三十六話 お客様は神様。テメエは何様?
「……そうか。わかった。今からでもいいが……ああ、じゃあ、正午にしようか。武装に関しては、ヤバイものだけ預かるようにする。剣とか、最低限の物は所持しておかないと、隠したんじゃないかって疑われるからね。引き渡しに関しては、三十分前に有馬を行かせる。安全なところに運ばせるよ」
通話を終わらせる静奈。
仲間たちの見守る中、静奈は一呼吸置いて――
「――投降するそうだ」
その一言が落とされた瞬間、歓声が沸いた。
ガッツポーズをする者や、ハイタッチをする者。
贔屓の球団が試合に勝ったかのような騒ぎだった。
「正午ジャストに投降。武装に関しちゃ、聞いてたとおりだ。あたしが預かる。もちろんルール違反だ。口外するなよぉ、クビになっちゃうから」
「もちろんですとも! チクリ魔がいようものなら、私が叩き潰しますので、ご安心ください!」
有馬。おまえがいちばん心配だと言いたい。
「なんなら、ここにいる全員で分担して預かりましょうか? 自分は共犯になっても構いませんが?」「俺もですよ」「あたしもです」
武器を預かるなど、警察らしくない行動だ。
けど、誰もが、職務よりも人間を優先してくれている。
静奈は嬉しかった。ようやく実ったのだと思った。
「いいよ。面倒事はあたしが引き受ける」
今回の交渉は、交渉人らしくない交渉だった。
警察が有利になるよう事を運ぶのではなく、静奈という人物を理解してもらい、信用を得ること。大事なのは条件を煮詰めることではない。
それがスタートライン。そしてゴールだった。
「みんな、ご苦労さん。けど、あたしたちの仕事はここからだ」
「そうなんですか?」と、有馬。
「ええ、わかってますよ」と、その他大勢。
「普通の警察なら、あとは流れ作業だよ。けど、静奈組は違うよね? 各人、持ってるコネを最大限使って、異世界人の身柄を国に保証させるよう動け」
「はっ!」
全員が敬礼。そして、すぐさま電話やモニターと向き合った。
事件に絡めなかったカーライルが、別の手段を講じる可能性も考えられる。
県警が確保する以上、手を出すのは難しいと思うが、相手が相手だ。
後手に回るつもりはない。
あらゆる権力を駆使して、カーライルの横暴を防ぐ。
「いちばんコネ持ってる遠山議員の息子様は?」
「錬太郎くんなら病院です」
「あ、そ」
時計をチラと見やる。ちょうど、日付が変わっていた。
あと、十二時間でケリがつく。
心変わりがないことを祈る。
――その時だった。
トラック後部にあるドアが勢いよく開かれた。
軽快に乗りこんできたのは、真っ白なスーツの、へらへらした金と黒の髪の男だった。
「やあやあやあ、日本の警察のみなさぁん。夜遅くまでお仕事ご苦労様です。日本人はワーカーホリックが多いと聞いたけど、本当なんだねえ。飽きもせずに毎日毎日ずっと同じことをしているのかな。まるでゾンビだ」
ずかずかと入ってきて、オペレーターの女性に顔を近づける。
「家に帰ってる? 化粧してる? 化粧してそれ? あはは、ゾンビそのものだよ。鏡を見た方がいい。――こっちの彼は……ふんふん、香水が強いよね。シャワーを浴びる暇もないのかな?」
「な……」
静奈は、口を半開きにした。
すぐにその口を閉ざし、奥歯を強く噛みしめると、荒々しく声を飛ばす。
「な、なぜおまえがここにいる……ッ?」
「おや、静奈じゃないかぁ。こうして会うのは久しぶりだねぇ。どうしたんだい、目玉が飛び出しそうなほど驚いてるじゃないか。まるでビンス・マクマホンだ」
静奈の部下たちは、突如現れたアメリカンを取り囲んだ。
威圧感を湛えた瞳で睨めつける。
すると、そいつは視線を一周させ、ふてぶてしく自己紹介をする。
「どうも、初めまして。今日から君たちの上司になるカーライルだ。知ってるかな? まあ、優秀な静奈のことだから、僕のことは説明してあるよねぇ?」
チームの連中は、動じずに黙っている。
殺しあいでも始まりそうな空気の中、静奈は冷静さを取り戻しながら問いかける。
「随分と早い到着じゃないか。最近の飛行機は性能がいいから、予定時刻よりも早く到着するのかな。出番まで、あと、二十三時間と五十五分ほどあるけど?」
立ち上がって、歓迎するフリをする静奈。
「友好国が異世界人の脅威にさらされているんだ。一刻も早く助けに来てあげないとね。知り合いにプライベートジェットを借りて、飛んできたんだよ」
満面の笑みで、握手を求めるカーライル。
静奈が躊躇っていると、有馬が「画鋲とセロテープ、用意しましょうか?」と、言った。
彼女にしては、ナイスな皮肉だと思う。
一応、礼儀として握手をしておく。
