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(VRエンド)最後にやり残したことはなんですか?

作者: のほほん

いつの頃だっただろうか。煩わしくなったのは。

 考えること。

 相手のことを考えること。

 なにもかもが面倒くさくなった。

 だけど――終わらせるわけにいかない。

 そこには僕のやりたいことが待っているから――


 高校一年生。それが僕の今を表す言葉だ。受験が終わり、四月になり高校一年生になった。

 ぎゅっとネクタイを締める。

 行ってきます。

 そう言って俺は出かけた。

 坂を上り、校門をくぐる。そこは僕が行っている高校だ。まだ一年生だから全然慣れていないけどたぶん、三年もしたらこの雰囲気にも慣れるだろう。

 僕は桜が舞い散る校庭を進んでいく。と、後ろから綺麗な女の子が通って行った。一瞬しか見えなかったけど、サラリとしたキレイな金髪。それが僕の横を通って行った。声を掛けようかと思ったけど、止めておいた。そんなこと出来る僕ではないんだ。ちょっとだけ気落ちしながら進む。

 教室に入るともうグループが出来ていた。そこかしこで話している声が聞こえる。それらをすり抜け、窓際の席に座る。はあ……これから高校生だと思うと憂鬱だ……。

 この席からだと木が見える。大きな木だ。桜が舞い散り、キレイだ。僕もこんなにキレイになれたらなーなんて思う。ふと隣を見るとまだ来ていないようだった。これだけ教室は騒がしいのに。と、大きな女子が現れた。ドアのところに立っているんだけど、クラスのみんなはあまり気にしていないようだった。頭におだんごを二つつけてツインテール。見ようによってはかなり目立つはずなんだけど、彼女のことを注視する人はいなかった。

 しばらくして先生が来た。女の先生でちょっと背は高め。出席簿を持ち、教卓に立つとこちらを向いた。

「えー、みなさん、色々と目新しいことはあると思いますが、ご静かにお願いします。わたしはみなさんの担任になります、橋小路あかね(はしのこうじ あかね)と言います。よろしくね。では、この後のことを色々と説明していきますね」

 先生はそう言うと板書を始めた。

「まずクラス委員長を決めたいと思います。誰か立候補したい人はいますか」

 手を挙げる人はいなかった。

 先生は困った顔を作ったあと、

「では、先生が決めたいと思います。委員長は出席番号一番の上野君。よろしくね」

 先生はそう言って次々と決めていった。

 ホームルームが終わって。

「――君だよね?」

 呼びかけられた声に振り返ってみればそこにいたのはショートカットの女の子だった。ちょっとだけそばかすがあって、全体的にハツラツ感がある。その女の子は困り顔だった。

「もしかして――君ってさ、好きな子いる?」

 的を射なかった。全然、自分に刺さらなかったのだ。だから言っている意味がわからなかった。

「ねえ、聞いてる?」

 女の子は眉を寄せていたが、こっちが眉を寄せたいぐらいだった。

 心当りがない。これほどないと思うことはない。

 だから――

「いやいや、好きもなにも一年生になったばかりだし、そんな……言っている意味がわからないよ」

「へぇーそうなんだー。いや、いいんだ、じゃあね!」

 女の子は行ってしまった。

「なんだったんだ、一体……」

 一時限目が始まった。

 担当は担任の橋小路先生だ。国語の担当らしく、今、黒板で書いている。

「えー、教科書の6ページを読んでもらいたい。では、出席番号12の笹崎読んでみろ」

 呼ばれた人が立って教科書を読む。(ああ……退屈だ。眠いのもあるが、タイクツだ……)

 隣の木が桜を落とし、その様を見ていると幽雅な気分になる。(自分もこんな気分にさせる存在になりたいものだ)

 読み終わると席に座った。

「そうだ。これほど相手のことを考えるのは大事なんだ。おまえたちも相手のことをよく考えるように」

 時間が進み、昼休みの時間になった。

 隣の人はもう席にいない。 

 購買に行くために立ち上がった。

 購買は混雑をしていた。人がうじゃうじゃといる。買ってくる人はあまりいなかったのか、混んでいた。

「うわぁ、もっと早く来ればよかったな……」

 後悔をしている間にも購買戦争は続いている。

 誰がなにを取って幾らというのが聞こえてくるのだが、あまりに人が多すぎて進んでいるのかわからない。購入の声は聞こえるのだが、前に人がい過ぎなのだ。全然、進んでいる感じはしない。時計を見るとまだ昼休みになって五分しか経っていない。それでも我慢しているとやっと商品が見える場所に来た。

 見ると大きな箱の中に残っているのはクリームパンとメロンパンとそれから何のパンかわからないものだけだった。数はまだあるから買うことは出来るが、なんか出遅れた感というか、負け組感というか、ハンパなかった。テキトーにクリームパンとメロンパンを買い、購買を後にした。

 教室に戻るともう十五分が経過していた。急いで食べないと遊ぶ時間もなくなってしまう。持ってきていたペットボトルを出し、メロンパンをかじるとスマフォを取り出していじる。なにか新しいニュースがないかなーといじっていると気になるニュースを見つけた。タッチしてみるとそこに驚異的なことが書いてあった。

『あなたのクラスにいらない子はいませんか?』

 ドキリとした。思わずゴクリと喉を鳴らしてしまったぐらいだ。

 おそるおそるページをスクロールさせていくと、もっと衝撃的な文章に出会った。

『いらない子をこちらでお預かりすることが出来ます。つきましては下記を参照の上――』

 思わず画面を閉じてしまった。……なにを見てしまったんだ……。

 ゴクリと喉を鳴らし、ゆっくりとボタンを押し、画面を再開させた。そこにはやはりそう書かれている。

「いらない子? なんだよ、それ……。冗談だよな……?」

 パンをかじり、ジュースで飲み下す。ペットボトルのフタを閉めると画面に向き合うためにスマフォを正面に持ってきた。黒い背景に黄色い文字でそう書かれている。文面からすると丁寧に書かれていて大人な感じがした。だけど……

「これはヤバイ。なにがヤバイって内容がヤバイ」

 そっとスマフォを閉じた。

 午後の授業が始まり、生物の授業が始まった。先生の簡単な自己紹介があり、それから教科書の内容に入っていく。

 教科書の内容は簡単なものだった。生物の種類とか、色んな生き物、まあそういう少しは知ってそうなものばかりだった。

 単細胞生物の話になり、多細胞生物の話になる。そんな気持ち悪い生き物がいるなーとか思いながら聞いていた。

 そうこうしていると授業が終わった。

 やっと楽になる。そう思っていた。

 と、突然、いかつい奴がやってきた。

「おい、おまえ、細―だよな。ちょっとツラ貸せや」

 呼ばれるまま行くとそこは体育館裏だった。

「俺さあ、金ないんだ。金貸せや」

 はて。心当りがなかった。こんな奴に関わりがない。だから帰ろうとしたのだが、肩を掴まれてしまった。その勢いで尻餅をついた。逃げようにも逃げられない。尻餅をついたままではそれは難しい。そんなことを考えていると蹴りが来た。腹に衝撃がくる。ぐはっ。いてぇ……なんだこいつ……。うらめしい顔で見ていると顔に蹴りが来た。今度は顔の側面に衝撃がくる。そのまま寝っ転がった。頭の衝撃が抜けられず、そのままの状態で相手を見ると今度は腹を踏まれた。痛てぇ! なんだこの衝撃……。痛くてうずくまった。横っ腹を踏まれながら相手は言ってくる。

「あれ? だいじょうぶ? ちょっと軽くやっただけなんだけど。まあいいや。そのままの姿勢でいいから金出せ」

 俺のポケットを漁り、サイフがないことがわかるとツバを吐いて去っていった。

 あまりに痛くて直ぐに起き上がれなかった。なんとか肘をつき立ち上がると教室に戻った。

 自分の席に行こうとしたところで気づいた。なにかが散らばっている。なんか見たことあるものばかりだった。あれ……あれ……これ、俺のじゃん……。それらを拾い集めながら行くとそこにはバッグが落ちていた。ファスナーが開いていて捨てるように地面に置いてあった。俺は泣きながら自分のバッグの中に物を詰めていく。サイフはあったが札は抜かれていた。小銭は入っていたが、購買のときに買った残りのままで十二円しかなかった。ああ……。

 あと一か月、これでどう過ごせと? 俺は怒りに燃えた。アイツを殺す! あの野郎を殺してやる!

 俺は憤怒した。これはもうあれを使うしかない!

 俺はスマフォを取り出し、さっきのサイトを開いた。ページをスクロールしていき、申し込むボタンを押す。『誰を』の項目のところにさっきの奴の名前を入れようとしたのだが……

「誰……誰って、アイツだよ、アイツ! さっきのヤツ。え、ええっと……なまえ、名前なんだったっけ……」

 名前で悩んでいると後ろから声がした」

『下野白狼ですよ』

 フッと後ろを向いたが、そこには誰もいなかった。幻聴……?

 聞いた名前、そのままを入れる。そして送信。

「ふー。やれやれ、なんとかなったな」

 横を見るとそこには黒髪の女の子が立っていた。だらりとした長い髪を前に垂らしてどこかのホラー映画の登場人物のようだった。その女の子は長い髪の間から手を出してくる。それは手招きをしているように見えたが、実際にはただ手を出しているだけだった。

「こわっ!」

 あまりに怖かったので俺はそこから逃げ出した。

 次の日。

 俺は眠気とともに登校した。大きくあくびをすると自分の席に座る。隣では木が桜を落としている。

「ふぁああ。ダメだ……眠い」

 少し気になったことがあった。どうしても昨日の正体が知りたい。

 昨日のアレは一体なんだったのか。

 自分が見たのは夢なのか、それとも……。

 『下野白狼』

 確かにあれはそう言った。あれがいなかったら、あれは現実だったということになる。

 バッグに視線を落とす。

 その中にはスマフォがあった。怖くて持っていられなかったのだ。スマフォが揺れる。ビクリとしたが、画面を見てみると既知の人物からだった。

 それをスルーすると教室を見渡す。相も変わらずグループごとにくっちゃべっている。と、そこにあの顔がない。

「しもの……はくろう……」

 思わず言葉に出ていた。

 そんなはずはない。そうだ。だって、昨日いたじゃないか……。

 どこに?

 うちのクラスにいたか?

 思い出せない。そんなやついたっけ?

 先生が来た。

 まず始めにホームルーム。

 授業の支度をしつつ、見渡す。クラスメートは誰も気にしていないようだった。

「誰って……誰を?」

 先生は適当に終わらすと授業に入った。


 昼食後、俺は屋上にいた。風を感じながら歩く。

「誰だ……誰なんだ……いったい」

 誰かが引っかかる。頭の中に燃えカスのように残っているそれを。

 くそっ!

 くうを殴った。なにかやりきれなかったのだ。

 なにかがなにかが引っかかっている……だけどわからない!

 誰だ……あいつは!

 授業が始まっても授業に身が入らなかった。

 頭の中になにかが残っている。けど、……ふと思い立ってスマフォを見てみる。

 そこにはあの広告があった。

『あなたのクラスにいらない子はいませんか?』

 某掲示板の真ん中に表示されていた。

 なにか冷や汗のようなものが出た。

「あ……あ……」

 心臓を圧迫されるようなこの感覚……

 苦しい……くる……はぁ……はぁ……

 胸が痛い。

 まともに目を開けていられなくなってきた。

 そして俺は倒れた。


 暗い暗い中に俺はいる。暗闇の中に浮かんでいるようだった。

 誰かが俺を起こす。

 誰かが俺を呼ぶ。

『オマエのせいだ……オマエのせいだ……』

 呪いのようなその声が俺の体につきまとう。

 俺はそれで苦しまれているようだった。

 その”顔”が現れる。

 眼窩がんかにはそこにあるはずのものがない。

 黒い洞穴。

 それが俺を見ていた。目玉がないはずなのになぜか見られている気がした。

 恐怖。

 だが、恐怖よりも意味がわからない方が強い。

 この状況はなんなんだ? なぜ俺はこんなところにいる?

 夢?

 まあ夢だろう。だけど、この夢はなんだ!?

 なぜこんな夢が俺に?

 ハッとした。飛び起きたら汗だくだった。

 そこは保健室のベッドの上だった。カーテンが少し開いており、そこからは保健の先生が見えた。

 保健の先生は俺が起きたことに気づくと立ち上がり、こちらに向かって来た。

「起きたかな?」

「え……あ、はい……」

「まだ起きてないのかー、そうかー。保健の先生は残念だなー。わたしはとても残念だよ。起きていればわたし特製の眠気覚ましジュースをあげるのにー」

 保健の先生は、にかっと笑った。

 どうもこのちょっと間の抜けた女性の先生が保健の先生らしい。(ちょっとかわいい)

「まあさすがに起きたでしょ。ほら、君の目がわたしの方を向いている」

 少しだけ照れてしまった。(ぶっちゃけハズイ)

「はいはい。起きたならそこに記入してさっさと出て行ってー。保健の先生は君に構っていられるほど暇じゃないのだ」

 わははーと笑うと俺を送り出した。

 五限はまだ終わっていなかった。

 あと十五分もするともう授業は終わる。

 こっそりと中に入ると自分の席に座った。

 それにしてもさっきのはなんだったんだ? なんの夢なんだ?

