三十五話 幸福な降伏
解散した俺は、頭を冷やすため、屋上に来ていた。
ちょうど、洗濯物が乾いていたので、アクセリオンと一緒に取り込むことにした。
畑では、クラリティが農作業をしている。
どんな未来が待っていてもいいように、いつもどおりに振る舞おうとしているのだろう。
投降の件に関して、誰も触れない。黙々と作業している。
洗濯物をとりこむと、アクセリオンはそれらをたたむために寝室へ行くと言った。
クラリティを手伝ってやってもよかったのだが、
『これが最後になるかもしれない』
と、襲われるのが嫌だったので、俺は給湯室へと向かった。
給湯室では、シエルとチェルキーが雨水を濾過していた。魔法の道具というのは便利なもので、雨水を軽く濾すだけで、次々に飲み水が生まれていく。
風呂の水などは、濾過などしなくていいのだが、これならやってもいいと思えてしまう。
作業を手伝っていると、リュカがやってきて声をかけられた。
「晴樹さん、ちょっといいですか?」
「ん? ああ。シエル、チェルキー、あとは頼む」
事務所へ。
「どうした、リュカ」
俺は、適当なソファへと腰掛ける。
すると、リュカは同じソファへと並ぶように腰掛けた。少し、ドキッとする。
「晴樹さんとお話しがしたかったんです」
「……俺も、誰かと話がしたかった。みんな、口が重そうでさ」
「あはは……ですよね。みんな、考えちゃってますよね」
リュカは、苦々しく笑った。
「ま、いいよ。……それで、相談か?」
「いえ、相談じゃなくて……えっと、静奈さんのコトを聞かせて欲しいかなって」
「姉ちゃんの?」
「はい」
「いいけど……なんの話をすればいいのかなぁ」
「そうですねぇ。じゃあ、二人はどうやって出会ったんですか?」
そう言えば、言ってなかったっけか。
血が繋がっていないとか、拾われたとか、軽くは説明したかもしれないが、詳しくは教えてなかった。まあ、今更な感じもするけど。
「ん~、両親がロクデナシでさ。俺、捨てられちゃったんだよな。それを拾ってくれたのが姉ちゃん。あいつも、田舎から出てきたばかりでさ。学費を稼ぎながら、大学に通ってた」
「勉強しながらお仕事ですか……。親の援助もなしにですか?」
「そ。俺と違って、静奈は親を捨てたのかな。現代だと……珍しいっちゃ珍しいけど、ない話じゃないんだよな」
「苦労されたんですね」
「ああ。姉ちゃん、すげー貧乏でさ。カツカツだった。なのに、俺みたいなのを育ててくれたんだ。ありえないほどハードだよ。独り身なのに十八で子育てする奴なんて滅多にいないね」
そもそも、他人の子供を育てるという発想自体がありえない。
皆、自分のコトで精一杯な年齢だ。
「俺を育てたのは『自分のため。寂しかったから』って言ってた。けど、気を遣って、言ってるだけだ。ああ見えて優しいんだよ。仲間からも慕われてる」
俺は、呆れるように微笑んだ。
「静奈さんのコト、好きなんですね」
「好きっていうか、尊敬だよな。普通の人にできることじゃない。一緒に暮らすだけじゃなくてさ、ちゃんと教育っつーか……悪いコトしたら叱ってくれるし、勉強ができなければ、徹夜で教えてくれる。父さんや母さんにもしてもらえなかったことを、姉ちゃんはしてくれたんだ。まったくの他人だったけどさ、気がついたら姉弟になってた」
子供の頃はわからなかった。
けど、年齢を重ねるごとに、静奈の偉大さを理解するようになった。
曲がったことが嫌いで、優しくて、愛のある人間。
なおかつ、それを貫きとおせる強い意志を兼ね備えている。
だから俺も、尊敬する姉のようになりたくて『人』として、恥じることのない生き方をしようと思っている。
「表裏のある人間に見えて、実はそうでもないんだよなぁ。どういう奴かっていうと……そうだな、リュカが感じたとおりでいいんじゃないかな」
「感じたとおりですかぁ」
ほのぼのと、緊張感なくリュカは言った。
「……晴樹さん」
「ん?」
「私、静奈さんを信じてみようと思うんです」
「信じる?」
「信じて、投降しようかなって……」
俺も、それがいいと思った。
けど、彼女の本当の気持ちを確認する意味で、俺はもう一度問う。
「いいのか。これまでのがんばりが無駄になるぞ」
「いえ、無駄なんかじゃないです」
「どうして?」
「……がんばりのおかげで、静奈さんという人間を、信用できるようになったからです」
わかる気がする。
静奈の、粘り強く遠回しな対応のおかげで、ついには信じることができるようになった。
そう考えれば、これまでの籠城生活も、意味があったのではないか。
「…………明日、私たちは、静奈さんに投降します。晴樹さん、ガーバングラフの臨時外交官として、最後にお仕事お願いしてもいいですか」
「ああ」
静奈に連絡を入れて、降伏の意を伝える。それで、俺の役目は終わりだ。
――このあと、リュカは全員に降伏の件を伝えた。
アクセリオンは渋っていたが、リュカが熱心に説明すると、納得してくれたようだ。
クラリティも、シエルも、チェルキーも、それしかないと思っていたみたいだった。
明日、リュカたちは投降する。
できるのは、待つことだけ。
あとは、運命に身を委ねる。
願わくば、彼女たちが幸せになれますように。