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六本木のトラブルシュータ―(短編連作) とある噂

作者: 斎藤稟

飲食店は、情報や噂のたまり場でもある。

「地上げ屋が動いている」という噂がどこからともなく耳に入るようになったのは、六本木の街が秋の装いを帯び始めた頃だった。

土地バブルなど「昔のおとぎ話」となった今の世の中、「六本木で新たな再開発の動きでもあるのか?」と憶測だけが小鳥のように飛び交っていた。

「そんな大層な計画に俺は一切噛んでないよ」と地元の不動産屋の岩下が否定し「巨大な資金をバックに持つ銀行系の開発業者じゃないの?」と話している、という情報も入って来た。


六本木の一角、ワンブロックを買い上げ、オフィスビル、商業ビルとホテル、それに公園と飲食店街を作る計画があるらしい、と少し具体的な情報をゴロウが聞き込んできた。それにしても大風呂敷な話だ。ゴロウは「すでに土地を売ったビルオーナーもいるらしいです」とも付け加えた。

リュウと会ったのは、その話を聞いた数日後だった。親友の彼とは月に一度は食事や酒を共にする。

「2週間前かな、ホーチミンで聞いた話だけど、中国系の不動産会社が東京で土地を買い漁っている、と。その会社は東京にも事務所を構えていて、すでに長野で広大な山奥の土地も購入したらしい。そこには豊かな水脈があり、ミネラルウォターは中国で良い商売になる、っていうんだ。おそらく、上海や北京のカネ持ちに東京のマンションを売りつける魂胆さ。中国では土地は買えない。買えるのは権利だけだが、その権利さえ政権が踏みにじることはよくあることだ。中国の手が届かない東京は安全な投資先というわけ」

「リュウ、六本木の地上げと中国系のデヴェロッパーの関係、ネットで調べられるか?」

「グレートウォールの向こう側か・・・やるだけやってみるよ」


ランサーから数ブロック離れた界隈が標的になっているらしい。そこには常連客もいた。代々貸しビル業を営む新村という中年だった。ワイン通で、わざわざランサーまでやって来て、肉を摘まみに高いボルドーの5大シャトーやブルゴーニュのクリュワインを開けてくれる、得難い客だ。

「牛と羊はボルドーだね。ゴロウが焼くローストポークは絶妙でね。ほんのりピンクでジューシーで、これは上品なピノワールにピッタリなんだよ」と嬉しそうに話す「もちろん、リックさんの味付けもね」


その新村が「リックさん、一緒に飲まないか?」と赤ワインのボトルを軽く掲げて誘ってくれた。断る理由もなく、大きめのグラスを片手にテーブルに座った。

彼は一人だった。

「一人でグラン エシェゾー1998ですか?」

「贅沢だっていうのかい? 一人だからできる贅沢もあるのだよ」

彼は独身だ。おそらく一度も結婚していない。代々資産家の家柄だから、家政婦でも雇えば、日常生活で困ることはない。カネがあれば、たいていのことは事足りる。

「いえね、珍しいと思って。いつもお仲間とで飲んでいるでしょう」

「それがさ、噂は知っていると思うけど、私のビルが建っているあたりが地上げにあっているんだよ。もう売却した仲間もいてね、何人かはシンガポールへ引っ越した」

「シンガポール?」

「土地代金でシンガポールに投資会社を作り、移住する。そうすると日本で売却益にかかる税金がかなり減るそうだ。その代わり、数年はシンガポール暮らしを強いられるけどね」

土地の買い上げと事後の節税処理までセットで販売している、ということらしい。日本の不動産会社にはできないことだ。


地元の不動産屋、岩下の紹介で大手の不動産会社の営業部長と店で会った。

太った腹、首、丸い顔、広大な額。

ネクタイを緩め、ローストビーフを、まるで親の仇のように、口に突っ込み、バーボンのソーダ割りを何杯も煽った。

「中国系ね。話は聞いているんだ。上海の銀行や元国営企業のオーナーたちが潤沢な資金を供給していると書類上はなっているけど、本当はさ、シャドーバンクの資金がかなり流れ込んでいる、って噂もあるのよね。わかる?シャドーバンク」

