三十八話 代用魚
静奈との約束は完全に白紙と化した。
カーライルとの交渉は不可能。相手は、話し合いのテーブルに着く気さえなかった。
あまりに横柄かつ一方的な要求のせいで、クラリティを筆頭に誰もが荒れていた。
「こうなったら、戦うしかない。あのヘラヘラ野郎は、私たち――否、ガーバングラフに対して宣戦布告をしたんだからな!」
「それ以外、なさそうですわね……投降する気にはなれませんし」
「カーライルだけはタダでは済まさないのであります!」
「気絶させたら、ちぇるきーが操ってやるんだよ。全裸ブロッコリーで、町中を練り歩かせてやるんだよ!」
ヒートアップするガーバングラフの民たち。
そんな中、リュカが冷静につぶやいた。
「しかし、本当にそれでいいのでしょうか……」
「先輩。やるしかないであります。例え敗北しようとも、一矢報いるであります」
「みんな、落ち着いてください……。私たちの目的は、カーライルを倒すことではなく、アルクリフに戻ることなんですよ」
同感だった。カーライルに苛立ちを感じているのはわかるが、感情のままに突っ込めば、相手の思うツボである。
「しかし、リュカ。現実問題、戦う以外の選択肢があるのか?」
クラリティは、悟っているようだ。
「先輩には、何か策があるでありますか?」
「そ、それは……」
消沈するように、リュカは視線を落とした。
「包囲を突破するだけでなく……その後のことも考えなければならないと思います……。それに……」
彼女は、不安げに俺を見やった。
「春樹さんと、静奈さんのことも無視はできないのです……」
「あ……。あー……」
クラリティは、バツが悪そうに呻いた。
無茶をすれば、俺と静奈が罰せられると思ったのだろう。
「……はるきぃ。こうなったら、ちぇるきーたちと一緒にアルクリフへ行くんだよ。ガーバングラフで暮らすんだよ」
「なるほど、それもアリだな。リュカやリオンなら、向こうでの生活を保障してくれる。いや、私が養えばいいのか!」
正面突破で危機を脱出。アルクリフへ向かう。
悪くはない判断だ。しかし、元の世界に戻る方法が確立できていない。
それに、静奈を置いてはいけない。
「……春樹様だけでも、外に出ればよかったのでは?」
「俺が目の前で半殺しにあったらどうする?」
「……助けますわね」
「はい。恩人を放ってはおけないであります」
彼女たちの優しさを知っているのなら、カーライルは容赦なく利用するだろう。
「……籠城しましょう。結界を無視して攻撃する術があるのは承知です。けど、私の結界魔法だってバリエーションがあるんです。音も光も、とことん遮断してやります。我慢比べです」
「しかし、先輩。長くは続かないであります」
「カーライルの城攻めが長期化すれば、また別の指揮官に交替する可能性だってあるのかもしれません」
「攻めるか、我慢か……で、ありますか」
二択。異世界からの迷い人は、二つの地獄のどちらかを選ぼうとしている。
――けど、もし、三つ目の選択肢があるとしたら。
静奈ならどうするか。
静奈の弟たる俺ならどうするのか――。
もし、あいつなら、きっとこうするだろう。
「……交渉…………する」
成功するか否か定かではない。
けど、静奈ならきっと交渉から活路を開いていったはずだ。
同じ血は流れていなくても、同じ精神を共有して成長してきたのだ。
俺にだって、そのスピリッツは流れている。間違いなく。
ただ、静奈は静奈。俺は俺。
静奈は、俺という人間を守るため、慎重になっていた。
俺には俺のやり方がある。静奈にはできない手段がきっとある。
「しかし、春樹様。交渉に応じる相手ではないとおわかりでしょう?」
「そうだな。けど、なぜ応じないと言い切れる?」
「高慢でありますからねぇ。あるいは、勝ちを確信しているからでしょう」
「なにひとつ譲歩する必要がないからこそ、カーライルは交渉のテーブルに着く必要がない。
それなら、理由を与えてやればいい」
「……戦いに勝利し、武力での制圧が不可能と思い知らせてやればいいのか」
「いや、それだけじゃ駄目だ」
勝利、では意味がない。リュカを敵視する者たちが増え、さらなる国力で襲いかかるだけ。
それに、剣を突きつけたところで、引くようなカーライルではないだろう。
理想は、完全な友好関係。
カーライルに包囲を解かせ、リュカたちの将来を保証させること。
もちろん、ここからの交渉は戦いと同義であろう。
馴れ合いも譲歩もない。
彼女たちの能力は見せてもらった。リュカの魔法に、クラリティの剣技、チェルキーの人形を操る能力、アクセリオンの裁縫術、シエルの身体能力。これらを駆使すれば、きっとカーライルと交渉できる材料が出来上がる。
そう、俺は信じている。
「……みんな、聞いてくれ。ひとつだけ策がある」
☆
「ただいま、静奈。僕の交渉はどうだったかな?」
「百点満点すよ。ぶらぼー。さすがは世界一の諜報員だね。死ねばいいのに」
「はは、そんなに褒められると照れるなぁ。いやいや、君には敵わないよぉ」
カーライルは、わざとらしく後頭部を掻いた。
ビルの近く。警官隊の簡易休憩所のテントに、静奈は待機していた。
硬いパイプ椅子に座って、珈琲片手に寛いでいる――といえば、聞こえはいいが、事実上の監禁である。スマホも警察手帳も取り上げられ、監視も付いていた。
