまったというのに、随分と冷静な解釈をする男である。
「あれ、そういえば、あなたはどうして普通なんですか?」
この街の全ての住人が、食べたものになってしまったというならば、この男はどうして正常なのだろう。
男は「ああ」と思い出したように肩をすくめ、
「それは、あちらの路地裏でゆっくりお話ししましょう。さあ、こちらへ」
男は私の肩にゆっくりと手を回し、路地裏に向かって歩き始める。
「……じゅるり」
その時、男は一瞬だけ舌舐めずりをしたような気がしたが、特に何も思わなかった。