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第二十話

 夕食後――。

 知恵熱が出るまで勉強する! とガリ勉の神様に誓っていたのに、授業をサボった僕は、懺悔の意味も込めて勉強をすることにした。

 会長も何かすることがあるらしい。

 僕は硝子のテーブルを借りて勉強を始め、会長はベッドに書類を広げてタブレットを操作し始めた。


 最初はお互いの存在が気になるというか、少し会話をして気遣い合ったが、十五分もすれば無言の時間が流れるようになった。

 居心地が良いなあ。

 人がいるのに勉強がこんなに捗るのは初めてだ。


 黙々とそれぞれの作業に二時間ほど没頭し、時計の針が二十二時を回ったところで会長が声を出した。


「そろそろ風呂に入っておくか?」

「そうですね」


 ちょうど僕の勉強も切りがいいところだった。

 会長がお風呂の準備をするようなので後をついて行く。

 どんなお風呂だろう……え!


「!! お風呂とトイレが別れている!」


 僕の部屋はユニットバスで、トイレとお風呂が一緒だったが、ここはトイレとお風呂が独立している。


「お前のあの部屋を基準に考えるのはやめろ。俺はシャワーだけでいいから、普段浴槽は使わないが、お湯を溜めるか?」

「いいんですか? 入りたいです!」

「分かった。すぐに溜まるから待っていろ」

「お湯はりもパネル操作!」

「……もう座っていろ」


 会長に大人しくしているように言われたので、しょんぼりしながら勉強していたところに戻った。

 知恵熱が出ていないからまだ勉強したいけど、とりあえずテーブルの上を片付けておこう。


 会長もベッドの上の書類を纏めている。


「ここのお風呂、大の字で入れるくらい大きいですね」

「一緒に入るか?」

「え?」


 この人は何を言っているのだろう。

 会長の顔を見るとニヤリと笑っていた。シャイボーイは卒業したの?

 シャリの粉くしゃみで吹っ飛ばし事件で、気兼ねがなくなったのだろうか。

 だったら僕も負けない。


「そうですね。泊めて頂くお礼に、お背中流しますね」


 にっこりと笑うと会長が目を見開いた。

 そして、どんどん顔を顰めていく。


「……いや、いい。今度にして貰おう」


 プイッとそっぽを向かれてしまった。

 僕の勝ちでいいですか?

 というか『今度』って何?


 一番風呂は会長だと遠慮したのだが、早く入れとお風呂場に押し込まれて仕方なく入ることにした。


「はえー」


 服を脱ぎながらキョロキョロとお風呂場の中を見てしまう。

 ホテルみたいに綺麗だ。

 掃除も完璧でカビやぬめりなんて全然ない。

 僕のようなものが使ってもいいのか、恐縮しながら頭と身体を洗い、久しぶりに湯船に浸かった。


「ふああ、気持ちがいい~」


 お風呂は好きなのだが、水道代もガス代も勿体なかったので、普段はお湯を溜めずにシャワーで我慢をしている。

 今日はたくさん贅沢させて貰っているなあ。


 浴槽の枠に腕を乗せてまったりしていると、ふとシャンプーとボディソープのボトルに目が止まった。

 お風呂でなら会長に見つからずに鍛えられる。

 このシャンプーとボディソープのボトルを、ダンベル代わりにしてみよう。

 ……軽いな。


「鍛えるなって言っただろう」

「!! 覗かないでください!」

「開けていないだろう?」


 本当だ、扉は閉まっている。

 シルエットで分かったようだ。

 バスタオルを届けてくれたようだが……もしかして、やっぱり一緒に入る気になった?


「会長、入ります?」

「…………。やめておく」


 少し間があったので、ちょっと迷ってました?

