四十一話 鳴かぬなら鳴かせてみようホトトギス
投降の日の朝。午前六時。
俺たちは、いつもより早く起きて、淡々と朝食を済ませる。
服も着替えて、装備も調えた。準備の最中チェックを行う。
三十分前には、全員が事務所へと集まった。
あとは、待つだけ。
俺は、これまでのことに思いを馳せる。
失敗もした。後悔したこともあった。苦しいこともあった。けど、それ以上に、リュカたちとの生活は楽しかった。
そして、誇らしかった。世界を救う勇者の仲間として、力になれることを。
人生において、他人からこれほどまでに信頼されたことがあっただろうか。
「あのさ」
シンとした空気の中。落とされたその一言に、みんなの意識が引き寄せられる。
「この作戦が上手くいったら……みんな、自由になれると思う」
「そうだな。そう信じてる」
「絶対に成功するんだよ!」
士気を上げるかのように、クラリティとチェルキーが言った。
「その後、シノン博士に協力してもらってさ。この世界とアルクリフを行き来できるようにしてもらってさ、それで、元の世界に戻って、魔王を倒したら――」
リュカは、俺を見て「はい」と、嬉しそうに相槌を打った。
「――こっちの世界に、遊びに来てくれないか?」
少し、勇気のいる頼み事だった。大変なことばかりだったし、この世界が嫌いになっているのではないかと思ったから。
「せっかく異世界に来たっていうのにさ。つらい思い出だけじゃ嫌だから。美味い飯屋もいっぱいあるし、アクセサリや玩具、本だってたくさんある。遊ぶところもだ。絶対に楽しいと思う」
みんなの表情が徐々に緩んでいく。リュカなど、犬耳をピコピコさせていた。
「いいですね。私も、この世界の町で遊んでみたいです」
「わたくしも、楽しみにしてますわ。こちらの服飾技術もたくさん学びたいですし。温泉にも入らねば……ふふふ」
「にゅふふ、どんなお菓子があるのか楽しみなんだよ」
もの凄く嬉しそうにして、期待を膨らませるリュカたち。
俺は、絶対に、この笑顔を絶やしたくないと思った。
「ああ、そのために、この作戦は必ず成功させる」
「絶対に大丈夫なのであります。我らが軍師、晴樹殿のアイデアなのですから」
「ぐ、軍師……。そんなに期待されても……」
「大丈夫だ、晴樹。私たちが、必ずおまえの計画を現実にしてやる」
絆を紡いで希望を繋ぐ。
あとは、リュカを信じ、クラリティを信じ、チェルキーを信じ、シエルを信じ、アクセリオンを信じ、そして、自分自身を信じるだけ。
信用と信頼に効率などない。
全力を尽くし、終わったときに、後悔しないよう、ただ、己を燃やす。
☆
――しつこい。
本当にしつこいと思った。
何時間続いているのだろうか。
トイレ以外に休憩を取らず、カーライルと静奈のダウト対決は続けられていた。
「ダウト」
「マジか。がびーん」
能面のような表情で、静奈は場にあるカードを引き取っていく。
「相変わらず、嘘をつくのがヘタだね。動揺で、前髪が動いていたよ」
「風が吹いてたからじゃないかな」
「室内なのに?」
「簡易テントだ。隙間風がビュンビュン吹いてる。それとさ、あんた、何気なくカードに傷をつけてるでしょ? イカサマしなくちゃ勝てないと悟ったのかな?」
「君こそ、さっきトイレから帰ってくる時、僕の背後に鏡を置いて、何を覗いているんだい?」
お互いが、イカサマを咎めないのは、気づいた上でそれを逆手に取ったプレイをしていたからだろう。
カーライルは、正直なところ飽きていた。
静奈も同じだろう。だが、それでもやめられないのは、お互いが意地になっているから。
本来であれば現場を抜け出して、天麩羅に舌鼓を打つはずだった。
だが、それを見抜いた静奈は『逃げるの? 疲れたの? ん? ん?』と、挑発してきたのだ。
そこまで言われたら、勝負を続行するしかないだろう。
なので、カーライルは自分のぶんだけサインドイッチを注文した。
静奈の目の前で、美味そうに食いながらプレイした。
ゲームが終わるまで、静奈には食事をさせないつもりだった。
けど、静奈が大きな声で「有馬ぁ! お腹空いたぁ!」と、叫んだら、三十分後には、なぜかビルの反対側で見張っているはずの有馬が、ピザとコーラを運んできた。
バカバカしいお遊びは、夜が明けるまで続いた。けど、決着はつかず。
両者ともに疲れているはずだが、決して余裕の表情だけは絶やさない。
エレノアが入ってくる。
「カーライル、時間です」
「時間? なんのだい?」
「異世界人が投降する時間です」
テーブルの置き時計を見ると、時刻は七時だった。
「……あと、一時間か。もうそんな時間か。は、はは」
「いえ、十分前です」
「は?」
カーライルが頭上にクエスチョンマークを浮かべていると、静奈が答えてくれる。
「あ、悪い。あんたが席を立つ度にさ。時計の針を、ちょっとずつ遅らせておいたんだ。ゴメンよ。少しでも長く一緒にいたかったから」
「貴様ぁああぁああぁああぁぁあッ!」
「カーライル。あと九分です」