手を離した瞬間、有馬がおしぼりで、ゴシゴシと静奈の掌を拭いてくれた。
「歓迎されていないみたいだね」
「みんな、サプライズが嫌いなもんでね」
「静奈も、残念がってるよね? 僕が来る前に終わらせようとしたかったんだろ? ……くくっ、三日も猶予をあげると思ったのかい?」
「事件は一日でも早く解決するのが駆府市警静奈組のモットーっすから。遠路遙々ご苦労様です。心強いよ。感謝感謝。とりあえず、今日は休んで明日は観光でもしたらどうかな? 近くに、ワタミっていう高級料理屋があるんだ。あんたのようなセレブにピッタリ。誰か、接待してやってくれないかな」
「気持ちだけ受け取っておこう。残業好きな日本人と違って、アメリカ人は時間を大切にするんだ」
言って、先程まで静奈が座っていたソファへと腰掛けるカーライル。
「さ、交代の時間だ。たった今から、指揮官はこの僕。文句があるなら署長に言ってくれ。話はついている」
「チャンスをくださいよー。あと三日もあればカタをつけてみせますからー」
「三日とか言っといて、今日明日には解決できる算段がついてるんじゃないかな?」
「全然」
静奈は、しれっと言った。
「相変わらず嘘が上手い。動じないね。けど、無能な部下が三人ボロを出した。唾を飲み込んだり、ギョッとしたり。身体が揺れたりね。どうやら、チェックメイトは見えていたようだ」
バレている。というか、隠し通せないのだろうと静奈は思った。
CIAの諜報員というのは、びっくりするほど優秀だ。
二、三質問すれば、嘘か本当かどうか見抜かれてしまう。
静奈はともかく、有馬辺りに尋問すれば、二秒でバレる。
観念して、正直に話す。
「……実を言うと、交渉はすでに終了している。本日正午、彼女たちは武装解除をして投降する。悪いが、交代すると話が拗れるんだ」
「じゃあ、異世界人の身柄はどうなるのかな? アメリカに引き渡してくれるのかい?」
「ゲームは終わってるんだよ。あとは、ビショップを動かすだけでチェックメイト。その状況でプレイヤーが交代するのは、紳士のやることじゃないね」
「例えが悪いね。この場合、チェスじゃなくてベースボールに例えた方がいい。僕たちのバックにいる監督やオーナーが交代を告げたんだ。どんな状況でも従わなくちゃ。それが、プロってものだと思うけどね。でないと、明日から打席に立つどころか、球拾いをさせられることになる」
「あんたの出番は延長戦からの約束だ。この国では、嘘をつくと針千本を飲まされるんだよ」
「静奈さん。ハリセンボン、釣ってきます」
「いい」
「はは、静奈となら、何時間でも話してられそうだ。けど、ごめんよ。君と違って、僕は忙しいんだ。異世界から来たテロリストの相手をしなくちゃいけないからさ」
「テロっていうか、彼女たち、ただの迷子だよ?」
「機動隊とぶつかったって聞いたけどぉ?」
「なんかあったっけ?」
静奈は、仲間たちに問いかける。
すると、口々に、
「何もないよなぁ?」「俺ら、見張ってるだけだし」「何度か、静奈さんが交渉に行ったぐらいじゃないか?」「ととと突入作戦なんてなかったですよ! おく、屋上からとか、絶対にあり得ませんから! 私、何もしてませんから! 負けてませんし!」
適当に惚けてくれる。
「何を言っても無駄だよ。決定事項なんだ。クレームがあるなら、署長に言ってくれたまえ」
「仲良くしたいんじゃなかったのかな? カーライル。もう、深夜だけど、河豚でも食べに行こっか。驕るよ。あたしが捌いてあげてもいい」
「靴、舐める?」
「舐めても仲良くなれる気がしないね」
カーライルは、くくっと嫌味な笑いをこぼした。
「このままだと、明日までこんな話を続けるんだろうね」
「条件とかないの? 現実的なヤツ。それとも、ポーカーで決着付けようか?」
「くどいよ。仕事が終わったら相手をしてあげるから、とりあえず退場してもらえるかな」
カーライルは、スマホを耳に押しつけ「静奈がお帰りだ」と、言った。
すると、背後の扉から、三人のスーツを着たアメリカ人男性が現れた。
静奈の仲間をぶっきらぼうに押しのける。
それを遮るように、有馬が立ちはだかった。
「なんだ、おまえは」
凄むカーライルの部下たち。
有馬は、臆することなく睨みつける。
「指揮権の譲渡は明日の約束です」
「おやぁ、僕と静奈の話を聞いてなかったのかな? 事情が変わったんだ。僕のハイパーワガママタイムが始まったんだよ」
ソファから、カーライルが声を飛ばす。
「あと十二時間で終わると、静奈さんが言っている」
「関係ない。たった今から、ウチのボスが仕切る」
「静奈さんに指一本触れてみろ。清水の舞台から叩き落とすぞ」