 まあ、背中流すくらいなら、いつでもします。



「木野宮、髪を乾かせ」


 お風呂から上がり、水を飲みながら参考書を読んでいた僕を会長が呼んだ。

 会長もたった今、お風呂から出てきたところだ。


 昨日も思ったが、湯上がりすぐの会長は色っぽい。

 水も滴る~というやつだな。

 そんな色気を放っている会長がドライヤーとタオルを持って僕の後ろに座った。


「自然乾燥でいいです」

「駄目だ」


 僕の髪を乾かしてくれるつもりのようだが、僕よりもまず自分の髪を乾かして、色気を抑えた方がいいと思います。

 そんな心の声は届かないようで、会長はコンセントにコードをさし、着々と準備を進めていく。


 いつも自然乾燥だから別にいいのになあ。

 だから僕の家にはドライヤーはない。


「ほら。じっとしていろよ」

「ええー……」


 カチッとスイッチの音が聞こえると頭に暖かい風が当たり始めた。

 それと同時に会長が僕の頭をガシガシと撫でていく。


「気持ちいいー……」


 ドライヤーの暖かい風と会長の大きな手の感触が気持ちいい。

 眠ってしまいそうだ。


「歯磨きがまだだろう? 寝るなよ」

「ごめん、お母さん」

「だれがお母さんだ」


 だって、どう考えてもお母さんに世話して貰っている児童だ。


「ふあ……」


 ……眠すぎる。頭が重くて前に倒れそうだ。


「?」


 頭をガシガシしてくれていた会長の手が止まった。

 なえかその手が、僕の首のうなじのあたりに置かれている。

 その手がスッと下の方に……撫でるように動いた。


「ふわっ!」

「!」


 くすぐったくって、飛び跳ねるように頭を上げた。


「何!?」

「わ、悪い」


 バッと振り向くと、会長も驚いたような顔をしていた。

 いや、驚いたのは僕だよ!

 すっかり目も覚めてしまった。


「もう終わりました?」

「あ、ああ」


 自分で髪を触ってみると確かに乾いていた。

 自然乾燥でいいけれど、乾いた方がすっきりするのは確かだ。

 すぐに寝ても布団が濡れないのもいい。


「会長の髪は、僕が乾かしますね」

「いや、俺は……内心それどころじゃ……」

「?」


 拒否しようとする声が聞こえたけど問答無用だ。

 ドライヤーを奪い、会長の後ろに回り込んだ。


「じゃあ乾かしますね。温度は暖かい方でいいですか?」

「ああ」


 座っている会長の髪を乾かすには、膝立ちでやった方がよさそうだ。

 会長が僕の髪を乾かすときは普通に座っていたのになあ。

 こんなところでもイケメン度の違いを見せつけられたようだ。


「くすぐったいで思い出したんですけど、会長は魚に痛覚ってあると思いますか?」

「……どうしてそんな話になるんだ?」

「くすぐったい感覚……からの痛覚です。痛点には明確な定義がないし、魚には痛覚がないって言われてますけど、ニジマスには痛点や侵害受容器があるって研究結果が出ているので、人間ほどではないけど痛いって感じてると思うんですよね。そう思うと、踊り食いとか残酷ですよね」

「……お前のおかげで心が落ち着いたよ」

「?」


 謎の感謝をされながら、ドライヤーの電源を入れる。

 会長の髪は、濡れていても質が良いと分かる素晴らしい触り心地だった。


「髪、綺麗ですね」

「綺麗なのはお前だ」

「…………」


 髪のことだとは分かっているけれど、凄い台詞だなあ。

 女の子が言われたら一瞬で陥落しちゃいそう。

 男の僕でも顔が熱くなってしまった……。

 会長の後ろにいるからバレないけど。


「会長。今の台詞、『そなたは美しい』でやり直して貰っていいですか」

「はあ? なんだそれは。何故だ?」

「有名な台詞なんですよ、知りませんか? 僕の心臓のためにテイク2をお願いします」

「断る」


 残念、断られてしまった。

 顔の熱は自己処理するしかないようだ。


「というか、僕の髪はすこぶる普通ですよ?」

「触った俺が言ってんだ。綺麗だった」

「あ、ありがとうございます……」


 自己処理が盛大に失敗してしまった、照れる……。

 会長の髪をこんなに触れるなんて役得だなあ。

 僕より短いからかすぐに乾いてしまったのが残念だ。



「そろそろ寝るか」

「駄目です。まだ知恵熱が出ていないので。もう少し勉強します」

「出たら駄目だろう。もうすぐ日付も変わる。寝るぞ」

「ええー……」


 読む気満々だった参考書を奪われてしまった。

 ガリ勉の神様、誓いを守れなかった僕をお許しください。


「……一緒に寝るか?」

「おやすみなさい」


 そういうのはもういいです。

 返事を聞く前に使わせて貰っていたクッションを持って、ごろんと床に転がった。

 昨日と同じやり取りはショートカットで!


「フローリングは駄目だと言っただろう」

「うわっ」


 また軽々と持ち上げられた……ひどい……。


「降ろしてください!」

「分かった」


 そう言うとベッドの上に僕を降ろした。

 いや、違うんです……ここに来たくなかったから早く降ろして欲しかったわけで……。


「えっ、会長! 家主がフローリングで寝るつもりですか?」


 僕をベッドに降ろすと会長は離れて行こうとする。

 慌ててシャツを掴んで止めた。


「!」


 会長は見開いた目で僕の掴んだ手を見ている。

 あ、シャツが皺になったらごめんなさい。でも……!

