八話 有名すぎる諜報員
場所は日本から大きく離れてアメリカ。ニューヨークのスラム。
大通りから一本外れた路地にクラブがあった。
軒先には筋骨隆々な男がひとり。暇なチンピラに扮して、見張りをしていた。
扉の向こうは会員制のクラブだ。といっても、ほとんどが顔パス。
地元の若い悪党が、連日連夜集まって好き放題騒いでいる。
ジャンクな音楽が大音量で流れる会場。ひしめき合う若い男女。
煌びやかなライトを浴びながら、酒を飲んで、踊る。
フロアの奥にはVIP席。
権力を象徴する高級ソファに腰掛けるのは、ベルーガと呼ばれる屈強な筋骨隆々の大男。
顔の左半分にファイアパターンのタトゥ。
裸に革ジャンという『いかにも』な風貌である。
ベルーガはギャングのボスだ。
売春から恐喝、窃盗に白い粉の販売など、スラム一帯を仕切っている悪党である。
そんな彼は、今日も上機嫌だった。
「予言者カールゥ、今週も、おまえのおかげで稼がせてもらったぜぇ。商売も投資も、面白いように上手くいった。よくやってくれたぁ!」
ベルーガの正面で飲んでいるのは、場違いなほど普通な青年だった。
上下はスーツ。髪色は落ち着いたダークブラウンで、サングラスをかけている。
ウォール街のビジネスマンで通用するだろう。
「たまたま上手くいっただけですよ」
「謙遜すんじゃねえよ。ここじゃあ、結果を出した者がのしあがる。おまえは、ふんぞり返って酒を飲む権利を与えられた」
「どうも。けど、毎回上手くいくと思わないでくださいよ。投資に関しては『絶対』なんてありませんから」
「わかってるよ。商売には浮き沈みがある。俺は馬鹿じゃねえ。だがな――」
ベルーガは満面の笑みを浮かべて、カールを見た。
「おまえが、俺以上に頭がいいことはわかってる。十分評価してるんだ」
「どーも。けど、ベルーガさんは、僕に持っていないモノを持ってますよ」
「ははッ! 否定しないんだな?」
「僕は誠実です。いいものはいいですし、駄目なモノは駄目と言います。そうでなければ、ビジネスはできませんからね」
「そうだな。言ってることは、凄えわかる」
「裏の世界は、考えを理解してくれる人が少ないんですよ。けど、ベルーガさんとなら、一緒にビジネスができると思ったんです」
カールは一ヶ月ほど前に、組織へと入ったばかりの新人。とにかく頭がいい。
株や武器、薬の取引のプランナーをしている。
先程も、大量の白い粉を捌いた。
「けど、カールぅ。そうやって俺を太らせてよ。いつかボスの座をとるなんてことを考えてやしねぇか?」
「ふふっ、ありえませんよ。消されたくないですからね。裏切りの噂があるのなら、僕に対するやっかみが原因でしょう。新参の僕が、ベルーガさんに好かれているのが気に入らないんです。まあ、不安なら組員として迎えるのではなく、契約制でもいいですよ。月々のコンサルタント料は――。
「まあ、待てよ。カール」
言葉を遮るベルーガ。
「そんなの噂や嘘が流れるのは当然だ。おまえの言うとおりやっかみに違いない。いちいち気にしちゃいられねえ。……けどな、もっとヤバイ噂があるんだよ。で、そっちが放っておけねぇんだ」
「聞きましょう」
カールは、余裕の笑みを浮かべた。
「――おまえが、CIAのスパイだってよ」
空気が代わった。と、カールは思った。
ベルーガも、それなりの確信を持って発言したのだろう。表情に真剣味が帯びている。
会話が聞こえたのか、ギャラリーが続々と集まってきた。
まるで、カールを包囲するかのように。
「ありえないです。僕、警察嫌いですから。大学卒業後、悪名高いシカゴ警察に就職しようとしたんです。そしたら、不採用どころか、まったく関係のない事件の容疑者にしようとしてきたんです。はは、もう誰でもお構いなしですよ、あの町は」
