四十六話 わたくし臆病ですわよ
火炎を操る現代兵器か……。
――布と糸を扱うアクセリオンとは相性が悪い。
と、普通なら思うだろう。
「さぁて、どうするお嬢ちゃんんんんッ! 仕掛けたラインはぜぇんぶ焼き切れちゃったぜ」
「別に、困ることはないですわよ?」
ストールをふわふわと漂わせるアクセリオン。
魔力を込めたこの布は、多少の火炎では焼かれない。
「くくっ。魔法使いなんだってなぁ。憧れたよ。組織に入る前はマジシャンだった」
目の前の男は、どこか嬉しそうだった。
「マジシャン?」
「手品師だよ。ああ、あんたの国に手品はないのか。ホントの魔法が使えるんだもんな」
「手品師はいないけど、手品はありますわよ? 子供の遊びですわ。大人になると『魔法』だって言われちゃいますから」
会話をしながら、アクセリオンは腕輪から見えない糸を射出する。
相手に気づかれないよう、部屋へと張り巡らせる。
「見えない糸か」
彼は、再度、部屋中に炎を撒き散らした。ボロボロと糸が焼かれていく。
「……見えているのですか?」
「見えねぇよ。けど、見慣れてるんだよ。ジャリはマジシャンの専売特許だ。使い方は熟知してる。使うとき、どう見られているのかも意識してる。目線や仕草、シチュエーション。さりげない動作も、すべて意味があると踏んで観察してるんだ。……チッ」
燃料切れなのか、火炎放射器を放り捨てる。
「マジシャンって凄いのね。せっかくだし、名前、聞いておこうかしら?」
「ミスティオだ」
「なぜ、軍に?」
「軍じゃねえCIAだ。……売れなかったもんでな」
「そうですわねぇ、ガーバングラフでも売れそうにありませんわ」
不気味な鬼神の半仮面に、地味なパーカー。
エンターテイナーとしては花がない。性格も高慢だ。
「昔は、現代に舞い降りた炎の魔神イーフリートの異名で呼ばれていたんだぜ。けどな――」
ミスティオのポリシーは、お客を驚かせること。
リスクの高い危険なマジックを日常的にやっていた。
スタントマンと同じで、身体の傷は勲章のようなモノだ。むしろ、それぐらいの犠牲を払ってこそ、ありえない演出ができると彼は思っていたようだ。
だが、その苦労をパパラッチに暴露された。
顔や身体に刻まれた、ドン引きレベルの火傷写真が出回って、人気は低迷。
どこかのマジシャンが『無茶なマジックをすると、こんな風になるぞ。みんな、真似するなよ』と、揶揄したのも拍車をかけた。
『怪我をしながら手品をされても、お客は楽しめなくなる』と、仕事も激減したそうだ。
外国に拠点を移し0からやり直そうと思っていた時、CIAから誘いがあったらしい。
炎の扱い方を誰よりも熟知しているし、炎を恐れる様子がまったくない。
マジシャンなのだから、心理学や詐欺の手口にも精通している。それをCIAで発揮して欲しいと言われたとのこと。
「転職は大成功だったぜ。炎に関する最先端兵器を使わせてもらえるようになった。開発もさせてもらうようになった。予算を気にせずにな。知ってるか? マジックの道具って、高いんだぜ?」
「相場を知りませんの」
「あそ。ま、楽しんでくれや。炎魔神・ミスティオのマジックをよぉ!」
ミスティオは、指先に炎を点し、それをパーカーへと押しつける。
「へ?」
呆気にとられるアクセリオン。
自殺行為かと思った。が――。
「くくっ」
炎に焼かれながらも余裕の笑みを浮かべるミスティオ。
業火が全身を包むと、そのまま床へと突っ伏すように倒れた。
やがて、炎が消えたかと思うと、そこにはズボンとパーカーが、人の形を作って、残っているだけ。
「消えた……違う!」
アクセリオンの背後に、半裸のミスティオが出現した。
彼は、グローブから火炎を巻き起こす。
アクセリオンは、とっさに反応し、ストールで受け止めた。
「これが魔法じゃないなんて、ありえませんわ」
「面白い生地を使う。未開の地に、燃えない繊維があるとはな」
「こちらの世界にはないのかしら?」
「あるよ。火傷を防ぐジェルとかもな」
天井めがけて、ミスティオは口の中からリンゴを吐き出した。
それが爆発したかと思うと、大量の液体が部屋へと四散する。
――この匂いは油か。
防ぎきれなかったアクセリオン。