 恐怖だ。だが……

 考えていると鐘が鳴った。

 あと1時間で学校が終わる。

 そう考えると気が抜けてしまったのか俺の体はまた寝入ってしまった。

 気づくと放課後だった。夕陽が教室内に差し込んでいる。

「あれ……寝てしまったのか」

 起きると誰もいなかった。

 そう、教室内に誰もいなかったのだ。

 俺一人、教室に残されていた。

「え、いや……そんなはずはないだろ……だって、あんなにいたじゃないか……」

 誰一人いなかった。探そうにも一人もいない。椅子から立ち上がると教室内を歩いた。確かにそこは使っていた教室だった。黒板には消した後が残っている。

「え、いや……なんで」

 教室を出た。廊下はガランとしていた。そもそも人がいないような雰囲気だった。

「うそ……だろ……」

 隣のクラスにも誰もいない。そもそも人がいたのか怪しかった。並んでいる椅子と机は確かに人が使っているように見える。が、なぜだろう、雰囲気というか、なにかがここには人がいなかったような気にさせるのだ。

 さらに隣のクラスも見てみる。やはり同じだ。誰もいない。伽藍堂がらんどうのようになっている。

「はは……まさかな。みんな部活行っちゃったとか、帰ったとかだろ?」

 時計を見てみると四時だった。確かに帰ってしまったといったらその可能性が高いだろう。だが……。

 ぬぐい切れない違和感があった。

 俺は慌てて校舎内を走りまわった。どこのクラスにも人はいなかった。

「うそ……だろ」

 信じられないことに全クラス、人がいなかった。ためしに職員室にも行ったが先生もいなかった。

「え、いや、うそだ……うそだ!! 誰もいないなんておかしいじゃないか!! この世界は狂っている!! そうだ、俺が――」

 ハッとした。

 気づいたらまだ五限が始まって少ししか経っていなかった。

 クラスメイトを見てみると、みんなふつーだった。ふつうに授業に集中している。

「おかしい……」

 俺はぽつりと呟いていた。

『いかがでしたか』

 声が聞こえた。声がした方を振り向いてみるとそこには誰もいなかった。確かに後ろから声がしたはずなのだが……。

『ムダです。わたしはこの世界の精ですから』

 一気に振り向いた。やはりそこにはいない。

『ムダですって。わたしはこの世界の意識のようなものですから。あなたが振り向いた程度では現れませんよ』

 勘違い……? 俺が……? この俺が?

『自分が見たものをあなたは信じないのね』

「信じたものって言われたって……」

 見た光景――

 誰もいない教室、誰もいない廊下、誰もいない――学校

 現実?

 信じられるわけがない。あれが現実!? それとも……

『別に信じなくてもいいわよ。人間にそんなのを求めていないわ。それより――本当にいいの? 別にあなたが望んでいるものをするわけじゃないけど、わたしは――』

 先生が俺のところに来た。

「細――、おまえいい度胸だな。オレの授業を聞かないとは」

 先生は顔に怒りマークを浮かべていた。

「え……、へ?」

 見るとクラスのみんなが俺の方を向いていた。

「おまえ、誰と喋っていたんだ? おまえの隣には誰もいないだろうが」

 ぷ、クスス……と、クラスのみんなが笑っている。

 え、おれ、一人……

 俺の後ろには誰もいなかった。


 おかしい。俺の頭が? それとも――

 俺は自室で苦悩していた。

 自分の家に帰ってきてからおかしかったのだ。俺の挙動? それとも言動? それら全てが。

 ベッドに座り、頭を抱えていた。

 昨日から俺の様子がおかしい? 昨日から……?

 昨日あったことと言えば、あの事件だ。あの――

 カツられた……思い出すだけでもムカついてくる……。あの野郎……あの…………ダレ?

 なんて名前だっけ……思い出せない。そもそも、そんなやついたか?

 ダメだ……頭が割れそ…………

 脳内が静止する間際――

 なにかがささやき笑った気がした。

 夢の中でなにかがうす気味悪く笑っている――

 たくさん……たくさん……いる……それらが俺を見て嘲笑っている――

 いったい、自分はなんなんだ!? なぜ、こんな……

『オマエが……オマエが悪い……オマエが……』

 なんなんだ……なんなんだよ、いったい!! なんで僕の夢の中に出てくるんだよッ!

『あなたが……それを望んだから……あなたが……それを望むから』

 俺が……僕が…………なんだってんだよッ!!

 俺は……いつも一人だった。生まれてこのかた、友達が出来たことがない。それどころか、仲の良い人を恨んだりしていた……

 俺が悪い……いつもそう思っていた。俺のせいで……俺のせいで……

 自分がダメな人のように思える。事実、そうなのかもしれない。だけど――

 自分はそんなにダメなんかじゃないかもしれない。

 俺は少なくともそう思う。

「俺は」

 光が差し込んだ。

 この世界が崩れていく。

『終わりだね』

 なにかがささやき笑った。


 起きると俺の目からは涙が出ていた。

「俺は――」

 なにかを思い出そうとし、思い出せない。

 いつの間にか朝になっていた。学校に行かなくてはならない。そう思った。

 学校に行くといつもの光景が広がっていた。

 グループごとに雑談をして談笑をする。そんな光景。

 唯一違和感があるとするならば、いなくなったはずの人のことを誰も話していないということだった。

「席につけー」

 先生が来てショートホームルームが始まる。

 先生でさえいなくなった人のことを話さない。

 違和感? そんなものか? なにかがおかしい。それしか思えなかった。

 授業が始まると俺は隣を見ることにした。木を見ていればそんな雑念に惑わされなくて済むからだ。もうそろそろ桜が散りそうだった。

 なんてことだ……桜が散るのか……。少しだけ哀愁を感じた。

 それに引き換え……なんなんだ、このクラスの連中は……なにも感じていない。なんなんだ……

 俺は……一体なにをしているんだ……本当にこんなことがやりたいのか?

 俺は――

 鐘が鳴った。

 いつの間にかそんな時間だったようだ。俺は考えるのを止めると席から離れることにした。

 なにかが……なにかがおかしい……なんだ、なんなんだこの違和感は……

 一人、廊下の隅で悩んでいた。

 視線の先にはわーわーきゃーきゃーしている生徒たちがいる。

 なぜおれはこんなに悩んでいるんだ?

 おかしい……なにかがおかしい。

 俺はとりあえず戻ることにした。

 教室は一変していた。

 様変わり? そんなレベルじゃない。教室そのものが変わっていた。

 人がいないどころじゃない。教室には大きい変な穴が開いていた。

 黒く渦巻いていた。

 その渦に誘われるように足が動いて僕はこの世界から消えた――


『ようこそ。異次元の世界へ』

 声がした。(声……?)

 そもそもここはどこだ……?

 自分が自分であり、自分でないような場所。(自分は……。)

 自分という存在が虚ろだった。

『君はこの世界に来たのは初めてかね?』

 誰だ……。

『わたしはこの世界の主だ。きみたちが言うところの”神”に等しい』

 神……? 神がなんのようだ?

『わたしは君に生きていて欲しいと願っているのだが、君はそうではないみたいだ。なぜ、そんなに自分を殺そうとする? そんなに世界が嫌か?』

『わたしはきみたちが過ごしやすいようにこの世界をデザインしているはずなんだが……そうなっていなかったら申しわけない。それはわたしのミスだ……』

『さて。そんな君に提案がある。もう一度生きてみないか。望むなら君の好きにしよう。いかがかな』

『了承するのもしないのも君の自由だが、一つだけ条件がある。それは”もし君が生まれ変わったら自分を殺そうとしないことだ”。それでどうだろうか。君が気に食わないならそれでもいいが……そうなると君の行き先は地獄になってしまうが。それでもいいなら選びたまえ』

 選択肢はなかった。(ない……?)

 俺に選択肢はないのか……?

 なら、選ぼうじゃないか。俺の選択は――

 光が生まれた。


 学校が始まる。そうだ、行かなきゃいけない。

 俺は高校二年生だ。

 今から学校に行かなきゃいけない。

 ネクタイを締め、学校に向かった。

 登校する生徒たちを見ながらおれはフフと笑う。今日から俺は高校二年生だ。クラスのメンバーが変わる。

 昇降口を出て、クラスへと向かう。その途中で黒髪の女の子とすれ違った。長髪のきれいな女の子だった。階段を上っていたから一つ上の学年の子かもしれない。

「なに」

 すれ違っただけなのに、声を掛けられてしまった。

 美人という人だろう。顔が整っていてスラリとしている。クラスにいたら男子人気ナンバーワンになるかもしれない。

 その美人が何の用だ?

「あなた、パンツ見たでしょ」

「いやいやいや! 見てないからッ! そんな一瞬で見えるワケないじゃないか!」

「じゃあ、時間があったなら見たって言うのね。このフケツ!!」

 回し蹴りを食らった。

 教室に入って自分の席に向かう。

「いてて……あのやろう、いきなり蹴りを食らわすんだから。おー、いてて……」

 顔面に蹴りを食らっていたのでほっぺたが痛い。

 また席は後ろの窓際だった。後ろを見ると一つだけ席がある。どうやら今回は最後部ではないようだ。

「あのやろう……今度あったらタダじゃおかねぇぞ……」

「わたしがなんだって?」

「ぎゃー! な、なんでおまえがここに……」

 なぜか俺の隣にはあの回し蹴りやろうがいた。しっかりと目くじらを立てている。

「はん! わたしがこのクラスにいちゃ悪いっていうのッ? わたしはこのクラスの真中花香まなか はなかよッ! 覚えておきなさいッ!」

 決めポーズなのか片足立ちになっている。スカートが太ももに引っかかってめくれているのだが、見えそうで……視線がそっちに行ってしまう。

「この変態男がウチのクラスのヤツなの!? 信じッられない!!」

 去っていく。

「おいおい、おまえ、真中ちゃんに何したんだよ……」

「うちのクラスのアイドルを……てめぇ……」

 周りの男子が言ってくる。

「なにも……むしろ、やったとしたら向こうのほうで……」

「真中ちゃんがおまえになにをしたってぇぇ!?」

「い、いや……蹴りを……」

「真中ちゃんの蹴りを食らったのかッ!? いいなー」

 周りの男子が「いいなー」と合唱をしている。

 このクラスだいじょうぶか?

 不安だ……。


 授業が終わると生徒たちが教室を出て行く。

 その流れに乗ろうとして足を止めた。

 誰かに見られている気がしたからだ。

 そちらを振り向くとそこにあの女がいた。黒髪でなぜか片足立ちで……そして俺を睨んでいる。

「そこの下僕。わたしの足元に来なさい」

 花香は悠然とした態度で片足を俺に差し出していた。

 そのままの姿勢ならパンツが丸見えになってしまうがそれはいいのか……?

「早く来なさいっ!」

 どうしようか躊躇しているとお呼びが来た。これは行かなければならない。(これは命令なのだ。仕方ないのだ……)

 ゆっくりと歩みを進めていくと差し出された足から蹴りが来た。顔面に見事にヒットする。

「なにすんだよッ!」

「バカじゃない? わたしがそんなパンツでも見させると思ったのッ? やっぱりフケツが考えそうなことね」

 花香はそう言うと足を収め、悠然とした態度で去っていく。と、教室を出るところで立ち止まった。

「ばーか」

 あっかんべーをするとそのまま出て行った。


 花香のことが気になっていた。

 確かにパンツを見せるとは言っていないけど……なんか気になる……

 女の子の態度が気になっていた。

 なんであんなに上から目線なんだ?

