四十七話 ワンダフル・プリンセス
ガーバングラフ。
狼を盟友とし、狼と共に歩んできた王国。
王家の者は、狼の神ウルフィオの血を引くとも言われている。
犬耳カチューシャは、身体に流れる狼の血を騒ぎ立てる。
それゆえ、犬笛に翻弄されることもあるだろう。
だが、血を覚醒させれば、ウルフィオが宿る。
――その時、リュカトリアス・ライエットは狼神の力を手に入れる。
リュカは、ぐったりと項垂れる。けど、その顔は笑みで濡れていた。
掌を床へと着け、狼の如く四肢を置いた構えを取る。
オッドアイの瞳を紅へと染め、巨大犬を睨みつけた。
バケモノが、一瞬のひるみを見せる。
無理もない、と、リュカは思った。
世界は違えど、目の前に居るのは狼の神の化身なのだから――。
「怯むんじゃねえ!」
飼い主の怒号を聞いて、すぐさま闘争心を取り戻すバズウ。
リュカは、敵たる巨犬に敬意を抱く。
神に向かうことを無礼とは思わない。哀れとも思わない。
主のために戦う姿は、美しく勇ましい。
――その心意気やよし。
そう、心に構えて、リュカは挑む。
獅子の如き牙を剥き、襲いかかるバズウ。
「ガルッルルルルッ!」
「わんッ!」
低く。低く。駆けるリュカ。相手の懐に滑り込む。そして、圧縮したバネの如き筋肉を解き放つ。跳ねるようにして、拳をぶつける。
すると、百キロ以上あるであろうバケモノの巨体が、吹っ飛んだではないか。
派手に天井へと叩きつけられ、バズウは床へと落下する。
「これも……リュカの能力なのか……」
晴樹が驚いていた。
「りゅかちゃんは、狼になりきることがあるんだよ。もの凄い力を発揮するんだよ。きっかけはわからないんだよ」
おそらく、犬笛だろう。自分が犬ではないかと錯覚することが、今回の能力発動のトリガーになった。加えて、春樹の言葉も関係しているのだろう。
信頼できる誰かの命令。
身を委ねることで、トランスできた。
これまでに数えるほどしか、この状態になったことはない。
「……野郎ッ」
般若のような形相で、ジャギアが睨みつける。
「相棒がやられて悔しいのですか?」
「当然だ。十年近く一緒に暮らしてきた家族だぞ」
言って、ジャギアは上着を脱ぎ捨てる。シャツを破き、裸体を見せつけた。
「この全身の傷を見ろ。ぜぇんぶ、じゃれあって付けられた家族の証だ!」
なるほど、見事な勲章である。
「ただじゃあおかねえ!」
敵だが、この人は心優しい人だ。きっと、バズウも誇りに思っているのだろう。
犬好きに、悪い人はいない。
ジャギアは、巨大なサバイバルナイフを抜いた。
それを、リュカめがけて振り下ろす。
リュカは貫手を撃ち放つ。魔力の込められたそれは、さながら狼の牙だ。
その巨大な刀身を撃ち抜き、へし折ってしまう。
「なっ……」
「あなたは戦士でした。牙を交わせたことを誇りに思います」
リュカの拳が空を切る。
ただ、それだけ。ジャギアには、指一本触れていない。
なのに――。
「狼神魔法ウルフィ。見えない爪が、あなたを襲いました」
「な? ――ぐッ、あぁぁあッ?」
ほんのわずかな間を置いて、ジャギアの右肩から左の横腹めがけて、巨大な爪痕が迸った。
鮮血が、床へと散らされる。
「が……ぐッ……こ、この犬姫がッ!」
「死にはしない。狼は獰猛なれど、優しき心を持っている」
「く……ああぁあぁぁぁあ!」
ふらつきながらも、ジャギアは襲いかかる。だが、彼の胸をリュカの指先がトンと叩いた。
「狼神魔法シャウファ。咆哮の如き衝撃が、あなたを吹き飛ばします」
「は? ……はぐッ!」
瞬間、見えない衝撃がジャギアを吹き飛ばす。
「く、クソ犬……姫が……ぁ……ぐ」
彼は、壁に叩きつけられると、ぐらりとよろめき、豪快に床へと倒れ込んだ。
終わった。と、思ったのだが――。
「リュカ!」
「わかってます」
バズウは、まだ息があったようだ。
犬は、凄まじい筋肉を搭載しながらも柔軟。
先程の一撃も、まるでゴムの塊を殴ったかのような感触であった。
衝撃は、分厚い筋肉が吸収してしまう。
ならば――。
咆哮と共に、襲いかかってくるバズウ。
リュカは、再び正面から迎え撃った。
「はっあああぁああぁぁぁぁっ!」
まず、顎に一撃。上体が持ち上がった。バズウの腹が見える。
ゆら、と、リュカは構えた。
「第零精霊ウルフィオよ。力を貸したまえ。……結界拳ガルフグレメイドッ!」
リュカは、歯を食いしばり、両腕に魔力を込める。
腹に強烈な一撃。
けど、バズウは吹っ飛ばない。
なぜなら、彼の者の背後に、透明な結界を出現させたから。
リュカが、数多の拳を浴びせる。
獲物めがけて我先にと襲いかかる狼の群れの如く。
狼の狩りを模した拳の連打。
吸収するはずの衝撃は、透明な壁のせいで、すべて受け止めることになる。
それは、相手の身体の奥深くまでダメージを浸透させる。
もう十分と思わせるほど連撃を食らわせ――
「がるるるるッ! ですッ」
トドメにもう一発、拳を叩き込む。
透明な結界にヒビが入った。そして、バギャンと派手に砕け散る。
バズウは、壁へと叩きつけられた。
「……お見事でした」
相手は獣。けど、リュカにとっては好敵手。
最後まで主人のために戦うバズウも、まさしく戦士であった。
再度、立ち上がるバズウ。
「ウ、ウ……ウォオオォォオォオッ!」
雄々しき雄叫びは、まだ戦えるぞと訴えているようであった。
けど、精神は強くも、身体はついていかず。
その咆哮が最後となって、バズウは床へと横たわるのであった。
「リュカ、よくやった」
そしてリュカトリアス・ライエットは、主のお褒めの言葉に応える。
「わん」