「つまらないジョークはいい。こいつを見てみろ」
ベルーガは、スマホの画面に動画サイトを映し、テーブルを滑らせるようにカールの方へとやった。
「なんです、これ?」
「日本の番組だ。インタビューを受けてるCIAがいんだろ? テメエと声がそっくりなんだよ。余裕ぶった偉そうなしゃべり方も。体格も、目つきも」
「顔が違いますけど? 髪色も凄いですね……左金髪、右真っ黒」
「最近のフェイスマスクはデキがいい。ましてや諜報員が用意するものとなればなおさらだ」
「うちはCIAに目を付けられるほど大きい組織ではないと思いますが?」
ベルーガは、ウイスキーをビンでラッパ飲みする。
「ゲフッ……。うちは小さな組織だが、取引先は大手ばかり。情報収集するには、ちょうどいい規模なんじゃねえか?」
「それだけで、僕を裏切り者だと決めつけるのは早計じゃないでしょうか?」
「じゃあ、フェイスマスクを被ってねえか、確認させてもらうぜ。――おい」
命じられた部下が、カールの顔に指を近づける。
「勘弁してくださいよ。男でも化粧をする時代ですよ。メイクが落ちちゃいます」
「それじゃあ疑いは晴れねえぞ」
カールは、やれやれと肩をすくめた。
「はあ……。いいよ、わかった。認めるよ。僕はCIAだ」
囲んでいた連中が、一斉に銃を抜いてカールに向けた。
「おい、音楽を止めろ!」
賑やかさが消える。
誰もがボスであるベルーガに意識をやった。
「ははッ! おい、みんな、聞け! 我らが友人カールはCIAの諜報員だったらしいぞ!」
さらに、続々と、ギャラリーが集まってくる。
中には、ヤバイと思ったのか、逃げ出す者もいたが。
カールは、フェイスマスクをベリベリと剥ぎ取った。
「ふう。僕の名前はカーライル・ブラックヒル。歳は二十六。好きな食べ物はフィレ肉と天麩羅。紛れもなくCIAの諜報員だよ」
CIAとは、アメリカの諜報機関である。一般的なイメージはスパイだろう。
実際には、国益のために様々なことを秘密裏にやっている。
普通ならば、大勢の前で正体を明かすことはしない。
「ベルーガさんのおかげで、商品の流通ルートがいろいろとわかったよ。ありがとね。実をいうと、もう少しだけ一緒に仕事をしていたかったんだけど」
「現実を見た方がいいんじゃないか? CIAだとバレた以上、生きて帰れると思っているのか?」
「え?」
カール――もとい、カーライルは周囲を見渡した。
三十人近くの構成員が、カーライルを狙っている。
「誰か、手錠持ってねえか? 天井に吊せ」
ベルーガが言うと、部下が手錠を取り出してカーライルに近づいてきた。
――しかし、そいつは献上するようにカーライルへと手錠を渡した。
受け取ると、カーライルは品定めするように眺める。
「玩具みたいな手錠だね。はい、ベルーガさんにあげるよ」
カーライルは、ベルーガの方へと放り投げる。
「あ? 何言ってんだ? テメエも、渡してんじゃねえよ――」
カーライルは、指をパチンと鳴らした。
その瞬間、彼に向けられていた銃口が、すべてベルーガへと向けられる。
「……………………は?」
唖然と、口を半開きにするベルーガ。
「ど、どういうことだおまえらッ?」
狼狽気味に問いかけるが、誰も答えてくれなかった。
かつて部下だった者たちは、バツが悪そうに視線を伏せる。
「彼らとはね、ちょっとだけ『交渉』したんだよ。例えば……そうだね」
カーライルは、スキンヘッドの巨漢を指さした。
「彼の名前はスコット。根っからの悪党だが、よくできた妹さんがいる。恐喝で稼いだ金で、妹さんを大学にやったんだ。今年卒業なんだけどね、彼がパクられると中退しなくちゃならないそうなんだ。大変だよねぇ。そこで、僕が少しだけ便宜を図ってあげたんだ」
