四十九話 さあ、交渉を始めようか②
正面玄関から屋外へ。
「あ~、久しぶりのシャバの空気だ」
大きく深呼吸する俺。
「おつとめご苦労様です。ちなみに、悪いことをすると、コレよりも厳しい環境で年単位の労働を強いられるので、絶対に悪いことはしないでくださいね。女の子もいませんから」
懲役って恐ろしい。
見慣れた光景だが、俺にとっては新鮮な感覚だった。
警察や軍隊のおかげで、景色は随分と変わっているし。
けど、すぐに俺は自由を奪われることになる。
カーライルの部下たちが、俺と有馬を包囲してきたのだ。
身構える有馬。
「お疲れさん。マスター有馬。カーライルがお待ちだ」
「……晴樹くんを傷つけるのなら相手になりますよ?」
「安心しろ。連れて行くだけだよ。マスターと戦う気はない」
抵抗する必要もないだろう。俺は、リュカの元を離れ、一民間人と化した。
事件の重要参考人なのだ。指揮官のカーライルと話をすることは避けて通れない。
「おら、ボウズ。おまえの姉ちゃんも待ってるぜ」
選択肢などない。。
俺と有馬は、本部トラックへと足を運ぶのだった。
☆
俺は、段差を踏みしめるようにして、対策本部トラックの中へと入る。
有馬が後に続いた。
対策本部トラックには、アメリカ人と日本人のスタッフが合わせて六人ほど。
そして、奥のソファには静奈とカーライルがいた。
「よ、晴樹。おひさ」
「心配かけたな、姉ちゃん」
相変わらず、緊張感のない調子だ。頭の上には、ぎるてぃが乗っている。
「やーあ! よくいらっしゃいましたぁ! 会いたかったよ晴樹くん! 怪我はなかった? 大丈夫? お腹空いてないかな?」
カーライルが大仰に手を広げて出迎えてくれる。
俺の前までやってきて、歓迎するように握手を求めてきた。
もちろん、応じる気はない。
「おかげさんで。……あんたの部下に腕をへし折られそうになったけどな」
――ここからが、俺の戦いの始まりだ。
リュカも、クラリティも、チェルキーも、シエルも、アクセリオンも、やるべきことを成してくれている。
俺も、同じライン上に立っている。あとに引くことはできない。
「僕は、丁重に扱うよう言ったんだけどね」
「あなたからの命令だと言ってましたよ?」と、有馬。
「おやぁ、有馬くんが邪魔をしたのかな? 弟たちの進路がどうなってもいいと?」
「御勝手に。私のボスは静奈さんだけです」
「バカだとは思っていたけど、これほどとはね。まあいい。さ、晴樹くんは、少し僕とお話ししようか」
ソファ席から、静奈が声を飛ばす。
「晴樹には黙秘権がありまぁす。この供述は法廷で不利な証拠として用いられる場合がありまぁす。晴樹には弁護人の立ち会いを求める権利がありまぁす」
「どうしたんだい静奈」
「ミランダ警告によると、晴樹には弁護士の立ち会いを求める権利があるんだって。そんなわけで、弁護士としてあたしが付くよ。質問があるなら、あたしを通してもらえるかな?」
「静奈、弁護士バッジ持ってるの?」
「胸のこいつが見えないのか?」
静奈の胸には、メモ用紙で作ったネームプレートがあった。
『べんごしばっじ』とマジックで書かれている。
「いいよ、姉ちゃん」
静奈を制する俺。
「バカ。あとは、姉ちゃんと、チーム静奈に任しときな」
有馬や、モニターの前の日本人が、深く頷いていた。
「大丈夫だよ。俺も、カーライルには話がある」
「男らしいね、晴樹くんは」
カーライルが不敵に笑う。
静奈は、対峙する俺たちを見て、やれやれと肩をすくめた。
「お姫様たちは強行突破を選んだようだが……君の入れ知恵かな?」
「そうだ」
「悪くない判断だ。籠城を続けても、敗北が先延ばしになるだけ。戦った方が、まだ可能性はある。桶狭間ウォーのようにね」
「驚いていないところを見ると、俺たちがこういうことをするのを読んでいたわけだ」
「読んでいたというよりも、まんまと挑発に乗ってくれたと言った方がいいかな? テロ行為をしてくれたら、僕たちは何をしても許されるからね」
ここまでは筋書き通りだ。
――お互いの――。
「何かを仕掛けてくるのはわかっていた。だから、僕は信頼できる祖国の精鋭を集めたんだ。武器も最先端のモノばかり。剣や弓矢で戦争している国の、時代遅れのお姫様が勝てると思っていたのかな?」
「……勝てるさ。あいつらは魔王を倒し、世界を救おうとしているんだぜ?」
