三十七話 鳴かぬなら殺してしまえホトトギス
フォルトナビルともお別れの時がやってきた。
今日、俺たちは早く目が覚めた。
六時ぐらいだろうか。
朝食を食べ終えると、俺たちはビルの掃除を始めた。
水をケチる必要もなくなったから、たっぷりの水で雑巾を濡らし、部屋や廊下の床を拭いていく。キッチンやバスルームなども綺麗に。
畑は、もうしわけないけど、そのままにさせたもらった。せっかく作った野菜を、自分たちの手で壊すのが嫌だったからだ。
すべての部屋まで行き届かなかったけど、十時頃まで作業を続けた。
それから、みんなで昼食を作った。
静奈からもらった缶詰があったので、凄く豪華にできた。
蟹缶を使って炊き込みご飯。
焼き鳥缶を暖め、セイカルで和える。
冷凍してあったカルカッタ鳥はスープにした。油が溶け出し、もの凄く濃厚に仕上がった。俺は炊き込みご飯と混ぜて食べた。
正直、味はわからなかった。
食事が終わると、後片付けをする。
そして、荷物を整理して、投降の準備を始めた。
リュカは、高級感のある純白の旅人の服。腰には剣を携えていた。
クラリティも、漆黒のコートに身を包んでいた。ブーツの紐をしっかりと結んでいる。
チェルキーも、ゴスロリドレスを纏っていた。ぬいぐるみの手を、ぶっきらぼうに握っている。
軍服姿のシエルを見るのは久しぶりだった。ズボンは迷彩服だが、上はラフなTシャツだ。ショートポニーテールを作ると、キャップのうしろ穴からぴょこんと出した。
相変わらず露出の高いアクセリオン。針金でも入っているかのように、ストールが浮かんでいる。
「姉ちゃんに預ける道具は?」
「このリュックに入っているであります。使い方の複雑なモノから、危険なモノまで。何かの拍子に発動してしまうとマズいですから、なるべく覗かない方がいいであります」
「約束させるよ」
俺は、時計を見た。みんな、その視線を追いかけた。
「そろそろ、有馬さんが来る時間だな」
「わたくしも腹を括りましたわ。あとは、こちらの世界の方々の采配に期待いたします」
「大丈夫ですよ」
リュカは、微笑みながら言った。けど、犬耳がしゅんと倒れてしまっている。
きっと、彼女も不安なのだろう。
「安心しろ。万が一の時には、俺がなんとかするから」
その一言が、俺の精一杯だった。
「はは、どこにでもいる学生なんだろ? 無理するな」
「そーだよ。けど、やれることはあるぜ? もし、おまえたちが酷い扱いを受けるようなことがあったら、デモを起こしてやる」
「あらあら、それは頼もしいですわね」
「信じてないだろ? デモがダメだったら、政治家になって、必ずおまえたちを助け出す。もちろん、そんなことにはならないと思うけどな」
「わたしは信じてますよ。とても心強いです」
しおれていた犬耳が、ピコピコと動いた。
「むぅ、皮肉で言ったのではありませんのに」
「頼もしいであります」
「いざという時は、お願いなんだよ、はるき」
「ああ――」
俺たちは、階段に足音を刻み、正面玄関へと赴く。
予定では、有馬が待っているはずなのだが――。
「まだ、来ていないみたいでありますね」
結界の向こう――ブルーのシートに囲まれた空間には誰もいなかった。
俺は、スマホを確認してみる。
時間は、約束の時間から一分ほどすぎていた。
「姉ちゃん、時間にうるさいのに」
「回収に来てくれるのは有馬だろう? 静奈はともかく、あいつは……なぁ?」
「寝坊したのかもしれませんわね」
「連絡してみる」
スマホを操作しようとしたその時だった。
玄関付近を覆っていたブルーシートが外される。
俺たちは、ビクリと反応した。
「な……」
シートの向こうに広がっていたのは、大勢の軍人の姿であった。
テロでも鎮圧するのかといわんばかりに盾を構えて囲んでいる。
そして、正面には金黒髪の白スーツのアメリカ人が佇んでいた。
「やあやあ、ようこそ異世界人御一行様。そして、静奈のブラザー晴樹くん」
「ど、どういうことですか?」
周囲をキョロキョロと見回しながら、リュカが狼狽気味に問う。