「なぁ、カール」
「はいさ、シズ」
「これ、CIAの管轄じゃないだろ。世界を股にかけるのは、ICPOにいる銭形のとっつぁんの仕事じゃなかったっけ」
「ICPOは、アニメほどアクティブじゃないよ。まあ、CIAは諜報機関だし、主に国内での仕事に従事してる。ただ、その実態は案外知らされていないのさ。ぶっちゃけて言えば、国益のため、秘密裏に活動している」
「ふーん。国益っていうよりも、あんたの場合、私利私欲のためって感じがするけど?」
「アメリカ国家のため、親愛なる国民のため、延いては世界平和のためだよ」
「顔に嘘って書いてある」
「日本一の交渉人の目は欺けないかぁ」
カーライルは椅子へと逆向きに腰掛ける。背もたれ部分に軽く腕を置いた。
「……僕の家はエリートな家系でね。パパと兄さんは政治家。ママは起業家。姉さんは会社の社長。全員が社会的地位のある仕事をしている」
「あんたも十分社会的な地位はあるだろ。ウチの元家族は、ゴミばっかだから羨ましいね」
「そうでもないさ。エリートにはエリートの悩みがある。末っ子は特にハードだよ」
エリートゆえに、誰もが自分の価値観を疑わないそうだ。
誰もが、自分が一番正しいと信じている。
そんな環境にカーライルという末っ子――家族の中で、もっとも立場の弱い人間が誕生する。
まさに家族の傀儡だ。
家族が敷いたレールを進み、家族の作ったルールに従って生きる。
「飛び級で大学を卒業したあとは、飲食関係の仕事をやろうと思ってたんだ。マンボウの刺身を回る寿司屋に流すと、日本人はマグロだと思って喜んで食べるんだろ? 大儲けだ」
「アカマンボウね。お客は喜んで食ったけど、社長は裁判所で泣くことになったらしいよ」
「けど、両親も兄も、僕の意見なんて完全無視さ。身内に諜報局の人間がいると、都合がいいと思ったんだろうね。代用魚の刺身を日本人に食わせまくる夢は潰えたよ。大学卒業後は、親父のコネでCIAへ」
「CIAって、コネで入れるの?」
「無理だと思うよ。けど、僕の家族は普通じゃなかったみたいだね」
家族に用意されたレール。それ以外の道は許されなかった。道を外せば潰される。
家族の望むように、カーライルは人生を進まなければならなかった。
「けど、僕はパパやママや兄たちとは違う。優秀だったんだ」
家族の成功は、才能ではなく金によるものである。
生まれつき、溢れるほどの金があるというベリーイージーモードな人生。
連中は、それを才能と勘違いしていた。
けど、カーライルは本物の天才であった。
努力ではなく、才能だけで結果を出せる。
「パパは、まあまあかな。努力をすれば成功できるタイプだ。兄貴たちはダメだね。自分の成功が、パパのおかげだってことにすら気づいていない甘ちゃんだ。ママは、運が良かっただけ。パパと結婚したことで勝ち組になれた」
だが、どこの国にも、派閥というモノがある。
結局は、才能よりも人脈。どんな天才も、上に睨まれたら落ちる。
家族に逆らえば、就職先を失うことになるだろう。
「家族は、僕が永遠の奴隷だと思っている。けど、僕にそのつもりはない。いずれ、思い知らせてやるつもりさ。そのための出世。小さな成功じゃ意味がない。誰もが目を離せない大きな成功が必要なんだ。今回の事件はうってつけだよ。世界中が注目している」
「だから、あたしの仕事を強引に奪った、と。実にアメリカらしいやり方だね。けど失敗したら大変だ。協力的だった政治家たちは知らぬ存ぜぬ。CIAも、あんたが勝手にやったことだと切り捨てる」
「リスクなんてモノはないさ。ロイヤルフラッシュが手札にあるんだからね。あとは、相手がどうするのか高みの見物だよ。さて、お姫様と晴樹くんはどう出るのかな?」
どう出るもなにも、晴樹たちに打開策はないと静奈は思っている。
敗北は変え難い事実だ。ならば、あとはダメージを最小限に抑える努力をするしかない。
晴樹の性格から、おそらく全員が助かる方法だけを考えているだろう。
そういう正義バカなのだから、あいつは。
「晴樹をどうするつもり?」
「僕に中指を立てた罪でテロリストになってもらう。異世界人と仲良くしていた証拠は、たんまりとあるからね。裁判、がんばってくれたまえ」
「じゃ、取引しない? お姫様たち五人を、生きたままおとなしく投降させるからさ。晴樹とあたしは無罪放免ってコトで」
もちろんジョークだ。受け入れられると思っていない。
「異世界人はあきらめると? 正義の交渉人が聞いて呆れるねぇ。くくっ。晴樹くんが、この取引を知ったら、きっと軽蔑されるよぉ?」
「しゃーないじゃん?」
「冷静だね。うん、静奈は正しいよ。――けど、僕は人の頼み事を聞くのが嫌いなんだ」
カーライルは、うすら笑みを近づける。
「テロリストを鎮圧したという形が欲しい。そうすれば、彼女たちは世界の大罪人。僕たちは何をしても許される。ね?」
「だから、あえて挑発したわけね。あんた、そのうち刺されるよ」
「上等だね。刺し返して、切り刻んで、アカマンボウの餌にしてあげよう」
今後、彼らの未来はカーライルが握る。
こうなったら、いっそこの場でカーライルを刺し殺してやろうか。
それぐらい思った自分は……正常なのだと思う。
家族を思う人間ならば。