四十四話 魔笛
俺とリュカ、チェルキーの三人は、最上階の大部屋で待機していた。
先程、クラリティに続いてアクセリオンも戦闘に入ったと、糸で合図があった。
上手く事が運んでいるようだ。
特化戦力である彼女たちは、個々の能力が高い。屋内での戦いは、個人で戦った方が能力を思い切り使うことができると俺は思った。
誘導役を担ってくれたシエルが、役目を終えて部屋へと飛び込んでくる。
「ただいま戻りました! 首尾は上々であります!」
正面玄関のトラップは挑発の意味を込めている。
敵に対し、シエルの存在をちらつかせることによって、怒りを向ける対象を明確にした。
追いかける獲物がいた方が、焦りやすいからだ。
「お疲れさん。――リュカ、頼むぞ」
「はい!」
リュカが詠唱を始める。
俺とチェルキーは、ドーム状の透明な結界に包まれる
そのタイミングで、カーライルの部下が突入してくる。
「追い詰めたぞ! 異世界人どもめ!」
結界に守られているとはいえ、殺傷能力満載のライフルを向けられるのは恐ろしいものがある。
リュカも正面に透明な壁を構築。弾丸を弾き返す。
その背後に隠れていたシエルは、彼女の肩に手を置き、ひょいと飛び越えるようにして襲いかかる。懐に入って混戦になると、リュカも突撃。鞘を付けたままの剣を振り回していた。
次々に兵士が倒れていく。
気がつけば、十近くいた兵士たちが床に倒れていた。
「は、はは……さすがはガーバングラフの姫勇者」
「ふふん。鍛えてますからね~。けど、この世界の武器には驚かされますよ。魔法を超越するほどの発明ですよ、コレ」
リュカは、ライフルに視線を落とした。
「で、あります。これがあれば、戦いに不慣れな者でも戦力になりますね」
「お土産にするんだよ」
「問題になるからやめろ」
とりあえず一段落。
「さて、これで作戦の第一段階は終了だ。あとは、とにかく敵の数を減らすだけ」
カーライルの存在をよく思っていない人間は多い。だからこそ、奴はアメリカから兵士を連れてきたのだろう。応援は限られているはずだ。
「そうですね。みんなを信じましょ……う……ッ?」
その時だった。
リュカが、自身の右腕を押さえつける。そのまま膝を突いて、苦悶の表情を浮かべた。
まるで中二病患者だ。
「ぐ……う、腕が……? こ、これはッ! シエル! 私から離れてください!」
「ど、どうしたのでありますか?」
心配しながらも、言われたように後退するシエル。
その時だった、扉の向こうから猛獣が現れたのは。
――ライオン? いや、違う。
よく似ているが、こいつは『犬』だ。全身がモフモフの毛で覆われている。
ただ、俺の知っている犬のサイズとは桁が違う。熊よりも大きいのではないか。
顔を覆わんばかりの毛の奥で、瞳がギラリと輝いた。
双眸がリュカを睨む。
「あ、危ないであります!」
犬がリュカへと襲いかかる。
しかし、彼女は中二病を発症したまま。
結界を張る余裕はなかった。
シエルが動く。身をよじるようにして、同回し回転蹴りを犬の背中へ。
ゴムのような筋肉に阻まれる。ダメージが通った様子はない。
だが、犬は攻撃の対象をシエルに切り替える。
頭が丸々入りそうなほど口を広げ、噛みつこうとした。
「うおぉぉおおぉぉぉなのでありますッ!」
上顎と下顎をそれぞれ掌で押さえる。が、一秒と持たなかった。
腕を放して、転がるように避けるシエル。
ガキンと、牙が空気をかみ砕いた。
距離を取るシエル。
「ま、魔物でありますかッ?」
シエルが勘違いするのも無理はない。
再び襲いかかるバケモノ。
すると、中二病を発症していたリュカが叫んだ。
「やめなさい!」
巨大な犬は、リュカの咆哮にビクリと反応する。
リュカは、犬耳をピンと立たせて、射殺さんばかりに睨んでいた。
「……魔物とは酷えなあ。こいつは歴とした犬だぜ」
巨大な身体の軍服男が、扉から現れる。
顔には勇ましい傷だらけ。歴戦の戦士と言った風貌であった。
口には、火の点いていない煙草を咥えている。
「チベタン・マスティフ。世界一凶暴な犬だよ。成長するとライオンみたいにデカくなる。こいつは、成長しすぎだがな」