あまりの威圧的な光景に、クラリティは双剣を抜いていた。
「お初にお目にかかります、お姫様。僕はカーライル・ブラックヒル。寒川静奈警部の代理人でございます」
「え? か、カーライル……さん?」
「静奈から聞いてますか? 聞いてますよねぇ。この度、こちらの世界の『代表』を務めさせてもらうことになりました。短い間ですが、お見知りおきを」
なぜ、こいつが? という感情は当然だ。けど、とにもかくにも――。
「なんでおまえがここにいるッ? 姉ちゃんはどこ行ったッ!」
「寒川警部のお手伝いのため、遠路遙々やってきたんだ。お姉さんは、別の場所で見守ってくれているよ。いやあ、彼女は人使いが荒い荒い。パシリにされちゃった」
「……晴樹、どういうことだ?」
クラリティが、小声で尋ねる。
「どうもこうも、いないはずのカーライルがここにいるってことは、姉ちゃんのプランが崩れてるってことだろ」
俺は、奥歯を噛みしめる。
カーライルは、楽しげに、ゆっくりと近づいてくる。
「美しいお嬢さんばかりだねぇ。いやぁ、晴樹くんが羨ましいよ」
「……クラリティ、歓迎されてるぞ。相手をしてやれ」
「断る。私は、この世界に来て、晴樹一筋になったんだ」
「浮気ぐらい許す。アプローチを受けてやれ」
「晴樹さん、恋愛に関して寛容なんですね。……あまり、よくないと思います」
「ご、誤解するな、リュカ。クラリティの好意を避けるために言っただけだ」
「静奈から話は聞いているよ。投降するそうじゃないか。いやあ、さすがは日本一の交渉人。異世界人を説き伏せるなんて感服するよ。さ、結界を解いてくれ。歓迎するよ。僕たちの世界へようこそ。晴樹くんも、ご苦労だったね。人質生活は、さぞかし大変だっただろう」
結界さえなければ、掴みかかれるほど接近するカーライル。
リュカたちは、警戒しながら一歩後退した。
「リュカたちは、姉ちゃんと取引したんだ。……連れてきてくれ」
「彼女の指示で、僕がここにいる。問題あるかな?」
「ある。ここにいるみんなは、相手が静奈だから、投降すると言っているんだ」
「だから、それの何が問題あるのかな?」
「大アリですわ。初対面の相手に身柄を預けることなどできませんもの」
「それは、安心していいよ。僕はCIAという諜報機関のエージェントでね。国が違うから一概には言えないけど、少なくとも静奈よりは権力を持ってる。生活の保障は当然する。世界が誇る諜報機関がバックについているんだ、元の世界に戻る方法だって簡単に見つけるよ」
もっともなことを言っているようだが、だからといって靡くリュカたちではないだろう。
「あんたが信用できる人間ならな」
「信用できない理由でもあるのかなぁ?」
「姉ちゃんが、ここにいない」
鼻持ちならないヤツだと静奈から聞いている。
それに、彼の態度は、信用される気がないようにさえ思えた。
いや、信用されないとわかっているのだろう。
「晴樹さんの言うとおりです。私たちは、静奈さんが相手だからこそ、投降の意を示したのです。それが守られなければ、こちらも約束は守れません」
リュカが言った。
「言ったろ? 僕が代理だ」
「では、来るまで待ちます」
「ふむ、ふむふむ」
カーライルは、飄々とした態度で頷いた。
「んっん~。どうやら、静奈に飼い慣らされているようだね。じゃ、ちゃんと説明しよっか。――寒川静奈は、現場を外されたんだ。これからは、僕が指揮を執ることになった。安心していいよ。仕事はちゃんと引き継ぐから」
「だったら、投降はできないんだよ!」
「そうかい? 誰が指揮官であろうと、投降以外に選択肢はないと思うけど?」
「自分は、あなたに投降したくないであります」
「私もだ。いきなり現れて『従え』はないよな。それに、好みじゃないし」
「あなたのひととなりを知りません。降伏を要求するのであれば、ますは話しあいましょう。お互いのことなど、何も知らないのですから」
静奈から、彼の性格を聞かされているのもあるのか、誰一人として彼を信用する者などいなかった。