「テメエ! そんなことで裏切ったのか?」
「い、いや……その……」
そんなこと、と、ベルーガはのたまうが、彼にとっては人生を左右する重大な分岐点である。妹は、スコットの希望だ。自分が原因で、妹の未来を閉ざしたくないのだろう。
「そっちのボウシの子はジョージ。祖母の病院代を稼ぐため、悪事に手を染めたんだ。おばあさんが知ったら、さぞかし悲しむだろうねぇ。大勢の人の血によって作られた金で介護されていたんだ。優しい孫の正体は、多くの他人の人生を潰したクソ悪党だったと知ったら、心臓が止まるだろう。ああ、止まらなくても、稼ぎがなくなれば自然と死ぬだろうけど。で、不憫に思った僕は、安い病院も紹介してあげて、お口にチャック」
家族や友人など――悪党であろうと弱みはある。
家族や友人を引き合いに出されて怯まない奴は、私利私欲や保身が弱みになる。
弱みがなければ、弱みを作ればいい。
脅迫こそがカーライルの交渉方法だ。
――交渉の極意は、相手の心をへし折ること。
どっちがイニシアチブを握っているのかハッキリさせる。
これがもっとも確実で、手っ取り早い。
「僕は、潜入捜査をしている間に、四十六人の構成員と交渉した。立場を覆すには十分すぎる人数だと思うよ」
「は、ははッ! ざけんなッ! カーライルを殺せ! 弱みを握られてるか知らねぇが、殺しちまえば帳消しだ!」
「無理だと思うよ?」
カーライルが死ねば、秘密は暴露されるようになっている。
他の諜報員が報復を代行してくれる。
――と、連中には言ってある。
「じゃあね。もう少し組織で贅沢したかったけど。潜入捜査は今日でお仕舞いだ。組織も解散。あとはみんなに任せたよ。はい、これ」
カーライルは、テーブルにあった重々しいガラスの灰皿を、適当な誰かに渡した。
ギャラリーが道を譲った。カーライルは悠々とその場を離れる。
「お、おまえら! よせ! や、やめろ! これまで散々かわいがってやった――」
「すいません、ベルーガさん。俺たち、カールに従わないと……家族が……」
「やめッ――」
静かなクラブに、ベルーガの悲鳴が響き渡った。
それを背中に感じながら、カーライルは立ち去ろうとした。
ふと、ギャラリーの中から、露出の高いドレスの女性がふらりと現れ、カーライルと並んで歩く。
「お疲れ様です、カーライル」
「エレノア。どうだった、僕の演技は」
「声優の仕事が増えそうです。とても滑らかな演説でした」
「演技の方を聞いてるんだけど?」
「ハリウッド映画のエキストラのオファーが来るかも」
彼女はエレノア・ジェンハーツ。
CIAの諜報員で、カーライルの相棒だ。
いや、カーライルは『相棒』という関係が嫌いゆえ『部下』と、言った方がいいだろう。
「諜報員なのに、派手な仕事をしますね」
「いいんだよ。すでに有名人だからね。――で、僕が暇つぶしをしている間に、面白そうな仕事は見つかったかい? トム・クルーズが引き受けそうな、インポッシブルで派手なのがいいなぁ」
歩きながら、二人は言葉を交わす。
「日本で異世界人が見つかったそうです」
「はは、事実なら面白いね。ジョークならクソすぎるけど」
「喜んでください。前者です」
面白いはずの報告だが、素直に笑えなかった。
歩き始めた足が、止まってしまう。
「……モルディブへ休暇に行くってのはどうだい? 片道の航空券を出してもらうよう、長官にお願いしてみるよ。僕は行かないけど」
「疲れていません。真実です。現地の諜報員から連絡がありました。魔法の国から、三人の異世界人がやってきたそうです。ビルを占拠し、結界を張って立て籠もっています」
「エレノアは、その報告を信じたのかい?」