「ハイリターン・ハイリスクで資金をかき集めているノンバンク」

「そのハイ・ハイですよ」と牛脂でテカテカと光る唇をグイッとタオルで拭った。「危なっかしい話だから話も聞くな、といっても札束をこう高く積み上げられるとね」とテーブルから首までの高さを掌で示した。

「そりゃ、売りたくもなりますよ。ウチじゃ、その半分も出せない」

「そんなに高く買っているのか?」

「ああ、急いでいるんじゃない? 都心の再開発、ほら、数年後には虎ノ門や品川でも再開発で大型ビルやホテル、商業施設できる計画があるでしょう。その前に完成させないと過剰競争になり兼ねないし、値引き販売合戦に突入しかねない」

「でも採算は合うのかな。そんなに高く買って」

「わっかりませ-ん。あいつらの考えていることなんて」とバーボンのソーダ割りを飲み干し、お代わりを頼んだ。

償還が迫ったシャドーバンクがカネ詰まりを起こせばどうなるか? 元金さえ返せなくなれば、社会的暴動へと社会的不安へとつながる恐れもある。もともとハイリスクハイリターンが売り物なのだから、そのあたりは投資家も理解していると考えるのは行儀のいい日本人ぐらいだ。「カネを返せ!」と唾を飛ばして言い張る赤顔の男どもの怒鳴り声が聞こえてきそうだった。



外事課の刑事。初めて会った。

「リチャード スタイナー、42歳。ヒューストン生まれ、テキサス工科大で修士号取得。元アメリカ陸軍工兵師団中佐。退役後、日本でビジネスを手掛け、帰化こそしていないが、永年在留許可を得ている。税金滞納もなし、銀行の人物評価も企業評価も高い」

間違いもあったが、正す気もなかった。

テーブルに置かれた名刺を手に取り、裏側のローマ字に目を落とし、「木村宗一郎」とわざと呼び捨てにした。

「元麻布にある大使館からクレームがきましてね。六本木の不良外人が大使館の女子職員をストーカーしている、と」チェッシャーキャットのように笑った。

それは言いがかりではなかったが、木村の本意はそこにはないようだった。たわいのない噂話と狸穴にある大使館員のきな臭い話をした後、「あまり派手に動くと面倒なことになりかねない」と釘を一本だけ刺された。

「中国人や中国系企業が日本で土地を買うのに何らかの規制はあるのか?」

「ない。自由主義の国からね、日本も」

「でも、そこに犯罪がからんだから話は別だろう。たとえば・・・土地取引詐欺、人身誘拐」

「何の話だ?!」

「調べてほしいことがある。最近ここ六本木からシンガポールに移住した日本人の住所確認と安否」と静かに話した。

これまで知ったこと、リュウがもたらした情報から考えられる可能性を箇条書きに説明した。

「どうなっていると思うのです?」少しゆがんだ顔が、隠していた本性を少しだけ見せてくれた。

その問いには答えず「外地での日本人保護は日本政府の仕事」と椅子から立ち上がった。

「それにしても良い店だ。かなりカネがかかったでしょう。この店、借り物ではなく、自前ですよね」

「おかげで今も借金を背負っている。それも調べたのだろう」

「銀行は口が堅いのですよ。自己資金も多かったという話ですがね」

「軍人は給料のほとんどを預金に回せるのさ」

「そうですか」信用なんてしていません、という色彩が滲んだ肯定だった。



地上げの動きが止まった、と聞いたのは一か月ほど経ってからのことだった。

不思議なことに、地上げそのものがなかった、という話になっていた。

土地の名義は元の所有者に戻り、売却したという事実まで消えているらしい。

ただシンガポールに移住した人たちは帰ってこなかった。

「帰れば脱税で捕まり、税金を多く取られるので帰国しない」と言い張っている、と話してくれた新村はシャトー ルパンを喉に流し込むように飲んでいた。飲まずにいられない、という雰囲気だった。

「1993年ものなのに、もったいない飲み方だ」と、ワイングラスをテーブルに置いた。

「こんなもの、飲めばいいだけの話だよ」と音を立てて、たっぷりと注いでくれた。

「さぁ下品に飲もう」




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