 昼休みが終わり、授業が始まった。が、授業も上の空だった。ずっと、ぼーっと外を見ている。

 ああ、桜ももう終わりか……。

 桜が落ち、葉も落ちそうだった。

 と、一つのことが思いついた。「あれか!」

 そう思ったら早く、トイレに行くと言うと教室を出て行った。

 昇降口のところで止まり、呟く。

「こうなったらアレをやるしかない」

 用意したのは簡単なヒモとプラスチック爆弾。プラスチック爆弾に導線を配し、それをヒモに繋げ、下駄箱の外に出す。これで遠隔操作が可能だ。

 ヒモを伸ばし、昇降口の外にまで伸ばしたら後は完了。これで爆破させることが出来る。俺は思いっきり爆破した。

 昇降口の爆破が完了したことを確認すると俺はそのまま学校を出て行った。

 翌日、

「ねえ、知ってる!? 昨日、爆弾騒ぎがあったんだって」

「知ってる、知っているー。なんか警察が来て大変だったんだって」

 学校に来る途中で女子がそんな会話をしていた。

 ほほん。流行っているなー。俺の話。

 ちょっとだけ鼻が高い気分になるとそのまま昇降口を潜り抜けた。

「えー、聞いていると思うが昨日、爆発騒ぎがあった」

 ショートホームルームで先生が教壇に立ち、開口一番に言った。

「警察が来てまだ現場検証をしているが、あまり気にしないように。あと、警察に聞かれてもあまり余計なことは言わないように。あー、あとあれだ。マスコミが来てうるさいが、余計なことは全く言わないように。うだうだ言われるのはゴメンだからな」

 先生はそう言うと授業に関することをあれこれ言うと授業に入っていった。

 授業はいたって普通だった。先生は特にあれ以上言うことはなかった。

「あれだけやったのにこの反応か……。これはちょっと予想外だな」

 俺は次の方策を練るためにとりあえず寝ることにした。

 ひと眠りしてわかったことがある。

 ダメだ。このままではダメだ。

 ただ寝ただけだった。

 しょうがないので起きて考える。

 あと少しで授業が終わる。このままでは非常にマズイ。

「かくなる上は……」

 あと残り五分。

 これまでに騒ぎを起こさないといけない。

 俺は決心するとスッと抜け出し、教室を出て行った。

 消火器を持つとおもむろに火災報知器を殴りつける。

 ビーッ! ビーッ!

 凄い音が鳴った。このままでは犯人にされてしまうのでその場から離れる。遠くから見ていると騒ぎを聞きつけた先生たちがやってきた。先生たちは火消しに躍起になっているようでこっちの方を見ていない。

「よし。これでいいぞ。これなら契約が果たせる」

 強く確信するとその”元”へと向かった。

 その”元”が俺の方を見ている。

「よくやってくれたみたいね」

「けっこう大変だったぜ? こんなことをするの。出来れば一生で一回ぐらいにして欲しいな」

「そう。その割に面白そうだけど?」

 女――花香――は笑っていた。

 俺の足元を見るように。

 そう。なにを隠そう、この花香に命令されて俺はこんな悪行をしたのだ。じゃないと、こんなことはやらない。

「で、どうだった? 楽しかった?」

「あんまり……」

「よかったじゃない。少しは憂さが晴らせたでしょ?」

「んなわけ、ねーよ」

「どうだか。この後もわたしの下僕として働いてね」

 この女との契約内容はこうだ。

 一、花香の命令の元、実行に移すこと

 一、このことは絶対に他言してはならない。

 一、他言した場合はその身体で賠償すること

 一、これ以外に関することは花香の監視の元、行うこと

 一、契約不履行の場合、死を持って償うこと

 以上が契約内容だ。

 冷静に考えてみよう。これはバカだ。

 俺がバカなんだからしょうがない。

 だけど、それ以上に魅力がある提案があった。

 契約内容に書かれてはいないが、『この契約をするならばいかなる違法、悪事を行ったとしてもその身は絶対に保証される』と言われた。つまり! 俺はなにをしてもあいつが守ってくれるということだ!!

 だから、たとえ俺が昇降口を爆破しても、火事騒ぎを起こしても俺は守られるということだ。

 と、確認のために相手の顔を見たのだが……

「そうそう、言い忘れてたわ。あなたをボヤ騒ぎの犯人として言っておいたから」

「は?」

「証拠の写真もあるから言い逃れは出来ないと思うけど。じゃ、またあしたー」

 俺は教室に一人、残された。


 さて。犯人にされた俺だ。

 どうなったかって?

 いや、別に警察の取り調べなんかないよ?

 なぜなら先生たちが不問にしてくれたからな。

 爆破事件に関しては俺の証拠がないので何も言われていない。

 だから俺はこうやって優雅に登校できるというわけだ。

 なのだが……

 なぜ俺はこんなに見られている?

 おかしい。実におかしい。

 校庭にいる時点で沢山の生徒に見られていた。

 別に俺の顔に落書きがされているわけではない(はず)。

 爆破された昇降口を通り、自分の教室に向かうとその視線は強くなった。

 まるで「おまえがやったんだろう」みたいな視線。

 教室に入り、黒板を見てその原因がわかった。

『細――、爆破事件の犯人。昨日のボヤ騒ぎもコイツ。』

 わざわざ俺の似顔絵つきでデカデカと黒板に書かれていた。

「俺が……犯人……?」

 後ろを振り返るとそこには嫌疑に満ちた目が。

 教室中を見ても同じように疑念に満ちた目しかなかった。

 たまらなくなった俺は教室を飛び出した。が、出たところで肩を掴まれた。

「どこに行くの?」

 花香だった。

「どこって……この状況で教室にいられるほうがおかしいだろっ!」

「ふーん。わたしとの約束破るんだ?」

「なっ! それは……」

「別に破ってもいいのよ? そのときあなたは死ぬだけだから」

 死ぬのは惜しい。仕方なく教室に入った。


 先生は教室に入ってくるなり黒板を見て言った。

「えー、昨日のことだが。犯人はそこにいる細――で間違いない。以後、気を付けるように」

 先生は連絡事項を言うと教室を後にした。

 今日は数学が一限目だった。あんまりわからないから苦手なのだが……。

 テキトーに教科書を開くと横を見る。木はそこに立っていた。残念ながら桜はもう落ちてしまったらしい。溜息を吐き、視線を教室にやる。

 先生がなにか黒板に書いているが、よくわからなかった。エックスがなんだって?

 そもそも連立方程式とかそこの辺がわからないのだ。なんだよ、エックス、ワイって。なにかの名称か?

 先生が最悪だった。よぼよぼのじーさんで言っていることが全然わからない。おまけに書いていることも意味不明と来たものだ。それじゃ勉強意欲もなくなるというものだ(始めからない)。

 など、不満に思っていると先生が近くにいた生徒を指した。

 指された生徒が黒板の前に行き、板書を始める。

 生徒がチョークを置くと先生は正解と言った。

 このままでは当たる恐れがある。

 そういうのは当たるもので俺が当たった。

 先生の話もろくに聞いていなかった俺は「わかりません」と言った。

 それでよかったのか、先生は違う生徒を当てることにした。

 授業が終わり、一段落ついているとあの女がやってきた。

「つまらなかったならわたしが命令すればよかった?」

 笑いながら言ってきた。

「そんなんで命令すんな。それより……ちょっと来い」

 クラスの目があるのであまり見られるわけにいかない。通りすがりに小さな声でささやくと俺はそこに向かった。

 少し経ってあいつがやってきた。

「わたしを呼び出すとは生意気ね。で、呼び出すということまでしてこのわたしに何の用? まさか違法や悪事が許されるからってこのわたしを襲うということはしないわよね? したら――」

「ちげぇよ! そんなことしねぇ。ただ……」

「ただなに? そんなに言えないことなのかしら?」

「いったいなにを考えている? 俺にこんなことをしてどうするつもりなんだ?」

「ふふ。そんなことわかりきっているじゃない。わたしが楽しいからよ。それ以外にはないわ」

「なんだと!」

「いきり立つのは構わないけど、わたしとの契約を忘れていないわよね? あなた、わたしに逆らったら『死』よ?」

「べつに死なんか怖くない。そうだ。だからおまえが言った爆破だってやってみせた。だから――」

 拳を強く握ると見せつけた。

「おまえになんか俺の人生は左右されない。ゼッてぇおまえの契約を打ち破ってみせる!」

「待っているわよ。そうなることを」

 花香が去り、チャイムが鳴った。

「さて。俺は次に動かないといけない」

 俺が向かった先は――


 次の日。

 学校が爆破された。

 そういった報道がテレビから流れていた。

 なんでも俺が行っている学校が爆破されたらしい。

「へぇー。こういうこともあるもんだな」

 コーヒーをすすり、カップを置くと学校へ行く準備をした。

 学校に行かなくても準備だけはしないといけないのだ。

 それは様々な理由による。

 一つは命令。

 あの女の命令だ。

『いいこと? 学校を爆破したら授業はないけど、来なさい』

 蠱惑的な笑みを思い出しながら俺は向かった。

 そこは大きな家だった。有り体に言えば豪邸。

 呼び出された場所は花香の家だった。まあそうなんじゃないかと思っていたが、ドンピシャだった。

 言われたように門を潜る。

 そこに現れたのがあのお嬢様。真中花香だった。

 今回は着飾っているらしい。ピンクのドレスに髪をウェーブにして。

 俺の方を見ていた。

「命令どおりに来たじゃない。優秀優秀。さすが下僕ね。さ、どうぞこちらへ」

 豪華な扉を潜るとそこにあったのはテレビでしか見ないであろう光景。長い廊下が一直線に向こうの先まで繋がっている。左側には二階に上がるための階段があるが、二階は一階を見下ろせるようになっていて、まあつまりここは吹き抜けになっている。なぜか目の前には噴水のようなものがあるが、意味が不明だ。

「下僕。早く来なさい」

 イラっとしたが、ここにいてもしょうがないので言う通りに移動した。


 豪華な部屋。

 まあそういう言い方しかないだろう。

 上にはシャンデリアがあって、周りには高そうな壺が並んでいる。食器棚のようなところには高そうな(?)お皿が入っている。

 ここをふつーの部屋と言っていいものだろうか……。

「まあそこに座ってよ」

「どこに?」

「そこよ、そこ。カーペットの上よ」

「高そうに見えるんだけど」

「だいじょうぶよ。ちょっと三百万ぐらいだから」

「たけーよ! そんなのに傷つけたら俺、払えねーからな!」

「だいじょうぶよ。そんなのはした金だから直ぐ払えるし」

「……そうか」

 土足でそのまま座ることにする。そーっと、そーっと……尻でなるべくつぶさないように……。

「さっさと座んなさい!」

 驚いて一気にドスンと座ってしまった。

「そんなのに驚いてたらここで生きていけないわよ?」

「俺……ここで生きていこうと思っていないし……」

「口答えするな! ここで喋っていいのはわたしだけよ」

「(さっきから俺、喋っている気が……)」

 色々と言いたいことはあったが止めておいた。

「で、俺を呼んでおいてどうするつもりだよ」

「あ! そうそう忘れていたわ。今日一日暇なの。わたしの相手をしなさい!」

「そう。俺に変な命令を……って、相手?」

「そう。今日わたし暇なの。パパとママがお出かけしちゃって退屈なの。だから相手をしなさい」

「……えと、色々とツッコミどころはあるが……なぜ相手?」

「だって……それはその……いいの! なんでもいいの! だから相手をしなさい! じゃないと本当に死を与えるわよ!」

「まあ俺も特に予定が無かったからいいけど」

「じゃあまずわたしの遊び相手ね」

 断れずにいると本当に遊び相手になってしまった。この後、なにが始まるのやら……。

 料理というのはこうやるのだろうか。

 花香と俺はキッチンにいた。

 花香が料理をするから味見をしてくれというのだ。まあそれならべつにいいかなとキッチンに向かえば……なぜかそこは惨憺たる有様だった。

 小麦粉は床に撒かれているし、調理器具だって床に転んでいる。なにかを作ろうとしたのかテーブルにはボウルが乗っているが、その中身はどこかへと行っている。電子レンジにはなにかを温めたのであろうが、焦げ付いた後というか、中でなにかが爆破した後が見える。

「これは……」

「あ……!」

 花香は見ないで! というと、俺をキッチンから追い出した。

 五分後。

 呼ばれて入ってみればそこはなにがあったのかあの汚いキッチンじゃなかった。テーブルにあったボウルはどこかへと行き、床にあった小麦粉は一粒も見つからない。調理器具だってもちろん床にない。

 完全にピカピカになっていた。

 なにが起きた……。

 一抹の不安というか怖さを覚えながら花香の方を見てみればドヤ顔で立っていた。

「どうしたの? なにか変なことでもあった?」

「……いや、なにもない」

「そう。じゃあわたしの料理を見てね(ハート)」

 本当に一抹の不安を覚えながら待つことにした。

 五分後。

 それは現実となった。

 いきなり電子レンジが爆破したのだ。

「ぎゃー!」

 花香が叫んだ。俺も叫びたかったが、それよりも火事にならないかが心配で一気に駆け付けた。見てみると中にあったのは無残に黒コゲになっている。(なにを温めていたんだ……)

 電子レンジの中から取り出すとテーブルの上に置き、分析をしようと思ったが、真っ黒過ぎてワケがわからなかったので捨てることにした。

「こんな……こんなはずじゃ……」

 驚きの顔で電子レンジの方を見ていた。

「こんなっていうけど、前も失敗したんだろ?」

「な! なぜそれを……!?」

「見てわからねーとしたら、そいつはよっぽどドンカンだな。おまえ、前に練習したんだろ?」

「そんなわけ――」

「さっきのを見てそう思わないやつはそうそういねーよ。で、なにが作りたかったんだ?」

「ケーキが食いたくなって……な。市販のケーキは飽きたから自分で作ろうと思ったんだ(見事に失敗したけどな」

「さっきの見ていたら危なっかしくてしょうがない。手伝おうか?」

「い、いや……そんなことをしたらわたしのプライドが……」

「だとしたらケーキは諦めな。あんなんじゃ一生かかってもできねーよ」

「おまえに命じる! わたしのケーキ作りを手伝え!!」

「どうしよっかなー」

「な!? 命令に背くだと!? だとしたら――」

「死ぬのは構わないけど、そのとき俺はおまえのケーキ作りを手伝えないけどそれでいいのか?」

「謀ったな!」

「自滅しただけだろ」

「わたしのを手伝え!」

「しょうがないなー」

「手伝ってくれる……のか?」

「このままここにいてもケーキは食えないしな。手伝ってやるよ」

 今日一番の笑顔を花香は見せた。

 クリームをボウルに入れ……ってなんか違うな……ま、いっか。

 クリームが沢山あるというのでとりあえず入れてみた。

 が、ボウルの中が白くなるだけで一向にそれらしい気配にならない。

「白……、変わらないな」

「ねえ、これ合ってる? なんか違わない?」

「(いや、俺も知らねーし)」

「なんか聞こえたんだけど?」

 小麦粉を入れる。混ぜていくとダマになった。

「これ、どう見ても違うよな」

「わたしもわからないんだからしょうがないでしょ」

 混ぜる。とにかく混ぜる。

 だが、ダマになるだけでなにも変わらない。

「さて。これで終わりだ」

「いやいやいや! なんか違くない!?」

 花香がなにか言うが気にせず次の作業に移る。出来たものをレンジの中に突っ込む!