大量に浴びてしまう。部屋にも派手に付着した。
「さて、こいつをどう防ぐ?」
ミスティオは両のグローブを合わせた。
次に来る攻撃は、想像に難くない。
魔法とマジック。ここから先は読みあいだ。
相手の思考と想定できる現象。
お互い、読み違えれば取り返しの付かないことになる。
アクセリオンはストールを華麗に回す。帯のように広がった。
ダンサーのリボンの如く、彼女を中心に、包み込むように、球体を成すように。
「仕舞いだ」
ミスティオのグローブから火炎が噴出される。
部屋中に散らばった油、そして気化した油に引火し、部屋全体に強烈な炎が巻き起こった。
彼自身は、件の耐火ジェルとやらで守られているのか。
自分を含めたすべてを焼き尽くす気だったのだろう。――が。
「……なんで、テメエは燃えてねぇんだよッ!」
炎が治まる。
青筋を浮かべて、睨みつけてくるマジシャン。
油を浴びたはずのアクセリオンなのだが、引火する気配がなかった。
なぜなら、球体状に描いたストールの内側を真空状態にしていたから。
ストールに風属性を帯びさせていた。それが、球体の内側から酸素を排出したのである。
酸素がなければ、炎は存在できない。
すぐさま、ストールの結界を解除。
本来なら、一呼吸置きたいところだが、息をするわけにはいかない。
炎が治まったということは、この部屋の酸素濃度は、ほとんどないということ。
炎魔法を使う際の、基礎中の基礎だ。
アクセリオンは指をパキパキと動かした。
すると、ミスティオの足元から、ずあっ、と、数十本のワイヤーが飛び出す。
「…………ッ!」
あれほどの爆炎の中では、アクセリオンが仕掛けていたことに気づけまい。
ワイヤーの束は、まるで槍のようであった。硬質な繊維を束ねて作った特別製である。
ミスティオの脇や横腹を貫くようにして天井へ撃ち込まれる。
「がッ! ぐッ!」
完全に身動きを封じる。
開いた扉から、ようやく酸素も入ってきたか。アクセリオンも一呼吸する。
「……この、程度!」
「焼き切ろうとしない方がいいですわよ? それ、絶対に切れませんし、燃えませんの。そんなことをしたら、熱伝導で、あなたの身体がバラバラになりますわよ?」
「へ、へへ。わかってねぇなぁ! これぐらいの拘束、関節を外せば――」
「ええ、マジシャンでしたら、それぐらいできるのでしょうね。なので、もっとハードに拘束させていただきますわ」
ストールをふわりと漂わせる。
次の瞬間、それはまるで意思があるかのように、ミスティオをぐるぐる巻きにして見せた。
「む、ぐううううううううううッ!」
「わたくし、臆病でして……相手が、ちゃんと再起不能になるまで、ずっと不安ですの。だから、少し残酷にやらせていただきますわよ? 晴樹様は、殺すなとおっしゃいましたが……それはつまり、殺さなければ何をしてもいいってことですわよね?」
アクセリオンは、グッと拳を握りしめた。その瞬間、ストールが一気に圧縮する。
「さあ、わたくしの魔法の布から脱出してみてくださいな。お得意のマジックで」
「ひ、あ……ぐぎゃああああぁぁぁぁあぁぁッ!」
メキベキと、残酷な音と悲鳴がビルへと響き渡った――。
ミスティオが動かなくなるのを確認して、アクセリオンは四肢を弛緩させる。
すると、その場にへたり込んでしまった。
「はぁ……」
――これが、私の弱点だ。
ただでさえ少ないスタミナ。実戦ともなれば、緊張感からか、すぐに呼吸が乱れる。
ミスティオのような強敵ならなおさらである。
魔法を使わずして、魔法を再現する知識と文明は油断ならなかった。
少し、呼吸を整える時間が欲しかった。
けど、廊下から聞こえる足音が、それを許してくれそうになかった。
「くっ……!」
アクセリオンが手をかざす。扉に蜘蛛の巣の如き結界が張られる。
「おい! ここだ!」「ミスティオはどうした?」「いいから突入しろ!」「油断するな!」
ざく、ざく、と、結界が断ち切られていく。
――まず、呼吸を整える。
いい。落ち着いていい。
軍隊はクビになったが、リュカたちに見初められたのだ。
決して自分は弱くない。
まだ、戦える。仲間のために戦える。
せっかく、晴樹がチャンスをくれたのだ。
――負けるわけにはいかない。