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第十九話

「シーフードカレー!」


 部屋のセンターラグの上にある、シンプルな硝子テーブルの上に置かれたのは、とてつもなくいい匂いがするシーフードカレーだった。

 待って、大きなホタテが入っている! エビも冷凍じゃないやつだし、イカまで!

 これだけあって五千円で足りたのかなあ。

 こんな食材を買う事がないから相場が分からない。


「ほら、スプーン」

「ありがとうございます」


 あ、のんきに正座待機しちゃったけれど、コップやお茶を運ぶのを手伝わないと……と思っている内に会長が持ってきてくれた。


「何から何までおまかせしてしまってすみません……」

「いいから食え」

「はい! 一緒に『いただきます』します」

「ああ。そうか」


「お前ちゃんとしているんだったな」、なんて会長が呟いている。

 食堂でのことを思い出しているのかもしれない。

『ちゃんと』というか、こんな美味しそうなご飯を作ってくれたことに感謝をこめて、いただきますを言いたいのだ。

 できれば、会長と一緒に。


「よし、食うか」

「はい!」

「いただきます」

「いただきます!! 美味しそう~!!」

「いっぱい食えよ。おかわりもあるからな」

「やった! メタボを恐れず食べよ」

「それは恐れてくれ」


 だって、いいにおいすぎて、食べ始めたら止まらなくなりそうだ。

 においだけでもお米をたくさん食べられるだろう。

 そんなことを考え、わくわくしながらカレーを口に運んだ。


「! 美味しい……」

「そうか。良かった」

「本当に美味しいです!」


 さすが会長、何をやっても上手なんだなあ!

 作っているときに覗いたら、エビの殻をお湯に入れていたから「殻まで食べさせられちゃうの? 大丈夫かな!?」と思ったのだが、それは出汁を取っていたらしい。すごい。


「会長、いいお嫁さんになれますね」

「……なりたいと思わないな」

「どうしてですか? 会長ならきっと、お姑さんとも仲良くやれますよ!」


 僕が姑なら、ハイパーすごい嫁が来た! と腰を抜かすかもしれないが。


「なら、お前が貰ってくれるか?」


 ニヤリと嬉しそうに会長が呟いた。

 会長を嫁に貰う?


「それはちょっと……。さすがに僕には荷が重いです」


 ハイパーすごい嫁を養っていくなんて無理だ。

 むしろ養って欲しい。


「そうか。それは残念だ。嫁になるのは諦めよう」


 会長が笑っている。

 是非そうしてください。

 一瞬会長のウェディングドレス姿を想像して微妙な気分になったので、やはり会長は着せてあげる方でいてください。

 美味しいご飯を食べていると楽しくなる。


「海洋生物が好きな僕に海洋生物を食べさせるとは……流石変態ですね」

「だからその変態ってなんだ」

「秘密です」


 荷物を持たせてくれなかったから絶対に教えない。

 重そうな袋を会長一人に持たせて歩くのは、本当に申し訳なかった。


「シーフードは駄目だったか?」


 会長が少し心配そうな顔をしている。

 あ、楽しくなって余計なことを言ってしまった。


「気にさせるようなことを言ってすみません、海洋生物は食べるのも大好きです!」

「そうか。それならいいが、今はなるべく『海洋生物』じゃなくて『シーフード』と言ってくれ。なにか得体の知れないものを食っている気分になる」

「分かりました!」


 得体の知れないものじゃなくて海洋生物だよ? と言いたくなったが、美味しいカレーを口に運んで黙っていることにした。

 ああ~やっぱり美味しい~。


「お前、転居先が決まってもここに食べに来い」

「いいんですか?」

「ああ。放っておいたらカップ麺ばかり食うだろ?」

「カップ麺も美味しいですよ?」

「身体に悪いだろ」


 やっぱり栄養面の心配をされていたようだ。

 キャベツを食べているので大丈夫なのだが――。


「じゃあ、お言葉に甘えてたまにご馳走になりに来ます」

「たまにじゃなくて、できるだけ来い。別に……ずっとここにいたっていい」

「ずっと……?」


 ずっとって……会長に一緒に住むってこと?


