四十八話 姉の職場へ遊びに行こう
「リュカ、大丈夫か?」
「平気ですわん」
「はあ、さすがはリュカ先輩なのです。助かったであります」
リュカが結界を解いてくれる。
「ほーい! りゅかちゃん、よくやったんだよぉ!」
チェルキーが、リュカのお腹を撫で撫で。
すると、彼女は姿勢を低くし、頭も撫でてくれといわんばかりに差し出した。
リクエストに応えて頭も撫で撫で。もの凄く嬉しそうに表情をしている。
犬耳モードの名残というか、呪いであろうか。
「はるき。飼い主直々にちゃんと褒めてあげるんだよ」
「へ? か、かかか飼い主じゃね――」
言うと、リュカが嬉しそうに四足歩行で駆けてきた。
褒めて褒めてと言わんばかりに、期待の眼差しを向けてくる。
「う……あ……」
恥ずかしかった。けど、それ以上に、期待を裏切るのがかわいそうだった。
俺は、赤面した顔を背けながら、リュカの頭を撫でてやる。
すると、彼女は身体をずらして、首を撫でさせてきた。
「んん~」
艶めかしく喜ぶリュカ。
ナニコレ。本当にリュカですよね?
あとでビンタとかされませんよね?
「わん!」
そして、ついには首めがけて抱きついてくる。身も心も犬なのだろうか。
犬だとしたら、このまま顔面ぺろぺろが始まってしまうぞ。
と、その時だった。不満顔のシエルが割って入って俺たちを引き裂いた。
「はぁーい。そこまででありますぅ」
シエルは、リュカの額にデコピンをした。
「痛ッ」
「先輩、いつまでトランスしているでありますか。ほら、仕事が残っているでありますよ」
「え? あ、はい! あははは! これは失礼しました! とととというか、晴樹さんも、なんで止めないんですか! 放っておいたら、凄いことになってましたよ!」
凄い事ってなんだろう。
幸い、全員大きな怪我はない。リュカも、モードが解除されたようだ。
「ようし、それじゃあ、ネクストプランに移るんだよ!」
「ああ、リュカとシエルは引き続き敵を頼む。チェルキーは例の作戦を進めてくれ」
「おう、なんだよ!」
「ここまでやれたのは、晴樹殿のおかげなのであります」
「晴樹さんも気をつけてくださいわん。相手は、悪徳諜報員ですわん。危ないと思ったら、いつでも終わりにしてくださっていいですからにゃん」
☆
リュカたちを置いて、俺は単身部屋を出ることにした。
俺の役目はビルを脱出すること。
ここから先は、一緒にいても仕方がない。
まず、階下に繋がる階段へと急ぐ。
すると、バラバラバラバラという、音が聞こえてきた。
窓から外を眺めてみると、いくつものヘリコプターが飛び回っているではないか。
「おいおいおい」
ビルの屋上へと集まってきているようだ。
ヘリの音に混ざって、
「行け、油断するな! 相手を人間と思うな!」「ジャギア隊長からの連絡が途絶えたそうだぞ!」「遠慮はするな。見つけ次第発砲しろ!」
続々と、軍人たちが屋上へと降り立っているらしい。
こっちの弱点は人数である。
休憩も回復も望めない以上、持久戦は不利。
「大丈夫なのか……?」
――いや、俺には心配する余裕などない、か。
塔屋の方から、次々と軍人が流れ込んでくる。
俺は、それらに見つからないよう、すぐに階段を下りていった。
「わんわんわん! がるがるるるるう! がるがる、うぉんうぉん。ばるばるばるのぐるるるるるです! ばふぉめっとばふぉめっと!」
お姫様の咆哮が聞こえてくる。足止めしてくださっているようだ。
どうやら、犬耳の呪いは解けてなかったらしい。
☆
クラリティもアクセリオンも、それぞれ敵と戦っているのだろう。
様子を見に行きたいところだが、俺には俺の仕事がある。階段をひたすら下りていく。
トラップは気にしなくていい。作動させるアクセリオンが戦闘に突入した以上、発動できないのだから。
しかし、敵は意識しているようだ。トラップ満載のルートをあえて避けている。
ゆえに、俺の脱出ルートは確保できていた。
民間人である俺が見つかったところで問題ないと思う。けど、一応警戒しておいた。
脱出さえすれば、静奈側の警官隊も少しはいるだろう。
それまでは慎重に行動するつもりだ。
階段を下りる度に、敵がいないかを確認しつつ一階までたどり着く。
だが、廊下を歩いていると、正面玄関の方から二人の米兵が姿を見せる。
「おっと、ヤバッ」
俺は、近くの空き部屋へと入って息を潜める。
ドアの向こうから、カツカツと靴音が近づいてくる。心臓がドキドキと騒ぎ始めた。
『エレノアさん、やられたらしいぞ?』
『CIAって言っても、所詮は女だな』