「なるほど。なるほどなるほど。ごもっともです、プリンセス・リュカ。しかし、話しあったところで、投降することに変わりはないのでは? 他に何ができる? 籠城? 残念だが、僕はアメリカ人だ。世界で最もパワフルでクレバーな人種だよ? この程度の結界で、引き籠もることができるのかな?」
カーライルは、掌をぺたりと結界に押しつける。
「武力行使ですか? ならば、屈するつもりはありません」
「僕の機嫌を損ねれば損ねるほど、立場が悪くなるとおわかりかな?」
「今度は脅しですか?」
「はは、参ったね。そんなつもりじゃないんだけど……どうやら、僕は静奈ほど交渉が上手くないようだ」
「交渉する気すらないように思えるであります」
「……う~ん。そうなると、僕は別の才能でがんばるしかないかぁ」
カーライルは、パチンと指を鳴らした。
すると、背後に控えていたアメリカ軍人の連中が、一斉に結界へと近づいた。
彼らは、次々と粘土のようなモノを結界に貼り付けていく。
「仕掛けているのはC4って言ってね。異世界人や学生には馴染みがないだろ? 簡単に言うと時限爆弾かな」
「ば、ばくだんっ?」
リュカの一言で、みんなが一斉に数歩下がった。
無敵の結界があるとわかっていたのに。
時限爆弾が、俺たちのいる周辺に何十個と貼り付けられる。
「こんなものじゃ壊せないんだろうけどね。挨拶代わりだよ」
カーライルが踵を返して距離を取った。
盾を持っている連中が、カーライルを守るように布陣する。
「やれ」
瞬間、目の前で大爆発が起こった。
凄まじい音が響き渡る。俺たちは閃光にまみれた。
衝撃など遮断しているはずなのに、吹き飛ばされそうだった。
結界の向こう側で、モクモクと煙が巻き起こる。まるで見えなくなった。
やがて、それらが薄れていく。
すると、結界のすぐ側まで接近しているカーライルの姿が浮かび上がってきた。
彼は、不思議そうに結界を撫でる。
「やっぱり、この程度じゃビクともしないかぁ」
窺うように、リュカを見やるカーライル。
俺は、爆発の余韻のせいで心臓が慌ただしかった。
「……あなたの目的はなんですの? 私たちを確保したいのなら、静奈様を連れてくれば済む話ではないでしょうか?」
「は! こちらの世界にもクソ野郎がいるってことだ。降伏じゃ飽き足らず、相手を完全に叩き潰すまで追い詰める気なんだよ。――リュカ、結界を解け。私が叩き斬る」
「おおっと」
カーライルは、さっと後退しながら両手を挙げた。すると、背後の軍人連中が、ライフルを一斉に構えた。
結界を隔てて、リュカたちも戦闘態勢を取る。
剣を抜き、ぬいぐるみに生気を宿し、ストールの繊維を解放する。
「ま、待て!」
俺は、間へと入った。
「どけ、晴樹。こいつは宣戦布告をしたんだ。あたしたちだけじゃない、静奈も虚仮にされているんだぞ」
「いいからやめろ。……カーライル、何が望みなんだ!」
「完全降伏。目的は静奈と変わらないよ。僕たちからしたら、君たちは財産なんだ。魔法という新たな概念をもたらした新人類。異世界の可能性、未開の地への架け橋。そういう意味で非常に貴重だ」
「じゃあ、友好的に接したらどうだ?」と、俺は問う。
「友好的……と、いきたいところなんだけど……」
カーライルは、結界をノックする。
「こんなものを展開し、国家を煩わせ、人質を取って近隣住民を脅かしている。こちらが友好的に接したくても、そっちにその気がないなら、どうしようもないんじゃないかな?」
「詭弁だ。彼女たちは不可抗力で迷い込んだにすぎない。それに対し、武力での包囲を始めたのはそっちだ」
「包囲は静奈のやったこと。僕は仕事を引き継いだだけだ」
「姉ちゃんは、時間をかけて信用を得た」
「僕も信用してよ」
「させる気がないんだろうが!」
「じゃあ、話は終わりだよね。僕としても心苦しいんだ。包囲のせいで、近隣住民は避難したままだし、国は対応に頭を悩ませている。時間は有限なんだ。君たちは選ぶしかないんだよ。降伏か、あるいは……死ぬ……か」
カーライルが、流し目を滑り込ませてくる。
クラリティは、結界の内側をガリと剣で削った。