 後はチンまで待つ。

 チンは鳴ったが、中は何かが固まったような小麦粉が気分的に固まったような変なものが出来た。

「食えるのか、これ?」

「わたしに聞かないでって言ったでしょ。わたしだって出来たことないのよ……」

「おまえ……ついに白状したな。作っていたって」

「さあ次の作業に移りましょうか」

「てめぇ! ムシしやがったな!」

「誰かさんの知ったかぶりよりマシでしょ」

「バレていたのか……俺が作ったことないことに……」

「あれを見ればどう考えてもそう思うでしょ」

「ならば話は早い。ケーキ作りを止めるべきだ」

「って、ええっ!? やめちゃうのっ?」

「このまま作っていても変なものしか生まれない。ならば違うものを作るべきだ」

「じゃあケーキはどうなるのよ。ケーキが食べたいのよ!」

「買ってくれば? そっちの方が安全だろ」

「それに否定はないわ。じゃなくて、じゃあなに作るのよ?」

「え? それは……」

「変なこと言い出したらタダじゃおかないわよ」

「目玉焼き……?」

「めだ……なに?」

「目玉焼きだよ。これなら簡単だろ」

「知らないわよ、そんなの。そんな料理食べたことないわ」

「うそだろ? 今日び小さい子だって知っているぞ!?」

「全部料理はシェフに任せているからわからないのよ。あと、料理の説明聞いてないし」

「……わかった。とにかく作ろう。ケーキのこと考えていたら腹が減ってきた。目玉焼きは俺がやるからケーキはおまえがどっかから買ってきてくれよ」

「変なもの作ったらタダじゃおかないわよっ!」

「それよりケーキ買ってこいよ」

 花香を締め出すと俺は卵を取り出し、フライパンの上に落とした。

 ケーキは確かに買ってきた。

 そう、目の前にある美味しそうなものがケーキである。

 が、どこで買ってきたのか豪華なものになっていた。

 なぜ上から金粉が撒かれている?

 チョコレートケーキなのはわかったが、なぜ名前が入っている?

 チョコ板でなく、金の板に名前が筆記体で書かれている。

 チョコレートケーキの外側にはちょっとお高そうなフルーツが色々と埋め込まれている。キウイ、イチゴ、メロンなど。

 まあチョコレートケーキなのだろう。メインはチョコレートケーキだからな。

「これ……食っていいのか?」

「わたしが先ね。じゃないとわたしが買ってきた意味がないから」

「勝手に食えよ。ただ……高そうってだけで」

「そう? ふつうよ? いつものくださいって言ったらこれが来たの」

「おまえが普段、どういうものを食べているかわかった……。あと、口のものが無くなってから喋ろうな」

「今はわたしだけなの。だからそういうのはいいの。あ、早く食べないと全部食べちゃうわよ」

 確かに今ワンホールの四分の一が減った。このまま行くと俺の分が……減るか?

 手を出そうとして動きが止まった。取ろうとしたはずのものが一瞬にして消え去ったのだ。

 見てみるとケーキは花香の手元にあった。フォークをザックリと刺して一瞬で消えた。

「消えた……!?」

「なにやってるの? ケーキはわたしの大好物なのよ。早くしないと本当になくなっちゃうわよ」

 また四分の一が消えた……って早くね!?

 慌ててフォークを刺し、自分の元に引き寄せ――

 刹那。

 ケーキの半分が消えた。

「な……!」

「なくなっちゃうよ?」

 口をモゴモゴとさせながら花香が言った。

 慌ててケーキを口の中に入れる――

 刹那。

 また半分が消えた。

「おま――」

「遅い」

「うわぁっ!」

 フォークからケーキが完全に消えた。

 結局、俺の口には一片もケーキが入らなかった……。

「ごちそうさま。やっぱりいい味しているわね」

「俺の……俺の……」

「なに女々しいこと言っているの? あなたにはそこの目玉焼き……だっけ? それがあるじゃない」

「食いたかった……」

 自分で言うのもなんだが、そこにある目玉焼きのような物体はたぶん食えない。料理をしたことがない男がやったんだ。まず間違いないだろう。

「ケーキはもう食えない……。さらに自分が作った目玉焼きのようなものを食べないといけない……最悪だ」

「なにウジウジ言っているかわからないけど、そこにあるんだから食べたら?」

 言われ、とりあえず口にする。

 ……ん?

 うまい?

「あれ……なんだろ……目から涙が出てくる……」

「そんなに美味しかったの? よかったじゃない。わたしはお腹いっぱいだから全部食べていいわよ」

 味はよくわからなかった……だけど、塩辛いのはわかった。


 VRシステムというのがある。

 VRつまり、ヴァーチャルリアリティということだ。

 VRシステムはVRというものを現実に埋め込む。

 仮想現実を現実の中に埋め込むのだ。

 つまり、現実を部分的に上書きすることになる。

 自分が気に食わない現実を書き換えたり、自分の都合のいいように書き換えたりすることが出来る。

 それがVRシステム。

 一般に浸透するようになったそのシステムは色んな場所で使われるようになった。

 医療の現場、教育の現場、一般家庭、政治の場所でも使われるようになった。

 みんなが都合のいいように現実を部分、部分で書き換えるので色々と不都合が起きるようになった。

 だから、国会でVRシステムを使える場所を制限する案が可決された。

 それから超局所的でしかVRシステムを使えないようになった。

 特に民間人レベルではひどいものである。約三センチ立方メートルの空間でしか作用出来ないようになった。だから、テストのときに勝手に変えようにも一、二問ぐらいしか答えを変えることが出来ない。

 これによって被害を最小限度に食い止めることに成功した。

 政府はその都度、その都度、VRシステムが違法に使われないか監視するようになった。

 VRシステムを作用させていい範囲というものがある。

 人に作用させてはいけない。犯罪に使ってはいけない。その他、人殺しに繋がるようなものやそれをすると社会に多大な迷惑になるようなものが禁止されている。

 もし、人に及ぼしたら?

 初めのうちに実験されて、それがあまりにも被害が大きいので絶対に使用してはいけないということになった。

 社会を変えるシステムである。

 自分の思うとおりに変えることが出来る。

 ある方面で使用されていると言われているが、それは公然の秘密となっている。

 もし、自分の生活している範囲で……大きな範囲で作用させたら?

 自分の思った通りの生活が出来るようになるのではないだろうか。

 それを現実に起こしている集団があった。

 政府には金を握らせ、黙認させる。

 そして莫大な金を使って研究をさせ、ついに完成させた。

 三センチなんていう小さい範囲ではなく、もっと広範囲に作用を及ぼすことの出来る力。

 ”世界を変えるアルティネイテッド・システム

 この世界を変える力は試しに使われたが、どれだけの作用を起こすことが出来たかはわかっていない。

 ただ、町が一つ滅んだのは確かである。

 それがその集団のせいかという噂はあるが、噂は噂の域に過ぎない。

 それが学校に作用すると?

 それが今回の核心である。

 被検体に選んだのは消えてもどうでもよさそうな高校一年生の少年。

 システムを作用させる前に被検体をドン底へ突き落すことにした。その方がこのシステムに興味を持ってもらえるからである。


 細一一ほそいち はじめは高校一年生だ。

 まだ高校生活に不安を持っている。

「どうしよう……。だいじょうぶかな……」

 胸に掛けていたお守りをぎゅっと握るとバッグを持ち出かけた。

 高校生活は思ったほど苦痛ではなかった。

 先生は優しいし、クラスメイトたちも俺にそこまで踏み込んでこない。

 このままでこんな生活なら続けていけるだろう。

 と思ったのが甘かった。

 突然呼び出されたのだ。

 同じクラスのやつからだった。

 呼び出されて俺は殴られ、蹴られた。

 そして金を奪われた。

 泣きたかった……。だが、それ以上に悲しかった。

 俺の学生生活が……。

 暗くなった俺の学生生活は沈んでいった。

 何に対してもやる気が起きない。

 完全に無気力状態だった。

 そして一年が過ぎた――

 高校二年になった。

 このままだと俺の学生生活は灰色で終わってしまうだろう。

 だからといって……

 変える術はなかった。

 ぐだぐだのまま過ぎていった。

 あるとき。

 不意に天啓が来た。

『俺の学生生活を変えればいい』

 だが、どうしようもない。

 その状態のまま三年を終えた。

 大学になって彼女が出来た。

 浮かれていたら金を奪われて終わった。

 復讐心が芽生えた。

 ずっと復讐心を抱いていたら全ての女子が嫌いになった。

 女子を見るたびムカついてしょうがなかった。

 そんな感じで大学を終えた。

 ふつうに就職し、ふつうに結婚し――

 そして俺は社長になった。

 そして業績を好くし、俺の会社は有名になった。

 50歳を超えて俺は死にそうになっていた。

 これだけ医療が発達した世の中なのに俺を救う術はないらしい。

 俺は呼吸器に繋がれながらベッドの上で横たわっていた。

「はぁ……はぁ……」

 あまりまともに会話が出来ない。

 俺の隣には主治医と看護師がいた。

 いつ死んでも対処が出来るようにいるらしい。

 そして俺の目を覆うようにしてゴーグルが付けられている。

 俺の目には今、学校生活が映っている。

 そう。今俺は高校生なのだ。


「起きた?」

 どうやら俺は寝ていたようだ。

 俺はソファから起き上がると辺りを見る。

 リビングのような部屋に俺はいた。周りにあるのは高そうなものだ。

「花香……俺は寝ていたのか?」

「ハァ? バカじゃないの? あなたがいきなり倒れたから……わたしがわざわざこの部屋まで運んであげたんじゃないのよッ!」

「そうか……。それはすまなかった」

「ふ、ふん! これに懲りたらわたしの言うことを聞くことねッ!」

「まあそれはいいんだが。ところで時間はだいじょうぶなのか? もう結構な時間だと思うんだが……」

 時計を見るともう五時を回っていた。

「だ、だいじょうぶよ。今日、パパとママは出かけていて帰ってこないから!」

「そ、そうか。なら、この家にいるのは俺たち二人きりなわけだな」

「ふ、ふたりッ!」

 花香は顔を赤くさせるとそのまま崩れ落ちた。


「起きたか?」

 花香をソファにまで運んだ俺は上から見下ろしていた。

 こう見るとまあまあ可愛い。あの言動がなければ。

「ん……って、うわぁぁあああ! なんであんたがいるのよッ!!」

「家に呼んだのはおまえだろうが。もしかして忘れたか?」

「へ? あ、ああ……そうだった……わね。ハハハ。忘れていたわ」

「起きたなら俺、帰るぞ?」

「え、ええぇええ! あ、それはその……えと……気になるってか……」

「は? よくわからないんだけど。なんで気になるの? なにが?」

「それはその……」

 もじもじとし始めた。

「もう夜遅くだろ。おまえにもおまえの都合があるんだろうし……」

「ま、待って!」

 夜、七時を回っていた。

 キッチンの方からはカレーの匂いがただよってくる。

 香ばしい匂いで、お腹がぐうと鳴った。

「もうそろそろできるわよ」

 言われ、そちらを振り向いてみればホカホカと湯気を立てた鍋を花香が運んでいる最中だった。

「危ないっ!」

 花香が持っていた鍋が宙を舞った。

 気づけば俺はダッシュをしていた。

 落ちそうになっている鍋をキャッチし、そのままの勢いで転がり込んだ。

 なんとか鍋を持っているようだ。手にその感触がある。

「ちょっと、どこ触っているのよ!」

「へ?」

 言われ、気づいてみれば花香は俺の上にいた。

 ちょっと、わからない。いったいどういう状況だ……?