 会長がフローリングで寝るのに僕がこんな寝心地の良さそうなベッドを占領するなんて、申し訳なくて寝ていられない。


「俺は床で寝る。布団はないが、クッションとタオルケットならある」

「じゃあ僕がそっちにします」

「駄目だ」

「じゃあ会長もここで一緒に寝てください」


 副会長の爆弾が頭に残ってはいるけど、会長は僕が嫌がるようなことをする人じゃないだろう。


「一緒にベッドで寝るか、一緒にフローリングで寝るか、どっちかにしません?」

「…………」


 わあ……会長が凄く難しい顔をしている。

 昨日一緒に寝て、もう寝たくないと思ったのだろうか。


「僕、寝相悪かったですか?」

「寝相?」

「いびきが煩かったとか? だから一緒に寝たくないんですか? だったらやっぱり会長がベッドに寝て僕が……」

「いや、待て。寝たくないなんて言っていないぞ?」

「でも……」

「……分かった」


 大きく溜息をつくと電気を消した後、渋々といった様子で会長がベッドに入ってきた。

 僕は奥に寄り、会長の分のスペースを空けた。

 会長のベッドは僕の布団よりも大きかったから、昨日ほど狭くない。

 ゆったりと寝転ぶ事ができた。

 会長が横になったのを見て、僕も仰向けに寝転がった。


「会長のベッド、ふかふかですね」


 敷いているマットがいいのか、軽く身体が沈み、布団に埋もれるようで気持ちが良い。

 上の布団も軽くて肌触りが素晴らしい。幸せだあ。

 それにこのベッドにいると……。


「会長の匂いがする」


 香水なんかはつけていないようなのに凄く良い匂いがする。

 これはシャンプーの匂いなのかな?

 だったら今日は僕も同じ匂いになっているな。


「…………」

「?」


 天井を見ている会長をのぞき見ると、思い切り顔を顰めていた。


「あ、臭いってことじゃないですよ? 良い匂いです。安心する」

「……そうか。少し、魚の話をしてくれるか?」

「え! いいんですか!? じゃあ、痛覚の話を……」

「いや、やっぱりいい」


 額に手をあててまた溜息をついているがどうしたのだろう。

 もしかして、ベッドから落ちないか心配ですか?


 とにかく、昨日は布団に入るとすぐに眠ってしまったが、こうして布団に入って話をするのが修学旅行の夜みたいで楽しい。


「明日こそは生徒会室に行きますね」

「ああ」

「なんか緊張するなあ」

「緊張なんかする必要ない。俺がずっとそばにいるだろ」


 でも、会長に甘えてばかりいたら副会長に追い出されそうだ。

 補佐がするのは雑用が多いと聞いたが、使える雑用係になれるように頑張ろう。

 会長の役に立ちたいな。

 そう思った時、昼に会長に言われた言葉を思いだした。


「会長」

「うん?」

「僕、『貴久先輩の代わり』なんかいらないです」


 天井を見ていた会長が首を横に倒し、僕を見た。

 僕も同じように首を倒して会長を見たので、真っ直ぐに見つめ合っている。


「会長は会長でいてくださいね」


 貴久先輩と会長は別の人だ。

 会長のことを代わりになんかしたくない。

 そのままの会長で、ありのままの会長でいて欲しい。


 ジッと見つめたままそう伝えると、僅かに見開かれていた会長の瞳が揺れたのが見えた。

 暗闇の中でも僕が綺麗だと思う会長の紫の瞳ははっきりと輝いている。


「……分かった。あの発言は撤回しよう」

「そうしてください」


 会長がふわりと柔らかく笑ったから、僕もつられて同じように微笑んだ。

 分かって貰えてよかった。


 首だけを会長に向けていたら疲れてきた。

 身体全体を会長の方へ倒した。


「このベッドだと大きいから向かい合っても大丈夫ですね」

「そうだな」


 そう言うと、会長も身体ごと僕の方へ向きを変えた。

 向かい合って会長の優しい目を見ていると安心感が増して眠くなってきた。

 自然と欠伸が出て、瞼も重くなってきた。


「今日は疲れたなあ」


 眠ってしまいそうになりながらも、今日のできごとを振り返った。

 いっぱい泣いてしまって恥ずかしい。

 貴久先輩にされたことがつらくて泣いて、副会長の言葉に救われた思いがして泣いて……。

 

「?」


 何か暖かいなと思ったら、布団から少しだけ出ていた僕の手を会長が握っていた。

 ……励ましてくれているのかな。

 嬉しくなって思わずギュッと握り返した。


 またちょっと泣きそう。

 でも悲しい涙じゃない。

 よく分からないけど、胸がいっぱいで泣きそう。


 この幸せな気分のまま眠れたら良い夢が見られそうだ。

 そう思うと、瞼も更に重くなってきた。


「……会長……おやすみなさい」

「ああ。おやすみ」


 今日という日は「頭の中からデリートしよう」と思っていたけど……やっぱりやめよう。

 全部ちゃんと僕の中に残して覚えておこう。

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