「私たちは、魔王相手に命のやりとりをしていたんだ。死を臭わせたところで、怯えると思っているのか?」
「目の前にいるのは、もしかしたら魔王よりも恐ろしい奴かもしれないよ?」
俺たちは、冷ややかな視線を送った。
「対話の用意は?」
毅然とした態度。リュカはあくまで対等な立場で応対する。
「ないね。完全降伏一択。悪いけど、静奈みたいに交渉が上手くないんだ。いやあ、上層部の人間も、なにゆえ、僕なんかを指揮官に推したんだろうか」
白々しく、しらばっくれるカーライル。
「……ならば、私たちはこれで失礼させていただきます。静奈さんがいないのなら、投降の件も白紙に戻させていただきます」
そう言って、リュカは踵を返した。皆、同じ気持ちなのだろう。同じように、爪先をフォルトナビルへと向けた。
「ああ、待ってくれ。僕さぁ、交渉は苦手なんだけど……脅迫は得意なんだ」
ピタ、と、リュカたちの足が止まった。
ほんのわずか、横顔を見せるかのようにカーライルを睨む。
「例えば……君たちがおとなしく投降しないと……静奈のキャリアを終わらせるとか」
「え……?」と、俺は一瞬の狼狽を見せる。
「キャリアとはなんですか?」
「お姫様の国の言い方だと……名誉と職を失う、という説明で、合ってるかな?」
「姉ちゃんは関係ないだろッ!」
「関係なくないよ。彼女は、テロリストに荷担しようとした節が見られるからね。投降の際に、兵器をいくつか横流しさせようとしていた」
「そ、そそそそんな事実はないんだよ!」
「春樹くんだって、見方を変えればテロリストの協力者だよね。解釈の仕方次第で刑務所送りもありえるかも。十年かな? 二十年かな? 青春は来世に期待した方がいい。ちなみに、弁護士も裁判官も、ぜぇんぶ僕が手配してあげるから」
「虫唾が走るであります」
「大人の世界を知らないようだね。これが司法制度というものだよ。事実なんてどうでもいい。裁判次第で、無実でも有罪になるんだ」
そんな、薄汚い手段を、カーライルは楽しげに語っていた。
これが、クソ野郎のやり方かと思った。静奈が警戒していたのも頷ける。
ああ、正直なところ恐ろしくはある。
カーライルに逆らっては、俺も、静奈も、リュカたちも、ただでは済まない。
けど、恐ろしいという感情以上に、俺はムカついていた。
こんな奴に、俺たちや、異世界の命運が握られているかと思うと――。
「……たしかに誤解されても仕方のない状況ですね。わかりました。まず、人質の彼を解放しましょう」
「そうきたか。なかなか面白いお姫様だ。巻き込まないために、彼とは無関係を装う気だね」
「あなたにとって、これもひとつの成果でしょう?」
「んっんー。どうしようかなぁ。……異世界人をひとり付けてくれたら、春樹君を引き取ってあげてもいいよ?」
馬鹿げた取引だった。カーライルは、最初からまともな交渉をする気はないらしい。
成果も手段も、どうでもいいようだ。ただ、完全に屈服させたいだけ。
「……やめろ、リュカ。こいつに何を言っても無駄だ」
「酷いなぁ」
「俺が……この中の誰かが外に出てみろ。半殺しにして、リュカたちの反応を見るぐらいはするぞ」
「なんて残酷な考えなんだ! ……けど、効果的だね」
「ほざいてろ」
「なんとでも言えばいい。僕の勝ちは揺るぎないんだから。そうだね、試しに静奈をここへ連れてこようか? 目の前で半殺しにして見せようか?」
「やってみろ、その瞬間、俺がてめえをぶちのめす」
「どこにでもいる普通の高校生がよく吠える」
余裕面のカーライル。俺は、その顔を、瞬きひとつせずに睨んだ。
「ああ、俺はどこにでもいる普通の高校生だよ。――けど、静奈の弟だ」
「だからどうした? 血は繋がってないよねぇ? 器や才能の差を鑑みれば、弟というよりもペットだよね」
クツクツと苦笑するカーライル。
「……行きましょう、晴樹さん。話し合いのつうじない相手のようです」
「わかってる」
今度こそ、リュカたちは踵を返し、ビルの中へと歩を進めていった。
俺は、最後にカーライルを睨んで、中指を立てる。
すると、彼は楽しげな表情で、親指を地面に向けた。