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第十七話

 副会長が帰った後、僕はお手伝いをするため、午後の授業が終わったタイミングで研究所に行った。

 生徒会補佐をすることになり、お手伝いをする回数は減ってしまうかもしれないので、所長にそのあたりも報告したかったし、やっぱり海の生き物を見ると心が落ち着く。


 午後の授業をサボってしまっているので、何か言われないかと身構えたが『体調が悪くていったん帰ったけど、休んだらよくなった』と誤魔化すと納得して貰えた。

 泣いて腫れていた目は、冷やすと何とか治まった。

 まだ少し目に違和感はあるが、パッと見ただけなら普段と変わらないと思う。


「可愛いなあ」


 今はお手伝いを終えて、マイワシが泳いでいる大きな水槽を見て癒されている。

 大量のマイワシが揃ってぐるぐると泳ぐ光景は綺麗だ。


「はあ……好きすぎる。大好き」


 どうしてこんなに愛らしいのだろう。

 一緒に泳ぎたいなあ。

 家がない僕も、ここに混ぜて貰えませんか?


――ガタ


「?」


 後ろで何か物音がしたので振り返った。


「あ、会長」

「よ、よう……」


 今の物音は会長が手に持っていたスマホを落としたようだ。

 足下にスマホが転がっているし、手は落としたままで固まっている。

 どうしたの? というか、スマホ大丈夫ですか?


「……都合良くスマホの録音機能が機動していたりしないだろうか」

「どうかしました?」

「いや、なんでもない」


 スマホの画面を触って壊れていないか確かめていたのかな。

 大丈夫みたいだ、よかった。


「会長、今日はどうしたんですか?」

「迎えに来た。帰ったら家にお前がいないから焦った」

「あ! 連絡を入れてなかったですね、ごめんなさい!」


 鍵はちゃんと掛けてきたけれど、置手紙もしてきたらよかった。

 色々心配して貰っている状況で、さらに心配させてしまって申し訳ない。


「お前、暫くここの手伝いはやめろ」

「ええ!? それは困ります! どうしてですか!?」

「帰りが遅くなって危険だからだ。防犯カメラに写っていた男について分かるまでは、登下校は俺と一緒だ」

「そんな……!」


 それはいつまでですか!

 ここでのお手伝いは癒やしだし、お金も必要だし……できないと困る!


「……嫌か?」


 ショックを受けている僕の隣で、何故か会長もショックを受けている。


「あ、会長と一緒の登下校が嫌だというわけではなくて、その……お手伝いを多少はしないと……生活費が欲しくて……」

「それなら心配はいらない。基準を満たしていない住居を提供していたことへの詫び金が学園から出る。ここから貰う給料よりはいいはずだ」

「え、そんなの頂くわけには……」

「貰っておけ。というか受け取って貰わなければ困る」


 もしかして会長が貰えるように手配してくれたのかな?

 それとも『示談金』みたいなものなのだろうか。

 会長がそう言うのなら頂いておくけど……ここの給料より多い分は使わずに残しておこう。


「水槽を見ていたが、今は何をしていたんだ?」


 会長が隣に並び、僕と一緒にマイワシを見る。


「お手伝いは終わったので、この子たちを見て癒されてました」

「この魚が好きなのか?」

「これはマイワシです。これに限らず、魚は全部好きですよ!」

「そうか。俺は魚は食う以外に縁はないが……この水槽は凄いな」

「! でしょ?」


 水槽の前で食べちゃう話をする会長に笑ってしまったけど、「すごい」と言ってくれてテンションが上がる。


「鰯って、群れにリーダーがいないのに動きが揃っていて、みんな同じ方向に進むんです。ぶつかったりしないんですよ? 側線器官があるからなんですけどすごいですよね! それに、距離が詰まると適度に離れる習性があるんです。付かず離れずで格差もなく集団生活だなんて、素敵だなあと思いません? 僕は鰯に生まれたかったなあ」

「ははっ」


 しみじみ呟くと会長が声を出して笑った。

 どうして笑うんだ?

『魚』に『弱』という字があてられているのが納得できるほど弱い魚だから、本当にイワシになったらすぐに死んでしまうかもしれないけど……。


「お前が鰯だと俺は困るな」

「どうしてですか? なんなら、会長も一緒に鰯になりませんか?」

「そうだな……お前と一緒なら鰯でも楽しいかもな」


 水槽の淡い青の光に照らし出された会長の横顔はかっこいい。

 穏やかに微笑んでいる顔を見ると見惚れてしまう。

 それに併せて今のような台詞を言われたら、照れてちょっと困る。


 そういえば……副会長が帰る前に爆弾を落として行ったんだった……。

 お手伝いをしている内に忘れてしまっていたのに蘇ってきた。

『襲う』って暴力じゃ無くて、その……そういうことだよね?

 会長が? 僕を?

 ありえないけれど、言われると「もしかすると?」と考えてしまう。


「そういえば彩斗と話をしたらしいな」

「え!? あ、はい!」


 ちょうど副会長のことを考えていたので、過敏に反応してしまう。

 僕の様子を見て、会長は訝しんだ。


「……何を話した?」

「えーと……色々……?」

「俺の話を聞いたか?」

「!」


 聞いたけど……答えずらい内容です。

 特に最後の爆弾についてはご本人様には言えません!


『襲われないように気をつけてね!』


 駄目だ……あのセリフが脳裏に浮かんで、妙に意識してしまう!

 だんだん顔がカーッと赤くなってきたのが分かった。


「き、聞いてしまったのか……」


 動揺していると、会長も動揺し始めた。

 気まずそうに僕から顔を逸らしている。


「……ホテルに行くか?」

「え? ……ホテル? ホテル!!!?」


 どうして急にホテルの話になるの!?

 こ、これは……これは……会長にホテルに誘われてるの!?

 襲うって聞いていたけど、ストレートに誘うの!?


「か、会長と?」

「? 俺も行ってもいいのか?」


 恐る恐る聞いてみると会長の顔がパーッと明るくなった。

 いやいやいや!


「よくないです! 誰とも行きません!」


 腕で必死にバツを作りながら答える。


「え? 行っては駄目なのか?」

「そりゃあダメでしょ!」


 顔を真っ赤にして狼狽えている僕を見て、会長は混乱している。


「うん? ……あの話は聞いていないのか?」

「あの話?」

「じゃあ、どういう……あ」


 今度は会長の顔がカーッと赤くなった。え、大丈夫ですか?


「お前、俺がホテルに誘ったと思ったのか!?」

「ち、違うんですか?」

「違うぞ! 絶対に違うからな! そんなわけないだろう!」


 焦りながら全力否定だ。

 それはそれで僕に全く魅力がないと言われているようで……そこはかとなく寂しいー……。


「僕とは行きたくないんですか?」

「え」

「あ。な、なんでもないです!」


 僕は何を聞いてしまっているのだ。

 これじゃがっかりしているみたいだ。


「そ、そろそろ帰りましょうか!」


 恥ずかしくて誤魔化すように歩き出すと、ガシッと手首を掴まれた。

 え? と会長を見ると……目が合った。


「俺は……行き――」


 え? もしかして……今の話の続き!?

 聞きたいような聞きたくないような……!

 戦々恐々としながら待っているのだが、そこから中々会長の口が動かない。

 僕とホテルに行き――『たい』か『たくない』、どっちなの!

 ああ、でも言わないで! どっちでも困る!


 手首を掴まれたまま暫く時が止まって――。


「「…………」


 ……なんか……疲れた。


「……帰るか」

「……はい」


 ――なかったことにしよう。


 会長とそう意思疎通できた気がした。

 うん、今のなしで。

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