静奈たちを真似て、ユニークな言い回しをしたかったのだろうが、清水の舞台は、ない。
「んふっ。そーゆー強がりは嫌いじゃないが……。立場がわかってなさすぎなんじゃないかな? 公務員なら、上司の命令には従わなくっちゃ。みんなが好き放題したら、組織は機能しないよ? リストラされたら、京介くんと凛花ちゃんが悲しむと思うなぁ」
「な……」
どうやら、相当な暇人だったらしい。
有馬のことも調べてあったようだ。
「京介くんって、京東大学を目指してるんだよね? 受かるといいね。理事長とは知りあいなんだ。口添えしておくよ」
「あ、ありがとうございます?」
「バカ有馬。カーライルは脅してるんだよ。逆らったら、コネを使って京ちゃんを不合格にするって言ってるんだ」
「え……? お、弟は関係ないでしょう!」
「関係ないといいね」
有馬が、静奈を慕ってくれるのはわかっている。
けど、彼女は、同じぐらい姉弟が大事なのだ。
「いいよ、有馬」
有馬の肩を、ポンと叩いた。
「指揮権は譲るよ。降参降参。んじゃ、カーライル、あとのことはよろしく」
「思ったより、引き際がいいね」
「あたしのせいで、仲間に迷惑かけられないからね。んじゃ」
静奈は、カーライルの部下や仲間たちを押しのけ、トラックから出て行こうとした。
「あ、そうだ、静奈。悪いけど、スマホは置いていってもらおうかな。……弟に連絡を入れて、くだらない知恵を吹き込まれたら困るから」
「そんなことしないけど……あんたに従う義理はないよね――」
――言って、静奈は駆ける。
扉を開けて、外へと飛び出した。
抗っても無駄なのは明白。
晴樹たちがノコノコと投降してしまえば、ロクでもない結果が待っている。
リュカたちだけではなく、晴樹までもが、カーライルの嫌がらせに巻き込まれる。
ならばと、ここからは静奈も異世界勇者御一行に荷担する。
通信手段さえあれば、今後どうすればいいのかを伝えることができる。
警察官としてのルールに反していることは理解している。
だが、ルールに従って全員が不幸になるより、ルールを破ってでも全員が幸せになれるのなら、そっちの方が絶対にいい。捜査妨害で処分されても構わない。
昔、静奈は、誘拐犯のアパートを訪ねたことがあった。
誘拐した子供を、ほぼ間違いなく監禁しているとわかっているのに、捜査令状がなくて踏み込めないケースだ。
上司は、出直そうとしていたが、静奈は冗談ではないと思った。
助けを求めている子供が、すぐ近くにいるかもしれないというのに。
泣いて、怯えているのかもしれないというのに。
ただ『捜査令状がない』というルールのせいで、やれやれと出直すのがバカバカしく、あまりに人間の気持ちをないがしろにしすぎだと思った。
犯人の表情から、クロだと確信していたというのもある。
静奈は、上司の制止を振り切り、犯人を投げ飛ばして、違法な家宅捜査をした。
結果、誘拐された子供を見つけることができた。
公務員である以上、ルールを守らなければならないのはわかっている。けど、ルールを無視してでも助けなければならない時がある。大事なのはルールを守ることではなく、人間を守ることではないか。
そうでなければ、カーライルのような悪党が、ルールを振りかざして好き放題してしまうのだから。
――しかし――。
トラックから飛び出した静奈を待っていたのは、日本人ではない顔ぶれだった。
スーツを纏った者から、軍服に身を包んだアメリカ人。
何十人というそれらが、対策本部トラックの周囲を、グルリと取り囲んでいるではないか。
カーライルが、ゆっくりと車両から降りてくる。
「現地の人間は扱いづらいと思ってね。頼りになる友人を大勢連れてきたんだ」
「……ここ、日本だよね?」
静奈は、観念して、スマホをカーライルに放り投げた。
「出て行けとは言ったけど、自由にさせるとは言ってない。静奈の考えていることぐらいわかる。フリーにさせたら、面倒なことになるってね」
「あたし如きにビビるタマじゃないだろ」
「ビビってはいない。けど、評価はしている」
「リュカさんたちはいい人だよ。酷い扱いをしたら地獄に落ちる」
カーライルは肩を竦めた。
「連中はテロリストだよ。静奈のやり方はヌルすぎるんだ。世界を代表して、異世界人と向きあっているという自覚が足りないんじゃないかな? だから、舐められるんだ。静奈が、じゃない。この世界がね」
「今後、異世界との外交がないとは限らない。相手は大国ガーバングラフの姫だよ? 何かあったら戦争になる」
すると、カーライルは薄気味悪く口の端を吊り上げた。
「――戦争になっても構わないさ。叩き潰せばいいだけだからね」