男は、ゆっくりと巨大犬に近づき、モフモフの頭を撫でる。
シエルはナイフを抜いて構えた。
「おまえらが噂の異世界人様か。お目にかかれて光栄だぜ。俺はジャギア。で、こいつはバズウだ」
「この世界の犬は、こんなにも巨大なのでありますか?」
「こいつが特殊なんだよ。美味い飯食わせて、愛情いっぱいに育てたら、こんなにでっかくなっちまった。おかげで餌代が大変だ」
ジャギアは、クツクツと笑った。
「ほぅら」
ジャギアは、相棒に威嚇させる。
「バァウ!」
「わん!」
……ちょっと待て、なんかかわいい声が聞こえたぞ。
「……今の、嬢ちゃんか?」
「くっ……」
「リュカ先輩、どうしたのでありますか?」
「な、なんでも……ありません……っ」
「ガァウ! ガウガウ!」
「わん! わんわん!」
吠えるバズウ。
呼応するかのように剣を抜いて、わんわん鳴くリュカ。
お互いがお互いに襲いかかろうとしたところで、ジャギアが制する。
すると、一人と一匹の動きがピタリと止まった。
同時に。
「な、何が起こってるんだ?」
「ちぇるきーにもわからないんだよ?」
すると、ジャギアが吹き出した。
「ぶっ、はははははははッ。もしかして、お姫様さぁ――」
「ぬぐっ、咥えているソレ、煙草じゃありませんね――」
「――犬なのか?」
「――犬笛、でしょう?」
「い……犬笛……だって……?」
漫画で見たことがある。人間には聞こえない高音を発することのできる特殊な笛。
音の高さによって、犬に命令を出すことができるアイテムである。
「姫さん、あんた、この犬笛に反応しちまってるよな?」
「…………ッ!」
ジャギアが笛を吹く。俺には聞こえないソレが合図となっているようだ。
バズウは、その場へおとなしく座る。
そして、異世界のお姫様はというと、同じように犬の如く座ってしまったではないか。
「な、なんという屈辱ッ! なんという屈辱!」
顔を真っ赤にしてプルプルと震えているリュカ。
けど、身体は逆らえないようだ。
「せ、先輩!」
「はるき! 犬笛さえ手に入れたら、りゅかちゃんを好き放題操ることができるんだよ! やりたい放題なんだよ! ちぇるきーも欲しいんだよ!」
黙れ、お子様。
「リュカ! なんでおまえが犬笛の合図を理解してるんだよ!」
普通は、訓練で合図を覚えていくものだ。
音の高さの違いなど、マニュアルはあるのかもしれないが、それでも、それを理解するのには時間が必要だろう。
……もしかして、リュカが異世界の日本語を話せるように、犬笛語も理解してしまっているのだろうか。
「くっ……ぶはははははは! これで、おまえらのボスは無力化したな!」
「うぐぐぐぐむぅぅぅん!」
馬鹿げた話だが、本当に動かないらしい。
「そんじゃ、お姫様が固まってる内に、とりあえず、だ。もうひとりの嬢ちゃんをの方をやっちまうか。いけ、バズウ。食っちまっていいぞ!」
「ガルルルァッ!」
「おかしいだろ! 犬笛の命令が絶対なら、おまえの犬もお座りしたままのハズだろうが!」
「他の奴に犬笛を使われると困るもんでな。笛よりも、俺の口からの命令が最優先だって躾けてあるんだよ。姫さんは知らん」
襲いかかるバズウ。シエルは、逃げるように回避する。
最悪だ……。
ああ、たしかにリュカは犬と狼が大好きな国のお姫様だ。狼の血が流れているというのも眉唾ではなかったのだろう。犬耳カチューシャだって、身体の一部のようなものだ。
けど、犬笛で、身体の自由を奪われるなど、不憫を通り越して、情けなくなってくる。
「リュカ、どうにかならないのかよ!」
「ぐぐっ、どうにかなるものなら、どうにかしてます!」
お座りのポーズから、必死に身体を動かそうとするリュカ。
表情は苦悶に満ちている。
しかし、ジャギアが再び犬笛を吹いた。
「わぁあぁぁん、んッ!」
腹を見せるようにして、悩ましく床へと寝転がるリュカ。頬を赤らめる彼女は、なんだかとてもエロかった。俺は思わず顔を背けてしまう。