「裏は取ってあります。二時間後、日本のニュースでも取り上げられる予定です。嘘だと思うのなら、ユーチューバーが撮影した画像もありますが……」
エレノアはスマホで画像を見せてくれた。
透明な結界を前に、四苦八苦する警察連中の姿がある。
「……疑う余地はないのかい?」
「日本の警察が、このような嘘をつくとは思えません。エイプリルフールでもないです」
エレノアは馬鹿ではない。眉唾なら、報告しなかったであろう。動画も本物らしい。
馬鹿げた話だが、異世界人の襲来は事実というコトになる。
「……驚きだな。まさか異世界人がやってくるとはね。僕は、宇宙人の方が時代に合ってると思ったんだけど」
「同感です」
「それで、なぜ、僕に伝えた? 異世界人に会ってみたーい、とでも言うと思ったのかな?」
「相手が宇宙人でも異世界人でも、アメリカが中心となって接触すべきでしょう」
「ふむ」と、カーライルは得心する。
「日本か……あまり好きじゃないね。料理が合わないんだ。生の魚にイルカ、鯨。河豚をわざわざ毒を取り除いて、おいしいおいしいと食べたりするんだ。正気じゃない」
「天麩羅は好きでしょう」
「あの料理だけは認める」
「もうひとつ情報を。……異世界人を包囲しているのは現地の警察なのですが、あの寒川静奈が指揮を執っているそうです」
「寒川……静奈……。そういえば、そんな奴もいたね」
カーライルにとって、寒川静奈は因縁のある相手だ。
彼女の名前を口に出すなど、エレノアも交渉が上手くなったものだ。
異世界人相手に仕事させたいのだろう。
もっとも、今となってはさほど静奈に執着もないが。
「世界が注目する事件です。カーライルにうってつけだと思いますが?」
カーライルは『有名すぎる諜報員』と呼ばれている。
普通なら、身分を隠してナンボのCIAであるが、彼は隠そうとしない。
広告塔か、あるいは情報操作か。こういう職員も使い道もあるのだろう。
テレビ番組に出演して、嘘を混ぜた適当且つ都合のいいトークを世界各国でしている。
そのうちに、有名になってしまった。
というか、カーライルは自らその役目を買っていた。
「ふむ……。いいよ。調べてみようか」
異世界人や静奈に会いたいわけではない。
だが、出世のチャンスには違いないだろう。
未知の文明や魔法が存在するのならば、それは新たな技術をもたらすソースとなる。
それを日本に独占させるのは、もったいない話だ。
この件に絡むのは、少々労力が必要であろうが、もし、異世界人との国交が始まった場合の恩恵を考えると、放っておく手はない。
「かしこまりました。では、そのように手配しま――」
「カァアアアァアァァァァルゥゥウウウウゥウウゥウウ!」
その時だった。会話を遮って、ベルーガが叫んだ。
リンチを受けている最中、かつて仲間たちだった者たちを殴り飛ばし、強引に包囲から抜け出てきた。
同時に振り返るカーライルとエレノア。
ベルーガの全身は血まみれだった。
息を荒くして、射殺さんばかりにカーライルを睨みつけている。
「元気ですね、彼」
「喧嘩の強さだけでボスまで上り詰めたんだ。脳の代わりにステロイドが詰まっている」
「テメエだけはぶっ殺してやる! よくも、よくも俺の組織をぉおぉおおぉぉッ!」
気づけば、銃が握られている。それを、カーライルに向けた。
すると、エレノアが動いた。すぐさま射撃軸線上へと移動する。
ベルーガが発砲した。
その弾丸を、エレノアは素手で――正確には手袋で弾き飛ばす。
「へ……な、なんだそりゃ……」
「エレノア、何それ? 新兵器?」
「極薄の防弾グローブです。すいませんが、トリガーを引くだけの簡単な仕事を手伝ってもらえないでしょうか?」
「おーけい」
軽妙に言い放ち、カーライルは銃を抜いて、ベルーガめがけてトリガーを引いたのだった。