カーライルは、三分で支度をする。全身を濡れたタオルで拭き、下着を変えてスーツを纏う。香水を軽く一拭き。歯を磨き、髪型を整え、時計を装着。
静奈には『中断だ!』と、前置きして、テントを出た。
気分を切り替える。
本当の相手は異世界人共である。静奈などオマケに過ぎないのだから。
ゆっくりと、カーライルはビルへと近づいていく。取り囲むのは、五百のアメリカ軍人。
ほとんどが、カーライルの息のかかった者である。
あとは、もうしわけ程度の機動隊員だ。端っこには有馬もいる。
「エレノア。連中の様子は?」
「静かなものです。しかし、昨晩、すべての部屋にカーテンが張られました」
「やはり、何か企んでいる、か。……まあいい。結界が解除され、連中が姿を見せたら、容赦なく麻酔銃で眠らせろ。車に乗せ、空港に運んでアメリカへ送れ。マスコミは遠ざけておけよ」
「心得ています」
「もし、抵抗する様子を見せたら、二人まで殺して構わん。だが、犬姫は殺すな」
「はい」
カーライルは時計を確認する。あと、二分で約束の時間だ。
武装した五百ものアメリカ軍人は、果たして異世界の兵士何人分に相当することか。
現代の重火器を甘く見ない方がいい。五百もいれば、十万の兵に匹敵するかもしれない。
城のひとつやふたつ、余裕で落とせるのではないか。
軍人を指揮するのはジャギア・ハウンドロウである。
彼は、部下に檄を飛ばす。
「いいか! 相手は魔法を使うテロリストだ! ここを戦場だと思え!」
「イエス・サー!」
「アメリカのため、同盟国日本のため、我々はここにいる。世界が注目しているんだ。失敗は許されんぞ!」
「イエス・サー!」
「さぁて、異世界人共め。いったいどうするのかな?」
時が止まったかのように静かになった。
カーライルは、再度時計を確認する。
同時に、エレノアがつぶやいた。
「時間です」
――八時になった。
だが、結界が解除される気配はない――。
誰もが緊張の糸を保ったまま、五分が経過する。
「カーライル。動きがありません」
「見ればわかる。……籠城を続ける気か?」
ならば解散? いいや、気を緩ませれば、付け入る隙を与えてしまうかもしれない。
カーライルは無線でジャギアに命令する。
「アメリカ式の派手なやり方で、連中にきっかけをを与えてやれ」
『了解』
ジャギアがロケットランチャーを担いだ。
「……カーライル。彼、射撃が下手ですが?」
「はっ! ――ま、待て、ジャギア! おまえが撃つな――」
――その時だった。
ビルを覆う透明なバリアが、優しく霧散したのであった――。
「結界を……解除したのか」と、カーライル。
ジャギアはロケットランチャーを下ろした。
だが、部下たちは警戒するように銃を構える。
「投降する気なのでしょうか……」
静まり返る現場。
すると、ビルの中から『ぬいぐるみ』が、トコトコと歩いてきたではないか。
「あれ……もしかして……」
エレノアが、窺うようにカーライルを見やる。
金黒の髪。真っ白なスーツ。
丸くデフォルメされているが、ぬいぐるみはカーライルを模しているようであった。
軍人たちは、銃を向けながら、避けるように道を譲る。
ぬいぐるみは、やがてカーライルの前まで進むと、小さな手で目一杯万歳をした。
『降参だぁ!』
言いながら、ぬいぐるみがボンッと爆ぜる。羽毛が宙へと舞った。
「……どうやら、僕を挑発しているようだね」
メッセージのつもりか。ガキの考えそうなことだとカーライルは思った。
だが、言いたいことは十分わかる。
結界は解除したが、投降する意思など微塵もない。
攻めてこいということなのだろう。
「くっくっく……どうやら我々と戦う気のようだね」
顔を押さえながら、笑いをこぼすカーライル。
「ははっ、あははははは! ――テロリスト相手に容赦はいらない! 突撃だ! 我らが世界を愚弄した異世界のサル共を捕まえてこい!」
羽毛の舞い散る中、カーライルは号令をかける。
五百以上の兵たちが「おおッ!」と、威勢のいい言葉を発した。
周囲のビルが震えるかのようであった。
そして、一斉になだれこむ。
圧巻だった。
幾度となく事件を扱ってきたが、これほどまでに規模の大きい作戦を、カーライルは指揮したことがない。
異世界人が、この光景を眺めているのなら、きっと震えていることだろう。
気分は悪くない。
むしろ、投降で終わらせるなんて自分らしくないと、カーライルは思っていた。
――これで、異世界人は世間の敵だ。一方的に蹂躙できる。
気分を良くしたカーライルは、オーケストラの指揮者のように腕を動かしていた。
だが、突如として、正面玄関から爆発音。悲鳴が打ち上がり、煙が漂う。
腕を動かしながら、カーライルが問う。
「ん~。何があったのかな、エレノア」
エレノアは、無線で情報を集めながら報告する。
「トラップが仕掛けてあったようですね」
「なるほど。では、犠牲になった英雄に、こう伝えておいてくれたまえ」
「はい」
「マヌケ」