 鍋の感触はあるのだが……

「ねえ、いつまでこの状態でいれば気が済む?」

「言っている意味がわからないんだが……。なぜ花香は俺の前にいるんだ?」

「あなたねえ、ちょっと! 自分がしたくてしているんじゃないの?」

「俺は今すぐどいて欲しいと思っているよ!」

 腕を動かす。

「だぁああ! どこ触っているのよ!!」

「ハァ? 言っている意味がわかンねえよ!」

 動かす。

「きゃ」

 可愛い悲鳴が聞こえた。

「ん?」

「ちょ、っと……」

 なんでちょっと甘い声なんだ?

「早く……動かして……よ」

 ……。意味がわからない。どういうことだ?

 いったい、俺はなにをしているんだ?

 もう一回動かす。

「あはっ」

 変な声が出た。

 動かす。

 ぷにぷに。

 ん? ぷにぷに?

 腕の間にみょーに柔らかいものが当たっている。……と、これはまさか……

「俺、もしかして花香の胸を挟んで鍋を持っているのか?」

「口に出さないでよ!」

 どうやら俺が持っている鍋の下に花香の胸があり、そこにちょうど俺の支えている腕が当たっているらしい。

 どんな状況だよ、コレ……。

「俺が動かすと花香は変な声を出す。俺が動かさないと花香はここから出ることが出来ない。ならどうする?」

 悩むこと四秒。結論は出た。

「花香、おまえは俺の頭の上を通って出てこい。そうすれば出られる」

「あなたを押しつぶして出ないといけないわけね。じゃあ行くわよ」

 花香が移動を始めた。柔らかい体が俺の表面を撫でて行く。初めて感じる女の子の体。その柔らかい感触が上へと移動していく。

 ずるずるずるずる、しゃくとりむしのように移動していく。俺を押しつぶし、上へ上へと這い上がろうとする。

 この感触はヒジョーにヤバイ。

 どれくらいヤバイかというとプールの時間に女子の水着姿を見なければいけないぐらいだ。

 失敗すると息子がスタンドアップするかもしれない。

 が、今それをするとフケツッ! と言われてバシンッと殴られるかもしれない(それはしょうがないかも)。

 早く移動してくれ……早く移動してくれ……。そう願うしかなかった。

 が、ここで考えてもみなかった問題が発生した。

 俺の目の前を花香のお尻が通る。

 この意味がわかるだろうか。

 お尻だぞ? お尻だぞ?(大事なことなので二回言いました) あのお尻が通るんだぞ?

 学校だと見ているだけで触ることなどできるはずもない、あのお尻が!!

 わかるか!? この凄さが?

 例えていうならそう――

 そんなことを考えているあいだにお尻が到着した。

 エマージェンシー、エマージェンシー、緊急事態発生。乗組員はただちに避難せよ。

 頭の中で警告音が鳴り響く。

 と、そこまで行ったところで、花香はするりと抜け、立ち上がった。

「へ?」

「さっさと起き上がったら?」

 俺はショックで鍋を取り落としてしまった。


 夜の九時になった。

 流石に帰らないといけない時間だ。

 だが、あれからなかなか離してくれなくて帰ることが出来ないでいる。

 玄関口まで行こうものなら全力で阻止しに来る。

「逃がさないわよ……あんなことされたんだから責任取りなさい……」

「顔が笑っていないよ……。俺、帰らないと」

「だから責任を取ってから行きなさいって言っているの」

「だーから、その責任ってなんだよ」

「責任って言えば、その……子作り?」

「だぁあああっ!! なんでそんなに頭が悪いかな! そんなことする必要ないだろ!? たかが胸触ったぐらいで、そんな責任の取り方あるかっ!」

 その一言が効いたのか、押し黙ってしまった。

 ちょっとだけ心配になり、顔を下から覗けばその目には涙が浮かんでいた。

「え……」

 流石にドン引きした。

 横を通り、出ようとするとガシッと腕を掴まれた。

「えと、花香さん?」

「うちの家系ではね……代々、初めて体を触った男に全てを許しなさいという決まりがあるの……だから、だから言ったのに、なに! その対応、わたしがバカみたいじゃない!! 決まりに従うのが悪いっていうの?」

「え、いや、その……悪いわけじゃなくてですね……」

「ハッキリ言え、このタコ! わたしの体を好きにするか、どっちなんだ!!?」

「は、はいっ!! えとですね……」

 やばい。これは答えたらいけないやつだ。

「答えは一つ。ハイかイイエかだ。どっちなんだ?」

 凄い顔で凄んでくる。その顔で恐怖を感じないかと言ったらウソだ。恐怖を感じまくりだし、なんならここから逃げたい。今すぐに!

「答えろ。三秒以内に答えないと学校でおまえに乱暴されたって言いふらすからな」

 三……二……

 カウントが始まった。

 答えないといけない。

 だが、頭が回答を拒否する。

 そうだ! こんなのに答えちゃいけないんだ!

 冷静になろう。俺。

 今の状況は?

 脅されている。

 よし。それがわかれば十分だ。

 これは脅しだ。脅迫だ。ならば、法律で訴えれば……

 待て! 相手は金持ちだ。金で事実を握り潰されるかもしれない。

 終わった……俺の人生終わったわ……

「さて答えてもらおうか。どっちだ?」

「なあ、俺思うんだけど――」

「ハイかイイエで答えろ」

「ハイ」

 言った瞬間、解放された。

 なんだろう何日ぶりに外に出たんだろう(家の中です)。そんな気分だ。

「帰ってよし。じゃあな。また学校で」

 そう言うと俺を帰した。


 次の日。

 俺は暗澹あんたんたる気分だった。

 このまま帰りたい……

 そんな気持ち。

 このまま学校に行けば殺される。誰に?

 言わずもがな同級生に。

 考えてみよう。あれが言いふらさないと思うか?

 答えはノーだ。

 あんなことをしていて言いふらさないわけがない。

 じゃなくても俺の昨日の行動を知っているやつがいて、花香の家に行ったと言いふらしているかもしれない。

 そうなると最悪だ。

 もう俺は学校にいられないかもしれない。

 おはよー。

 俺は教室のドアをくぐった。

 意外にも誰も俺のことを咎めてくる人はいなかった。

 誰も指摘してこない?

 ヤッター! 誰にもバレていないんだ!

 俺は浮かれた気持ちで自分の席に座った。

 本当になにもなかった。

「おはよー」

 声をかけられていたことに気づきもしなかった。

「おい、はじめ

 俺はやっと気づきそっちを向いた。クラスメイトの男子だった。

「昨日、おまえ、真中さんの家に行ったそうだな?」

 ギクリ。

 そんな音が聞こえたのではないかと思った。

「バッカだなー。俺がそんなことするわけないだろ? 勘違い、勘違い」

「ほう。そう言うか。これは確かな筋からの情報なんだがな。おまえも聞いたことがあるだろ? 片隅かたすみの話は」

「片隅って言ったら知るものはいないっていう、情報通だろ? なんでそいつが……は! まさか……」

「認めたな? みんなー! こいつが認めたぞ!!」

 その瞬間、一斉にこっちを向いた。みな、目がギラついている。獲物を前にした猛禽類のような目だ。さながら俺はネズミか……なら!

「逃げるが勝ちだ!!」

 みんなー、逃げたぞー!! 後ろから声が聞こえた。


 花香は高校二年生だった。

 自分では特に特徴が無いと思っている。

 だが、最近、好きなことが出来た。

 他人をいじめるのだ。

 それはなんと楽しいことか。

 一人では得られないことが他人を通して得られる。

 他人を使うのは最高だ。

 悦楽。享楽。なんと楽しいことか。

 他人を使うのがこんなに楽しいこととは。

 今日も今日とて楽しい、獲物探しをしていた。

 と、面白そうな子を発見した。

 自分を見る目が明らかにエロい。

 ニヤリ。これは使えるものになる。

 そう確信すると階段を上がっていった。

 自分から声をかけた。ハッキリ言ってやらせだ。相手がそうではないかもしれないのに、そうだとしてしまうのだ。

 本当に見ているかなんて関係ないのだ。

「あなた、パンツ見たでしょ」

 否定するのは予想通りの展開だ。男はみんなそう言うのだ、見ているのに見ていないと。

 残念なことに同じクラスだった。こんな子いたかしら?

 そう思ってしまうぐらいに影が薄い子だった。

 まあいい。自分の奴隷にしてしまえば。

 あとは契約を結ばせるだけ。楽しみだわ。


 契約を結んでいるものの、やはり不安だった。

 もし、誰かに言ったら?

 そんなことがつきまとう。

 いくら自分の背後に巨大な組織が控えていても怖いものは怖いのだ。

 だからこそ、自分に屈服させる必要がある。

 そのためならなんだってするのだ。

 たとえ苦手でも自分の家に招き入れたりする。

 可愛い子だって演じてみせる。

 ダメっ子? ドジっ子だったかしら。それだって演じてみせる。

 そうすれば自分のものになる!

 予想通り自分に従うようになってきた。

 ちょっと予想外だったこともあるけど……(まさか触られるなんて思ってもみなかったわ……)。

 だけど、ちょっとだけ嬉しかったりする。構ってくれたのは初めてだから……


 そうこうするうちに次の日の朝になった。

 スカートを穿き、ちょっとだけおめかしする。少しでも綺麗に見えるように。

 ファンデを塗ったら完成だった。

「よし」

 玄関のドアを開けた。

 学校では酷いことになっていた。

 どうやら細一君がわたしの家に来たのがバレたらしい。

 あちゃー。

 そんなつもりはなかったのに予想外ね……。まあいいわ。こうなったらやれるだけやるわ。

 細一君の机に近づこうとして気付く。

 あれ……まだ来ていない?

 あれだけのことがあったんだ、来づらいかもしれない。そうね……

 思案していたところに本人が到着した。

 クラスメイトたちは一気に静かになった。先ほどまであれだけ荒れていたのが嘘のように普段の状態になっている。

 細一君が机に近づいてくる。

 そこにゆっくりと後ろから近づく一人の男子。

 名前はそう……なんて言ったかしら。確かおちゃらけているので有名だったような気がするのだけど……まあいいわ。あの男子が何かをやらかそうとしているみたい。

 会話が始まった。なにを話しているかはわからないけど、何気ない会話のようだった。が、

 細一君が体をピクンとさせた。

「みんなー! こいつが認めたぞ!!」

 始まってしまった。これでは魔女狩りになってしまう。

 もっと有意義に使えると思ったのに。わたしの計画が破綻してしまう。

 細一は逃げ出した。


 これからどうするか。

 実はなにも考えていなかった。

 勢いで飛び出したのだ。ただ、逃げなければいけないということだけはわかった。あのままでは魔女狩り、つまり異端審問になっていた。そのままでいるとなにをされるかわからない。

 つい、勢いで学校を飛び出してしまう。と、トラックとすれ違った。あぶないあぶない、轢かれてしまうところだった。

 学校を飛び出したが、ゆっくりと学校の周囲に沿って動き出す。

 このままだとなにされるかわからない。

 先日のことを思い出す。

 爆破があった。

 だけど大丈夫だった。だからこそ怖い。

 消火器で火災報知器を殴っても大丈夫だった。

 この先、それ以上のことをしたら?

 考えるだけで鳥肌モノだった。

 もし、殺人を命令されたら……?

 考えるだけで身の毛がよだつ話だ。

 おっと、逃げていることを忘れていた。

 なんとか校舎の裏手に回った。

 さすがに学校を出たことは気づかれていないのか追手は来ていない。

 よっと。

 塀を登り、敷地内へと潜入する。

 よかった。誰もいない。校舎の裏手というだけあって人陰は見えない。

 そろりそろりと進んで行く。このまま学校の外へ逃亡してもよかったんだけどそれだと色々と問題が生じるからな。

 なるべく人目につかないように移動する。そろりと壁から頭を覗かせた。いない。それを確認するとまたそろりと進んで行く。

 と、先生を見かけた。しかも困ったことに体育教師だ。

 ヒゲを生やしたおっさんで見た目がゴツイ。三十代後半のおっさんって感じだ。

 その独身だろうって感じのおっさんはタンクトップ一枚でいた。

 なにをしているかわからないが、今は触れないに限る。

 そう考えると実行に移すべく、ちょうどタイミングよく開いていたドアへと移動を始めた。

 お、なんてタイミングだ。おっさんがこっちに向かってきたぞ!

 逃げ出そうにももうこのまま校舎内に入るしかない。俺はそのまま緑の敷物が敷かれている所を通った。

 間の悪いことにそこは守衛さんがいる場所だった。ちょうど来客を通す場所だったらしい。守衛さんがいないことを願いつつ中を見てみるが、守衛さんはいた。ただし、寝ているような寝ていないような状態だ。つまり、目を開けているのかわからいぐらいの状態だった。

 おい! それはどっちなんだ。ハッキリしてくれ!

 俺はヤキモキしながらそーっと目の前を通った。

 が、なにも言われなかった。そりゃそうだ。考えてみれば自分はここの生徒なのだ。不審者でもなんでもない。

 ほっと胸を撫で下ろし、進んで行く。

 外では体育の授業が始まっているようだった。

 さっき先公がいたのはなんだったんだろうか……?