「「…………」」


 思考回路が停止して、シンとしてしまった……。

 副会長の爆弾のことも頭から消えていたのに、蘇ってしまう。


「……引越が済むまではここで食え」

「あ、はい……よろしくお願いします」


 なんだか気まずい空気になってしまった。

 僕にもっとコミュ力があれば、うまい返しができて楽しい会話を続けられたのに……。

 一緒に住むのは無理だけど、こうやって毎日会長とご飯を食べられるなら幸せだろうなあ。



「今から僕は寿司職人になろうと思います」

「そうか。俺は横で見守るとしよう」


 美味しいカレーをお腹がぽっこり膨らむまで食べ、片付けも終わったので、お寿司の知育菓子を作ることにした。

 気まずい空気が少し残っているのだが、楽しいことをしたら紛れるかもしれない。

 硝子のテーブルに並んで座り、袋の中身のものを取り出す。


「会長はこういうのやったことありますか?」

「ないな。これは本当に食べられるのか? このパッケージでみると粘土のようだが……」

「大丈夫ですよ。えっと、作り方の紙が入っていませんでした? …………あ」

「…………」


 会長が手にしているパッケージの中に紙が入っていないか覗こうとして近づいたら、肩がぶつかった。


「あ、すみません……」


 思わず会長を見たら……息のかかる至近距離で目が合った。

 その瞬間、ずっと頭にある副会長のあの言葉が頭に浮かび、慌てて会長から離れた。

 すばやく距離を開けた僕に、会長は驚いている。

 あ……思い切り避けたような、不自然な離れ方になってしまった。

 

「す、すみません! 急に近づいて!」

「あ、ああ……」


 さっきよりも気まずくなってしまったが、気を取り直してお菓子作りを続ける。


「えっとー……次は……お水入れてきますね」

「水道水じゃなくて、冷蔵庫に入れてある水を使え」

「あ、はい。ありがとうございます」


 見つけた作り方の紙を手に持ち、一人でキッチンへ向かう。

 少し会長から離れて落ち着いてこよう。

 頭の再起動が必要だ。


「僕が『アクシデント』を起こしてどうするんだよ……」


 冷蔵庫を開け、水を取り出す。

 よく冷えたペットボトルを額に当て、落ち着こう……。


 長の紫の目はやっぱり綺麗だ。


「紫があんなに綺麗な色だって今まで知らなかったな」


 少しクールダウンできたので、会長の元へ戻ることにした。


 硝子テーブルの前にいる会長をちらりと見ると、難しい顔をしていた。

 さっきのことを気にさせてしまったかな……。

 でも、改めて謝ると余計に気にさせてしまうかもしれない。

 何も見なかったことにして普通に話し掛けた。


「戻りました。じゃあ、このプラスチックの器に粉を移していきますね」

「結構面倒臭いんだな」

「それが楽しいんですよ」


 ……良かった、普通に話せる。

 なんとかまた楽しい空気にしたいな、なんて考えながら作業をしていると鼻がむずむずした。

 あ、くしゃみが――。


「はっくしょい! ……あ、ああっ!」

「あ」


 会長と僕は固まった。

 プラスチック容器に入れたはずなのに……。


「粉っ……なくなった!!」


 どうやらくしゃみですべて吹っ飛ばしてしまったらしい。

 硝子のテーブルの上に無残に飛び散っている……。


「「…………」」


 盛大に吹っ飛んだな……僕のくしゃみで……ぶわっと粉が舞って……。


「……はは……あははは!」

「あははっ!!」


 会長と二人で、大きな声を出して笑った。

 コントみたいに綺麗に粉が……ぶわっって……!

 会長が笑うから、余計に僕も笑ってしまう。

 吹っ飛んだあと、お互いきょとんと目を合わせ、呆然としてしまった瞬間も面白かった!

 同時に刻が止まった!

 ひい……駄目、息が出来ない! お腹痛い……!


「はあ……笑い疲れた……」

「見事な吹っ飛ばしっぷりだったな」

「ぶはっ……言わないでください!」


 折角落ち着いたのに、またジワジワきてしまうじゃないか。


「また買ってこよう。今度は完成させよう」


 会長が楽しそうに笑った。


「そうですね」


 お寿司職人になれなかったのは残念だけど……これはこれでよかった。

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