楽しげな表情で、カーライルは「ふむ」と、相槌を打った。
「よしんば突破しても、異世界人に逃げ場はない。シベリアの片田舎ならともかく、ここは日本だ。本気を出した警察から逃げられるわけがない。……そこで、聞かせてもらいたいんだが……君たちは、いったい何を企んでいる?」
「何も企んでいない」
カーライルは、眉を下げて困り果てた表情を浮かべる。
「静奈。君の弟は、どうしてこんなに嘘が苦手なんだろうね」
「正直者に育てすぎた。後悔はしてない」
「……晴樹くんの目は、真っ直ぐだ。希望と覚悟に満ちている。何かあることぐらいわかる」
カーライルは、鼻で笑った。
「……動機は……あんたに従うのが嫌だったからだ」
「だから戦いを? 無駄なあがきのせいで、傷つく者が増えているという自覚はあるのかな? ダメージを受けるのは僕じゃない。軍人や警官だ」
「おまえはリュカたちのことをわかっていない。あいつらがいなくなったら、異世界の人間が大勢苦しむんだぞ」
「知らないね。君と異世界人の外交がヘタなのが悪いんだ。自業自得だよ」
「いいや。カーライル。おまえが原因だ。出世のために、すべての他人を巻き込んだんだ。平和的な解決を望むのなら、静奈に任せておけばよかった」
「結果論だね」
「ふざけるな……。努力もせず、心を痛めることなく、命を削ることなく、大勢の人生を潰そうとしているんだぞ。自分の身に置き換えてみろ!」
「置き換えて考えているよ? ゾッとするね。だから、僕は蹂躙する側にいるんだ」
「クソだな。性格」
「甘いんだよ。クソガキ」
次の瞬間、俺の顔面に拳が叩き込まれる。
「がッ!」
「晴樹くん!」
よろめく俺を支えてくれる有馬。
静奈は動かなかった。動かないまま、彼女は語る。
「世の中には、話の通じない馬鹿がいる。自分の価値観を絶対視して、他人の人生を糧にすることに躊躇いがない。大抵刑務所に行くんけど、中には知恵の回る奴がいるんだ。そういうのが政治家になったり、こうしてあたしたちの目の前に現れて、邪魔をする。要するに、会話をするだけ無駄」
「さすがは親友。僕のことをよくわかってる。――さて、晴樹くん。何を企んでいるのか教えてくれないかな? 場当たり的な犯行じゃない。まだまだ威勢がいい。目も死んでいない」
「正面突破」
「それだけじゃないだろ? さあ、言いなよ。君の人生を握っているのは、この僕だということをお忘れなく。異世界人たちも状況次第では殺せと言ってある。もし、不幸があったら君の責任だよ?」
「あいつらは、絶対に死なない」
「大層な自身だね。未開の地の猿に、何を期待して――っと?」
カーライルの腰にあった無線が鳴り響く。
カーライルは「ふむ」と、嬉しそうな表情で、それに手をかける。
「悪い報せじゃないといいけどね。――どうした?」
カーライルは、報告を受けると、嬉しそうに俺を一瞥した、
『…………なるほどね。うん、すまないが、大きな声で、もう一度言ってくれるかな?」
カーライルは、無線をスピーカーモードにして、全員に聞こえるようにした。
『――はっ! たった今、ターゲットの裁縫師を始末しました』
「な……」
「始末? それはようするに殺したと解釈していいのかな?」
『はい。間違いありません。アクセリオンは、やむを得ず殺害しました』
「ご苦労様」
そう言って、カーライルは無線のスイッチを切る。
「う、嘘だッ!」
叫ぶ俺を無視して、カーライルは部下に指示をする。
「君たちも仕事をしてもらえるかな? ビル内の状況がどうなっているのか、すべて報告してくれたまえ」
アメリカ人スタッフは、すぐさまヘッドセットをつけて、突入した軍人たちに現場を撮影するように言う。あるいは、現場がどうなっているのかの報告を受ける。
カーライルは勝ち誇った表情で言った。
「悲劇だね。晴樹くんが、無茶な作戦を立案しなければ、死なずに済んだものを。世間では、こういうのをなんていうか知っているか?」
「……アクセリオンは死んでいない」
俺は、落胆の表情を見せながら、否定した。
けど、カーライルは構わず言い放つ。心へと差し込むように。
「無駄死に、だ」
俺は、グッと拳を握りしめた。
「違うよ。晴樹は守ろうとしたんだよ」
「弁護士資格のない奴は黙っていてもらおうか」
こうしている間に、続々と報告が上がってくる。
「現在、七階にてリュカ、シエル、チェルキーと交戦中です」