 階段を上り、自分の教室を目指す。

 行かないわけにはいかない。いくら逃げ出しても逃げられないのだ。

 どうせわかること。あとは花香に説明してもらえば……お?

 件の人物が現れた。

 花香だ。

 なぜか両目を吊り上げている。怒っているのかわからないが、肩を怒らせている。

「花香……」

 とっさにその一言が出てしまった。

「来なさい」

 花香はそれだけ言うと俺を視聴覚室へと案内した。

 カーテンを通して光が差し込む。

 まだ朝だからかとりあえずお互いの顔が見えるくらいには明るい。

 明かりのスイッチを入れようか悩んでいると声をかけてきた。

「あなたはわたしのものよ、いい?」

 その声で俺の心臓が縮み上がった。

 そのドスが利いた低い声に。怖かったというより、本能的な恐怖なのだろうか。体が反応している。

「わかっているよ。そういう条件だっけな。で、花香は今の俺を匿ってどうするつもりなんだ? こんなことをしてもなにもいいことはないだろうに」

「あなたに言われなくてもそれぐらいわかっているわ。ただ、ちょっと……匿ってみたくなっただけよ! 勘違いしないでよね。別にあなたが好きだからじゃないんだからね!」

「それは安心した。こんなのに好きになられたらたまったもんじゃないからな」

「バカッ!」

 思いっきり殴られた。

 痛みに耐えながら花香の顔を見るとなぜかぷっくりと頬を膨らませていた。

 なんだ?

 これ以上死ぬのは嫌だったのでこれ以上聞かないことにする。ただそれはそれで……

 花香は可愛いと思う。

 パッと見で可愛いと思った。それは事実だ。間違いない。

 だが、蓋を開けてみればこれだ。

 ふつうなら逃げ出すだろう。しかも主従契約を結ばれているんだからな。

 ある一部の男だったら喜ぶかもしれないが、残念ながら俺はそうではない。俺にそんな趣味はない。

 沈黙が落ちた。

 二人の間に静けさがやってくる。

 先に口を開いたのは向こうだった。

「この先、どうするつもりよ。周りは敵ばかりよ? それでも行くつもり?」

「花香にはわからないかもしれないが、男にはやらなければいけないときがある。ただ、それだけだ」

「ふぅん。男ってめんどいのね」

「それはお互い様だろう。こんな契約を結ばなければこんなことにならなかったんだからな」

「あらそう。いちおう、ごめんなさいは言っておくわ。けど、わたしのせいじゃないからね」

「(めんどいやつ)」

「聞こえているわよ」

 小さく言ったはずなのに聞こえていたらしい。

 二人の距離は少々離れている。ちょっと呟いただけでは聞こえないはずだが。

「まあいいわ。勝手に行ってらっしゃい」

 俺は意を決すると扉を開けた。


 視聴覚室を出た俺は教室に戻るため、階段を上がっていた。

 そうは言ってもやはり戻りたいのである。

 いくら花香に言われてもそれはそれ。学生としての本分を全うしたいのである。

 上がり、教室を眺めてみれば音はしない。

 教室に近づき、聞き耳を立ててみれば話し声は聞こえない。

 おかしい。

 いくらなんでもなにも音がしないのはおかしいだろう。

 思い、こっそりとドアを開ける。

 覗いてみればふつうに授業をしていた。

 は?

 俺の中に浮かんだのは疑問だ。

 なぜ今、音がしなかった?

 疑問を抱いたまま自席へと向かう。

 隣のやつは気づかなかった。

 あれ……?

 おかしいと思ったまま自分の席に座ると。

「死ねぇいい!

 周りからシャーペンが飛んできた。それを一気に避け――

 つまづいた。

 横転し前へと転がる。

 転んだ先に待っていたのはクラスメイトからの侮蔑の言葉だった。

「死ね」「おまえはクズだ」「真中さんとなんてありえない」「おまえが真中さんと付き合うなら俺なんて結婚レベルまでいっている」「この世のクズ」「ゴミ」「地球のゴミ」「燃えカス」「おまえのかーちゃん、でべそ」「童貞」「ふにゃチン」「どうせ騙して付き合えたんだろ」「フケツ」「汚らわしくて同じクラスにいられない」「とりあえず死んで」

 色々と言われのない中傷を受けた。

 クラスが結託しているのはわかった。

 が、なんだ? 今は授業中だぞ。なんで先生は止めないんだ?

 先生は見てみぬふりをしていた。

 ふつうに黒板にチョークで書いている。

 だが、チョーク特有のカッカッという音もなるべく小さくなるようにしている。

 ああそうか。そんなクラスだったか。

 ”俺”の高校二年生時代を思い出す。

 そんなだったか?

 あまり覚えていない。

 確かにこれは俺の記憶を元に作成されている。

 だけど、こんなだっけか?

 あまりにも記憶にない。


 病院から呼び出しがあった。

 五十四歳になった俺は娘、妻を置いて病院に向かう。

 そこで告げられたのはガンだった。

 いや、それはもはや手遅れであと一か月で死ぬという。

 全身ガン。

 あまりにもその無情な宣告は俺を震えあがらせた。

 あと少しで死ぬ。そのことが俺を苦しめた。

 縄のようにじわじわと苦しめる。見えない恐怖。あと少しで死ぬという現実。

 簡単には受け入れることが出来なかった。

 妻にも相談しようとした。

 だが、妻とは別居状態にあった。連絡も長い間取っていない。

 娘だって……

 自分で抱えることにした。

 それから俺は一人で入院する。

 入院してからの俺はどうやって死ぬか考えるばかりだった。

 やり残したことはあるのか。治療費は。それから家族に連絡を入れるのか。

 どれもこれも俺を苦しめた。

 まさかこんな状態なってまで苦しむとは思わなかった。そんな世間の煩わしさが嫌だった。

 死ぬならもっと楽に死にたいと思った。

 だが、そんなことはしなかった。なぜだろう。思ってみても自分ではわからない。自分のことなのに。

 死まであと一週間になった。

 どうせ死ぬならもうこのまま死にたいと思った。

 特にやり残したことはないし……

 と、思い当たった。

 人間、死に直面したら色々なことが思い浮かぶものだ。ちょっと前まではどうやって死ぬかとか考えていたのに実際にそのときになったらこれだ。俺も弱いものだな。

 思いついたら直ぐ実行の俺だ。だからそうやって会社も大きくしてきた。だから今回も。

 死まであと一週間しかない。それでもやってもらうしかなかった。

 あと残り一日となった今日。それはやってきた。

 VRシステム。

 仮想現実。ここではない空間を用い、現実を投影することで現実を疑似体験できるというもの。

 俺はそれを装着すると仮想現実への世界へと入っていった。

 初めに見たのは自分の体だ。

 若々しい高校一年生のときの体だ。

 色々と眺めてみても素晴らしい。

 本当に自分の体と見間違うくらいの。

 俺はテキトーにその辺にあった牛乳を取ると喉に流し込んだ。

 うん。飲める。ちゃんと味もするぞ!

 俺はひとしきり興奮をした後、牛乳パックを置いた。

 見てみればそこは自分が過去に過ごした部屋だった。

 いつだっけ……高校一年生? よく覚えていないな。もう少し前だった気がするんだけど……

 まあそれは俺の伝えミスか、記憶の入力ミスだろう。いちおう、俺の記憶を忠実に再現しているはずだからな。

 ダイブの制限時間は二十四時間。それまでに俺は目的を遂行しなければならない。

 どうなるか……。

 実時間とここでの時間の差はあまりわからない。

 まあ一日が同じだったら寝ただけで死ぬんだけど(苦笑)

 とりあえず学校に向かった。

 学校ってこんな感じだったっけ?

 なんか違う気がするんだけど……(おかしいな……

「おはよー」

 声をかけてみた。

 クラスではそんなに浮いていないはず。

 周りは色々と喋っていて俺のことを見ている人はいない。まあしょうがないか。

 そう思いながら席についた。

 時間がない。気持ちが逸る。

 ホームルームが始まった。先生の自己紹介が終わり、そのまま授業へと移行する。


 高校二年生になった。

 一年前の記憶がないけど、そこは置いておこう。

 俺はテキトーに朝食を済ませると学校へと向かった。

 

 ホームルームが終わり……

 なんか違和感がある。なんだこの違和感は……

 周りを見ると俺を見る目がおかしい。なんだこれは……

 呼び出された。

 どうやら真中花香という人と俺の関係が疑われているらしい。(そんな人と関係を持った覚えはないが……

 俺は否定するとその場を去る。

 なんか嫌な予感がする。このまま変なことになるような……


 授業が終わり、教室から出ようとすると呼び止められた。

 そこにいたのは真中花香だった。

 足を組み、机の上に座っていた。

 そのままの姿勢で進んで行く。

 そのままの恰好でいるとパンツが見えてしまうかもしれないんだけど、それでいいのか?

 そんなのは関係ないらしい。

 呼び出しのまま俺は歩みを進めていく。パンツは見たい。けど、それでいいのか? 俺の中の葛藤は続く。

 着いてしまった。パンツは見たい。だが……! そんなのは関係なしに一撃がきた。顔が痛い。

 にやりと笑っている。

 この女は……! 殴ってやろうかと思ったけどやめておいた。そんなことをしたら俺はこの学校にいられなくなるからだ。しばし考え、やっぱり止めることにする。だが……

 そんなこととは別に別の違和感があった。

 俺の人生は終わる。


 39日経過した後。

 俺の体調は悪くなっていた。

 ガンを宣告された後、なんとか生き延びていたのだ。

 体調はよくなった。それは医者も認めることだった。だが、日に日に体調が悪くなっていっていることはわかっていた。

 検査の日。

 俺は調べられた。その結果、わかったのは死は間違いなく決まっているということだった。だが、それがいつなのかはわからない。それは間違いない。それが医者が言っていることだった。医者の方でも混乱していた。

 こんな事例は見たことがないようだ。

 39日を経過してから日に日に悪くなっていった。それは自分の体調を見ても明らかだった。いくらベッドに縛り付けられているからといって自分の動きぐらい自分で見ることが出来る。その結果、得られたのがその結論だった。

「けど……」

 不可解なことがあった。

「自分はおかしい」

「だいじょうぶですよ」

「そんなことないですよ。自分で体調はわかっていますし、このままだと死ぬこともわかっています。だけど……」

 看護師さんはそこで去った。看護師さんからはいい香りがした。その香りを嗅いでいると色々と学校のことを思い出した。匂いか……

 学校ではいい思い出がない。

 入学してそうそう殴られたことぐらいか……。そう考えると嫌な思い出だな。だけど、少しはいい思い出が……。

 一年生のとき。女の子と出会った。

 名前は確か……。

「わたしは葛城ほのかです」

 名前を聞いたけど、忘れていた。

 どんな女の子だったっけ?

 赤い髪で……それでいていい匂いがして……。あとは……。記憶がない……。憶えていないだけなのか……?

 自分が初めてあったのは確か……あれは教室をくぐって入ったところで出会ったような……。

 ――教室をくぐり抜けて会ったのは赤い髪の女の子だった。ツインテールにしたその髪は一層目立っていた。別段ツインテールが好きではない俺でも惹かれるぐらいに。その子が俺に言った言葉がそれだった。

「好きな子いる?」

 いきなり声をかけられてそれだったもんで俺は慌ててしまった。

「いや、いきなり言われても……。まだ一年生になったばかりだし……」

「ふぅん……そうなんだ。わかった、じゃね!」

 女の子は行ってしまった。女の子の名前は確か……葛城ほのかと言ったか。ほのかちゃんか……いい名前だな。おっといけない授業が始まってしまう。俺は机から教科書とノートを取り出すと次の時間の準備をした。

 それからというもの、一年間、誰からも声を掛けてこなかった。

 俺は孤独になってしまったのだ。原因はわかりきっている。教室内におけるイジメだ。俺から手を出したのが悪いのか、クラスではそういう認識になっている。

 イジメが終わった頃。

 それはもう二年生になっていた。春を迎え、陽気に登校すると待っていたのはクラス替えだった。

 喜んだのも無理はない。これでイジメから解放されるのだから。

 意気揚々と新しいクラスへと向かうとそこで待っていたのは陰湿なイジメだった。おかしい。どこでそうなった、終わったはずじゃなかったのか。

「なあ……」

 クラスの人へ声を掛けると、みんな無視をした。

 おかしい。どうしてそうなった。俺は悪いことはしていない。だったらなぜ……。原因はわかりきっている。イジメの元があるのだ。だったらそれを叩くしかない。

 俺はスマフォを取り出すとクラスのサイトに繋げた。

 そこで行われているのは闇の会話だ。誰々が誰々を嫌いだとか、誰々が誰々を好きだとか。場合によっては本名まで書かれている。

 そして叩くのはその名前が出てきた対象。

 なんのことでもいい。叩くきっかけが出来ればいいのだ。

 それが浮気だとか二股だとか頭がいいとかなにか目立つものがあればいいのだ。

 そう、名前が出ればいい。

 俺の名前もそこのサイトに書かれれていた。

 いわく、なんかムカつく、だそうだ。腹が立ったのは間違いないがそれ以上に誰が書いたのか気になった。

 スクロールして過去ログを漁る。と、一人の人物が出てきた。

 結城あさみ、隣のクラスの人物だったように思う。

 確かショートカットで可愛いめの子だ。

 よく覚えているのは生徒会の活動をしていたからだと思う。

 なぜそんな子が?