「はるき、写真を撮るんだよ! りゅかちゃんのあんな姿をブロマイドにしたら、がーばんぐらふの国民は、いくらでも金を出すんだよ! 城が買えるんだよ!」
その城は、きっと王族の皆様によって滅ぼされると思う。
「いっちょあがりだな。偶然にも、俺様は、姫さんにとっての天敵だったわけだ。いや、カーライルが、その可能性を考えて俺を送り込んだのか」
「んあぁぁあぁぁん!」
リュカが喘いでいる間、シエルがバケモノの相手をする。
刃と牙がぶつかりあう。攻撃を防ぐだけでも手一杯。
「く、ぅッ! まずいであります!」
ただ、大きいだけの犬ではない。
ひたすらに獰猛。
熊や虎でさえも逃げ出すような気迫がある。
さらなる不幸は、シエルの相手がその一匹だけではないということだろうか。
ジャギア。そして、操られているリュカがいる。
「なッ……」
「シエル! 逃げてください!」
襲いかかるリュカ。驚いてしまったシエルは、腹部を思い切り殴られてしまう。
「ぐぅ!」
「りゅかちゃん! 結界を解くんだよ! こうなったら、予定よりも早いけど最終フェイズに移行するんだよ」
「い、いけません! チェルキーには役目があるのですから」
バズウの噛みつき。
シエルはナイフで防ごうとする。しかし、バギンと噛み千切られてしまう。
「うぉぁおあ! マガナル鉱石のナイフがッ!」
隙を狙って、ジャギアの蹴りが飛んでくる。
シエルはかろうじて防ぐが、壁まで吹っ飛ばされてしまった。
「がはっ!」
このままでは全滅である。あとに控えている計画も、何もかもが霧となって消えてしまう。
「リュカ……なんとかしろよ……」
俺は訴える。
「そ、そんなこと言われても……ぐぎぎぎッ!」
「しえるちゃん! 笛を奪うんだよ!」
「わ、わかってますけど、余裕がッ……」
「リュカ! 共に戦った仲間を襲ってるんだぞ!」
「うぐぐぐぐッ!」
俺は、ドンと結界を殴る。ドンドンと、何度も殴る。
「ざけんじゃねえ! それでも勇者かよ! おまえが戦えないってんなら俺がやってやる! 結界を解け! どうせ、誰か一人でもやられたら、計画はお仕舞いだ! 結界を解けぇええぇええぇええぇぇえぇえええぇぇぇぇえぇッ!」
その時であった。叩きつけていたはずの拳が、するりと結界を抜ける。
「え?」
俺は、前のめりになって、ジャギアの足元に突っ伏した。
「なんだぁ? 本当に、おまえが俺の相手をする気か?」
ギヌロと、睨みつけてくる筋骨隆々の軍人様。
死んだ。と、思った。
啖呵を切ったはいいが、このままでは何をするわけでもなくボコボコにされてしまう。
――が――。
ふと、俺は気になった。
――なぜ、リュカは結界を解除したのだ?
――リュカが、民間人の俺に何かできると思ったのだろうか。
――絶対に、怪我をさせたくないと言っていた彼女が、俺を戦わせるだろうか。
そもそも、結界を解除できるのならば、張ることもできたのではないだろうか。シエルや自分に。
なぜ、彼女は、俺の命令聞いたのだろうか。
――ん? 命令?
この状況は、もしかして――。
「リュカ! 俺たちを守れ!」
リュカの犬耳がピピッと反応した。
彼女は詠唱を始める。
すると、俺の周囲に、再度結界が構築された。
シエルも同様の結界で守られた。
「どういうこった、こいつは……ちっ」
ジャギアが犬笛を吹く。
おすわりしてしまいそうなリュカだったが、間髪入れず俺が叫んだ。
「リュカ、座るな!」
リュカの犬耳が、ピピッと動く。
彼女は、犬笛の命令を無視して、立ち上がった。
「は、晴樹さん……? こ、これって……?」
リュカを動かしたもの――。
――それは、命令。
犬笛よりも絶対的な、俺の声による命令。
バズウが、笛よりも飼い主の命令を優先するように。
リュカもまた、俺の声を優先するらしい。
そのことに、俺は気づいた。
――そして、リュカも気づいたようだ。
「あ? どういうこった。……クソが」
毒づくジャギア。
俺は、リュカと視線を合わせる。そして、お互いが深く頷いた。
「リュカ。敵を倒せ」
彼女は、ニィと笑みを浮かべ、的へと向き直る。
そして、頼もしそうにつぶやいたのだった。
「仰せのままに――」