「しぶといね」
「――ですが、クラリティを拘束したとの報告があります」
「そ、そんな……バカなッ!」
喚く俺を見て、静奈は視線を伏せた。
「は、ハッタリだ! リュカたちは、軍隊を退けるだけの戦力を持っている。拘束したなんて嘘だ……リオンを始末したなんていうのも――」
「じゃあ、真相を確かめてみようか。――クラリティをここへ連れてこさせろ」
「はっ! すでにこちらへ連行中です」
カーライルは、クルリと回って、俺を見つめる。
薄気味悪い笑みを浮かべて、揚々と彼は語る。
「これが、晴樹くんの招いた結果だよ。さぁ、彼女たちは地獄だぞぉ。とりあえず、この剣士は人質に使おう。酷い目に遭わせれば、犬姫も抵抗をやめるだろう」
「……やめろ、カーライルッ」
「お願いするのなら、まず、仲直りからじゃないのかな? 靴を舐めてみる? 少しは僕の機嫌が直るかもしれない」
「カーライル。それぐらいにしときなよ。悪戯が過ぎると、密告するよ。あまり、あたしたちを舐めない方がいい」
「静奈も、僕を舐めない方がいい。僕が絶対だと言ったら絶対だ。まずは、異世界人共の心を折る。逆らったらどうなるかを教えてやらなければならないんだよ」
「国際問題にしてでも、あんたをぶちのめすよ。あたしは」
「――だ、そうだ。晴樹くん。……お姉さんにばかり言わせておいていいのかな? さっきまでの威勢はどうしたのかな? ん? ん? ……おや、モニターを見てくれ。人質なんかとる必要なかったみたいだね」
モニターに映るのは、リュカたちが叩きのめされている光景。
圧倒的な戦力に、為す術もなく、次々に手錠をはめられていく。
すると、やがて後部の扉からクラリティが入ってくる。
――軍人に連れられて。
「す、すまない晴樹……」
クラリティは、申し訳なさそうにつぶやいた。
軍人に背中を蹴飛ばされて、地面へとぶっきらぼうに突っ伏す彼。
「待ちかねたよ、異世界人様ぁ! どんな気持ちかな? あれだけ威勢良く吠えていたのに、このザマだ。晴樹くんを信じたら、このザマだ。ザマァないねえ。ははははは!」
彼の頭を鷲掴みにして、顔を見るカーライル。
「はははは……はは……は?」
カーライルは笑いを止め、訝しげに問いかける。
「……これは、どういうことかな?」
「は? どういうこととは? な、何か問題でも?」
困惑気味に返す隊員。
「本気で言っているのか? 『ぬいぐるみ』に手錠をかけて……本気で言っているのかッ?」
その実、連れてこられたクラリティは、布と羽毛で構築された等身大の『ぬいぐるみ』であった。精巧に作られているとはいえ、近くで見れば人間ではないとわかってしまう。
「そ、そんなバカな。自分は、間違いなくクラリティ・ウーロフランを連れてきたはずです! ぬいぐるみなんかじゃないんだよ?」
「貴様、まさかッ!」
軍人の胸倉を掴むカーライル。瞳の奥底を覗き込むように直視する。
顔つきは凜々しく、態度も軍人らしかった。
だが、瞳に生気がないことはわかるだろう。
カーライルは奥歯を噛みしめた。
そして、憎々しげに振り返ると、俺の顔を殺意を込めて睨んだ。
「――どういうことだッ! 神山晴樹ッ!」
「……俺、フルネームで呼ばれるの好きじゃないんだよな。はは。ほら、姉ちゃんとさ、姉弟なのに名字が違うんだぜ? なぁんか、違和感があるんだ」
俺は、どうでもいいことを言った。
たぶん、緊張しているからだと思う。
あと、静奈の真似をしてみたかったからだと思う。
余裕タップリに、相手と交渉する静奈をかっこよく思っていたから。
静奈はニィと笑った。
笑って、俺のどうでもいいつぶやきに付き合ってくれる。
「んじゃ、結婚する?」
「神山と寒川、どっちの名字がいいかな?」
カーライルは銃を抜いた。それを、俺の額へと押しつける。
「発言を間違えるなよ。何が最後の言葉になるかわからないぞ」
足が震えそうだった。もっといえば、小便をちびりそうだ。
カーライルという悪党が、殺傷能力抜群の武器を、絶対に避けられない距離で突きつけているのだから。
けど、俺は、ガーバングラフの臨時外交官。
そして、静奈に代わって、この世界と異世界を繋ぐための交渉人としてここにいるのだ。
怯えてなんかいられない。
感情を殺し、ほのかな笑みを浮かべて俺は言った。
寒川静奈のように。
「――さあ、カーライル。交渉を始めようか」