 気になることは多いが、今はそんなときではない。このクラスでの状況をどうにかしなくては。

 パッと見で、俺のことを敵視しているのは4割くらい。そのうちの3割ぐらいが俺に対して無関心。残りの1割が本当に敵視している。残りの6割は俺たちになるべく関わらないようにしている風を装っている人たちだ。

 関わり合いになるとなにが起こるかわからない。

 もしかして自分も巻き込まれてしまうかもしれない。

 だからこそ関わろうとしないのだろう。

奥菜おきな君」

 関わらないようにしている6割のうちのさらに少数派、1%ぐらい、まあ一人って意味なんだけど、その人物(一年生のときに確か仲良くしていた人)に声をかけた。

 困ったことにやっぱり無視された。声をかけられたのはわかっているらしいが、なるべく応答しないようにしている、そんな感じだ。

 さて困った。これでは本当に孤立無援だ。

 一から学生生活を作るというのも、うーん。悩んでいると先生がやってきた。

「爆破事件があった。みんな、知っているか?」

 クラスの生徒たちがみな一様に首を横に振る。

「そうか。わたしも詳しくは知らないんだがな、なんでも真中グループの工場内で起きたらしい。どれだけの爆発があったのかは知らないが、なんでも大きな爆発で近隣住民がわかるほどのものだったらしい。ただ困ったことにこの情報はな……なぜか伏せられていて新聞テレビで報道されていないのだ。おまえら、知っているか?」

 みな、一様に首を横に振る。

「そうか。それはしょうがないな。ただこれはうちの学校の近くであったことだから誰か知っているものはいないかと思ったんだが……。それは置いておこう。みな、帰るときは注意するように。どんな人が見ているかわからないからな。以上だ」

 去っていく。

 次の授業は数学だっけ? 準備を始めた。

「ねえ、この後、用事ある?」

 隣にいる奴が声を掛けてきた。長い髪でこいつは確か……

「真中花香よ。覚えておきなさい。いいからなにも用事がないなら来ること」

 気取った顔で言ってきた。なんだこいつ……

 チャイムが鳴り、授業が終わった。

 みな、次の授業のために移動するなか、俺たちは残っていた。こいつはいったい何をする気だ?

 呼ばれたまま近づいていく。

 と、おかしいことに気づいた。このまま行くともしかしてパンツが見えてしまうのでは?

 なぜか片足立ちで立っている真中花香の前に近づいていく俺。しかも屈めという。これはあれか。俺に対する挑戦状か? 見れるものなら見て見ろという。

 そんな心の声が見透かされたのか、実際に見えそうなところまで来ると蹴りを食らった。

 痛い。

 そんな俺を置いておいて高らかに明言する。

「下僕になりなさい」

 意味不明だった。いきなり、なんだ?

「可哀想な身分になっているあなたをわたしが飼ってあげようと言うの。名案でしょ?」

「おまえはバカか? 誰が好き好んで下僕になんかなるか」

「クラスでの立ち位置をわかっていないの? 今日の状況見たでしょ? 今あなたを友と言ってれる人は一人もいないのよ? そんな状況であなたはこの後の学校生活を楽しく過ごせるというの?」

「おまえ……痛いとこ突くな……」

 その発言がさもわかっていたかのように女――真中花香――は悠然と笑みを浮かべた。

 俺は出された手をなすがままに握った。


 三年生。

 俺の生活は荒れていた。

 呼び出しを受ければ実行し、呼び出しがないときでも監視の状態が続いているので、一時も心が落ち着くときがなかったのだ。

 そんなこんなで俺の精神は擦り切れ、限界を迎えていた。

 無理だ、こんな生活!

 一年も経つ頃には死のうと考えていた。

 確かにクラスでの立場はよくなった。

 誰も無視しようとしなくなったし、俺が声を掛けても返事をしてくれるようになった。けど……窮屈だった。耐えられなかった。もう嫌だった。こんな生活!! 脱走する。俺はそう固く誓った。

 脱出の手立ては簡単だ。あの忌々しい真中花香を呼び出し、監禁する。そうすれば上は困るはずだ。なんせ、お嬢様が消えたんだからな。

 ふっふっふ。さらば監禁生活よ!!

 思い立ったが実行。

 俺はテキトーに手段を決めると就寝することにした。

 翌朝、俺は早起きをし、バッグを持つと家を出るときに声をかけた。「さよなら俺の愛しき生活よ」そのまま戸をバタンと閉じた。向かった先は学校だ。だが、昇降口ではない。そのまま来客用の入り口を抜けると校舎の裏手へと回った。ここに爆弾をしかければ嫌でもパニックになるはずだ。俺はバッグの中から前に命令されたときに取っておいた爆弾を取り出し、セットをする。一時間後でいいだろう。セットしたのを確認すると急いでクラスへと向かった。

「おはよう」クラスのみんなへ声をかける。

 返事はふつうだった。俺への規制がないため、特に変なところは見当たらない。

 このクラスの連中がこの後、慌てふためくと思うと笑みが浮かんでしまう。

 と、一時限目が始まった。俺は自席へと戻った。ふっふっふ……この後。

 授業が始まった。先生が黒板にチョークで書いていく。その音を聞きながら俺は胸のドキドキを感じていた。

「あの……」

 タイミングよく手を挙げる。

「どうした、細一」

「ちょっとお腹痛いんで、保健室行っていいですか」

 先生に許可を取り、こっそりと教室を出て行く。と、視線を感じた。真中花香だった。俺のことを怪訝な目で見ている。

「なにか」俺は小さく言った。「別に……」返ってきたのはその一言だけだった。心の中でガッツポーズを取るとそっと出て行く。

「よっしゃ!」

 急いで保健室へと駆けて行った。

 心の中でカウントをする。

 3、2、1……ゼロ!

 爆破が起きた。

 それは三階からだった。爆発の衝撃で窓の破片が飛んでくる。次に起きたのは校舎裏の方だった。爆発が起こり、爆風がこっちまで来る。

 次に地学室。普段あまり使われていないため、これは気づかなかっただろう。

 最後に昇降口。

 人がいたかもしれないが、構っていられない。爆発させることが大事なのだ。

 校庭を駆けて行く。中央を突破し、目指すのは校門。このまま走り抜ければ学校から抜け出すことが出来る。「勝った!」俺は心の中で思った。

「待ちなさい!」

 声がした方を向けばそこにいたのは真中花香だった。焦った顔をしている。

(よし、想像通り!)

「あなた、どういうつもり? こんなこと、予定になかったでしょう? そんなんじゃ契約は――」

「花香! 俺はおまえとの契約を破る! こんな生活、やってられっか!!」

「冗談はよしなさい。自分の立場をわかっているの? 今の立場はわたしとの契約があるからいられるのよ? それがなくなると……」

「放棄する。俺は今の立場を放棄する!」

「なん……て」

「こんな生活、捨ててやる!!」

 駆け出す。


 真中花香は焦っていた。

「このままではわたくしの計画が……」

 ぎゅっと拳を握り、走り出す。止めなくては!

 校舎が爆破され、簡単に移動することは出来なくなった。窓ガラスを割る。足の下にガラスの破片があったが、無視した。

 ガチャリ。強く踏みしめるとその勢いで駆け出した。目指す先は細一一という人物。男。自分の男。なんとか服従させたい男。自分の中に引っかかっている男。

「ぜったい、わたしのものにしてみせるわっ!」

 走り出す。「見つけたっ!」

 なんとか止めることに成功する。

「あなた、どういうつもり? こんなこと、予定になかったでしょう? そんなんじゃ契約は――」

 心の裡を曝け出した。自分のものにならないならッ!

 捨てる覚悟は出来た。この男を捨てるッ!

 強く噛みしめ、この後の言葉を考える。

「冗談はよしなさい。自分の立場をわかっているの? 今の立場はわたしとの契約があるからいられるのよ? それがなくなると……」

 悲しい。けど、それだと……

「放棄する。俺は今の立場を放棄する!」

 頭にズキンときた。それならば……(裏の計画を実行する準備は出来た。あとは上の許可さえあれば……)

「こんな生活、捨ててやる!!」

 頭の中でスイッチが入った音が聞こえた。

「はは……ハハハハ。こうなったらプライドもかなぐり捨ててやりますわ!!」

 裏コード(ハッキング)起動。


 VRシステムは普及した。だが、急速に廃れていった。理由は簡単だ。極最小の区画へとしか影響が及ぼすことが出来なくなったため、存在価値が無くなったのだ。

 それは政府の思惑もある。

 このまま使われてしまうと自分たちの今後の政策が上手く行かないと思ったのだ。それゆえ、国レベルでVRシステムを禁止することにした。それはVRシステムを自分たちのものにするためだった。VRシステムを使えば、自由にすることが出来た。財政を。経済を。金の流れを。ネット上に表示される金の金額を変えてしまえばいいのだ。そうすれば大儲けすることが出来る。予測が出来ないのでAIも勝つことが出来る。事実上の一人勝ちだった。そんなことをしていれば不審に思われてしまうわけで。不審に思ったのは開発をした真中グループだった。真中グループは自分たちが開発したものが正規に利用されていないことに気づいたのである。

「このままでは……」

 自分たちの思い通りにするためにシステムを変更した。

 VRシステムの内容を変えたのである。VRシステムはそもそもこの世界に対して極小さく干渉することが出来るシステムのことである。事実上、干渉する力を”持っていない”。それは研究中にも証明出来ていることであり、会社も把握していることであった。

 現実の一部を書き換える。それがこれの能力。

 わたしたちの脳は外界を認識するときに光の情報を使う。虹彩から入った光は網膜に刺激を与え、電気信号として脳に情報を送る。そうやって外界のことを認識するのである。

 では、偽りの光を情報として認識させたら?

 それがこのVRシステムである。VRシステムは頭の中に偽りの情報を与える。そして、外界の情報を違う情報へと書き換えてしまうのである。頭の中の認識ではそれは現実となる。だから、仮想現実(ヴァーチャルリアリティ=仮想の現実)なのである。このままでは個人のままであるが、もし、これを大多数の人に作用させたら?

 個人での作用範囲を拡大し、大多数の人でも同じように見えるようにする。

 人間は外界からの情報を頼って生きているので認識も変わる。すると、どうなるか。

 自分のみに影響したもののはずが、他人へも影響することが出来るのである。自分が変更したものが他人にも変更される。

 自分がしたいようにした変更を他人へと与えられるのである。それは自分だけの現実が他人と共有されることにより、”現実”へと変わるのである。これがさらに拡大すれば?

 日本全体に影響を及ぼした場合、自分勝手に現実を変えることが出来るのでそれは”現実”になる。

 現実を自由に変えられる能力を持っているのと同じになる。

 例えば、自分の背中に羽が生えているといえば、羽が生えていることになる。

 現実に使えるかどうかは別だが、確かに”生えている”のである。

 これが”VRシステム”。現実には起きてないが、起きているものとして認識させることが出来るもの。

 認識を変えることは実生活で大きな影響が出る。例えばテストで点数を書き換えてしまえば誰も変更したことに気づかない。

 絶対的なシステム。それがVRシステムなのだが、背中に生えた羽が実際にはないように、いくら認識を変えてもないものはない。他人に認識させようが、ないものはないのである。

 初期のときにその不具合は気づいた。

 だから、拡大したと同時に廃れたのである。「認識を変えさせるだけでなにも出来ない」それが言われたことだった。

 それは政府の思惑だったのだが。

 VRシステムは本当に極小さい領域へのみへのシステムへと変更された。ちょっと遊べるおもちゃ程度のものへと変わったのである。小さいものへと変わってしまったVRシステムはひっそりと違う場所で生きることになる。

 研究者は気づいた。このままではいけないと。だからちょっとした仕掛けを施すことにした。時限爆弾のようなものを。

 起動音が鳴った。

 スイッチが入り、システムの流れが変わった。電気の流れが変わり、システム全体の流れが変わる。それが意味することはシステムダウン。駆動領域が変わったので前のシステムが上手く働かなくなったのだ。

 ザザ……世界にノイズが入る。

「やばい」

 真中花香は気づいた。今いる場所はなにかがおかしい。

 システムのコードを調べ、なにか原因がないか確認する。コードの流れは悪くない。が、なにかが違う。

「ちょっとっ!」

 自分が消されるっ!?