『つか、CIAって諜報機関だぜ? あいつら朝から晩までグーグル検索して遊んでんだろ? 現場で使えるわけがねえんだよ』
『くくっ、言えてる』
談笑の声が、廊下を移動している。
やがて、それが小さくなって、消えるのを確認。
俺は、ゆっくりと慎重に部屋から出た。
その瞬間、ドン! と、胸を蹴飛ばされた。
「おう。俺たちをやり過ごしたつもりかぁ? あ?」
「部屋に入ってく影が見えたんだよなぁ」
「え、あっ……」
先程の米兵さん、通り過ぎたフリをして戻ってきたらしい。
尻餅をついた俺は、追い詰められた子悪党のようにあとずさる。
「ままま待ってくれ! 俺は人質だ! あんたたちが襲撃してくれたおかげで、ようやく解放されて――」
「事情はわかってんだよ。お姫様たちと仲良しなのもな」
ええ、仲良しですよ。
けど、無抵抗かつ戦闘能力のない俺に、ライフルなんて物騒なモノを向けないでいただきたい。
「安心しろ。一応、おまえは被害者だ。外に連れて行ってやる」
「よ、よかった。」
ホッと胸を撫で下ろす俺。
「けど、無事にとはいかねえ」
「へ?」
「ボスに言われてるんだ。もし、神山晴樹を保護したら、事故を装って、腕の一本でもへし折ってから、連れてこいってよ」
「腕を……折る……? ま、待て! そんなことして許されると思ってんのかよ!」
だから、見つかりたくなかったんです。
「大好きなお姉ちゃんにチクるなら勝手にしろ。日本のガキは、世の中の厳しさを知らねえんだな。ウチのボスなら許されるんだよ。なぜなら権力持ってるからぁ」
屈強なアメリカ軍人に、首を掴まれ持ち上げられる。必死に藻掻くが、微動だにしない。
殴りつけても、痛がる様子すらなかった。
リュカたちは、このような連中を相手にしていたのか。
「ぐっ! えぐぅ……ッ」
「悪いな。これも仕事なんでな。おい、警棒を貸せ」
「ぎ、ぐ……ぎぎぎぎぎッ! ぎぎッ?」
覚悟したその時だった。
――俺は、彼らの背後に鬼の姿を見た。
「あなたたち、何をしているんですか?」
低く、呻くような声だった。
「へ……?」
軍人は素っ頓狂な顔で振り返った。
瞬間、その軍人は宙を舞った。
技術とかトリックとか、そんなチャチなものではない。
ただの純粋な力だ。
横腹を殴られ、身体が宙に浮き、歪な体勢で壁へと叩きつけられたのである。
俺は、再び床へと尻餅をついた。
「あ、有馬さん?」
「ま、マスター有馬……ッ? ひぃッ」
脅えながらも、そいつは拳銃を抜いた。
有馬が間合いを詰める。銃を掴んで、捻るように奪い取ると、素手でバラバラに分解してしまった。
掴みかかろうとする軍人。
だが、触れた瞬間に投げ飛ばされ、床へとたたきつけられる。
「何をしているのかと聞いているんです」
「い、いや、カーライルの命令だ! 晴樹を見つけたら痛めつけろって!」
「許されるとでも?」
「おまえだって、出世がかかってんだろ? な? 仲良くやろうや――ぐばッ!」
有馬は、容赦なく顔面へと下段突きを叩き込む。
「わかってないですね。私たち姉弟は、静奈さんにご飯を食べさせてもらってるようなものなんです。裏切るわけがありません。カーライルに媚びたのは、こうやって作戦に関わるためですよ」
パンパンと手を払う有馬。
騒動に気づいたのか、ぞろぞろと軍人が十人ほど入ってくる。
「お、おい、ここで何を……マ、マスター有馬……?」
状況を見て、何があったのかを察したのだろう。
連中は、一斉に銃を向けた。
「う、動くな!」
「私は、職務違反をしている軍人を罰しただけです。銃を下ろしてください」
「う、動くなと言っている!」
「下ろさないなら、彼らの仲間と判断して、厳罰に処します」
有馬は、ゆら、と、動いた。
次の瞬間。まるで転移したかのように連中の懐へと飛び込んでいた。
「はぅあッ!」「サムライだ!」「ニンジャだ! ニンジャ!」「サスケェ!」「ゲイシャ!」
戦いは一瞬だった。相手の銃を掴み、次々に解体していく。
有馬が動けば、米兵が倒れていく。
まさに鬼神である。
時間にして一分もかかっていないと思う。
意識のない軍人が十名ほど転がった。
立っているのは、やれやれと溜息をつく有馬様だけである。
「あ、相変わらず凄いですね」
「うふふふふふ。かっこいいですか? 惚れ直しましたか?」
にこやかに微笑む有馬。先程までの鬼の所行が嘘のようだ。
「は、はは、はい。そ、それで、姉ちゃんはどこに?」
「カーライルと一緒に、本部トラックにいますよ。おかえりなさい、晴樹くん」
手を差し伸べる有馬様。
手を取ると起こしてくれる。嬉しそうに俺と腕を組む。
そして、スキップしながらビルの外へと連れ出してくれたのだった。