 自分が消えていった。


 細一一は気づいた。世界が崩壊していっている。見るからに明らかだった。そこかしこが黒くなっている。さながらそこだけパズルのピースがなかったかのように。

 さっさとログアウトしないといけない。

 が、さっきからログアウト申請をしているのに受け入れてくれない。おかしい。なにかあったら直ぐにログアウトしてくれるようになっているのに。何度も何度も申請をする。返答はない。くそっ。このままでは俺が消えてしまう。それに頭の中のデータも……。

 急いで破壊したはずの学校へと走る。そこにはもう虚無の空間があるだけだった。ぽっかりと穴が空いていた。あったはずの建物はない。歯噛みしたが、そんなことをしていても現状は変わらない。逃げなければ……。

 ――この世界に存在する人間は消した。これで通常運行できる。裏コードなんてあったらしいが、そんなものは消した。自分に逆らうのがおかしい。リセット。

 世界が消えた。

 と同時に自分も消えた。自分の頭の中にあった脳内データも消えた。完全消去。リセットは効かないだろう。なぜなら僕の頭と繋がっているケーブルは機械と繋がっていて機械が落ちるのと同時に僕の頭も落ちる。

「はは……これでもう終わりだ……」

 僕は半ば自棄になっていた。

 せっかく構築したこの世界。それが崩壊するというのだ。せっかく創ったのに……

 ――裏コード起動。

 システム復元。

 ミス。エラー。もう一度。エラー。もう一度……

 何度も何度も復元しようとしているのがわかる。そのたびに世界が壊れ、再生しようとしているのが見えた。

「もういいんだよ。僕の目的は達成した。だからもう……」

 世界が消えていく。その光景を僕はずっと見ていた。

 そのとき、ザザッとノイズが見え、なにかが現れた。

「ほんとうにいいの? あなたのことなのよ? まだ世界は構成できていないわ。だからまだチャンスはある」

 それは女性のような人物だった。ようなと形容したのは女性には間違いなかったが、宙に浮いているし、それに顔が前髪に隠れて見えなかったからだ。おまけに体は透けているときている。これを普通の人間というのは難しい。

「もうよしてくれ。おまえもわかっているだろう? おれにそんな能力がないことを。いつもおまえは見てくれていた。そんなのわかっていたさ。だから俺はやれていた。だけどここまで来て、これはないだろう。ここまで崩壊してしまったのならもう無理だ。いくら俺の能力でも」

 自分の能力。

 それは”現実に仮想を投影する”能力。

 VRシステムを作るきっかけになった能力である。

 VRシステムはあくまでも機械的だが、これは人間の純粋な能力である。ゆえに機械を介する必要はない。確かに干渉出来ると思うが。

 五十四歳になった俺はVRシステムを構築した。技術部門の最高責任者が俺だ。

 真中グループに入った俺は研究所の研究者としてVRシステムの研究をしていた。VRシステムは日本中に張り巡らせれば夢のようなシステムになる。そう考えていたのだが。

 VRシステムを暴走させてしまった。現実に対して過剰に影響を及ぼしてしまったのである。

 現実の書き換え。それはやってはいけないことだった。

 人間に及ぼせばどんな影響が出るかわからない。最悪、死の可能性ですらある。

 そう、人にやってしまったのだ。心臓に障害がある人に対して治るようにしたはずが、過干渉および想像のミスにより、なんらかの影響で死んでしまったのである。

 この事故により研究は中止になりそうだったが、それを止めたのが現在の妻である、真中花香、副社長代理である。

 強い権限により、研究は続行することになった。そして成功したのがこのVRシステム。現実に対して干渉させることができるシステムである。

 VRシステムは一気に普及したが、同時に多数の問題も生まれた。それが、あまりにも事故率が高かったこと、システム障害、犯罪率の増加である。事故率の高さは人間に対して影響を及ぼしたことに起因する。目を良くしたい、使った結果、失明。心臓を治す、使った結果、死。相手に対して使用する。相手の腕が失くなった。頭を良くしようとして脳障害。足を早くしようとして足の消失。その他、挙げればキリがない。

 システム障害、犯罪率の増加はまあ予期していたことである。使用者が増加すればサーバがパンク状態になるし、利用者が増えれば悪用しようとする人が増える。ゆえに一気に勢いが衰えた。

 システムを全体的に改めたのが現在のVRシステムである。

 過干渉を無くし、人に対して影響を及ぼせないようにして、そもそも現実に対して影響を及ぼせないようにする。ただ、偽りの情報だけを与える。それが現在のVRシステム。

 ただ人を騙せる、おもちゃ。それが現在のVRシステムである。

 細一一にとってはそれは自分が目指していたことではなかった。自分が目指していたのは本当に干渉できるシステムである。

 ゆえに苦悩した。懊悩した。本当にこれでいいのか。だが妻は許してくれるだろうか。

 五十四歳になった今、妻はここにいない。ならば出来るはずだ。

 コードを駆使し、変更する。現実に干渉出来るようにと。

 そしてVRシステムは自分に対して使われることとなった。


 VRシステムを起動する。

 自分の中でなにかが起きる。VRシステムを自分の能力に対して使ったのだ。自分の能力が書き換わる。本来使用出来ないはずのVR空間に対して影響を及ぼせるようになったのだ。

 これを使ってこの不自由な空間を書き換える!

 崩れそうになっているこの空間、これをまず書き換える。空間を修復し、再構成する。

 空間が安定した。これで少しは崩壊は防げるだろう。

 次にやることは人物の安定。これを使って安定させる……。やっと安定した。

 次にやることはシステムの安定だ。これは機械に対して作用させる。機械内の基盤を感じ取り、そこに作用する。本来正しいはずの動きを異なるものへと変える。本来ならそんなことは起きないはずなのだが、書き換える能力では可能になる。これで異なった仕組みでも正しいと認識させることが出来た。

 次にやることは、このシステムへの介入者の対処である。

 発信元を特定し……。

 発信元は直ぐ近くだった。自分の研究所内。それのまた一角。妻の部屋。

「くそ……! あいつめ……」

 自分の頭の中の人物へとアクセスする。

 自分の中ではあいつは死んだはずだった。だが、なのに!

 現実で飛び起きると急いで妻の部屋へと向かう。

「おまえっ!!」

「ちっ! 気づいたかっ!」

「こっちは死にそうになったじゃないか!」

 妻は――真中花香――は手を止めるとこちらを見て叫んだ。

「あなたは死ぬべきよ。だからわざわざ殺そうとしたのに……」

「そんなに俺が嫌いか?」

「あのときからね。下僕になんかするんじゃなかったわ」

「おれはおまえのことが好きだぞ」

「わたしはずっと嫌いよ。仕方なくね、仕方なくやったのよ。わたしがどれだけ嫌いだったかわかる? 子どもを作るときだって嫌だったわ。仕方なく、仕方なくやったのよ。この会社のためにね。死んでもいいと思ったわ。けど、父はわたしのことを会社の道具として扱ったわ。わたしは父にとってどうでもいい存在だったのよ。別にいらなかったみたい。跡継ぎさえいれば。だからわたしの地位は会社内で落ちたわ。急落もいいところよ。わたしの居場所は会社内でなくなったわ。だから片隅に追いやられたの。わかる? 自由になったお金も命令も効かなくなったのよ。代わりにあなたは地位も権力も手にしたわ。邪魔で邪魔でしょうがなかったわ。どうやって消そうかそればかり考えていた。そして成功したのよ。あなたの病名わかる? わからないでしょう。それはわたしが作ったものだからね! やっと成功したのよ。なんでもかんでも自分で治してしまうあなたの能力、厄介だったわ。だから医者に頼んで特別な病名を作ってもらったの。あとはそれに合うようにわたしが変えるだけ。それで――それで出来るはずだった! なのに!!」

 妻は思いっきり床を踏みつけた。

「わたしの予定ではあなたはこのまま原因不明の病気で死ぬはずだったわ。それなのにあなたは自分の能力を使ってVR空間に干渉した。それのせいでわたしが作ったシステムが壊れた。部分的でも壊れたことに変わりはないわ。その綻びが全体に生じたの。そのせいで至るところで破綻するようになったわ。その余波が世界の崩壊よ。けど、ときどきあったでしょ? あなたを救う精霊みたいな存在。あれはわたしよ。あなたを誘導して世界を構築してもらおうと思ったのよ。そうすれば綻びかけた世界が修復される。そうすればわたしが叶った世界が存続される。けど、あなたはそれさえも壊した。だからこんなことになったのよ。あなたはわたしが作った世界で死ぬはずだったわ。自分の願いを胸にしてね。せっかく叶えてあげようと思ったのに。そんなにわたしが創った世界は嫌だった? そんなに高校時代のわたしは嫌だった? 最後の願いを叶えてあげようと思ったのに。余計だったみたいね。道連れにしてやる!」

 妻がなにかを叫んだ。

 と、研究所内の一角が壊れ、自重で崩壊していく。

 フハハハハハ……と妻が壊れたように笑っていた。

「直接こうするべきだったのよ。一緒に死ねば楽になる。そうすればあなただって一人ではないわ。死んでも一緒よ。嬉しいでしょ?」

 崩壊が隣の建物へと及んでいく。もう時間もなさそうだった。いくら崩壊を食い止めることが出来るといっても次から次へと崩壊が進んで行ってはそれも難しい。自分の能力を恨んでしまう。中途半端に世界を救うことが出来る能力。だけど今では自分の無能感を感じるだけだ。

「おれは死にたくない。おまえはそんなに俺のことが嫌いで一緒に死にたいのか? 俺のことが嫌いだったら一緒に死にたいわけないだろう。だったらなぜあのとき俺に命令した? 俺に下僕になれと。そうすればこんな人生は歩まなかっただろうに。そうすればおまえは権力を持ったまま俺と一緒に……」

「下僕? 勘違いしていない? もう下僕でないのよ。結婚したあのときから。だからあなたはあなたの意思で自由に選ぶことが出来るわ。一緒に死ぬか。それともあなただけ生きるか。死にたいなら一緒に死んであげるけど?」

 おれはなにも考えずに妻を抱きしめた。

「おまえが好きじゃなかったら一緒になんかいない。奴隷? 下僕? 一緒にいるのに理由がいるのか? それともおまえは――花香は一緒にいたくないのか?」

 胸の中で嗚咽する声が聞こえた。なにも考えずにそっと頭を撫でる。

「おれはおまえが好きだ。おまえはどうだ、花香」

 ぎゅっとされた。

「わたしはね、思い通りにならないのが嫌なのよ。だから全部自分のものにしてみせる」

 顔を上げると目のところに泣いた跡があった。

「さて。ここから逃げないといけないわけなんだが」

「自滅だけよ。ここから逃げる方法なんて存在しない。わたしがそう仕組んだからね」

「俺にはそんなのは通用しない。なぜなら……一緒に作り上げたVRシステムがあるからな」

 VRシステム起動。自分の脳内でVRシステムを起動する。

 VRシステムは、本来は現実に干渉出来るシステムである。そう、俺の能力を一般化しようとしたのだ。それが強力過ぎたために縮小化せざるを得なかった。だから本来のを起動すれば……。

 脳内にあるのはスイッチに過ぎない。これを使って実際にあるVRシステムを起動する。現実のVRシステムを書き換え、本来のものへと変える。

「システム最大起動、範囲、この研究所全体。そして書き換える!!」

 研究所の崩壊が止まった。そして崩れかけた建物が本来の形に戻っていく。なにもなかったかのようにさっきまでの部屋が再現された。

「終わったか……?」

 本当になにも変わっていない。崩壊なんてなかったかのようだ。

「死ぬのを止めたのね。それもあなたの選択よ。これからどうしたい?」

 VRシステムを停止させた。

 VRシステムはやはり危険過ぎる。これなら世界を変えてしまうことも可能かもしれない。

 だけど、そんなことをしてはいけない。そんなことをしたら世界は変わってしまう。それは……それはいけないのだ。そんなことをしても意味がない。世界を変えるには……こう変えないと。

 キスをした。

 実に久しぶりだ。結婚以来だろうか。だからかわからないけど、なんか甘いような味がした。気のせいかもしれないが。

「久しぶりね。キス? そんなの学生以来よ。甘い感情なんて久しく忘れていたわ。奴隷でもなく、隷属でもなく、主従関係でもない。自由を求めていたのかもしれない。自由な恋愛を。自分を自分から縛ることで自分から縛っているんだという、自由を与えさせ、自分が自由であると錯覚させる。そして自分が縛る立場になることで他人を縛っているという自由を自分に与える。そうすることで自分が自由なんだと錯覚させる。馬鹿ね。わたしは。自分はこんなにも不自由だったのに。自分が自由だと思っていたなんて。もう一度、恋愛からやり直そうかしら。こんなわたしでも受け入れてくれる人がいるなら」

 これ以上言う必要はないと思った。

 だから簡単だった。

「おれの隣は空いてるぜ」

 自分の隣に引っ張った。

 彼女は――照れ臭そうに笑っていた。

「こんな年寄でもいいの」

 もう一度キスをした。

 今度はちゃんと甘い味がした。


 VRエンド終わり

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